3.21 伸ばした手
「男が逃げたぞ!」
トラルン全体に届く程の大声が建築地区の方向から響く。
その言葉の意味を理解出来た者は少なく、そして行動に移せた者は更に少ない。
ハラルは何事かと、鍬を止め顔を上げた。そして気づいた、先程まで話していたリガンがいないことに。
「貴様止まれ!止まらぬか!」
ハラルのいる農地地区の監視係が大声を上げる。今度は何だとハラルは監視係の指し示す方向へと目を向ける。
そこには一人の少女が肩まである薄橙色の髪をたなびかせ走っていた。
ハラルはその少女に見覚えがある、何故なら先程まで話していた相手リガンであったからだ。
リガンは監視係の静止を聞くことなく走る。
リガンには分かっていた、トルクが起きたことに。そしてトルクのお陰でトラルンは混乱状態にある、逃げるなら今この瞬間がベストなのだ。
怒声が聞こえた時、考える暇なくリガンの体は動き出していた。別に予め想定した上での行動ではない。リガンの思いがそうさせたのだ。
そしてその思いはリガンをある者の場所へと連れていく。
リガンの足は隣の農地へと入っていく。そしてその中央にこちらを見つめてくる者がいた。リガンにとっては合わせる顔がない者。その者こそがリガンの走り出した目的であった。
獣丸の子供であるラヒンの身長はリガンの膝よりも小さい。その為ラヒンを掴まえる為には、スピードを落としてでもしゃがみラヒンの体を掴まなければならなかった。
しかしこのような切羽詰まった状況下でスピードを落とすなど危険な賭けである。もしラヒンを掴む為に速度を落とし、そのせいで監視係に追い付かれ捕まえられでもしたら目も当てられない。今のリガンには目潰しとなるメガトリ粉ないからだ。
その為速度を落とさず、ラヒンを掴まえる方法を取るしかリガンに残された道はなかった。
「ラヒン!手を伸ばして!」
リガンはラヒンに向け手を伸ばす。
速度を落とさず、リガンがラヒンを掴まえる方法。それはすれ違いざまにリガンが伸ばしているラヒンの手を取り、引き上げ掴まえる。
今のリガンにはそれしか思いつかなかった。
そして当たり前のことだが、この方法でリガンがラヒンを掴まえるためにはリガンと同じくラヒンも手を伸ばさないといけないのだ。
しかしながらリガンにはラヒンの気持ちが今一つ分からないでいた。こうして手を伸ばす時にも。
自分の犯した過ちでラヒンは今このような状況に身をおかれている。
人助けを信条とするリガンにとってそれは決してやってはいけない行為であった。そしてそれが実現した今、リガンは相手の気持ちを上手く汲むことが出来ないでいたのだ。
人を助ければ相手は幸せになる、自分と同じように。では真逆の事をしたら?
否、上手く汲むことが出来ないというのは嘘である。リガン自身分かっていた。その時相手はきっと自分の事を……。
そう信じたくはなかった。故にリガンはラヒンに手を伸ばす時願ったのだ、手を掴んでくれと。手を掴まない場合ラヒンは自分の事を憎んでいる、憎悪していると確定するのだから。
「伸ばしてお願い!」
ラヒンとの距離が縮まる中リガンは懇願するかのように叫ぶ。ラヒンの抱いている思いが負の物であると信じたくはないかのように。
ラヒンとの距離がますます近くなる。次第に狭まりリガンとの距離があと数mしかない時であった。
リガンの瞳に細い手が移る。薄赤色をした体毛に覆われた手が。
その手はまっすぐ上へと掲げられていた。下向きではなく上へと。
そのラヒンの姿を見た時リガンの顔は自然と綻ぶ。そしてラヒンの真横に来た時、リガンは伸ばした手で彼の手を強く握りしめた。




