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リンクライン  作者: 伊月
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Episode__4

 ――以上、回想終わり。


 借り受けた寝巻きから元の、簡素なシャツとパンツの上からコートを羽織った姿に着替えつつ、昨晩の記憶の辿りをそう締めくくった。


 木造の一軒家、その二階の一室が俺に与えられた部屋だ。居候の分際で一人部屋とは贅沢もいいところだが、妻が他界してから空間が有り余っている、とギリアムは少しばかり寂しそうな顔をして言っていた。


「っし、行くか」


 身支度を整え部屋を出る。下へ繋がる階段に一歩踏み出そうとしたところで、肩を軽く叩かれる感触。聞き慣れた声による挨拶。


「おはよう、ユト」


 キャラネームで呼び合うのは、昨日二人で話し合って決めたことだ。変に本名を混ぜると会話がややこしくなるのがその理由である。


 朝からその名を使うことにむず痒さを感じながら、俺は後ろにいるであろう相棒に振り返った。


「ああ、おはようクロノ……って、は?」


 が、そこに立っていたのは想像した人物ではなかった。いや、確かにクロノではあるのだが、灰髪の魔術師ではなかったというべきか。


 クロノは黒髪に黒目、服以外はいよいよ現実と全く同じ姿になっていた。


「お前それ……」


「ん、やっぱり気づいた?」


 そりゃあ、それだけ大きな変化なら見逃すほうがどうかしている。


 だよねぇと苦笑しながら、クロノは手に持っていたものを見せてきた。灰色の、もじゃもじゃとした毛の塊。昨日と今日の変化、足りないものがどこに行ったかを考えると、まさか……


「髪の毛、か?」


「正確にはウィッグっぽいけどね。さっき起きたらベッドの横にこれが転がってて驚いたよ。どうやら、肉体は完全に現実のものになっているみたいだね」


「それじゃ俺も?」


「うん。というか気づいてないんだね。ユトの右目、黒に戻ってるよ?」


 へ、と間抜けな声を出して、俺は自分の目の辺りに触れた。俺のアバターは基本的には現実と同じだが、全く変えないのもどうかと思い瞳の色にだけ手を加えてある。


 クロノがなぜか持っていた手鏡を借りて見てみると、確かに左目だけアルビノを思わせる赤でもう片方はいかにも日本人らしい黒色……なんだかコスプレに失敗したような自分の顔が写っていた。


「な、なんだこりゃ」


「カラーコンタクトレンズとかじゃない? 仕組みは分からないけど、外装の変更した部分はそういう風な形でついてきたみたいだよ」


「うげ……」


 この姿で表に出るのは嫌だったので、先に洗面所に行ってレンズを外すことにした。中世ヨーロッパといえばまだ上下水道の設備など備えられていなかったはずだが、この世界では魔法の存在故か現代日本で見られるものとほぼ同じようなものがあった。


 視力はいい方なのでコンタクトの経験はなく、ただ外すだけでも四苦八苦する。というかそもそも、そのための道具を使わず手でやっているのだからそれも当然だ。涙を流しながらなんとか両目を黒に戻す。右目の分は寝ている間に取れたのだろうか。後でベッド周りを捜してみるとしよう。


「っつ、思いっきり充血してるな……」


「うわ痛そう。まあけど、ほっとけばそのうち治るでしょ」


 そんな会話を交わしながら廊下を歩く。


 居間に向かうとそこには、パンに野菜や肉をはさんだものを食べながら、新聞らしきびっしりと文字の書かれた紙束を読んでいるギリアムの姿があった。俺たちが起きてきたことに気がつくと顔を上げ、朝の挨拶をしようとして――奇妙な表情になる。


「……ニホンジンは一日ごとに髪や目の色が変わったりするもんなのか?」


「違いますから」


 放っておくと彼の中の日本人像が凄いことになりそうなので、慌てて否定する。


「まあ、事情は例のごとく説明が面倒になるので省きますが、昨日はちょっと変装みたいなことをしていたんですよ。こっちが俺たちの本来の色です」


「ミフネと同じか」


「ええ、色素の薄い人もいますけど、大半は髪も眼も黒い人種なんです」


 言いながら、四人がけのテーブルから適当な椅子を引いて座る。無言でパンの入った皿をこちらに近づけてきたのは食えということだろうか。


「あ、すいません。食事の用意も手伝うべきでしたね」


 クロノがそう言うと、ギリアムはニヤリと口角を吊り上げた。


「気にするな、お前たちの仕事は別にある。嫌というほど働いてもらうぞ。最近モンスターどもの動きが活発化してきててなあ、処理がちょっとばかし追いついてないんだよ」


「と、いうことは、僕らの仕事は主に討伐系になるんですか?」


「そうなるな。まあ、その辺のことは食べながらにしよう」


 促され、少々行儀は悪いが俺たちはパンをほおばりながら今後のことについて話し合った。といってもそんなに複雑なことではない。まずはこの街での生活に慣れることから始め、そのあとはギリアムから依頼されたモンスターをひたすら倒していく。それだけだ。


