Episode__5
MMORPG。
多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲーム。
ただ単にゲーム内の物語をなぞるだけでなく、他プレイヤーとの交流を一つのメイン要素としたその形。中でもSCOはVR技術が現実世界と同様の会話形式を可能としていたため、特別社交性に優れている訳でもない俺もある程度は他人との付き合いというやつがあった。
けれどやはり、あの中は所詮ゲームだったのだろう。
あくまで遊びと割り切っているから、皆どこか甘い。
厳しさに欠けている。
それを俺は、忘れていた。
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ハイムズの中央通、数多くの商店が立ち並ぶ市場は活気にあふれていた。
雑談や呼び込みの声、鍛冶屋の剣を打つ鋼の音やらが混じり合ってつくられる喧騒。ゲームではいくら利用者数が多いとはいっても所詮は万の単位、それも各街に分散してしまっていたためここまでの賑わいはなかなか見られなかった。
例外といえば何か特別なイベントが行われた時くらいだろうか。
それが毎日の光景だというのだから感心する。凄いなと、率直に口にすると、故郷を褒められたからかフィオナが嬉しそうな顔をしながら説明をしてくれた。
「ふふっ、ありがとう。地理的には国の端の方にある街だから、田舎だって見下されちゃうこともあるんだけどね。実際はそのおかげで流通経路が広がってて、王都の次くらいの規模があるのよ」
あとは歩きながらね、と彼女は人波の中へ入っていった。
見失わないように俺たちも慌てて後を追う。ざわめきの中でも不思議とよく通る声で案内は続けられた。
街の有力者は、冒険者は、武器屋は防具屋は――観光と言うには時折やたらと物騒な単語が入り混じるが、そのような気分で話を聞く。完全に描写がカットされていた居住区はもちろん、稀に普通の店の位置までもSCOと異なる箇所があったためこの解説は非常にありがたい。
一字一句を聞き逃さないようにし、頭にあるハイムズの地図に新情報を上書きしてゆく。
マップデータはもらっているものの、その精度や詳細さは元の世界のものと比べるとどうしても劣る。目印となるものを覚えておいて損はないだろう。ゲーム内ですら数万人を同時収容できる程の広さがあったこの街で、もし迷子にでもなったらと思うとぞっとしない。
「そういえば昔、どこか別の街でだけど、道に迷っているうちに街中で餓死した幽霊の頼みを聞くってやつがあったような」
「どんな背景設定だよ……」
何を考えてそんなクエストを作成したんだ、運営は。
異世界などという大仰な舞台にまで来てそんな間抜けな終わり方はしたくない。絶対に御免こうむる。せめて強大なモンスターとの死闘の果てにとか――って、なんで俺は自分の散り方についてなんて想像しているのだ。
痛みも死も存在するリアルファンタジー世界。あまり楽観的な思考はできそうにないが、かといって最悪の可能性ばかりに目を向けるのも好ましくない。
ここはいっそ、憧れの生活ができるのだと開き直るくらいの余裕を持つくらいがいい。そう考えると今のこの〈買い物〉という状況はなかなかに好条件ではないだろうか。元の世界では見ることのできない品々に対する興味で不安や恐怖を塗り潰すのである。
そこまで考えて、ふと気がつく。
案外、フィオナの買い物に俺たちを同行させたギリアムの意図はその辺りにあったのかもしれない。
荷物持ちとして使うなどと言っていたが、そもそもこちらの世界にはウインドウというアイテム収納機能が存在する。もちろん容量には限界があるが、それでも一度にすべてを使い切るとは思えない。
「……気を使わせたかな、これは」
かもねえ、とクロノも困ったような表情を浮かべて俺の推測に同意した。
昨日までの赤の他人、そんな相手にここまで心配と世話を掛けてしまうとは。今更ながら、情けなさに溜息が出てくる。
その配慮に報いる方法はただ一つ。
ぱんっ、と挟み込むようにして自分の頬を叩いて意識を切り替える。いつまでも暗くしていても何も変わらない。前向きに生き、前向きに変えるための努力をするとしよう。
