表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真珠の実  作者: 秋花
見えぬ世界
7/14

見えぬ世界 前編

ギャグが多いね!気にしたら負けだと思って投稿した。

 ははさま。と、闇に手を伸ばす。

 冷たい手がわたしの手を包んだ。

 どうしたの? と、いつものごとく母がわたしに優しく問いかける。

 わたしはその問いに対して、いつもと同じ答えを返した。

「ううん。さびしかっただけ。でも、ははさまがいるからもうさびしくない」


 これがわたしの世界。

 冷たいけど暖かい母と、真っ暗で何も見えない視界。

 ――ずーっと。ずぅーっと。一緒にいるの。






 ふよふよ。ふよふよと。

 幾つもの白い手足が天井に吊られて揺れている。

 天井一面に敷き詰められたそれらは少し目に毒だ。

 下にいる幼い少女を乞うように、さわさわと揺れている白い手足たちは、遠目から見れば白い草原のように映るだろう。

「ははさま、あれ……」

 未だに二次成長も終えていないくらいの幼い声が、白い草原を揺らした。

 少女は頭上に埋め尽くされいる手足たちに気づいたのか、自身の手を引いている母の手を少し引き付け、頭上を見上げる。

 白い草原が気づいてもらったことを喜ぶようにカサカサと大きく(なび)いた。


 ―― 見てはいけないよ。連れていかれてしまうよ ――


 母が子どもに諭すように言うと、少女は名残惜しそうにそれらを一瞥し、母の手を握り直して背を向けた。

 少女の小さな顔には似合わない質素な布が巻かれている。

 両目を戒めるように覆うそれは、一種の封印のようにも思えたが、それは封印でもなんでもなく、少女の目が見えないことが原因であった。

 生まれた頃から目が見えなかったせいか、少女はそれに不自由を感じたことなど一度もないし、普通の人間には見えないであろうこの世界が大好きだった。


 ははさまははさま、と何度も声を挙げると、母は仕方なさそうに冷たい手で少女の頭を撫でた。そこには確かに母の暖かな愛情があったが、ほんの少し触れるのを躊躇する白い手からは、違う何かもそこにあるのだと思わざるおえない。

 しかし、幸か不幸か、母以外と関わることもあまりない少女は母のそんな微細な感情の動きには気づくことはなかった。ただただ、自分が触れていて一番幸せな存在と共にいる。それだけでよかったのだ。

 少女が母の優しい手にまどろんでいると、母がそれに気づいたのか布団を少女にかけた。


 ―― お休み。わたしの可愛い娘 ――


 ―― お休みなさい。ははさま ――


 幼き子は眠る。

 自身の傍から母が離れないことを知っているから、子はこの暗い世界で一人でも耐えられる。安心して眠りにつける。

 子は願い、思った。

 ――この幸せな日々が永遠に続くように。

 母は、その願いを知っているからこそ悲しそうに目を伏せるのだった。











 わたしはお散歩が好き。

 たくさんのお友達がわたしと遊んでくれるから好き。

『ああ、お嬢さんお久しぶり』

 このヒトは雲よりも背が高いお友達。

 いっつもどこかに行って、わたしにいろんなお話してくれるから大好き。

「ひさしぶりー! おっきなヒトは今度はどこいってたのー?」

『ふふふ、今回は海に行ってきたんだよ』

 今日のおっきなヒトは嬉しそう。きっとすっごく面白いものが見れたんだろう。

「うみっておっきな湖だって言ってたとこ?」

『うん。大きかったよー。私が全て見渡せなかったぐらいの一面の青だった』

「わぁ! すっごいねえ!」

 でも、そのうみとかを見るより、わたしはおっきなヒトのお話を聞いてるほうが楽しいからいいや。

『でも、私が入っただけで町が一つ消えてしまったんだ。面倒なものだよ』

「そうなの? じゃあ大変なんだー、お魚さんに怒られなかった?」

 お魚さんはいつもわたしに食べられちゃうお友達。

 お友達なのに食べちゃうのって言うヒトもいるけど、食べられちゃうお友達だからいいの。そういうものだもん。

『怒られちゃった。でも、人間たくさん捕ってきたから許してくれたよー』

「ならよかったねー」

 おっきなヒトとバイバイしてまたお散歩再開。

 最近また新しい友達が増えたから会いに行くの。すっごく綺麗な子、何度見ても飽きないの。


『君、今日は食べさせておくれよ。腹が減ってしかたないんだ』

 この人はいっつもお母さんと同じ真っ白な人を食べちゃうお友だち。

 みんなを食べちゃうから嫌われちゃってる、一人ぼっちの嫌われ者さん。真っ黒だからクロちゃんって呼んでる。本当はすっごく優しいんだけど、一人になるまで続けなきゃいけないんだって。

