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リンクライン  作者: 伊月
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Episode__2

 とにかく街へ向かおう。


 そう提案したのはどちらからだったか。ログアウトができないことの異常も、モンスターの死体のことも、すべての結論を先延ばしにして俺たちはただ歩きつづけた。街へ行けば全部解決すると、帰れるのだと信じて。


 しかし――


 心の底ではきっとわかっていたのだろう。何も変わらないと、知っていたのだろう。なぜなら本当に着けば終わると信じているのなら、さっさと走って街に行ってしまえばいいのだから。高レベルのステータス補正をフルに使えばあの程度の森は一瞬で踏破できる。


 それをしなかったのは、時間が欲しかったからに他ならない。


 残酷な真実と直面するまでの猶予の時間が。



     ▼



 あれからどれくらい経ったのか。


 正確なところは意識していなかったが、ふと気が付いた頃にはすでに日はどっぷりと暮れ、周囲を照らすものは月明かりのみとなっている。互いに口を開くことなく、ただ機械的に足を動かしているうちに腐葉土の地面はいつの間にか舗装された道路に変わっていた。


 土を叩き固めただけの簡易なものだが、これは都市間を結ぶ主要道路……つまり街道だ。このどちらかの先には目指していた街があるはずで、うつむき気味だった顔をあげて見回してみると、確かに片方には魔法光によるオレンジ色の輝きが存在していた。


 近い。もう一キロメートルもないだろう。


 しかし、希望の象徴であるはずのそれを見ても、俺の中にさしたる感慨はわかなかった。じきに到着するという事実だけを認め、すぐにまた歩みを再開させる。


 十数分後、門のところまで着いたときもそれは変わらなかった。重厚なつくりの木の扉をぼんやりと眺めるだけだ。目の前のこと以外何も考えたくないという無気力感が身を包んでいた。


「閉まってる。もうそんな時間なのか……」


 加工の荒い、ささくれ立った表面をなでながらクロノが呟いた。


 この世界にはモンスターという動く災害のようなものが居る。そのため辺境の村などならともかく、一定規模以上の都市になると何らかの防備を固めているのが普通だ。


 ここの場合は街全体を高い石壁でぐるりと囲み、さらに日没後は人の出入りを禁止しているようだった。建築物は基本的に破壊不能オブジェクトになっているため、どれだけ高い筋力パラメーターがあろうとこれを壊して中に入ることはできない。


 とはいえ――それもあくまでゲームの設定上の話だ。もし本当にそんなことをすれば夜型プレイヤーからの苦情が殺到すること間違いなしで、建前上は出入り不可でも、巨大な門扉の傍らにはもう一つ小さな入り口があり、この時間帯でもそこだけは使えるようになっている。


 中には武装したNPCノンプレイヤーキャラクターがいることから門番の控え室ではないかと思われるが、彼らは一般プレイヤーがここを利用することについて何も言わない。それはそれで不自然ではあるものの、年中門が開きっぱなしであるよりはいいと製作者らが考えたのだろう。


 クロノが近づいて扉に手をかける。ノブを回そうとした、そのとき。


「っつ!」


 ガチャリと、ちょうど同じタイミングで向こう側から扉が開かれ、背の高い男が顔を出してきた。金属の鎧兜で身を包んだその姿は冒険者というより兵士を連想させ、とっさに俺はNPCだろうかと考えた。


 しかしそれは、男が驚いたような表情を浮かべたことで否定される。


「うおっ、何だあんたら?」


 発言もまた、人間くさい。決まった問いに決まった答えを返すことしかできない現在のAIではあり得ない反応だ。視線をフォーカスさせると予想通りPCであることを証明する表示が現れる。


