沢尻瑛子の場合 02
第三節
鼻孔を突き刺す酸味がより強くなった。
おっさんの吐息が興奮の余りより勢いよく噴き出してきたらしい。
瑛子は次の駅に電車が止まる正にそのタイミングで、そのさすっている手の甲の上から手を抑え込んだ。
「…っ!」
焦って手を引き抜こうとするおっさん。
しかし、手が動かなかった。
電車が到着し、自動ドアが開く。
多くの乗客が一斉に吐き出される。
開いたドアの反対側の座席に向かって立っていた瑛子は、そのまま降りる人ごみに従う様に一緒に歩いて移動した。…その痴漢おっさんを引き連れてである。
偶然先頭車両であったため、人の入れ替わりを利用して、角に追い込む形とする。
間髪入れずにその駅からの乗客が大量に流れ込んで来て車内はたちまち立錐の余地も無くなった。
「…ちょっと話を訊こうか」
ささやく様な声である。
瑛子の目の前には角に追い込まれた形のおっさんがいた。
「何のことだ!」
しーっと口の前に右手の人差し指を立てる瑛子。
「声が大きいよおじさん」
おっさんは必死に身体を動かして逃げようとじたばたするが、何故か身体の自由が効かないらしく全身をピンで留められた実験動物の様に動くことが出来ない。
「さっきあたしのお尻触ってたでしょ?」
「うるせえ!誰がテメエのくせえケツなんぞ触るか!調子に乗ってんじゃねえぞこのブスが!」
眉間にビキビキと青筋が立つ瑛子。
第四節
「もう一度だけ訊くよ。あたしは慈悲深いんでね。これが最後の警告。まともに応えてくれればちょっとは考えてあげる」
「うるせえ!お前は俺を痴漢にでっち上げる気だな!?」
手際よくハンカチを取り出した瑛子は、それで手を覆うようにしておっさんの口を塞いだ。
「声が大きいっつってんだろうがジジイ。注目集めんなカス」
周囲を見渡すが、幸い正義漢はいないらしく、観て観ないふりを決め込んでいる。
「いいかよく聞けよ。これが最後のチャンスだ。ちゃんと答えろ」
おっさんの目は飛び出しそうに見開かれ、脂汗が更に吹き出し、真っ赤に充血し、猛烈に目が泳いでいる。
「一度や二度の偶然の事故やら出来心まであれこれしようなんて思わないよ。でもあんたそうじゃないよね?確信犯だよね?」
「なん…だと?…」
どうにかハンカチ越しに聞き取れた単語である。
「あたしの調べた範囲だけど、あたし以外にも被害者いんのよ。それも何人も。多分あんただよね?」
うーうー言い始めた。
「あたしみたいなのじゃなくて、髪が長くて大人しそうな子ばかり狙いやがって…。どうしようもねえな?この屑が…」
瑛子は話していて自分でも腹が立ってきたのか口調が荒くなっていた。
「知らねえよ。人違いじゃねえのか?」
「あっそ。知らないんだ」
「当たり前だこのスベタが!人を犯人扱いしやがってビッチ女が!」
「まあそれは証拠ないからね。でもあたしはあんたに延々お尻触られまくってたんだけどそれについてはどうよ?あたし自身が被害者だから証拠もいらないんだけど?」
(続く)