大切なことに気づかせてくれた彼に、心の中で感謝の言葉を述べつつ、俺はひとまず今の外出を存分に楽しむと決めたのだった。
……まあ、もっとも。
結論を言うならば、その推測はまったくの的外れではあったのだが…………。
両手に大量の荷物を抱えながら、一人呟く。
「感動を返せ」
ありもしない言葉の裏を読み、勝手に持ち上げて勝手に失望する。それがどれだけ理不尽なことであるか理解はしていても言わずにはいられなかった。
なんとなく空の彼方へと向けていた視線を正面に戻すと、そこには薬師らしき男を相手に値切り交渉に燃えるフィオナの姿がある。頑なに断っていた男も、彼女の硬軟あわせ持った話術にたじたじになり、もう数分もすれば負けを認めることだろう。
女性の買い物は長い、これは世界の壁をも越えた共通事項らしい。いや彼女が買っているのはすべて薬草やらモンスの体液やら、おそらく調合して何らかのアイテムに変えるのであろう素材ばかりなので、デパートで服選びに迷うのとは違うかもしれないが。
しかし、まあ。
正直、舐めていた。
この調子ではや四時間、異常なペースの買い込みはついにウインドウのアイテム所持容量をオーバーさせたのである。
事前にどれだけの量を買うか知っていた彼女は、当然ウインドウ内を整理してイベントリをほとんど空にしていただろう。そして俺たちも、例の転移時に何故だか装備品以外の金やアイテムは失っていたため、丸三人分のスペースがあったわけだ。
ウインドウの容量は重さではなく体積が基準となっている。狭い狭いとプレイヤーに文句の言われることの多いものだったが、それでも剣と鎧の一式が問題なく突っ込んでおける程度の広さは持っていた。
それが単純計算で三倍。
もはや言葉を失う。
荷物持ちに俺たちが推薦されたとき妙に嬉しそうだったのはこのためか。いったい一人で何往復するつもりだったのだろう、彼女は。
「……余計なこと思い出させないでくれよ。ウインドウ内のデータが消えたの、ほんとにトラウマなんだからさ」
どこか遠いところを見るような目をしながら言われてしまう。俺もまた自分で口にした言葉に気分が沈んだ。
最前線プレイヤーとしてかなりの額を稼いでいたはずの金も、サーバ全体でも数個しか存在しない極レアアイテムも、色々と思い出の詰まったデータも関係なくすべてが消滅したというのは相当な心的ダメージだったのだ。
「ゲームから引き継いだのはステータスと、世界移動のときに身につけていた装備品だけ。まあ、それだけでも生きるには困らないだろうけどね……」
「そう簡単には割り切れないよなあ……」
しばらくそうやって愚痴りあいながら彼女らのやり取りを眺めていると、ついに薬師が折れたようだった。もってけ泥棒! と西洋風の顔立ちにとてつもなくミスマッチな台詞を吐いている。
「勝った!」
なにかの球根が山盛り入った木箱を抱え、フィオナが笑いかけてくる。平時であれば思わず見惚れてしまうであろうその魅力的な笑みは、しかし残念ながら今の状況では頬を引きつらせる以外の結果は生み出さない。
続けられた言葉は、悲しいことに予想通りのものだった。
「じゃあ次の店行こうか」
軽快な足取りで歩き出したその背を、慌てて引き止める。
「ちょっと待て、まだ買うつもりなのか!?」
ちなみに敬語がないのはフィオナ自身の希望によるものだ。堅苦しいのは苦手なタイプであるらしい。
その彼女は呼び止められたことに対して、不思議そうに首を傾げる。
「え、ダメ? 重かった?」
「それもあるけど……これはもう、体積的に無理だろう」
悪意なく素で言っているところが恐ろしいと思いつつ、両手に抱えた荷物を顎で示す。
すでに俺もクロノも正面が見えにくくなるほど物を抱えていた。重量は筋力ステータス補正で何とかなるにしても、これ以上何か乗せられるとどうしても不安定になる。せっかく購入したものを、落として駄目にしてしまうリスクまで負って運ばなくてもいいはずだ。
「それに、そろそろ会館のほうにも行かないといけないし」
正午になる頃に一度寄るようにと、ギリアムに言われているのだ。
「あ……それもそうね。うーん、じゃあ、あと一軒だけ寄らせてくれないかしら。注文してた魔法具を受け取りたいの。会館に行く途中にあるから、ね?」