「いや……何だもなにも、ここを使う目的なんて一つしかないと思うんだけどね」


 クロノもそのことを確認したのだろう。そしてあまりに当たり前の質問に、あきれ気味の応答をする。


「街に入りたいんだよ。そっちはこれから狩りでもするのかい?」


「はぁ? 狩り? いやいやいや、日が暮れてから外出るとか、そんな危ないことするわけないだろう! 今の時間帯はモンスターの巣窟になってるんだぞ!」


 兵士風の男はとんでもないと言う様に手を顔の前で振り、大げさに否定した。その形相の必死さは聞いたこちらが面食らってしまうほどだった。


 確かに夜はモンスターが活性化し、昼間よりも遭遇エンカウント率が高くなったり強力なモンスターが出たりする。それは事実だ。とはいえ照明魔法や暗視スキルを充実させておけば戦闘の感覚自体はそう変わらない。男の反応はいくらなんでもオーバーだろう。


 それに、外に出ないというのなら何故ここにいるのだろうか。当然のことだが守衛室にはモンスターも出ないしレアアイテムも落ちていない。たった四時間の接続をこんなところで過ごすのは無駄以外の何物でもなく、疑問を感じさせる。


 初心者が街の探索でもしていたのか、そう考えたものの、男のつけている装備はそれなりに要求筋力値があるように見えた。他人が育てたキャラを使っているという線もない。SCOではキャラ登録時にプレイヤーの脳波を計測し、他人がそのアバターを使うことができないようになっている。


「……まあいいけどね。出ないならとりあえずそこをどいてくれ。少しばかり急ぎの用事があるんだ」


 クロノも同じように首を傾げていたが、とりあえずは疑問を脇に置くことにしたようだった。他人の事情を深く詮索しないのもマナーの一つなので妥当な判断ではあるだろう。単に聞くのを面倒くさがっただけかも知れないが。


 兵士の体を強引に押しのけ、そのまま扉をくぐろうとする。


「あ、待て、勝手に入るな!」


 しかし腕をつかまれ、引き止められてしまう。


「なんだよ」


 クロノは不快感を隠すことなく眉を顰めて睨んだ。連続した異常事態に気が立っていたのだろう、その視線はかなり鋭い。


 男は一瞬ひるんだように腰を引かせたが、しかし気丈にも自らの主張を口にした。


「悪いが入れることはできない。この街は夜間の出入りを禁止している」


「はあ…………?」


 何をふざけたことを言っている? それが、言葉を聞いて最初に思ったことだった。


 真面目な顔をして何を言うのかと思いきや、内容のあまりの突飛さに聞き手は怒りも忘れてしばらく黙ってしまった。


 我に返ると、男の腕を振り払い険のある声色で言う。


「……それはゲームの設定上での話だろ。変なこと言ってないで早く通してくれ」


「いや、だからできないんだって! 規則なんだよ!」


「しつこいな。NPCじゃあるまいし、何なんだよあんた」


「え、えぬぴーしー? 何のことか知らんがオレは門番だ、ここを守る義務がある!」


 そう叫ぶと、男は通路をふさぐようにして中央に立った。扉の内側の壁に立てかけてあった槍を手に取ると、鈍色に光る穂先をクロノに突きつける。


 本気の目だった。


 俺たちが再び無理に中に入ろうとすれば、彼は迷いなく攻撃してくるだろう。


 もっとも、それは相棒の方も同じようだった。迫力だけならば先程の赤猿や、廃墟で戦った悪魔の方が何倍も上なのだ。男の行動に驚きこそすれ恐怖は微塵も感じている様子はなく、さらに眉を吊り上げ声を荒げる。


「門番って……あんた一般プレイヤーだろ。馬鹿じゃないのか、ロールプレイもいい加減にしろよ、これ以上続けるならハラスメント行為でGMに訴えるぞ!」


「いい加減にするのはどっちだ! ここは通せないと、そう言っている!」


「このっ……!」


 ついにクロノも背中の長杖を取り出してしまった。魔術師はステータス的には近接に弱いが、スキル熟練度を上げると事前に呪文を唱えておいて効果を待機させておく遅延ディレイや、詠唱そのものをカットする無詠唱などといったものも出てくるので一概にそうとは言えない。


