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リンクライン  作者: 伊月
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Episode__6

 空想は現実に、現実は手の届かない遠い過去へと変わる。



     ▼



 銀色の閃光が奔り、鱗に覆われた下級竜の首を落とした。


 本来ゲームならばガラスのように割れ散って消えるはずの死体は、しかし切断面からおびただしい量の血液を溢れさせながら倒れた。湿った音を立てて飛沫が散り、常から赤い俺のコートをさらに濃く染め上げる。


 吐き気をもよおすグロテスクな光景だが、生憎ともう慣れた。命を奪うことに対しても抵抗感は薄い。そんな感傷に浸っている暇などないというのが本音だ。


 なにしろ、戦闘はまだ終わっていないのだから。


 空気の流れから次なる危険を察知する。剣の動きに逆らわず、振り抜いた勢いに沿って体を流す。


 ――――ガギィッッ!!


 一瞬遅れて、背中側で何かが打ち合わさったような荒い音が響く。攻撃後の硬直を狙った噛み付き、鉄よりも硬い牙と強靭な顎があるからこそできる獣特有の攻め方だ。


 近づかれすぎると剣が振りにくく、力が入らない。


 そんな状態で刃を滑らせたところで大したダメージは期待できないため、ここは無理に攻めることはせず一端距離をとることを選択する。


 今回受けた依頼は竜種の最下級に分類される〈シャープタスク〉の群れの掃討だ。肉食恐竜に蝙蝠の羽をつけたような姿で、飛ぶというよりは滑空して移動する。


 全長は約三メートル。その巨体に比例した高い筋力を持っており、特に強靭な顎には注意が必要だ。


 もっとも、そもそものレベル差があるため食らっても大したダメージにはならないだろうが……かといって進んで痛い目を見ようとも思わない。ゲームと違い、痛覚に制限がなくなっているのは確認済みである。


 避けて避けて避けて、隙を見せたら斬って殺す。


 いつも通りに動き、いつも通りに葬り去る。


 噛み付いてきた相手を潰そうと足に力を込めたところで、また新手が現れた。後方、ちょうど俺を挟み撃ちにするような位置取り。偶然か、それとも竜種に共通する高い知能の賜物か、いずれにせよ俺に不利な状況が作られたことに変わりはない。


 だが、慌てない。俺もまた一人で戦っているわけではないのだ。


 突っ立つ俺を一飲みにしようと新手のトカゲが地を蹴り――その横面を膨大な熱量を持つ火球が叩いた。接触面を瞬く間に、悲鳴を上げる時間すら与えることなく炭化させ、明らかな致死ダメージを与える。


 相棒クロノの放った火属性魔法〈バーンクラッド〉だ。技能階級はそれほど上位ではなかったはずだが、基本的なキャラステータスが高いため凄まじいまでの火力を誇っている。


 熱風を背に受けながら、もう一匹の方へと駆け出す。


 ゲームでのモンスターは形勢不利と判断した途端逃走のコマンドを選ぶのだが、どうやらこの世界の彼らには同族意識というものがあるらしい。竜は仲間を殺された怒りに身を震わせ、無謀と解っているだろうに雄叫びと共に突進を敢行してくる。