「まあ、それぐらいならいいけど……自分で持ってくれよ? これ以上乗せると本当に崩れるから」
バランスを保つの結構難しいんだよ、これ。
▼
荷物を落とさないよう慎重に歩くこと数分、その店は見えてきた。
表通りの目立つ位置を軒並み占拠する大型店と違い、言い方は悪いがどこか寂れたような印象を受ける小さな建物だった。もっとも、ゲームでは意外とこういった雰囲気の店の方が掘り出し物があったりするし、事実フィオナも品揃えがいいと評価している。期待はしていいだろう。
申し訳程度に古ぼけた看板が吊り下げてある入り口をくぐる。暗視スキルが必要なのではないかと思えるほど明かりに乏しい店内、フィオナがカウンター内に座る老婆に声を掛ける。
「こんにちは、注文していた品を受け取りに来たんですけど……」
その言葉にしかし、老婆は首を傾げた。
「うん? なんだい昼ご飯ならさっき食べたばかりだよ?」
「違うから、お婆ちゃん。私は注文してたものをね」
「えっ、もう夕ご飯の時間なのかい」
「注文の品を! 受け取りに! 来たんですけど!」
大変そうだった。
「はぁ……相変わらずだなあ。ごめん、ちょっと時間掛かりそうだから荷物見ててもらえる? もしかしたら自分で倉庫を探すことになるかも」
「はは、頑張れー」
クロノの適当な声援に疲れたような顔で応じ、フィオナは老婆との孤独な戦いに身を投じていった。耳が遠いのかボケているのか知らないが、よくあれで経営が成り立つものだ。もしかすると万引き防止魔法のようなものがあるのかもしれない。
「お前なんぞに息子をやれるか!」
「息子さんもう結婚して子供も居るから! それと私がほしいのは魔法具だよ!」
本当に大変そうだった。
俺たちでは力になれそうもないのでそそくさと店の隅の方に退避する。適当な場所に荷物を降ろすと、数刻ぶりに解放された腕を回してほぐした。
と言っても、肉体的にはそこまで疲れてもいないのだが。重い物は優先してウインドウに入れているとはいえ、それでも十数キロある荷物を何時間も抱えて歩き回ってこの程度とは恐るべし補正効果。元のもやしっ子の俺では考えられない持久力だ。
「ふうん。道具屋って聞いてたけど、ポーションとかだけじゃなくて本とかも置いてあるんだ。魔法の呪文書と……それにこれは学術書かな?」
棚に並ぶ本の一冊を手にとって、クロノが言った。
「初級魔法理論その一だってさ。まさか、この世界ではこれを知ってなきゃ魔法を使えないとかないよね?」
魔法を知らない魔法使いなんて笑えないよ、そう嫌そうに呟く。
確かに、クロノのステータスは魔法重視、筋力や防御力などの前衛能力に関しては諦めるほかないような偏り方をしている。この世界で自らの切り札とも呼ぶべき存在を失うのは恐怖以外の何物ではないだろう。
ふむ、と俺は腕を組んで少々考え込んだ。そして少なくともゲームで習得した呪文に関しては大丈夫だろうという結論に達した。
クロノが胡乱気に俺の顔を見てくる。
「ずいぶん簡単に言ってくれるけど……根拠は?」
「森で転移魔法を唱えたときのこと。あれって、効果こそなかったけど、発動自体はちゃんとしてただろ」
俺は唱えられた魔法が一度陣を描き、それから砕けていたことを思い出しながら言った。
あれは使用条件を満たしていなかった場合に出るエフェクトで、魔法の発動そのものが失敗したわけではない。マップデータが破損していたことから、おそらく〈一度立ち寄ったことがある〉という制限に引っかかってしまったのだろうと思う。
「なるほど……っと、これにも書いてあるや。呪文とは力を持つ言葉の羅列だって。それによって体内の魔力を物質化し魔方陣を描く……へぇ、詠唱はあくまで媒介に過ぎないんだね。直接的な効果をもたらすのは陣の方か」
「そういえば魔法効果を封じてあるアイテムには全部それらしいのが刻まれてたな……。あれはそういう理由だったのか?」
「たぶん、そういう事なんじゃないかな。とりあえず、十分な魔力量《MP》と魔力操作技術《スキル熟練度》があればっていう前提で、正しく唱えさえすれば効果は発揮されるみたいだよ。無詠唱とかの仕組みはまた別の本か……」
興味を引かれたのか、クロノはそのまま本を読むのに夢中になってしまった。