 だけど、たまにわたしも食べようとするからちょっと嫌なの。

「だめー。わたしこれから行きたいとこあるんだもん」

 ほっぺたを膨らまして両手を振り回す。

 今日は絶対絶対だめなの。だって、今日また遊びに行くって約束したもん。約束破ったらいけないの。

 そう言うと、黒いのが大きくなってどこ行くのって訊いてきた。

「あっち。真っ白で綺麗な子がいたのー」

 思い出すと早く会いたくなる。きっとおっきなヒトに見せたら喜んじゃうんだろうなあ。おっきなヒト綺麗なもの大好きだから。でも、おっきなヒトには教えない。独り占めするんだもん。

『白い? ……その子、ボクが行ける場所にいるの?』

 クロちゃんは行ける場所が少ないの。閉じ込められてるんだって。一人になるまで頑張ったら出してもらえるみたい。

「んー、……あの子のいるとこまでは入れないけど、見るだけならできるかなぁ」

『ふーん。じゃあその子に会わせておくれよ。そしたら今日は君を食べないからさ』

 今度は嬉しそうに影をざわざわと動かして近づいてくるクロちゃん。

 友だちになりたいのかな。

「うーん」

 でも、ちょっと悩んじゃう。すっごく綺麗な子だから、クロちゃんも独り占めしたくなっちゃうかも。

『ねえねえいいでしょう?』

「うーん……独り占めしないんだったらいいよー」

 あの白い子もお友だちいっぱいのほうが嬉しいよね。

『独り占め……? ――ああ、大丈夫だよ。ちゃんと分けるから』

 口を大きく開けて嬉しそうに笑ってる。友だちが増えたのがそんなに嬉しいのかな。お友だちが嬉しいとわたしも嬉しい。みんなで笑顔が一番楽しい。

 散歩の人数が増えてちょっと賑やかになった。




『やあ、蟲毒の坊ちゃん。人といるなんて珍しいね。今日は食わんのかい』

 あれ? 今度は知らない狐さんだ。クロちゃんのお友だちかな。みどくってなんだろ?

 でもおっきな狐さんだなぁ。尻尾がもふもふで気持ちよさそー。でも、九本もあって重くないのかな。

「ねえねえー、狐さんだれー?」

『おやおや、このお狐様に話しかけてくるとは面白い子だ。しかもまだ生きている子じゃないか。お狐様はお狐様だよ。この世で最も正直な神さんさ』

「んーと、狐さんはクロちゃんの友だちじゃないの?」

 わたしがそう言うと、狐さんは口を大きく開けて下品に笑い出した。

 む、いきなり笑うなんて酷いと思う。

『きひひひっ。嬢ちゃん正気かい? このお狐様がこんな出来損ないの蟲毒と友だちだって? まあいい、一回だけ許してあげるよ嬢ちゃん。あたしはこれの友だちではないよ』

「そうなの? なーんだ、ざんねーん」

『あれま、なぜ残念なんだい?』

「だって、クロちゃんと友だちだったら狐さんはわたしの友だちの友だちでしょ? そしたらもうわたしは狐さんとお友だちだもんねー」

 とってもとっても残念。お友だちだったら尻尾をもふもふさせてもらえたかもしれない。うー、もふもふしたかったのに……。

『……蟲毒の坊ちゃん。この嬢ちゃんは何を言ってるんだい? もしかしてお狐様は人間の言葉がわからなくなっちまったんじゃないだろうねえ』

『……申し訳ないけどお狐様、ボクにも理解できなかったんだ。どうか食べないでおくれ』

『はんっ。蟲毒風情をお狐様の口に入れるだって? 図々しいにもほどがある。蟲毒は蟲毒同士食い合ってればいいじゃないか。あたしを巻き込むんじゃないよ』

 なんだかわからないけど、狐さんはクロちゃんに怒ってるみたい。

「クロちゃん、狐さんに悪いことしたの? だったらめーだよ、めーっ」

 喧嘩は恐いよー。だってこの間喧嘩しちゃったお友だちが二人いたんだけど、二人とも怪我がすっごくて消えちゃったんだ。水と火ってなんでいつも喧嘩しちゃうんだろうね?