 それになにより、兵士の男のレベルは装備から推測するにそれほど高くない。初心者というほどでもないが、かといってベテランでもない。このまま放っておけば間違いなくクロノは一撃で彼のHPを散らすことだろう。


「最後にもう一度だけ言うよ。そこをどけ。じゃなきゃ悪いけど消えてもらう他ない」


 杖の周りに青白いスパークが弾ける。


 少々過激ではあるものの、クロノの訴えは正当なもののはずだった。こうして狭い場所に陣取り通行の邪魔をするのは立派な迷惑行為に該当する。ここで魔法を放てばシステム的には先に攻撃したクロノが悪という事になるだろうが、後で運営に事情を話しプレイヤーの座標ログを確認してもらえばすぐに犯罪者カーソルは解除されるだろう。


 ――これがゲームの中なら、だが。


「よせ」


 今にも攻撃を始めそうな相棒の肩をつかみ、制止する。振り返ったクロノが、なぜ、と視線だけで問いかけてくる。


 しかし、俺はすぐに答えを返すことができなかった。もちろん用意はしていた。理由なく止めたわけではない。ただ、それを言うには多量の勇気が必要だった。


 俺も、そしておそらくクロノも、気づいていながら目を逸らし続けていたことだけに。


「…………っ」


 口にすると全てを認めてしまうような気がして、俺はためらった。だが、いつまでもそうしている訳にもいかない。


「……こんなことで、お前を〈殺人犯〉にするわけにはいかない」


「は……さつ、じん? 何を言って……」


 俺の言葉にクロノは戸惑ったような表情を浮かべた。


 当然だろう、ただ単にPKを指すには重すぎる表現だ。仮想世界で何度HPをゼロにしようと、蘇生ポイントで復活できる。デスペナルティとてキャラステータスに影響するだけで、真の意味での命には何の関わりもない。


 けれど。


「お前だって、本当はもう分かっているはずだ」


「何を……」


「これはもう、ただのゲームじゃないってことをだよ」


 それを聞いた瞬間、クロノの瞳には不安、恐怖、焦り、様々な感情が浮かび上がった。そしてそれら全てを覆い隠すようにして苛立ちをあらわにした。


「何を言うかと思えば……ただのゲームじゃない? じゃあなんだ、あの小説みたいにデスゲームでも始まったとでも? 確かに変なことは色々起きてるけどね、それはあり得ないってついさっき話し合ったばかりじゃないか」


「違う。デスゲームではない。似てるけど、ある意味もっとたちが悪いものだ。なんせクリアしたら終わりというルールもないんだからな」


 俺は、ついに核心を衝く一言を述べようとした。


「この世界は――」


「嘘だ!!」


 しかし叫び声にかき消される。


「あり得ない、馬鹿げてる、そんなのはネット上の都市伝説だろ。それならまだデスゲームだって言われたほうが説得力あるよ」


「クロノ……」


 信じない、信じたくない、そんな彼の気持ちは痛いほどよく分かった。なんせ俺自身がそうなのだ。ただ、そう主張する心の声を簡単に掻き消すほど、数十分前の経験が衝撃的だったというだけで。


 あのとき俺は、殺し、奪った。


 自分の頬に触れてみる。そこには、ぬぐってもなお残る血痕があった。擦ると、乾いた赤色がぱらぱらと落ちてゆく。


 これだ。この、いまだ立ちのぼる鉄錆の匂いが俺の目をこじ開け、耳を塞いだ手をはがすのだ。欺瞞を許さず、根こそぎ破壊して現実というものを突きつけてくる。


 あんなにも巨大な生き物を殺したのは初めてだった。何も体格で命の価値が決まるわけではないし、間接的になら毎日俺たちは牛や豚を殺している。けれど、やはりあの肉を断ち切る感覚は何かが違うような気がした。ずしりと、そう、命の重さとでも呼ぶべきものが肩にのしかかっているのだ。