話し相手が居なくなると途端に暇になる。なら俺もと棚を見るが、特に目新しい呪文書は置いておらず、理論書も一番初めの巻はクロノの手の内だ。
ふむ、と意外と広い店内を眺める。フィオナの方ももう少し掛かりそうであるし、他に何があるのか探索してみてもいいかもしれない。
「クロノ、少し奥を見てくる。荷物頼むな」
「うん……」
……思い切り生返事だったが、まあ、すぐ近くに居るので大丈夫だろう。俺はそう判断し、暇潰しと多少の好奇心から店の奥へと歩みを進めた。
何か面白そうなものはないかと棚を眺めながら回ってみる。
クロノが夢中になっているような書物もあるが、そこはやはり道具屋の看板を掲げている店だ。陳列されている多くはポーションのような身近な品である。
ゲーム内にも存在した見慣れたものから、野宿用の虫除け具など現実世界ならではの苦労を察せられるアイテムまで。多種多様な品ぞろえは俺の目を存分に楽しませてくれた。
その中から一つ、旅の疲れを癒す快適な眠りを、と何かアウトドア用品の広告にでも乗っていそうな煽りが記されたものを手に取ってみる。
細い円柱状の金属塊。小さく書かれた説明によると、どうやらこれに刻まれた魔方陣の効果によって周囲の気温や湿度を一定状態に保つらしい。
この辺りもゲームと違うところだろう。SCOにも環境適応のためのアイテムはあったが、それらは火山や雪山など極端な気候に対応するものだった。あくまで火傷、氷結によるダメージを防ぐためであり、快適さなどは考慮されていなかったのだ。
応用性、自由度の拡張といったところか。生憎と俺たちは所持していないが、錬金や刻印といった魔法生産系のスキルがあれば何かトンデモナイものが作れるかもしれない。
「しかし値段高いな……やっぱり、魔法付加された道具は貴重なわけか。今からでもクロノに習得してもらうよう頼むか? 上手く売れば一財産だぞ」
金に余裕がない現在の状況をみると、それはどうしようもないほど魅力的な案に思えた。
が、即座に破棄する。元の世界に帰るという目的がある以上は悠長にスキル修行をしている訳にもいかないし、クロノの魔力でアイテムをつくると本当に酷いことになりかねない。
なんせ俺たちの感覚で中位にあるはずの魔法が、こちらでは超上級技能として認識されているのだ。普通のポーションをつくったつもりがなんと神話に出てくる秘薬だった、なんて可能性すらある。
そのリスクを考えると、とてもではないが実行には踏み切れない。
「レベル60で伝説級か……大袈裟すぎやしないかと思ったが、こっちの常識を知れば知るほど現実味を帯びてくるな」
神として崇められるのも、異端扱いされて追われるのも勘弁願いたい。
ギリアムの警告を思い出し、嘆息する。力を隠しながらの生活は予想以上に肩の凝るものになりそうだった。
まあ、ここでうだうだ考えていても仕方がない事ではあるのだが。
とにかく気を付けようと、そう思考を完結させ、俺は次の品を見てみようと再び棚に手を伸ばした。
同じく特殊効果が付けられているのだろう、柄の部分に陣の刻まれた短剣に触れようとした――そのとき。
ガッ、と指同士がぶつかった。
「んっ?」
「むっ?」
どうやら俺と同時に剣を取ろうとした人物がいたらしい。お互いが相手の存在に気がついていなかったようで、顔を見合わせる。
一言でいうと、そいつは美男子だった。
歳はたぶん俺やクロノとそう変わらない。せいぜい少し上、二十代前半といったところか。
鋭角な、しかし荒々しさはない顔立ち。透き通るような翠緑色の瞳に、長い金髪を背に流した姿は、身に着けている鎧や腰のベルトに吊るされた美しい細工のなされた片手剣と相まって、まるでお伽噺に出てくる騎士様だ。
さぞかし女性の目を引き付けていることだろうなと、物珍しさからまじまじと見てしまう。
数秒ほどしてから、自分の行動があまりにも礼を欠いていることに気がついた。俺は不躾な真似をしたことを謝罪しようと顔を上げ――相手もまた同じような風にこちらを見ていることに気がついた。
そして。
「ふっ」
口角を吊り上げた、嘲笑。
「離したまえ」
「は……?」
「これは、君ごときが扱いきれるようなものではない」
明らかにこちらを下に見た言動。
邪魔な虫けらを見るような目つき。