『……調子が狂うねえ、この嬢ちゃん』

『そう?』

『……蟲毒に同意を求めたお狐様が間違ってたよ』

 さっきまでふらふらしてた尻尾はしゅんと垂れ下がっている。ちょっと可愛い。

「狐さん疲れちゃったの? えーっと、狐さん何か好きなものあるー?」

 おいしいものあれば元気になれるよー。

『鼠の天麩羅(てんぷら)

 即答だった。

「じゃあ今度うちにおいでよー。食べさせてあげるっ」

『――っ! いいのかい?!』

 わたしの身長の何倍もありそうな尻尾をぶんぶん振りながら、狐さんは嬉しそうに声を挙げた。

「てんぷらおいしいよねー。お家に帰ったらははさまにお願いして作ってもらうね」

『絶対だよ? 嘘だったら嬢ちゃんの首噛み切ってやるからね?』

「うん、約束だねー」

 小指を突き出して狐さんの前に差し出す。

『ん? なんだい?』

「指きりげんまんしよー! ……あ」

 そうだ。狐さん指ないからできないや……残念。

『ああ、指かい。ほれ』

「わーっ! すごいすごい! 狐さんの手がわたしと同じになったー! どうやったのー?!」

『きひひひ、嬢ちゃんにはできないよ。お狐様はすごいからね、こんなの楽勝さ』

 指きりげんまんして約束して、狐さんとはお別れした。

 楽しいお友だちがまたできて嬉しいなあ。



 あとちょっとで着きそうだったけど、クロちゃんはこれ以上先にいけないみたいだからわたし一人で行くことになった。あの場所も綺麗だからクロちゃんにも見せたいけど、やっぱり無理そう。

 洞窟の入り口に立って、大声で呼びかける。

「しーろちゃーんっ! あーそーぼー!」

『……』

 あー、また居留守使ってるー。

「わかったー! 今行くねー!」

『いや帰れ』

 真っ白な子だからしろちゃん。すっごく綺麗で照れ屋な友だち。


 初めてそれを見たときのことは忘れない。

 天井に散らばる無数の白い枝から吊られている大小様々な純白の真珠たち。

 地面を埋め尽くす太くうねった白い木。

 そして、幼い少女の背丈を軽く上回るほどの宙に浮かぶ巨大な真珠。

 太陽が地上を支配するように、白く巨大な真珠がその空間を支配していた。


「やっほー!」

『……こんにちわ、そしてさようなら』

 しろちゃん時々酷いの。でも、ほんとは寂しがりやさんだって知ってるから帰ってあげない。

「えー! あそぼーよ! 今日は他のお友だちもつれてきたんだー」

『遊ばない。あと増やさないで』

「クロちゃん中に入れないから、今日はお外であそぼーねー」

『わたしの話を聞けっ』

 むー、しろちゃんなんか怒ってる。

「聞いてるよ? めんどくさいだけだもん」

 しろちゃんの話つまんないし。それだったらみんなで遊んだほうが楽しい。

『尚更悪いわよ! ……あーも、なんでこの子と話してるとこんなに疲れるの』

 ふわふわと不安定に浮かんで、しろちゃんは怒ったり疲れたり忙しいみたい。大変そう。

「しろちゃんが一緒に遊べば解決するよ!」

 楽しいとそんなの全部吹っ飛ぶから問題ないよね。

『余計疲れるわ』

 ばっさり切られた! 酷い!

「いいもん。勝手につれてくもん」

 ぷんぷんだ。

 しろちゃんをぐいぐい出口に向かって押していく。ちょっとつるつるして滑るから、難しい。

『なっ、止めなさいっ』

「じゃあ、遊んでくれる?」

 遊んでくれるなら押すの止めるよ?