「なるほど。あれ、でもここって〈ハイムズ〉ですよね? そんなに強いモンスターなんていたっけ……?」


 クロノが首をかしげながら口にした〈ハイムズ〉とは、この街の名前だ。


 それは俺たちにとっても馴染み深い名であった。なぜならハイムズは別名はじまりの街と呼ばれる、複数ある内からランダムに決定される開始地点の一つだったからだ。


 そして、どんなゲームでもそうだが、そのような初期の街周辺にいきなり強力なモンスターは配置されたりしない。レベル42のギリアムがいながら対処に苦労するとは考えにくい。


「ゲームとは違っているのかな。ギリアムさん、このあたりに出るモンスターってどんなのなんですか? あ、ニホンとここの地域の違いとかは考えなくてもいいですよ。モンスの名前を言ってもらえば分かりますから」


「本当に近くなら大したものは出ないな。〈ベノムグロッグ〉とか、〈バウンドダル〉だとか。ただ、森や山に入ると〈ヴァイス〉級のも生息している」


 それを聞いて、俺はこの世界の常識を知る必要性を改めて認識した。


 前の二つはゲーム内にも置かれていた、初心者向けのいわゆる雑魚だ。だが〈ヴァイス〉は、あれは確かレベル20相当の力を持つ、獅子に似た形状のモンスターだったはずだ。猫科特有の機動力には俺も苦戦した経験がある。一体ずつ出てくるのであればともかく、群れをつくっているとなれば確かに彼一人では厳しい戦いになるだろう。


 SCOとこの世界はあくまで似て非なるもの。ゲームの延長線上として考え行動するのは危険だと、心に刻み付ける。


「そういう奴らは、こちらから手出ししなければわざわざ人里に降りてくるようなことはない。基本的にはな。数が増えすぎると別だ。山の餌が尽きたら、次は人というわけだ」


「だから定期的に減らす必要がある、と」


「ああ。それにさっきも言ったが、最近モンスターの動きが少し妙で――」


 ギリアムはその先を言おうとして、慌てて口をつぐんだ。二階から誰かが降りてきた気配がしたからだ。


 軽い足音が近づいてきて、居間の扉が開けられる。


「おはよー……」


 眠そうに目を擦りながら入ってきたのは、俺たちとそう変わらない歳の少女だった。


 肩にかかる程度で切りそろえられた、光の加減によってきらめく銀色の髪。雪のように白く、それでいて不健康さはまったく感じさせない肌。鼻筋の通った顔立ちは、まず間違いなく美人に分類されるだろう。


 そんな、寝巻きらしき緩やかな服に身を包んだ彼女は、テーブルで食事を取っている俺とクロノの姿を認めると――


「……誰?」


 と小首を傾げて聞いてきた。


 そして同じ質問を俺たちもしたかった。誰だよこの子。


「おお、起きたか。ちょっとこっちに来い」


 混乱する俺たちをよそに、ギリアムは暢気な声を出して少女を手招きする。寄ってきた頭を適当に撫でながら、彼は言った。


「こいつはフィオナだ。フィオナ・ネーピア。オレの娘な」


「…………は? 娘?」


 初耳だった。てっきり、この家の住人はギリアム一人だけだと思っていた。


 四十歳既婚。確かに子供の一人や二人居てもおかしくはないだろう。ただ、あまりにあっさりと家に泊めることを了承していたので、他の住人の存在など考えもしていなかったのだ。


 しかも、その同居人は年頃の娘。そんな環境に突然若い男を連れてきて今日から住ませますとか、思わずギリアムの防犯意識について心配してしまう。


 そんな心境を知ってか知らずか、彼は次いで俺たちのほうの紹介に入った。


「んで、こっちが冒険者のユトとクロノだ。しばらくの間ここで面倒を見ることになった」


「面倒?」


「つまり居候ってことだな」


 内容からすると随分と軽い調子でギリアムは告げた。おいおい、と自然と顔が引きつるのを感じる。一日二日ではきかない長期間、赤の他人を泊める説明がそんなことでいいのかと。これはもしかして、娘の反対でやっぱり駄目でしたというパターンではなかろうか。


