ちぐはぐな都市伝説
夜の暗がりに僕は独り立ち尽くす。
黒い靄を追い、ようやくここまでやって来たが靄を見失ってしまった。きっとまだ近くにいるだろう。
僕だけに見えるその靄は非常に危険だ。
人々をボロボロにしては悪戯に逃げていく。
僕はそれを根本から消さなきゃいけない。きっとそれは僕に課せられた使命だろう。
人を壊すこの靄は、片っ端から排除しなくちゃ。
霧のように消えていった彼に呟く。
「大丈夫だよ。君は悪くない。悪いのは全てこの靄だ。安心して?全て夢だから。全て、嘘だったんだから。」
―
帰りたい。
今、俺の脳内の大半はその言葉が占めていた。
貯めに貯まった課題たちの提出日が明日に迫っているので、家にいると絶対にやらないからと学校で居残ってやっているのだが俺のやる気は早くも消え失せていた。
「あーあ。あとは家でやればいっかぁ。」
溜め息を吐いて帰り支度をし、顔を上げると俺以外にまだ居残っている人がいることに気がついた。
そいつの方を見る。最近この学校に転入してきた悠だ。
「あれ?お前が居残ってるなんて珍しいじゃん。お前も課題終わってないの?」
「課題ならとっくに終わってますよ。」
即答されてしまった。
まあそりゃそうだよな。悠みたいな超がつくほど頭の良い優等生が課題やってないわけがないよな。俺と一緒にしてごめんよ。悠。
「じゃあ何してんの?こんな時間に。」
「ちょっと調べものをしていただけですよ。」
そう言って手に持っていた分厚い本を閉じる悠。馬鹿な俺でも何やら凄く難しい本だと分かる。
「さすがエリート。読む本が違うね。」
「エリートじゃないです……って勝手に人の本取らないで下さい!」
「何これ、よくわからん。」
パラパラと捲ってみるものの予想通り難しい。
悠は顔を真っ赤にして俺の手元から本を奪い取った。
俺はそんな悠の様子を見てつい笑ってしまう。
「な、何かおかしいですか?」
俺の様子を見て挙動不審になる悠を見ていると余計におかしくなって俺は大きな声を上げて笑った。
「いやさ。悠、この学校に来てからずっと一人だったから。悠も喋るんだなって思って。」
「ぼ、僕だって喋りますよ!普通に!」
顔を赤くして少しだけ膨れっ面をする悠。
そっか。こいつ、ただシャイなだけなんだな。
「ははっ。そりゃそうだよな!」
悠の様子を見て笑っていると「あの……」と悠が言いにくそうにもごもごと口を開いた。
「ん?どうした?」
「貴方……誰ですか……?」
「えっ………。」
しばらくの沈黙。
「ごめんなさい!僕、クラスの人の名前、全然覚えていなくって……。」
「そ、そうなんだね……。」
ぺこりと頭を下げる悠にどういう顔をすればいいのか分からず妙な沈黙が続く。
「えっと、俺はねー。平田瞬っていうんだ!宜しくな!」
気を取り直して自己紹介。
「よ、宜しくお願いします。えっと……平田、さん。」
「そんな固くなんないでよ。瞬で良いよ。」
「あ、えっと、瞬……くん。」
「どうしても呼び捨ては無理なのね……まあ別に良いけど。」
凄く丁寧というか真面目な人なんだなーなどと思いながら悠を見ていると悠は居心地悪そうにへにゃりと笑った。
「ところで、平田さんはこんな時間まで何をしてたんです?」
「うっ……そ、それ聞いちゃうか……。」
しかもなんか呼び方戻ってるし。
「あ……そっか。課題、やってないんでしたね。」
ぐさり。悠の言葉が俺に突き刺さる。
そ、そんなにはっきり言わなくても……。
「分からないことがあるなら教えますよ?」
「マジで!?」
唐突に投げかけられた言葉にパアッと顔を明るめて言う。
「じゃあさじゃあさ。」
にこにことしながら言葉を続ける。
「どうやったらこの貯まった課題たちがすぐに終わるか教えて!!」
「…………。」
俺の言葉を聞いた悠は凄く残念そうな顔をして言った。
「喋ってないで今課題やれば良いと思いますよ。」
「悠ってけっこう直球だね……。」
これが俺と悠の出会い。
人と話すことが苦手な悠も俺が悠と一緒にいることで少しずつクラスにも馴染んでいくことができたのだった。
―
「狂気に憑かれた者はライアーに消されちゃうんだって。」