 それを真正面から受け止めることは――できなくもないが、さすがに無傷ではいられないだろう。格下相手であろうと無駄にリスクの高い手段を選ぶ必要はない。


 激情に駆られた敵の動きは直線的で動きを合わせることは容易かった。衝突の寸前で一歩横に動き、すれ違う瞬間比較的柔らかい腹部を狙って刃を滑らせる。


 鱗を貫き、柔らかな肉を絶つ確かな手ごたえ。


 いかに強靭な生命力で知られる竜でも内臓をかき乱されてまで生きてはいられない。HPを確認するまでもなく、致命傷だ。


 断末魔をあげながら、俺の二倍以上はある巨体が倒れ伏した。


 轟音と共に土煙が舞う。


「…………終わったか」


 剣を一振りし、こびりついた血糊を落としながら周囲を見渡す。


 そこには海が広がっていた。


 首を落とされたもの、腹を捌かれたもの、半身を焼かれたもの、全身を弾痕が覆うもの……総数十二にのぼる大トカゲの死体。むせ返るような鉄錆の匂いが漂う、赤い海。


 惨たらしく命を散らされた生き物たち。


 すべて、自分たちがやったことだ。


「後悔してるのかい?」


 その光景をぼんやりと眺めていると、いつの間にか近寄ってきていたクロノがそう尋ねてきた。


 しばし瞑目した後、俺は、否定の意味を込めて首を横に振った。


「まさか」


 生きるために殺したのだ。


 それを悔いるなど、馬鹿げている。



     ▼



 この世界に来てから二週間が経った。


 日本への帰還方法は残念ながら未だ見つかっていない。というよりも、調べる余裕を持てなかったというのが正しいだろう。


 言葉こそ通じるものの今の俺たちは突然、まるで勝手のわからない海外の国に置き去りにされたようなものだ。異なる文化、生活習慣への適応が最優先される。見つかるかどうかも分からない手掛かりをいきなり探すのではなく、まずは今日と明日を生きるための術を持ちたいと考えるのは当然の成り行きだった。


 日常生活における常識、物価や流通などの商業的知識、そして敵を殺すことに対しての耐性。特に最後が重要だ。


 どれだけ力を持っていても、血を見るたびに顔を青くしていては役立たずもいいところ。今でこそ躊躇いなくモンスターを斬りつけ、死体から利用できる部位を剥ぎ取ることにも抵抗感はないが、最初は本当に酷かった。


 醜態の連続。


 嫌悪感に震えたし、何度も吐いた。


 それでも生きるために無理矢理慣れるしかなかった。冒険者以外の、もっと平和な職につくという選択肢はなかった。俺もクロノもこの地に骨を埋めるつもりはなく、十分な知識と資金を手に入れれば元の世界に帰る方法を探しに旅に出ようと思っていたからだ。


 幸いにも俺たちにはそれができるだけの力があって、他に必要なのは覚悟だけだった。


 旅とは過酷なものだ。ましてや、この世界にはモンスターという危険要素がそこら中を歩き回っている。敵を前にしながら殺したくないなど、ふざけているにも程がある。


 また、モンスターの討伐は旅人にとって最も楽に金を手に入れる手段でもある。短時間で多くの報酬を得られ、何よりその地に縛られないで済む。


 避けては通れない道だというのが二人で出した結論だった。



     ▼



 日が沈みかけ、大地は朱に染まり始めた頃。


 ゲームにはなかったモンスターの死体の解体という作業を苦戦しながらも終え、俺たちはテレポートでハイムズまで戻ってきた。この後は依頼の処理を行っている中央会館にて討伐証明を行い、報酬を得るのみだ。


 といっても、その前に少しばかり歩くが。クロノが指定した位置は街の隅の隅、中心部にある会館まではそれなりに距離がある。


 何故そのような面倒くさいことをしているかというと、まあ例のごとくゲームとこの世界とにある技能格差の問題だ。比較的メジャーな魔法であった転移だが、それもここでは一部の者だけが扱える上級魔法として認識されている。


 そんな場面を見られてはわざわざ駆け出しの偽装をしている意味がなくなってしまう。


 念のため警戒スキルを使って目撃者がいないかどうかを確かめる。接近警報は発せられないが、マップの光点は一般プレイヤーが対象でも出るのだ。


 俺を中心とした半径十メートル圏内に反応は……なし。ほっと息をつく。


「それじゃ、行こうか」


「ああ」


 短く言葉を交わすといつもの道順で街の中心を横切る大通りまで出る。


 以前フィオナと共に回った市場のある区画だ。一歩足を踏み入れた瞬間、あの時と同じ活気にあふれた人々の声が耳に飛び込んでくる。今は時間が時間だけに食品系の呼び込みが多いようであちこちから食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきていた。