 フィオナの、親譲りの蒼い目が俺たちを捕らえる。観察するような視線を向けられるのは居心地が悪く、追い出されるのではと不安を掻き立てる。


 桜色をした薄い唇が開く。そこから発せられる言葉は――


「そう。わかった。これからよろしく」


「軽いなあオイ!」


 親が親なら子も子だった。


 世間話のような気安さで居候を承諾され、俺は脱力のあまり突っ伏した。この数秒間でこちらは家を出たあとの生活にまで思案をめぐらせていたというのに、なんだこの落差は。


「あの……そんな簡単に決めていいんですか。一応僕らは男なんですが」


 額を机に打ち付けた俺の代わりに、クロノが聞いてくれる。


 フィオナの返事はただ一言。


「慣れてるから」


 ……そういうものなのだろうか。


 ギリアムが冒険者の面倒を見るのはそう珍しくない、それは聞いた。


 しかしこちとら思春期の男子なのだ。可憐な女性がいれば否応なく目が向くし、あまり言いたくないが歳相応の妄想だってする。


 異性と共に寝泊りする以上、襲われる危険性というものをちゃんと考えてほしい。


 そんな釈然としない気持ちが顔に出ていたのだろうか。ギリアムは柔らかな笑みを浮かべながら、こう言った。


「安心しろ。もし娘に合意なく手を出したら……物理的にも社会的にも抹殺してやる」


 表情と台詞が噛み合っていなかった。


 というか、真剣に怖い。鋭すぎる眼光を向けられ俺は悟った、この人は本気だと。単純な力比べならおそらくこちらに軍配が上がるのだろうが、この世界に無知な俺たちを始末する方法などいくらでもある。


 もし彼の信頼を裏切り不埒な真似をしようものなら……ああ、うん、考えるのはやめよう。胃に悪い。大人しくしていれば何の問題もないのだから。


「…………肝に銘じときます」


 そう返すのが精一杯だった。



     ▼



 さて……気を取り直して。


 フィオナを加えて食事は再開された。


 もっとも、ギリアムは娘にも俺たちのことを隠すつもりらしく、直前までの依頼がどうのモンスターがどうのといった会話はすでにない。今はフィオナの「どういった経緯で居候を迎えることになったのか」という質問にギリアムが答えている。


「あー、えーとなぁ……」


 無論、本当のことを言うわけにはいかない。ギリアムはなんと説明しようかを決めかねているのだろう、しばし視線を泳がせた。そして、何かを思いついたようにポンと手を打った。


「ええと……そう、ゴブリンにやられそうになっていたところを助けてやったんだ!」


 扱いが酷かった。


 〈ゴブリン〉。言わずと知れた、ファンタジー世界における雑魚中の雑魚である。


「え……ゴブリンに……?」


 フィオナも目を見開いて驚いている。それはそうだろう、ゲームでないこの世界で、ゴブリンにも勝てないようなレベルでフィールドに出るのは自殺行為以外の何物でもない。

 初心者として紹介してくれて構わないとは言ったが、いくらなんでもこれは酷すぎる。馬鹿の烙印を押されたようなものではないか。恨みがましい視線をギリアムに向けると、自覚はあるのかサッと目を逸らされた。


「いやそれは……」


 心の底から訂正したい。


 しかし下手なことを言えば〈設定〉に矛盾が生じてしまう。


 一体どうしろと。頭を抱える俺に助け舟を出したのは、頼れる相方だった。


「まあ、尋常じゃない数だったしね」


 茶を啜りながらクロノがそんなことを言う。溜息を吐き、いかにもその時の苦労を思い返しているように。


「何があったのかは知らないんですが、複数の集団が合わさって群れていまして。いや、一体一体が弱いからと油断していました。恥ずかしながら、無闇に突っ込んでいって見事敗退です。命からがら逃げ出して、なんとかこの街に着いたところをギリアムさんに助けてもらったんですよ」


 すらすらと矛盾なく、話を補足するようにして嘘を重ねてゆく。当然だが事前の打ち合わせなどはまるでない。すべてクロノが即興ででっち上げた話だ。その巧みな演技も合わさり、怪訝そうにしていたフィオナの目にも納得の色が浮かぶ。