『……わかった。わかったわよ。わたしの負けだわ。どうせ行くなら自分で向かったほうがましだもの』

「やったー! しろちゃん大好きっ!」

『だ、抱きつくな!』

 しろちゃんは酷いこと言うけど、優しくて綺麗だから大好き。

 白いから好き。ははさまと同じだから。

 時々寂しそうにしてるから嫌。ははさまと似てるから。

 ――みんな笑って、何もかも考えなければいいのに。そしたら、楽しくいられるのに。

 現実(本当)はいらないの。理想()がいいの。

 それが、一番いい。


『……訊いても、いえ、答えてもらうわ。あれ、なに?』

 しろちゃんが訊いてるのはクロちゃんのこと。

 ずっと待たせてるせいか、黒い影みたいのがいつもより元気にうねうねしてる。ちょっと不機嫌かも。

「クロちゃん。友だちだよー。そして、今日からはしろちゃんもクロちゃんの友だちになるのですっ」

 でも、しろちゃん紹介すればすぐ機嫌は直るよね。

『――帰るわ』

 ずずず、と元の道へ戻ろうとするしろちゃん。

「だめー! 一緒に遊ぶって言ったっ」

 両手広げてしろちゃんの行く道に立ちふさがる。

 それを見ると、しろちゃんは嫌そうな声を出して言った。

『あんな腐ってるものと一見してわかる呪いになんか、関わりたくもない。友だちは選んだほうがいいわよ』

 ――む。

「友だちは友だちだもん。それに、クロちゃんは優しいよ。黒いけど」

 たまに食べようとしてくるけど。

 でも、ほんとはあんなことやりたくないんだって。たくさん泣いてた。真っ黒な顔から白い涙流してた。ごめんね、ごめんねって。すっごく謝ってた。

 食べられちゃうかもしれない。でも、クロちゃんはそんなことは絶対にしないって知ってるから。どんなに嫌がってもずっと友だちでいるの。

 じーっとしろちゃんを見つめる。すっごく綺麗な白。クロちゃんとは違う。

『ふーん……じゃあ、会うだけならいいわ』

「しろちゃんっ」

『勘違いしないで。会うだけ、会うだけよ。話したりはしないわ』

 やっぱり、しろちゃんは照れ屋さんだ。こんなに優しい。


『……これ、なに』

 やっぱり白と黒だからちょっと似てるのかな、同じことさっきも聞かれた気がする。

「しろちゃん! 綺麗でしょー! つるっつるで真っ白なんだよーっ!」

『いや、見ればわかるし。なにこれ、生き物? 食べられるのかい? それにしては堅そうな守りなんだけど』

『ちょっと。今この黒いのなんて言った? 食べるですって? このわたしを?』

『そうだよ。だからその殻さっさと壊してよ。邪魔だからさ』

『……所詮呪いじゃその程度のことしか考えられないというわけね。さっすが腐っても人間だわ。ああ、気持ち悪い』

『気持ち悪い、だって……?』

 わー、しろちゃん話さないって言ってたのに仲良くなるの早いなぁ。

 クロちゃんいつもより黒いのざわざわしてるし……あ、尖った。あれだったらしろちゃんも切れそうだねー。どうやってるんだろ。今度クロちゃんに教えてもらおうかな。

 しろちゃんはそれを見てくすくす笑いだした。

『あら怖い。それでわたしを刺すの? 痛めつけるの? 苦しめるの? いいわよ。やってみなさいよ。できるものならね』

『……ボクは丸呑みのほうが好きだけど……いいよ、君は特別だ。溶かして食ってやる』


 なんだか、今日の遊びは二人だけでやるみたい。わたしが入る隙間がないや。

 まあ、初めて会った日だし、わたしは応援するだけで我慢しようかな。


「ん? あれー? なんでみんないるのー? え、危ないから今日は帰れって……えー、まだ見たいのにー。ぶーぶー。……わかったよぅ。帰るから怒らないでー。あ、しろちゃんあんまりクロちゃん苛めちゃだめだよー? それじゃ、またくるねー。ばいばーいっ」


 お友だちが帰れ帰れ言うから帰ることにした。

 みんな心配性だから仕方ないかも。でも、クロちゃん次会ったとき生きてるかな。まあ、しろちゃんあんなに楽しそうなのはじめて見たからいっか。珍しいものが見れたおかげでにまにましちゃう。