 当然、呼び込みもある。


「おう、そこの少年たち! 冒険の帰りか? 一本どうだ?」


「…………」


「こらこら、今食べたら夕飯が入らなくなるぞ」


 無言で串焼き屋の方へ行こうとしたクロノを、ローブを引っ掴んで止める。


 ネーピア家には夕飯時だけは全員が集まるルールがある。皆そろって生活リズムが異なっているため、一日の最後の食事くらいは顔を合わせようということらしい。互いに今日何があったなどを話しながら食べるのはなかなかに楽しく、俺はその時間を結構気に入っていた。


 ちなみに作るのは大抵ギリアムだ。そこはフィオナであるべきだろ! と突っ込みを入れたいのは山々だが、聞くところによると彼女あまり料理が得意でないという。


 父親の背を見て育った彼女は同じく冒険者としての道を歩んでいて、レベルもかなり高いらしいのだが、その訓練に時間を費やした分普通の思春期の女子が学ぶようなことはほとんどできなかったようだ。


 サバイバル料理――ムカデの串焼きや蛇の肉団子とか――でいいならと真面目な顔で言われたが、それは謹んで辞退させてもらった。これも旅に出る前に慣れていかなくてはならないと思うとげんなりする。


 もっとも、この世界にはモンスターを食する文化があるのでかなり今更感は漂っているが。


 牛や豚、鶏といった元の世界と共通する動物も居るには居るのだが、こちらでは弱者に分類される彼らの飼育はかなり難しいため、主に貴族が食べるものとして認識されている。平民の市場に出回るのはほとんどモンスターの肉である。


 あの串焼きもホーンベアとかの肉なんだろうな、まあ普通に旨いからいいんだけど……そんなことをつらつらと考えながら、各所から流れてくる誘惑を意図的に無視して歩き続ける。腹が減っているとついつい手が伸びかけてしまうから困りものだ。


 さっさと換金を済ませて家に向かうとしよう、そう決めて歩調をやや速める。


 目的地である会館に到着したのは、それから十分ほど経ってからだ。


 冒険者といえば荒くれ者たちが集まる酒場、目の前の建物はそんなイメージを打ち崩す。均一な大きさに切り出された石を積み重ねて造られたそれは、傭兵たちの溜まり場というよりも貴族の邸宅か何かだと言われたほうがしっくりくる。


 なぜこのような立派なものが建てられているのか――その理由は冒険者という職業の社会的地位にある。これが、意外と高いところに定められているのだ。


 もちろん、頭に相応の実力があればとは付く。


 この世界には冒険者に対し仕事の斡旋をする組織……わかりやすくゲーム的な表現をするならば〈冒険者ギルド〉なるものが存在するのだが、まず正式な職として冒険者を名乗るのならばここに所属しなければならない。


 ギルドに加入した者にはまず〈ランク1〉という数字が与えられる。依頼をこなし実績を積むごとに最大10まで数字が増えてゆき、実力の目安とされるのだ。登録自体は誰でもできるため下位にはチンピラ紛いの者も多いが、最上位にまでなると下手な貴族よりも発言権が強いようだ。


 ゲーム内では国やら貴族やらは単に金払いのいい依頼主の印象しかなかったが、こちらの世界においては絶対的な上位者として君臨している。ごく狭き門とはいえそれと同等の地位にまで上り詰められると言うのだから、命の危険を顧みずに職に就く人間が後を絶たないわけだ。

 木製の大きな扉を押し開けて中に入ると、その活気を証明するように騒がしい声が聞こえてくる。これは会館が依頼の仲介と共に、同業者間による情報交換の場としても機能しているためだ。


 受付を待つための列に並びながら、何か有用なネタがないかとさりげなく聞き耳を立てる。南区の道具屋でセール、裏通りの武器屋が新型の銃を仕入れた、普段山奥にいるはずのモンスターと草原で出会った……。


