3.11に寄せて
震災復興支援企画【スマイルジャパン 2016】
あの日、私は何を見たのか。
時間と共に薄れてしまう記憶を無くさないために。
*おことわり*
このエッセイの趣旨は「震災の記憶を風化させない」ことに置いておりますので、当時の自分の様子をそのまま書いてあります。
企画および作品の内容は震災について揶揄するものではありませんので、ご理解くださると幸いです。
また、無理だと思われた方はすぐにブラウザバックしてください。
五年前のあの日は、結婚して半年が過ぎた頃だった。
当時、仕事が無く専業主婦をしていた私は遅い昼食を終え、だらだらとテレビを見ていた。
突然カタカタと音がしたと思った次の瞬間、激しい横揺れが木造二階建てのアパートを襲う。テレビからは緊急地震警報が鳴り出した。とっさに玄関のドアを開け、揺れがおさまるのを待ったが中々止まらなかった。
あんなに長い地震は経験が無かったので流石に恐ろしく、動悸が激しくなったことを覚えている。あれ以来、小さな揺れでも少し怖い。
徐々に揺れはおさまり、ようやく落ち着くと居間に戻って震度を確認する。私の所は震度四だった。それでも体感はかなりのものだったので、震源近くはどれだけの大きさなのかと画面に目を戻した。
東北地方は軒並み震度五以上、最大で震度七。あくまで数字の上では。だが、きっと観測史上類を見ない規模の地震であることは、赤字で埋め尽くされた東北地方の地図を見ればすぐに分かった。
続々と各地の震度が読み上げられている中、カメラはある海辺の、田畑が広がる平地を映しだす。
遠くに一直線の白い線が見える。それはテーブルに倒したコップの水が広がるように、平地を浸食し始める。海水は茶色く濁り、濁流となって押し寄せてくる。
かなり内陸の、畑と畑の間の道路を車が走っていた。波の最前線と平行に。
早く! 早く逃げて!
画面の向こうの車に向かって、私は声にならない叫びをあげていた。
その車は幸い途中で道を曲がり、何とか逃げおおせたが、波にのまれた車もあった。乗り捨てられたのか、まだ人がいたのかは分からなかったが。
その後もカメラは忙しく切り替わり、刻々と被害を映す。
高架になった道路に取り残された人々、立体駐車場の最上階近くまで上がった水位。
頼むから、もうこれ以上は来ないで……!
テレビの前で泣きながら祈るしかできなかった。
これが私のあの日の記憶だ。
恐らく、生涯忘れることは無いだろう。
私の住む北海道は地震が多い。過去には奥尻や十勝などで大きな被害が出た。いつ自分も被災するとも分からない。
だからこそ、三月十一日を忘れてはいけないのだ。
そして、その後の被災地の人々が、復興に向かって力強く顔を上げたことも。
願わくば、この先の人生に幸多からんことを。
最後までお読みくださりありがとうございました。
素人とは言え、物書きとして何か残さなければと思い、企画に参加した次第です。
記憶を掘り起こしながら書いたため、乱雑な文章になったかもしれませんが、嘘偽りのない本心を込めました。
どうか皆様に、心安まる日が一日でも早く来ますよう念願してやみません。