 今日のお散歩も楽しかったっ。今度はみんなで一緒に遊ぼう。











 ―― そうなの。とても楽しかったのね。それはいいことだわ ――


 少女は母の膝の上で撫でられながら、その言葉に笑顔で頷いた。

「うんっ! みんなと遊んですっごく楽しかった!」

 向日葵のような笑みを間近で見た母は、眩しいものを見つめているかのように目を細めた。

 散歩でどんなことがあったのかを母に報告することは、母に自分が体験したことを話したいという思いでできた、少女が毎日欠かさない日課だ。

 すると、少女はふと何かを思い出したかのようにあ、と声を挙げた。

「ねーねー、ははさま。前の散歩でお友だちが訊いてきたんだけどね。名前っていうの。ははさまわたしの名前知ってる?」

 その友人が言うには、名前とは己の身を表す記号のようなものらしく、ないと不便なものらしい。

 それを聞いて、少女は、お嬢さん、子ども、娘などの言葉でしか呼ばれたことがないという事実にようやく気がついた。

 どうやら、人間には必ずあるものらしい。稀に名付けられない子もいるそうだが、そういう子は存在することすら困難だそうだ。

 母は少しの沈黙を残して、ようやく言葉を発した。


 ―― ええ。母さんは、確かにお前に名づけたわ ――


 それを聞くと、少女は途端に花が咲いたかのように満面の笑みになった。

 今の今まで自分に名前があることすら知らなかったのだ。当然だろう。

「どんな?! ねえどんな名前?!」

 興奮のあまり足をばたばたと動かして母を見上げる。その様子は、早く早くと母を急かしているように思えた。

 普通ならばそこで微笑ましそうに表情を和らげそうなものだが、母は一転、悲しそうに目を伏せていた。


 ―― 母さんは、お前の名前を忘れてしまったの。だから呼べない ――


 ごめんね、と母は少女の頭を撫でる。

「そっかー、じゃあしかたないねえ」

 しかし、少女の表情からは気にした様子もない。

 元からないのだから、何も変わらないのだ。それに、あったという事実だけでも知られたのだから儲けものである。


 ―― ああ、だけど。名づけた由来だけは覚えている ――


「ゆらいー?」

 意味は分からなかった。名前のヒントのようなものだろうか?

 母は儚く微笑むと、それの意味を教えてくれた。


 ―― 愛しい子。まさにお前のことを示すものだよ ――


 母にとって少女そのものであり、少女になってほしかったものだ。

 それを聞くと、少女は己の名の片鱗でも触れられることに素直に喜んだ。母はその姿を見て、嬉しそうに笑った。


 ―― お前は光だよ。みんなを、わたしたちを照らしてくれるお月様だ ――


「お月様?」

 月とはいったいなにかという疑問でもあり、どういう意味なのかを問うことでもあった。

 あの巨人からも聞いたことのない単語だったからだ。

 母はここにない空を乞うように上を見上げた。懐かしそうに、寂しそうに。少女は母のそんな表情が嫌いだった。どこか遠い、自分のいないところへ消えてしまうような不安に駆られてしまうからだ。


 ―― そう、月。真っ暗な夜を照らしてくれる綺麗な光でね。とっても高いところにあるんだ ――


「ははさま真っ暗なの?」

 その言葉に不満を持ったのか、少女は両眉を狭めて、ない目で自分を見ない母を睨んだ。

 少女にとって、母は同等以上の存在だからだ。まるで自分を卑下するような言葉に、少女は腹が立った。

 母はそんな少女の視線に気づくと、目を合わせてそっと抱きしめる。冷たくも温かい体からは、少女を大切にしているという思い以外見当たらない。


 ―― ええ。でも、ずっとお前の傍にいるよ。お前が、母さんから離れたって、母さんはお前の傍にいたいから ――


「……うん。わたしも、ははさまといたい」

 その言葉には偽りはなかった。だから安心して笑ったのだ。

 少女は知らない。母が抱きしめたことによって、少女からは見えない母の表情が、痛みに耐えるように歪んでいたことを。


 ―― ……そうね。一緒に ――


 どうか、その想いが叶わないことを願って、母は一時の願いを口にした。








「あのね、しろちゃん。最近ははさまが変なの」

 少女は白くうねった大樹に座り込み、足をぷらぷらとぶら下げて、心ここに在らずといった状態で相談をし始めた。

 もちろん、このような少女を初めて見る真珠は戸惑いを感じざる終えない。

 突然亡霊のような歩みで自分の住処に訪れた少女をどう扱ってよいものかわからず、少女が話し出すまで黙っていたのだ。真珠にとって沈黙は慣れていたものなので、特に気にしなかったが。

