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勇者にはほど遠く、魔王には勇ましい者の話。

作者: 夏野ゆき

「人間のなんと愚かなことか」


 はは、と唇に弧を描き、優しげな一方で冷徹な美貌を持つその男は言う。男の目つきの鋭利さはよく磨き上げられたナイフにも似ていて、その黒い髪は全ての光を飲み込んでゆく闇のようだった。

 美しく奏でられる夜想曲のように整った顔は、どこか陰があるようにも見える。


 目の前に棒立ちになる金髪の男に、鷹揚に、けれど威圧的に笑いかけながら、黒髪の男は赤い葡萄酒の入ったグラスを傾けた。

 血のように赤い葡萄酒が、ゆらりとゆれている。


 金髪の男はそれをじっと見つめていた。黒髪の男を、親の敵でも見るかのような目で、じっと。


 ――この男のせいで、自分がどれほど苦しめられたか。


 金髪の男の青い瞳が怒りに揺れる。握りしめた拳は握るごとに震えを増して、手のひらに食い込んだ爪は皮膚を破って血を流した。

 威圧と愉悦を身にまとった男に、金髪の男は唇をくっとかみしめる。怒りに震えながらも絞り出した声は、案外小さくて頼りない。


「確かに……確かに人間は愚かかもしれない……」


 蚊の囁くような声だったかもしれない。けれど、ワイングラスを傾けている男には届いているはずだ。――否、届いて貰わなくては困るのだ。

 ふうっ! と一度息を吐き出して、それからまた大きく息を吸う。呼吸も鼓動も整わないが、言わなくてはならないことがある。


「だがな、それでも……それでも……ッ!」

「それでも、なんだ? ――続けてみたまえ」


 それでも、と金髪の男は繰り返し。


「お前よりましだ、どす黒勇者――――ッ!!!」



***



「人間のなんと愚かなことか――うん、実に使い古された言葉だね。歴史という名の埃と手垢がくっきりと見える」


 にこっと笑いながら口にしたのは黒髪の美しい勇者だ。笑った顔はそれだけで美少女を虜にすると言うし、頭を撫でればそれだけで恋人確実だという。いっそこの能力で虜にした女の子に仕事でもさせて、自分はゆったり貢がれる暮らしをしようかなあ、なんてことを口にしていることを――彼に夢中な女性たちは知らない。


 確かに人は愚かだなと金髪の魔王は思う。恋は盲目と言うが、それは嘘だ。恋は馬鹿を生むだけだ。


「この世にいる何人の――いや、何百人。何千人。何万人の勇者がきいた言葉だと思う? 少なくとも俺はこの称号を手に入れてから百回は聞いたね。みんなありきたりだよ。聞く度に“ああまたか”、“またこれか”、“またなのか”、“レパートリーを増やせ”、“オウムか貴様は”、“プログラミングでもされているのか”――と思ったものだね。君の方はどうだい?」

「どうもこうも」

「俺たち勇者に会う度に、君たち魔王は“人間は愚かな生き物だ……”と人の愚かさと自分の生い立ちについてつらつらと話しはじめる。どう? 初めて見た人間に自分語りをするのってどんな気分?」

「――いや、だからどうもこうもないと」

「見ず知らずの人間にほいほいと生い立ちを話せてしまうあたり、魔王たちも愚かだなと俺は思うんだよ。でも、まあ何百回と言われると俺も考え始めてしまうよね。“あれっ? もしかして人間って馬鹿なのかも?”って。これってある種の刷り込み現象かな? だとしたら言霊って偉大だよ。――で、俺は考えてみたんだ。それはもう、俺の人生史に残るほどの熟考だった。考えすぎて熟れた果物が大地に落ち、そこから芽を出し実を付けるほど熟考してしまったね」

「何を」


 長ったらしい比喩はいらないし、さっさと答えてくれ頼むから――と金髪の男はため息をつく。


 黒髪の男はあまたの美少女を虜にしてきた殺人スマイルを金髪の男に披露する。が、金髪の男からすれば悪意たっぷりの下衆い笑みにしか見えなかった。――それこそ、人を殺せそうな下衆さが透けて見える。


「この流れだよ? もちろん考えることは一つだろう? “人は愚かなのだろうか?”とね。それについて考えたのさ。答えはすぐに出たよ。一秒もかからなかった。当然だよね。それでこそ勇者だと思わない?」


 一秒もかからないのは熟考なのか? と金髪の男は思う。熟れた果物が巡り巡ってまた実を付けるほど考えたんじゃなかったのか?


