沢尻瑛子の場合 10
第十九節
必死に振り回した腕の一部が、背後からの回転ひじ打ちの様になった。
ごすっ!という打撃音が伝わってきて、抱きついていた背後の男の拘束が緩む。
瑛子は間髪入れずに背中側に向き直り、目の前の男に渾身のパンチを叩き込んだ。
格闘技の素養が何も無かったため、無我夢中で握った拳のパンチを相手の前頭部に打ち込んでしまった。拳に激痛が走る。
制服のミニスカートを翻してバックステップの体制になる。
その瞬間だった。
背中の真ん中あたりに強烈な打撃が突き刺さった。
細マッチョが走り込んで来て、ジャンプからの前蹴りを瑛子の背中に叩き込んだのだ。
「ぐはぁっ!」
強烈な打撃に目の前に星がまたたいた。
か弱い女子高生の身体は、背中側から弓の様に空中で折れ曲がり、前方にもんどりうって転がった。
間髪入れずに馬乗りになってくる背後の男。
一○○キロはありそうな体重が細い身体にのしかかり、みしみしと骨が歪む音が聞こえる。
「ぎゃああああーっ!」
上ではあはあという声がする。
「やってくれたなこのクソアマが…」
先ほどのパンチで負傷したらしく、顔面から血を流している背後の男が見下ろしていた。
「やれ!やっちまえ!」
細マッチョが囃したてる声が聞こえてくる。
上から振ってきたパンチが瑛子の右ほおを捉えた。
第二十節
ごちん!という何とも言えない音と共にパンチの衝撃が頬から後頭部に伝わり、後頭部が地面に叩きつけられた。
つーんと鼻の奥が抜ける様な感覚がする。
瑛子はごく平凡な女の子だったので、やんちゃな男の子の様な取っ組み合いは無い。
一応は。
女の子が強い時代だったから、正直幼稚園から小学校の頃は「手を出せない」男の子たちに散々暴力をふるい、少しでも反撃されたら「男のくせに女に暴力をふるう!」と先生や両親に言いつける様な子だった。
小学校中学年の時に、そういった制限一切無しで本気の取っ組み合いをしたことがある。一回だけ。
その時は後先考えない無謀な暴れっぷりに男の子を一方的に叩きのめしてしまった。
先に泣き出したのは男の子の方だった。
その時にだって、瑛子には瑛子の言い分があり、自分が仕掛けた形のケンカではあっても後悔も反省もしていなかった。
だが、その男の子はごく普通の明るい子であったのに、その日を境に別人の様になってしまった。
女に手を挙げる卑怯者呼ばわりから始まり、それでいて女にも負ける軟弱者という決めつけである。クラスのいじめの標的となり、いつしか転校して行った。
転校は予定されていたものだったという話もあったが、瑛子はまるで自分が追い出したかの様に感じられていた。
目つぶしに噛みつき、凶器攻撃、髪引っ張りなどなんでもござれだった瑛子の戦い方に対し、その男の子はあくまでもそうした攻撃は一切しなかったことに気が付いたのは高校に入ってからである。
元々「女が強い」と言われて何十年も経った時代に育った女の子だった瑛子は、この事件を機にすっかり世の中を舐めて掛かる様になる。
(続き)