 たかが食事のついでに語る噂話、大したことを話しているはずがない。そう切り捨ててしまうのは簡単だが、収入的にも命的にも不安定な職業についている以上はどんな些細なものでも情報を集めることは重要だ。


 ただの与太話と思っていたことが実は真実であったり、複数の話を統合すると意外な物事が見えてきたりと。知っているか知らないか、時にはそれが生死の分かれ目になる可能性もある。


 憧れの剣と魔法の世界、そこでの生活は意外とシビアなものだった。


 危険生物の有無といい、衛生環境の整備といい、これまでの自分がいかに恵まれていたのかを思い知らされる。夢が叶ったこの状況下で、皮肉なことに、俺はひたすら故郷への帰還を渇望していた。


「おーい、ユト。そろそろ順番だよ」


 クロノに脇を肘でつつかれ、俺は思考に沈んでいた意識を現実に戻した。


 どうやら色々と愚痴を言っている間に列が進んでいたようだ。ちょうど俺たちの前の組が手続きを終えたようで、受付嬢がこちらに向かって次の方どうぞと業務用の笑顔を浮かべている。


 早くしろ、と後ろで待っている同業者たちの無言の圧力に、俺は慌てて懐から依頼の受諾証明書を取り出した。


「討伐依頼の完了手続きですね。担当職員はどういたしますか?」


 紙面に目を通しながら受け付けの女性が尋ねてくる。


 事務処理の回転率に影響が出ない範囲でと条件は付くが、ギルドでは対応する人員を冒険者側が指名することができるのだ。


 その理由はまあ、仕事帰りに見る顔がおっさんか美女かどちらの方がやる気を出させるかという極めて欲望に忠実なものなのだが。誰それとお近づきになりたいがためにこの職に就いたと公言する奴までいる始末なのだから、効果はあるのだろう。


 その中には実際に思いを告げ、幸せになったりあるいは――こちらの方が圧倒的に多いようだが――玉砕したりする者もいるらしい。


 そんな人間ドラマの繰り広げられる担当員の指名。


 しかし残念ながら、俺たちが抱える事情的に選択肢は非常に狭まってくる。というより一人しかいない。俺は彼の、癒しとは逆ベクトルに突っ走った顔立ちを思い浮かべながら答えた。


「ギリアム・ネーピアさんでお願いします」


 その名前に女性はやや驚いたような顔をしたが、俺たちの身に着ける装備品を見ると納得したように頷いた。おそらく先のウェスリーのような勘違いをしていると思われる。つまり、見た目の貧弱さゆえに成り立ての冒険者だと、ギリアムの弟子であると見たのだろう。


 実際、生活面についてはお世話になりっぱなしなので間違ってはいない。特に訂正することなく案内の続きを待つ。


「了解いたしました。では、番号札を貸出しいたしますので、呼ばれるまでロビーの方でお待ちください」


 討伐系の依頼はその証拠として指定された部位を死体から剥ぎ取り、ギルドに提示することで完了となる。これがモノによっては尋常でない臭いを発するため、手続きは個室で行われるのが一般的だ。


 どうやら今は混んでいてすぐには手続きを行えないようだった。珍しいことではない。モンスターの活動時間帯を考慮し、大抵の冒険者は朝に出て日が暮れる前に帰ってくるスタイルをとっているため人が集中するのは避けられないことである。


 整理券代わりの木札を受けとり、後続の迷惑にならないよう受付から離れる。


「さて、今回の仕事で多少は金銭面に余裕が出てくるといいんだけど」


「基本報酬はあまりあてにならないから、剥いだ素材の買い取りに期待ってところだな」


 クロノと報酬について話しながら、待ち時間の有効活用術として討伐の際に血と油で汚れた剣の手入れを行う。生乾きのそれらからは悪臭が漂っているが、正直なところモンスターと戦った後の人間など体全体が同じような状態であるため特に気にする人間はいない。


