沢尻瑛子の場合 01
第二章 沢尻瑛子の場合
第一節
沢尻瑛子は確信していた。
それが決して勘違いでも冤罪でもないことを。
相手に気が付かれない様に視線を後方に向ける。
そこには、漫画に出て来そうなコッテコテの男…おっさん…がいた。
決して大柄ではない瑛子よりも背が低く、中年太りで、塗り箸の一番太いところを丸めたみたいな分厚い縁のメガネを掛け、これからステーキでも焼くんですか?と質問したくなるほど脂ぎった禿げ頭に、頭の側面から持ってきた残り少ない髪の毛を張り付けている。
全身が汗ばみ、かつハァハァと息が荒い。度の強いメガネは油を塗りたくられた様に光沢を放ち、汗の湯気と意気で曇り始めている。
悪いんだけど、「生理的に受け付けない」記号を全て寄せ集めたみたいな存在だ。
バカな女子高生と言われるのが嫌なので、努めて男だからと言って相手をバカにしたりはしてこなかったが、流石にこれは許しがたいだろう。
いや、容貌だけならばそれでも構わない。胃腸の調子が悪いのか何だか知らないが、腐敗臭と酸味をミックスしたみたいな息の匂いと、鼻の奥を劈く夏のセミみたいな加齢臭も構わない。いや、構わなくはないが存在を否定するほどじゃない。
だがしかし、一番の問題は、その中年男がさっきから瑛子の制服のスカートのお尻のあたりを撫で回していることである。
第二節
瑛子は現代っ子らしくテレビっ子ではない。テレビよりは携帯メールという世代だ。
それでもある時に観たドキュメンタリーは強烈だった。
痴漢冤罪を掛けられた男性が、実際に冤罪であったらしく最後まで犯行を否認して裁判を闘ったらしいのだが、「反省が足らない」という嘘みたいな理由で収監される瞬間を捉えていた。
仕事は首になり、辛うじて家族は信じてくれたらしいが、周囲の人間関係は崩壊、正に奈落の底に突き落とされたのだった。
いざ無実の罪で収監される瞬間、奥さんらしい人が泣き崩れているのを観るのは瑛子にも心が痛んだ。ちょっと想像も付かない地獄だ。
そのドキュメンタリーでは、その痴漢冤罪を告発した女性も顔にモザイクを掛けて出演していた。彼女が冤罪だと言って訴えを撤回すれば疑惑で首になることはあっても、公判が維持できないから収監まではされなかったはずだ。
泣き崩れる奥さんや、崩壊する家族のVTRを見せられて「どう思いますか?」と促されていたが、これといって反省の色は見られなかった。誰にやられたかは分からないが、痴漢されたことそのものは事実なんだから、と言って譲らなかった。
世の中にはその手の痴漢冤罪をでっちあげて示談金をせしめようという『女子高生』もいるらしい。会ったことが無いから知らんけど。
ただ、瑛子は自分が聖人君子だとは思っていないが、そこまで無邪気に他人を貶められるほどスレてもいないという自覚はあった。
気の強い方ではあったから、そうなったら突き出してやろうとは思うが、少なくともそれは「性質の悪い」「常習犯」に限る、と自分の中で制限を付けていた。
偶然電車が揺れて、女性の身体にタッチしてしまった人はそりゃ不可抗力だろう。
だからそういうのはどうでもいい。
しかし、延々何分も自主的に手を動かして触り続けていれば故意ではないに決まっている。しかもそれを何度もやられたら?…同情の余地なく犯人だ。
お尻をさする手の感触の気色悪さは一級品だ。
何よりくすぐったい。
…じゃ、なくて本当に気持ち悪い。背筋に寒気が走る。
だから身を捩って少し離れようとか我慢しようとする。
しかし、どうやら痴漢はそういう女の態度により興奮するらしい。
(続く)