見た目の美麗さに対する感嘆など、一瞬で吹き飛んだ。
どうやら俺は初対面の相手に喧嘩を売られているらしいと、そう気が付く。あまりに傲慢なその態度にこめかみがひくついた。背中の剣に手が伸びなかったのは僥倖だろう、他人の恩情にすがって生活している立場からして騒ぎを起こすのは得策ではない。
「……いきなりなんだよ、あんた」
できるかぎり平静に言葉を返したつもりだったが、それでも若干声が震えるのは抑えられなかった。もちろん怒り故にである。この状況でにこやかな笑みを浮かべられるほど、俺はお人好しでも、社会経験を積んでもいなかった。
もっとも、奴はそんなことは気にもとめていないようだったが。尊大な姿勢を崩そうともせず、相変わらずこちらを見下したように言う。
「言葉の通りさ。良質の武器は使い手を選ぶ、君のような素人がこれを持っていたところで意味はない」
使い手を選ぶ――それはおそらく、ゲームシステムによる〈能力値による装備制限〉のことを指した言葉ではないかと思われた。
どういうことかと簡単に言えば、重い武器を持つには筋力が必要であるように、秘められた効果を十全に発揮するにはある程度の技量がなければならないというシステムだ。その技量にあたるものをSCOでは〈熟練度〉と呼び、長く同じ種類の武器を使い続けるなどすると上昇するようになっている。
例えば俺の場合は片手剣を主に使ってモンスターを倒してきたため、それだけ片手剣に対する扱いが上手くなっている……と、システムは認定する。
その結果、片手剣を使った新たなスキルが解放されたり、武器に付加された特殊効果を発動することができるようになるわけだ。
そして目の前のこいつは、俺にそれが足りないと言っている。
たった今、会ったばかりの相手に対してあまりにも短絡的な評価だ。決めつけに不快さが込み上げ、自然と返す口調は攻撃的になった。
「俺ごとき、ね。さっきから勝手に人を下に見ているようだが、初対面のあんたが俺の何を知ってるっていうんだ?」
「ふん……そんなもの格好を見れば分かる。どうせ外から来た駆け出しの冒険者だろう? よくいるんだ、一攫千金を夢見て、実力もないくせにモンスターと戦いたがる愚か者が」
格好、つまり俺が装備しているアイテムによる実力の判断。
おかしなことではない。SCOの仕様として、見ただけで分かる他人のステータス情報はHPの減少割合のみだ。名前も、レベルも、MPのようなステータス値も隠されているため、対人戦では相手が持つアイテムの要求ステータス値からある程度の強さを見極める必要がある。
俺自身の見た目もあるかもしれないが、おそらくこの男は着ているぼろコートや、ほとんど装飾のない剣から雑魚としたのだろう。
無論、その予測は的外れもいいところだ。確かに見栄えは良くないかもしれないが、これらは全て最前線での戦闘にも耐えうる一級品揃いである。
自信満々に間違いを述べることほど滑稽なものはない。俺は思わず失笑をこぼしてしまった。まずい、と慌てて無表情を保とうとするもすでに遅い。
「……何がおかしい?」
何故笑われたのかは分からなくても、馬鹿にされたことだけは知れたのだろう。男は端正な顔立ちを歪ませ睨みつけてくる。
迂闊だった、と内心で舌打ちする。自分で状況を悪化させるようなことをしてどうする。ゲームでも同じような、強さを鼻にかけ威圧的に接してくる手合いはいたため、この後の展開は大体想像がついた。
男の自信の源になっているもの――すなわち〈力〉の行使。生意気を言う相手を叩きのめし、身の程をわきまえさせる。
予想と違わず、男の手が剣帯に添えられた。
「どれだけ短気なんだよ……」
ぼそりと、相手に聞こえないように小さく呟く。
正直、向こうがその気なら受けて立ちたい、思い切り叩きのめしてやりたいという気持ちがなかったわけではないが、いくらなんでもここで斬り合うのはまずいだろう。こんな下らないことでステータスが露見することも避けたいし、何より場所が悪い。店内で剣を振り回したりしたら一体どれだけの商品が臨終することやら。正直、弁償しきれるとは思えない。
そこまで奴も馬鹿ではないと信じたいが……一応、もし本当に斬りかかってこられた際のため、悟られないようこっそりと迎撃しやすい体勢をとる。