俺はぽつりと呟いた。
「最近はこの噂で持ちきりだよ。知ってる?悠。この都市伝説……悠?」
悠はぼーっとしていて俺の話を聞いていない。悠にしては珍しい。何かあったんだろうか。
「えっ、あ、どうかしましたか?」
悠ははっとしたように俺の方を見る。
「どうした?らしくないね。何か悩みでもあるの?」
「そうですか?別に何もないですよ。」
「そう?なら良いんだけど。」
いつも通りの悠の態度に安心する。
「……で、悠は知らないんだ。この都市伝説。」
悠らしいなとか思いながら呟く。
「そんな都市伝説があるんですね。僕、噂とかあんまり聞かないので……。」
「狂気に憑かれた者ってなんだろうね?やっぱ悪い人とか?ほら、悪い奴はお化けに殺されちゃうぞー的なやつ。」
悠は俺の言葉を聞いて苦笑した。
「平田さんってそういうの、信じるんですね。」
悠に微笑ましそうに言われてしまい、俺は急に恥ずかしくなってくる。
「べ、別に。噂になってたから話してみただけじゃん。信じてる訳じゃないよ。」
「その都市伝説、この話に関係あるのかもしれませんね。」
悠はそう言っていつも持っている分厚い本を開いた。
「これはたくさんの昔話のようなものがまとめられた本なんです。都市伝説とはまた少し違うんですけどね。」
慣れた手つきでパラパラとページを捲っていた悠はあるページでピタリと手を止めた。
「ここの話では人間に殺された小さな鬼の話が書かれているのですが……」
絵はなく淡々と書き連ねている小さな文字を指差し、そして再びページを捲りながら悠は言葉を続ける。
「ここ、ですね。これはまた別の話になりますが、ここでは悲惨な殺され方をした人の魂が二つに分かれ、人類に復讐をすることを憂いた話が書かれているんです。」
「へ、へえ。それがこの都市伝説とどう関係するの?」
「あくまでも僕の推論ですが、昔悲惨な殺された鬼の魂が狂気を振り撒き、ライアーと呼ばれる者はきっとその狂気、またはその狂気に憑かれた者を消そうとしているのではないかと思うんです。」
「ううむ……何か難しいね。それにそれって凄く非現実的じゃない?」
「昔話や都市伝説ってそんなもんだと思いますよ。実際に起こったなんて確証もない、非現実的なものなんです。」
悠は本を閉じながら言い、微笑んだ。
「まあ、そりゃそうだな。」
そう言って俺も笑う。よくよく考えれば都市伝説だってかなり非現実的なものだよな。悠の言っている通りだ。
「にしてもよくそこまで考えるよね。たかが昔話なのに。」
「まあ……暇人ですから。」
にこやかに答える悠。俺は何か申し訳なくなり「そ、そっか。」と呟く。
悠って頭良いし常に勉強とかしてそうだとか、いつも忙しそうだとか勝手に思ってたけど悠にもこんなところあるんだなぁなどとしみじみ思ってしまう。
「どうかしました?」
「いや、何でもないよ。」
「にしても不思議だね。」
ふと俺が呟くと悠は小首を傾げて俺を見た。
「ライアーって嘘を吐く者って意味だろ?英語無理だけど何となくわかるよ。なんで嘘吐く人がそんな事するんだろうね?変な話。」
「ライアーは……」
悠は少し考えるような素振りを見せて言った。
「ただ単に狂気を消したいだけなんですよ。」
それって答えになってないようななんて思い、苦笑する。
「まあ、都市伝説ってそんなもんだよな。何の意味もなく始まるものか。」
けっきょく自己解決。
「なんか盛り上がっちゃったね。悠ってこういった話について考えるの好きなの?」
悠が手にしていた本のことを思い出して聞いてみる。
「ええ。都市伝説や昔話といった類いのものを信じているわけではないのですがね。今度お話しましょうか?いろいろありますよ?」
「あ、いや、別に俺は大丈夫かなー。難しいのとか苦手だし。」
「そうですか?」
悠は少しだけ残念そうな顔をした。
「さて、そろそろ帰りますかね。時間とらせちゃってごめんよ。」
時計を見て随分と長い時間喋っていたことに気づき、謝る。
悠は笑顔で「大丈夫ですよ。」と言った。
「僕も話してて楽しかったですし。それに……」
ふわりと笑った悠は改まって俺の方を見て言う。
「暇人ですから。」
「お、おう……。」