 ゲーム内ではボタン一つで終わっていた整備を、薬をしみこませた布で擦って行う。戦いの場において装備は自分の命を預けるものだ。美術品を扱うように、というと少々大袈裟ではあるだろうが、丁寧に慎重に作業を進めてゆく。


 ちなみに魔法使いのクロノはこういった苦労がないのかと言えば、答えは否だ。彼の持つ長杖は魔法補助の役割を担うとともに一つの鈍器としても振るわれている。純粋な近接武器ほどではないにしろ損傷はある。


 二人並んで、それぞれの武器を磨いてゆく。


 受付から整理札の番号が呼ばれたのは、ちょうど刀身が元の銀色の輝きを取り戻したころだった。同じく汚れを落とした鞘に剣を収め立ち上がる。


 案内された部屋へと向かい扉を開けると、この二週間ですっかり聞き慣れた野太い声が俺たちを出迎えた。


「おう、来たか」


 声の主は言うまでもなくギリアム・ネーピアその人だ。


 初めて会ったときの状況から兵士なのだろうかと考えていたのだが、実際の彼はここ冒険者ギルドに務める職員の一人である。警備の件は副業のようなもので、ハイムズ有数の実力者である彼にお偉方から協力の依頼が入ったという事情があるらしい。


 強大な力は良くも悪くも人の目を引き付ける。以前、この世界に来てすぐの頃に言われた言葉は、こういった彼自身の経験によるものなのかもしれない。


「今日の相手はシャープエッジだったか。どうだった」


「んー、そうですねえ。奴らは近接の物理攻撃手段しか持ってないんで、僕の場合は遠距離から魔法で焼けばいいだけだったんですけど……ユトはどうだい?」


「こっちも問題ない。体の動かし方自体はゲームと同じだからな」


 命を奪う感覚に慣れてしまえば、あの頃にやっていたことと何一つ変わっていない。


 唯一の懸念は〈痛み〉に対する耐性不足だが、それも今のところは大丈夫だろう。俺もクロノも戦闘スタイル上の関係で防御力、体力に難のあるステータスではあるものの、総合的なレベルが高いためハイムズ周辺の敵には大ダメージをもらうことはない。


 いずれは何らかの方法で慣らす必要があるだろうが、とりあえずは順調に戦闘をこなすことができている。


 そう答えると、ギリアムは呆れたように肩をすくめた。


「ったく、ずいぶんと簡単に言ってくれる。本来なら複数パーティーで当たるべき仕事だってのに。まあ、それでこそ、わざわざ自宅に泊めてまで保護した甲斐があったってもんだが」


 恩を売っておいて正解だった、と明け透けな言葉にどう返していいかわからず、俺は曖昧に笑って頭を掻いた。


 寝床をタダで提供し、物品の定価や狩りの仕方、さらには人との交渉術など冒険者として必要な様々な知識を教え込む。


 ギリアムは確かに善人だ。面倒見のいいお人好し、それは間違いない。しかしそれだけで赤の他人に対しここまでの優遇をするかというと、当然そんなはずはない。それらの行動の裏にはしっかりと人間らしい打算が存在する。


 簡単に言えば、俺とクロノは格安の労働力として利用されているのだ。


 知識が欲しい、旅をするための資金が欲しい、しかし力は隠したいから派手な動きはしたくない……そういったこちらの事情に便宜をはかる対価として、高レベル戦力を本来あり得ない安値で動かす。


 それが一週間ほど前に、俺たちとギリアム――正確には彼の所属する組織、冒険者ギルドとの間に結ばれた契約の内容だ。〈借り〉という、書類上にはなくとも重い存在が、不利な条件でも頷かざるをえない状況をつくった訳である。