睨み合いにより、険悪な空気が漂いはじめる。
打ち払ったのは第三者による介入だった。
「お待たせユト……って」
鈴の音のような、軽やかな女声。
「何やってるのよ、あなたたち」
通路には、白銀の髪の少女が立っていた。
▼
「おいおい、まさかこれは君の知り合いなのか?」
最初に口を開いたのは、目の前のいけ好かない男だった。『これ』と俺を指差し、不快気に鼻を鳴らしたあと慣れた様子でフィオナに問いかける。
「物扱いしないでくれるかしら。彼は、父の客人よ」
どうやら知り合いらしいが、二人の関係はお世辞にも友好的とは言いがたい。さっきの俺たちほどではないにしろ、少なくとも会話を楽しむ雰囲気ではなかった。
「客人? ……なるほど、ギリアム殿は相変わらずのようだ」
その一言で俺たちの関係性を悟ったのだろう。奴は隠そうともせずに嘲笑を浮かべる。
「まったく、才能のない人間はどれだけ努力しようと無駄だというのに」
「なっ――――」
それは、ギリアムの行為を全否定するにも等しい言葉だった。
思わず一歩を踏み出した俺を、フィオナがコートの裾を掴んで止める。
「言いたいことはそれだけかしら。なら、私たちはもう行くわ。このあと用事があるから、あなたとそんな議論をしている暇はないの」
挑発、だったのだろうか。奴はフィオナが話に乗ってこなかったことに詰まらなさそうな顔をすると、次いで舌打ちした。
「……興が冷めたな。帰るか。ああ、その剣は譲ってやろう。もっとも、君が手にしたところでその真価を発揮できるとは思わないがね」
最後にそう言い残し、去ってゆく。
遠ざかる背中を眺めながら、フィオナがそっと口を開いた。
「何があったか知らないけれど、彼には……ウェスリー・クレイグにはなるべく関わらないほうがいいわ」
ウェスリー。
どうやらそれが奴の名前らしい。
「まあ、確かに随分と短気な性格ではあったな」
そう返すと、彼女は違うと言うように首を横に振った。
「それもあるけど、彼は冒険者としてかなりの腕を持っているから」
「……そんなに強いのか?」
「ええ、もうレベル30超えていてハイムズのエースなんて呼ばれているわ。彼と一対一でまともに戦って勝てるとすれば、そうね、父さんくらいしか思い浮かばないかな」
聞かされたレベルは俺たちの感覚、現在のSCOを基準にするのならばそれほど高い数値ではなかった。ボリュームゾーンと呼ばれる大多数のプレイヤーのレベル帯よりも少し低いくらいだろう。
だがそれは、この世界であれば冒険者として十分にやっていけるだけの数値だ。俺のような痛みも死もない遊びではなく、本物の命を削って得た経験の積み重ねによる強さ。
そこに至るまで、一体どれだけの修練を必要としたのか。所詮は〈偽物〉にすぎない俺には想像もつかない。
「……これで人格もまともなら素直に尊敬できたんだがなあ」
憧れていた〈本物の剣士〉。軽量戦士で武装は片手剣と、自分と似通ったスタイルであっただけにそれがとても惜しく感じてしまう。
俺の呟きにフィオナは苦笑を浮かべた。
「まあね。本当に、それさえなければ理想の目標なんだけど。……ともかく、ウェスリーは強いわ。街のごろつきを集めて馬鹿騒ぎしたりとか、無意味に喧嘩売ってきたりとか、評判は最悪なんだけど実績だけは確かだからハイムズの中での発言力もある。だから、さっきみたいなことは絶対にやめて。もし決闘なんかになったら、さすがに殺しはしないでしょうけど、腕の一本くらいは容赦なく飛ばしに来るわよ」
片や街の警備に大きく貢献している有名人、片やどこから来たのかもわからない駆け出し冒険者のガキ。あまり考えたくはないが多少のことなら揉み消されてしまいそうだ。
しかしずいぶんと断定的な言い方だが、まさか過去に実際そういったことが起きているのだろうか。先ほどのやり取りをかんがみると、残念ながらあり得ないとは言いきれない。
面倒は嫌いだ。傲慢な態度に苛立ちは覚えるものの、わざわざ自分から突っかかっていくようなものでもない。俺は特に反発することなく頷いた。
もしかすると、俺たちが生きていくうえで最も厄介なのは強大なモンスターなどではなく、こういった人間関係なのかもしれないと。そんなことを考えながら。