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沢尻瑛子の場合 15


第三十一節


 髪の毛が痛い。

 どうにかガードは出来たけど、それは格闘家がやるような立派な防御技術でも何でもない。ただ両手の手の平を膝に向かって押し出しただけである。

 普通は大の男の腹部への膝蹴りにてのひらを押し出すなど、指の骨がへし折れるだけに終わるだろう。

 だが、一瞬にして超人へと「覚醒」していた瑛子にはそれで十分だった。

 しかし、髪の毛を掴まれたのは痛かった。

 無理に引きはがそうとすれば髪の毛ごと持っていかれる。

 掴んでいる手に上から指を掛けるが中々力が入らない。

「ゴウラぁ!」

 細マッチョは反対側のフリーな左手の拳を瑛子の釣り上げて伸びきった腹部に叩き込んできた。

「がはっ!」

 来るのが分かっているので気合を入れることが出来たから何とかこらえたものの、これは強烈だった。

 ましてや髪の毛で釣り上げられたままだ。足もちゃんと地面に付かないから踏ん張れないし、力も入らない。

 凄い…やっぱりこの人はケンカ慣れしてる…。

 どれほど強がっていても、急ごしらえでどれほど超人的なスピードと攻撃力を持ったとしても、所詮は単なる女子高生…それも格闘技未経験の平凡な…である小娘と、百戦錬磨のケンカ自慢じゃ天と地の差があるんだ…。

 瑛子は絶望していた。

 救いは、恐らくこの人と戦ったならば、世の中の大半の男は今の自分と同じ程度の抵抗も出来ずに負けるのだろうと思い込めるほどに強いということくらいだ。

「よくもやってくれたなテメエ!」

 握りこんだ拳が顔に迫った。



第三十二節


 相変わらず速度はゆっくりだが、髪の毛を掴んで吊り上げられているので避けることが出来ない。前方に蹴りを放って相手に当て、自分も距離を取ろうとしても体制が不安定で力が入らない。

 仮に成功したとしても、乙女の命の綺麗な黒髪の一部を根こそぎごっそり持っていくだろう。

 おでこに「ごちん!」とパンチがヒットした。

 最後までしっかり見据えて、敢えておでこで受けた。

 …積りなのだが、やはり痛い。

「ぶち殺してやんぞクソがぁ!」

 細マッチョが次のパンチのモーションに入った。

 この体制でパンチを食らい続けたら流石にもう駄目だ!

 嗚呼、これがケンカ自慢の細マッチョ男じゃなくて、あたしと同じ女子高生のしかも格闘技経験が全然無い女の子だったらなあ…。

 そんな馬鹿なことを考えていた。

 パンチは結果として胸のあたりに当たった。

 …だが、それは顔面を狙ったパンチがへろへろとコースを修正した結果にすぎなかった。

 頭髪の拘束が緩んだ。

「…?…」

 瑛子の足が地面についた。

 拘束の緩んだ細マッチョの指を引きはがして距離を取る瑛子。

「…何だ?」



(続き)


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