 契約完了後に、人が動く理由に純粋な善意などないと思え、と平然とした顔で口にしたギリアムの姿はひどく印象的だった。


 そりゃあ最初に恩を売って使いたいとは言われていたが、ここまで露骨にやられるとは思っていなかったのである。


「本当に、あれは驚いたよねえ。うまい話には裏があるって教訓の授業込みだったかな」


 クロノの、苦いものを含んだような呟きに、ギリアムは豪快な笑みでもって応えた。


「まあ勘弁してくれ。お前たちに正式な額の報酬をやろうと思ったら、あっという間にここの金庫が空になっちまう。素材の引き取りに関しては定価でやるから、な?」


「……はぁ。それじゃあ、とりあえず手続きと鑑定お願いしますよ」


 前置きはこれくらいでいいだろう。苦い思い出に溜息をつきつつ――といっても、それを差し引いても彼には十二分に世話を掛けているのだが――俺は本題である討伐証明を行うべく腕を振ってウインドウを表示した。


 アイテム欄をスクロールし一つの名前をクリック、収納されていた品をテーブルの上に実体化させる。じわりと、虚空から滲み出るようにして出てくる十二個の塊。その正体は討伐対象であったシャープタスクの右手、討伐証明に利用する部位だ。


 品物を出したことでギリアムの方も真面目な顔つきに変わった。作業用の皮手袋をはめると、怪しげな儀式のように積み重なる爬虫類の手を一つ一つ丁寧に見てゆく。


 このとき、素人目だと左右の違いがわかりにくいモンスターもいるため、偶に討伐数を誤魔化すため左腕を混ぜる馬鹿がいるらしいが勿論そんなことはしていない。取り引きにおける信用性は目先の金などとは比べ物にならないほど重要だ。特に問題が起こることもなく判断は下された。


「……よし、確認した」


 そう言うと彼は、俺の出した依頼書に判を押した。これでギルドから、秘密裏に正式にというのも何だか妙な話ではあるが、依頼を達成したと認められたことになる。


 そしてもう一つ。


「さて、次は素材の換金だな。剥ぎ取り、少しは上手くなったか」


「どうでしょうね。自分ではそれなりに、と思ってるんですが」


 討伐系の依頼は二度金が入る。モンスターを倒したことで出る報酬と、そしてもう一つ死体から剥いだ素材の換金だ。


 再びウインドウを開くと、今度はシャープタスクから取れた素材を出してゆく。さすがに全てを剥ぐのは面倒だったので比較的価値の高い部位のみを持ち帰ってきたのだが、それでも十二体分、置き場はテーブルだけでなく床にまで及んだ。


 それをギリアムが片っ端から手にとって鑑定してゆく。宝石ほど厳密な判断が求められるものではないが、量が量であるためしばらく掛かりそうだ。


 名前の由来にもなっている牙を手にとりながら、ギリアムは唸った。


「ふうむ……まあ、最初よりはマシになったか。あくまでマシってだけだが。面倒なのは分かるがな、いい加減に何でも力尽くでやろうとするのは止めろ」


「うっ……」


 言われ、返す言葉に詰まる。確かに面倒な工程を筋力パラメータ補正で無理矢理やっていた部分があったかもしれない。


「ユトって意外と雑な性格してるんだよねえ。痛んだ素材はそれだけ売値が下がるんだから、もっとしっかりやってくれないと」


「うっさいな! 魔法の威力設定高くし過ぎてモンス丸ごと炭化させた奴に言われたくねえよっ」


「何やってんだお前らは……」


 結論、五十歩百歩。


 狩りの仕方など忘れて久しい現代日本人、その俺たちが剥ぎ取り技術を習得するまでにはもうしばらく時間が必要なようだった。


 ゴホン、とわざとらしく空咳をして尋ねる。


「それはともかく。どの程度になりますか?」


「ん、そうだな、基本報酬とあわせて十二万リルってところか」


 どさりと、金貨の詰まった重量感あふれる袋がテーブルの上に置かれる。


 リルとはゲーム内で使われる通貨の単位で、この世界では大体三万もあれば平民の一般家庭なら一ヶ月は暮らせるらしい。契約によって相当割り引かれているにも関わらずこの額だ。つくづく冒険者業の異様さを思い知らされる。