『……そう。どんなふうに?』

 対人能力が極端にない真珠は、相槌を打つだけで精一杯だった。

 冷静であるように見えて、内心は混乱で満ちていた。真珠は認めないが、これも初めての友人を持ったがゆえかもしれない。

「ははさまが薄いの」

 ――薄い。

 その単語に、真珠の思考は素早く働きだした。

 それは痩せたということだろうか。いや、この少女のことだ。もっと意味深なことなのかもしれない。だが、薄い、薄いとはなんなのだろう。胸か? 色か? それとも髪か? 髪ならば確かに少女が不思議がるのも当然だ。少女の周りには元々髪が薄い存在しかいないのだから。母哀れといったところだろう。

 いつもの真珠ならば、即座にどういう意味かを問いただしていただろうが、残念なことに今の真珠は混乱している最中であった。

『た、たいへんね』

 少々どもってしまったが、無難な返答だろう。

 ここで禿げているなどと口にすれば、失礼にもほどがあるからだ。その思考こそが失礼だとは真珠は欠片も思いつかなかった。

「なんだかね。ははさまが消えちゃいそうで、怖いんだー……」

 消える?

 少女の弱った一言に、真珠の混乱した思考は揺らぐことのない水面のように収まる。

 少女の言っている消えるというのは、その存在そのものが消えてしまうことを指しているのだろう。

 少女は母が薄い言った。つまり、存在が消えかかっているということか。

 この少女は自分よりもそういう類のものが見えている、感じている。その少女が消えかかっていると言っているのだ。今すぐに消えてもおかしくない状況なのかもしれない。

『それは、ずっと感じるの?』

「ううん。わたしそんなははさまを見ると、怖くなってすぐに声をかけるの。そしたら、ははさま元に戻るんだけどね。最近は、声をかけてもすぐに戻らなくなってるの。――ねえ、しろちゃん。ははさま消えちゃうの……?」

 真珠を煽るように見上げる少女の瞳はないが、あったならば不安で揺れていることだろう。

 あの元気で溢れていた少女からは思い浮かばないほどまでに弱弱しい。

 このように、感情に振り回されているのを見ると、やはり人間だと思える。

『さぁ? わたしに聞かれてもわからないわ。あなたの母に会ったことないもの』

 話を聞いている限り状況は最悪といったところだろうが、真珠はわざとぼかすように言った。

 別に優しさとかはない。ただ、この少女が泣くのが嫌なだけだ。あ、いや、めんどくさいだけ。それだけ。他意はない。だってわたし人間嫌いだし。

「……そうだよね。しろちゃん、わかんないもんね」

 なぜかはわからないがカチンときた。

 よくあるだろう。自分が言うのはいいが、他人に言われると腹が立つというのは。まさにそれである。

 真珠はこの少女に無知と判断されたのだ。

 もちろん、少女にそのような意図はない。真珠が勝手にそう思い込んだだけである。


『そうね。それじゃあ、――近々あなたの母に会いに行くわ』


 と、唐突に真珠は宣言した。

 いつもは相手を驚かす少女自身が、驚愕に固まっていた。

「……え、しろちゃん……いいの?」

 いつもは引きこもっている真珠が、少女のために来てくれるというのだ。流石の少女も動揺した。

『好奇心よ』

「え?」

『だから、好奇心よ。その母親を見てみたいから行くだけ。このわたしが人間のために労力を使うわけないでしょう?』

 それに、少し気になることがある。

 その言葉を聞くと、少女は暗い表情から一転して明るい笑みが咲いた。

「ありがとう……っ! でも、しろちゃんわたしの家わかるの?」

 少女が覚えている限り、真珠は一度も家に来たことはなかった。当然の疑問だろう。

『わかるわよ。この世界にいるのなら、どこにいたって見つけられるわ』

 真珠にとって、地面とは自分の体のようなものだった。何かを探せと言われれば、一瞬で見つける自信がある。

「へー、すごいねしろちゃんっ」

『あたりまえでしょ。これくらいのことは簡単にできるわ。――人間じゃないもの』

 そう、化け物は人にはなれない。

 これは誰にも覆られない真実だ。だからこそ、化け物は人間に憧れる。届かないと知りながらも手を伸ばす。

 では、人は化け物になれるのだろうか。

 ふいに、頭に浮かんだその疑問に、真珠はどう接すればいいかわからなかった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