「“考えたのか?”って顔をしているね? 考えたさ。それはもう考えた。俺レベルになると殆どの事柄は脊髄反射で結論が出せるからね。一秒もかかって考えるなんてこれは大事件なんだよ、魔王よ」

「そうなんだ……」


 脊髄反射で繰り返される行動決定にどれほどの魔族が涙を、血を、汗を流したというのか。もはや脊髄反射というより、本能に従って動いていそうな気もしてくる。全く――誰が愚かで誰が賢しいのか、魔王にはもう分からなくなってきた。


「うん、そう。それで結論なんだが――人は愚かだね! 君たち魔王の言うとおりだ!」

「否定しろよ!」


 思わず金髪の魔王は怒鳴ってしまう。

 こんな勇者がいていいものなのか? ――いや、そんなはずはない。それに勇者はこんなこと言わない。言ってはいけないのだ。それが勇者という存在なのだから。


「いやいや。よく考えてみたまえよ、魔王。確かに人同士で争うし、よくわからないものを崇め奉ってたりするかと思えば色恋沙汰にうつつを抜かし、惚れた腫れたのすったもんだ。貞淑であれと教えられているはずの貴族の娘が主に身につけているのは寝技(・・)。いやあ、貴族って血筋が大事らしいからね! 寝技は大切だね、寝技は。……それで、愛は金より大事だという一方で、金に走って愛を叩きつける奴の多いこと多いこと。――ほらみろ、馬鹿ばっかりじゃないか」

「……いやあ、そうかもしれないけどさあ……」


 ふふん、と得意げに鼻をならす勇者は、どこで何を見てきたというのだろう。美少女が勝手によってくる体質――本人談――だけあって、話された“愚かな行い”の内容も殆どが女性がらみだ。だがとにかく寝技(・・)の連呼はやめてくれと切に魔王は思う。この勇者、品性もないというのか。品があるのはどうやら顔だけらしい。そのほかの人として大切なものはきっと――母の腹に置いてきてしまったのだろう。今からでも回収しに行きたいところだ。


「そこで考えた。どうやったら人は賢くなるのかと」


 一転して真面目な顔つきになった勇者に、ほんのいっとき魔王の渋い顔もゆるんだ。口では散々なことを言うけれど、これでもやはり勇者の端くれなのだ――とすこしほっとする。


 勇者は重々しく口を開いた。きりりとした眼が魔王を見据える。


「――が、馬鹿は馬鹿だ! 死んでも治らないッ! むしろ死んだら治らないッ!」

「ほっとした我が輩が馬鹿だったよ!!」


 がくりと魔王がその場にひざをつく。よく“膝が崩れ落ちた”と表現することがあるが、実際にひとが膝から崩れ落ちることは稀である。だが、この瞬間。確実に魔王は膝から崩れ落ちた。


 膝に大ダメージ! 魔王は涙目になった!


 そんなテキストが出てきてもおかしくないような衝撃を膝に受け、魔王は呻く。

 勇者は声を張り上げた。


「だが! そんな人間にも愚かでない者がいる! いたんだ! そんなミラクルな人材が! ナイスでワンダフルな人間が!!!」

「……へえ」


 魔王には答えが読めていた。


「愚かな人間共の唯一の賢者――そして闇に射し込む一条の光――あまたの悪を押しのけ踏みつけ吹っ飛ばし! そして神々しくこの世に君臨する生ける伝説の存在が!!! その名は“勇ましき者”……勇者ッ! ――つまり俺のことッ! ははは、魔王よ! 驚きすぎて声も出ないかッ!」


 驚いているのではない。あきれて声も出ないだけだ。そもそも“勇者”とは称号だったんじゃないのだろうか。

 無言の魔王に勇者はこうも続ける。


「――それで、だ。どれだけ待っても人間は馬鹿のまま。俺を除いて皆愚か。そんな愚かな軍勢は流石の俺にも手に余る。しっているかい? この世で一番驚異なのは行動力のある馬鹿なのだと!」

「――つまり、それは君のことをさすんだよね?」

「何か言ったか、魔王よ。――まあいい。とにかく、俺はこの馬鹿をどうにかする方法を考えた! 編み出した! しかももう準備は出来ている!」


 この行動の素早さ。行動力のある馬鹿とはまさしくこの男のために残された言葉なのでは――と魔王は先人の言葉の偉大さに涙した。しかし言葉ではこの勇者にはなんの傷も与えられないだろう。


「いいかい? よく聞きたまえ。愚かな者は祭り上げられた者に弱いッ! つまりは英雄であり、勇者に弱いッ。それはもう青菜に塩でナメクジにも塩! 浸透圧は恐ろしいッ! ――歴史を漁る限り、世界を救った勇者に人民は期待を寄せ、勇者を慕い、その過度な期待と“あいつならとりあえず何でもやれるべ”というきわめていい加減かつ理不尽な思いこみをするほど、やつらは勇者を絶対的存在だと思っている!」


 こいつ(目の前の男)以外の勇者は大変な思いをしてきたのだなあ、と魔王は涙を禁じ得ない。歴代の中でも今代の魔王は涙もろく情に厚い、と冥界の魔王たちの間で噂になるほどなのだ。


「だからこそ俺はその愚かさを利用してやろうと思うんだよ……」


 ふふふ、と魔王もびっくりな真っ黒い笑みが勇者の顔を染めている。これは腹黒じゃなくてどす黒だと魔王は確信した。敵は魔王城にあり。――ただし魔王にあらず。人類の最大の敵は勇者であることを、この場にいる二人以外は誰も知らない。