 袋に触れてアイテム情報を表示させる。


 麻袋・金貨(120000リル)――ギリアムの示した金額と差異がないことを確認し、クロノと半分ずつ分け合ってウインドウに収納する。


「目標金額まであと少し、か。旅をするにもずいぶん金がかかるもんなんだな」


「そうだね。徒歩でのんびりってならまた違うんだろうけど、僕らの場合は一応急ぎの用。馬車の購入費用が大きいよ」


 足の確保、食料や水の貯蔵、武器防具の整備あるいは新調、ポーションにスクロールといった消耗品……金はいくらあっても困らない。さらに言えば、最低限の準備だけでなくある程度懐に余裕を持たせておきたいところだ。


 しかしながら、ならばすぐにでも次の依頼を……とは、残念ながらできないことになっている。


 実はこちら側では、他の冒険者のことや生態系の維持などの事情もあるため、討伐系依頼の連続受注がギルドの方で規制されているのだ。


 特に今はモンスターが活発化しているため下手な手出しは厳禁とされている。

 これを聞いたときは普通逆ではないのか、積極的に狩りに行くべきではないのかと疑問を覚えたものの、一部を討つことで他が一気になだれ込んでくる危険性があるようだ。準備が整えば、おそらくハイムズ中の冒険者を総動員した殲滅戦が始まるだろう。


 現状、討伐依頼が出るのは街に近づきすぎた個体に限られている。


 敵がいなければいくらレベルが高くても意味はない。まったく、ただひたすらにモンスターを狩っていればよかったあの頃を懐かしく感じてしまう。現実では考えなしに力を振るだけでは資金を得ることはできないのだ。


 逸る気持ちはあるがここは素直に休んでおくべきだろう。キャラステータスを引き継いだ肉体はともかく、俺たちの中身は何の変哲もない一般人だ。目には見えずとも精神的な疲労と言うのは確実に溜まっているはずである。


 疲れが溜まっていて動けませんでした、死んでしまいましたは笑えない。


「まあ、金があったとしてもハイムズでの調査が終わらなければ意味はないんだけどね。ギリアムさんによると三船はここに立ち寄ったことがあるわけだから、外よりも手掛かりが見つかる可能性は高いわけだし」


「そうだな。旅に出ること自体が目的じゃないんだから、時間ができたのはむしろいいことなのかもしれない」


 書物を漁るか、人に聞いて回るか、体に負担がかからない程度に明日はいろいろとやってみることにしよう。


 と、そうして翌日の予定も決まったところで俺たちは鑑定室の固い椅子から立ち上がった。


 後ろに並んでいた同業者たちのことを考えると、その先の話し合いは外でやるべきだろう。混雑中、用が済んでいるにも関わらず居座り続けるのはマナー違反もはなただしい行為である。


「それじゃあ、そろそろ失礼します。鑑定ありがとうございました」


 そう言って扉に手を掛ける。


「おう。あ、いや待て。言い忘れてた。今日の夕飯なんだがな、書類が溜まってて帰りが遅くなりそうだから、悪いが何か買って食べておいてくれないか」


「わかりました。ユト、何か希望あるかい?」


「んー、昨日は魚だったから今日は肉が食べたいかな。ここに来る途中にあった串焼き屋とかどうだ」


 最初の頃は、モンスターを殺したその日はまともに食事が喉を通らなかった。だがそんな嫌悪感など、生きるという目的の前には簡単に霞むものだ。特に何を感じることもなく、クロノにメニューのリクエストをする。


 血の海に沈んだトカゲたちのことなど、思い出しもしない。


 両手を血に染めることで金を得る。


 それが今の、俺たちのいる日常だ。

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