「群れか……確かに乱戦になったらゴブリンと言えどそう簡単にはいかないものね。撤退したってことは、まだ奴らは残ってるの?」


「ええ。まあでも、逃げながらもそれなりに数は減らせたので。すでに脅威ではないと思います」


 なるほどね、と。あっさりと彼女は説明を信じた。


 クロノを見るとやや得意げな顔で、こっそりと親指を立てている。俺も不自然でない程度に笑みを浮かべ同じ仕草を返した。


 この機会を逃してはいけない。


 ギリアムの方に視線を向け、判断を促す。


「おお、そうだフィオナ、お前確か今日は市場に行くと言っていたな」


 彼は頷き、やや強引だが話を逸らした。これ以上の追及を防ぐためである。さすがに深いところ、例えばゴブリンと遭遇した場所だとか正確な数だとかに話が移るとまずい。


 突然の問いかけに面食らいながらもフィオナは肯定の返事をする。


「え、うん。そろそろストックがなくなるから、ポーションの材料とか買って回ろうと思ってるけど」


「そうか、ならそのついでにこいつらに街の案内をしてやってくれないか。荷物持ちでも何でもさせていいから」


 そして俺たちは勝手に荷物持ち役にされていた。


 あれ? と首を傾げながら会話を聞く。話を逸らすという思惑は見事達成できたのだが、その逸れた方向もなんだか妙な感じがした。


 ちょっと待てと。口を挟もうとするも、その前に他でもないフィオナが賛同してしまう。


「あ、それは助かるわ。むしろこっちから頼みたいくらい」


 嬉しそうに、柔らかな微笑みを浮かべる少女。


 断るという選択肢は、すでに空気的になかった。あれよあれよと口を挟む間もなく今日の予定が決定してしまい、荷物持ち組みとしては顔を見合わせて苦笑するほかない。


 しかしそう悪い提案でもないか、と俺は考えていた。


 繰り返すようだが、ここはSCOそのものではない。異なる星、並行世界、真の意味での仮想空間……いろいろと可能性は浮かぶが、とにかく今までいた場所とは違う。


 もしかすると世界地図を見たら、ゲームとは全く異なる大陸の形をしているかもしれない。この街だって、本当に俺たちの知るハイムズなのかどうか怪しい。


 近くに〈クリムゾン・フィスト〉の生息する森があるのは同じだが、先程ギリアムが話していたように〈ヴァイス〉などのイレギュラーもある。


 そもそもゲームではデータ量カットのため居住区などは省略されていた。本来ならば〈町〉と表記するべきところを〈街〉としているのはそのためなのだ。民家よりも商店の方が圧倒的に多い居住エリアなど普通はあり得ない。確認の意味でこちらの街の構造はぜひ知っておきたいところだ。


「それじゃあ、食べ終わったら声を掛けてね。着替えてくるから」


 見ると、俺たちより遅くに起きてきた彼女はすでに朝食を食べ終わっていた。待たせるのもなんなのでこちらもさっさと片付けてしまうことにする。大口でパンを齧り、茶で胃に流し込む。


「昼飯時になったら中央会館のほうに来い。冒険者に対する仕事の斡旋はあそこでやっている。いきなり今日から始めなくてもいいが、どんな仕事をするかの確認だけはしてもらいたいんでな」


「わかりました」


「それからこれを……」


 受け取れ、と折り畳まれた古い紙を投げ渡される。


「ハイムズとこの周辺の地図だ。一応持っとけ」


 返す必要はないとのことなので、ありがたく貰っておく。


 地図は元の世界のものとは明らかに質が悪いが、それでも大体の地形くらいなら分かる。表面は街が、裏面はフィールドの地図が描かれているようだった。


 広げてみると、おそらくはカットされていた居住区が存在するせいだろう、街は記憶の中にあるそれよりやや大きいように思えた。フィールドのほうもゲームと全く同じというわけにはいかないようで、俺の知らない森や洞窟が点在している。


「……気をつけないとねえ」


 真剣なクロノの声に、深く頷いて同意する。


 低級フィールドと油断していたら後ろから最前線レベルのモンスターが……なんてこともあり得るかも知れない。


 常識はやはり大事だ。そう考えると、街に慣れるというのはすなわち日常生活での常識を知ることに繋がるのかもしれない。物価だとか、流通だとか、戦闘と違い直接命の危機に陥るわけではないが、その辺りの知識もないと交渉の際にぼったくられてしまうだろう。


 買い物ひとつするにも気苦労が多い。


 華々しさとは縁遠い異世界での第一歩に、俺はそっと溜息をついた。

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