「魔王よ、なぜお前が魔王といわれているか教えてやろう……」

「はっ? ――そういえば、気づけば我が輩は魔王と呼ばれていたね……」


 そう。“魔王”は成人してからずっと、魔王と呼ばれ続けていた。それななぜなのかは分からないが、今――今、宿敵の口からその真実が語られるのだ。自然と耳を傾けてしまう。


 勇者はにっこりと笑った。


「――それこそが俺の計画の始まりだったんだよ、魔王……」


 この世にいる魔族を全て集めて煮詰めたとしても、ここまで黒くはなれないだろうと言うほどに真っ黒な腹を持った勇者は、ふうと息を吐き出して語り始める。徐々に上がるテンション、言葉の饒舌さ、どれをとっても今や魔王の頭痛の源にしかならない。


 す、と勇者は魔王の顔を指さす。

 断罪を告げるかのように――口を開いた。


「まず、お前は顔が怖い。悪人面だろう、魔王よ」

「なっ……か、顔は関係ないだろう!」

「いいや。大いに関係があるというか――お前の顔じゃなきゃ駄目だった。俺の計画にはお前の存在が必要不可欠だったのだよ、魔王」


 魔王とて自分の顔つきの怖さにはコンプレックスを持っていた。つり目がちな瞳、薄い唇。整ってはいるものの、その顔立ちはどうみても悪役向けの顔だ。この顔のせいで魔王は過去に好きな少女にフられていたし、その少女は今やどす黒勇者にめろめろだ。人生ってやってられないものだなと魔王は今までに何度思ったことか。顔がよくとも方向性が違えば、そのベクトルの大きさだけ理想と現実は乖離していくのだ。願わくばこの、目の前にいるどす黒勇者のように優しげな顔つきに産まれたかったと思う。


「“人は見た目が九割”。――これは俺の持論だ。中身がいくら良かろうと、優しかろうと、見た目が豚みたいなら愚かな人間共はあくまでそいつを豚扱いするだろう」

「……まあ、うん……そうだね」


 そんなものはこの(勇者)に対する周りの反応を見ていればよく分かる。ちょろっと顔が良かったからと、何をしたって祭り上げられているのだ。中身は魔族もドン引くどす黒さなのに。


「ちなみに、“ゾワッ! 世界の怖い顔ベストスリー!”においてお前は堂々の一位なのだよ、魔王。俺がわざわざ調べてやって出した結果だからね、間違いはない」


 間違っていてほしいと思ったし――何でそんなことを調べたのかとも思う。勇者という名の暇人だとでも言うのか。……大いにあり得るな、と魔王は自分の心の中で頷いた。


「俺の考えた計画はこうさ――まずは顔の怖い奴を魔王に仕立て上げておく。その後、魔族を実力行使で支配下におく。もちろん支配下におく過程で恐怖を植え付け、俺には絶対に逆らえないようにする……それから魔族を使って人間を恐怖に陥れる。これで下準備は完璧だ……あとは俺が英雄らしく、ドラマティックかつ感動的に魔族を痛めつけ、魔王の首でも狩りとってしまえば愚民共は勇者を崇め奉る……そうして俺は賞賛とともにこの世の支配者となるッ!」

「いやあ……人の風上にも置けないな、勇者よ……ふつうの人はそんな非道いことなんて出来ないだろうに」

「何を言うか。人に出来ないことをするのが勇者と云うものだろうッ!」

「そういうことじゃねえよ」


 思わずつっこんでしまう。本当にこいつは勇者なのか――と。


「無論。勇者――すなわち勇ましき者ッ! 俺が勇者でないとするなら、俺以外にこれほどまでに勇ましい者がいるとでも?」

「こんなにも勇ましく世界征服を企む勇者は、勇者とは言わないよ……」


 むしろ勇者とは言えない。


「さあ観念しろ魔王よ……ここがお前の社会的墓場だ! お前は無実のまま魔王として死ね! 俺の計画の人柱となれ!」

「勇者の言うセリフじゃない!!!開いた口もふさがらないよ!」

「待ってろ、口なら今すぐふさいてやる!」

「口封じか!!」


 ただでさえ金髪の魔王の三代前の魔王は、みかんを操る“キギョウセンシ”とやらに殺されたというのに――ここでこんなどす黒勇者に殺されてしまっては魔王としてのプライドはズタズタだ。……というか、この世の平和を守るためにもここで負けるわけには行かない。負けられない戦いがここにあるのだ。


「……わかった。わかったよ、勇者……お前を迎え撃つ! そしてこの世に平和を取り戻す!」

「戯れ言を! 貴様はここで死ぬ運命なのだよ!」






 勇者と魔王。いにしえより幾度も続いてきた争いの歴史は、再び現代へとよみがえる。

 勝利を手にするのは勇者か。それとも魔王か――。



 戦いの火蓋は、こうして切って落とされた。


 結末を知るのは後の世の者のみ。

 現代をいきる我らにはその行方はしれず――



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