 それは好んで友人に背負わせたいようなものではなかったが、どうせ時の経過が目を逸らしきれない証拠となる。すぐに帰れると思い続け、徐々に絶望していくというよりは、早いうちに認めてしまったほうが楽だろう。


 そう考え、俺は普段からつけているグローブを外し、裸になった手をクロノの前に出した。


「見ろ」


 何も反応を返さないのは、どういう意図があってこうしているのかを分かっているからだろうか。


「これがVRの、仮想の手に見えるか? 見えないだろ? そういうことなんだよ!」


 汚い手だった。細かい皺に無数の産毛、皮膚の下には薄く血管が透けて見える。ポリゴンで構成された小奇麗な手とは似ても似つかない、生身の手。


 それは〈あの現象〉が起きた後、クロノに感じた違和の正体だった。


 これだけではない。よくよく見てみると、髪形や瞳の色などは変わりないのだが、顔の造形が現実世界のものになっていたのだ。


 SCOで扱うアバターは、機械が読み取った本人の顔を様々なツールを用いて変化させてゆくというものだ。大半のプレイヤーは全くの別人に思えるほどいじるのだが、俺とクロノは仮想と現実のギャップに馴れずほとんどそのままにセットしていた。そのため気がつくのが遅れたが、よくよく確かめてみると微妙にいじった部分が元に戻っていた。


 つまりはそういうことなのだ。


 砂嵐めいたノイズ、不可解な転移、消えたログアウトボタン、GM、出るはずのないモンスターの死体、どう見てもポリゴンではないこの体……。


「認めるしかないだろうが!」


 俺はいつしか震える声で叫んでいた。


 正直に言おう、それは半分八つ当たりのようなものだった。俺はクロノのためと言い訳しながら、同時に行き場のない感情をぶつけていたのだ。


「嘘だ……」


 先程と同じようにクロノは否定した。だが、その勢いは明らかに弱い。


「ヒカガクテキの一言に尽きる推論だ。VRは、あの機械はただデジタル信号を変換して脳に送り込み五感を刺激している、言い換えれば脳を騙しているだけで、魂まで運んでいるわけじゃない」


 正論だ。常識的に考えれば、おかしいことを言っているのは俺のほうだろう。しかし、もはやクロノも自分に言い聞かせているような状態だった。


「あり得ないよ……」


 それを最後に、黙ってしまう。俺もまた高ぶった気持ちを静めるため口をつぐんだ。湿り気を帯びた地面に座り込み、ぼんやりと空を見上げる。


 剣と魔法の世界。憧れていた場所。願った夢。叶えられた現実。


 空想、夢想と諦めていたことの実現に、歓喜するべきなのかもしれない。けれど全てが突然すぎた。口うるさい両親、本の虫の兄貴、馬鹿な話で盛り上がる友人たち……何もかもが、ほんの数時間の間に手の届かない過去のものとなった。


 厳しくも暖かな繋がりが、断たれた。


 夢の代償は、現実世界の全てだった。


 ……しばらくそうしていた後、ふと気づく。


 視界の端ではすっかり置いてきぼりにされた兵士の男が気まずそうに立っていた。中途半端に構えた槍は向ける相手を失い、だらりと下げられている。


 それもそうだろう、彼からすれば夜中に話の通じない冒険者風のガキ共が押し寄せてきて、それでも何とか職務を遂行しようとしたら今度は仲間割れを起こしたのだ。あげくにこの沈黙。逆の立場なら勘弁してくれと泣き出したくなる。


 扉を閉じて中に引きこもってしまえば簡単なのだが、男は人が良いのか単にヘタレなのかその行動には移らない。情けない顔で視線を俺たち二人に行き来させ、こちらと目が合うと逸らすという繰り返しだ。


 ――そんな彼にとっての救いは、意外と早く訪れた。


「おいおい、一体何の騒ぎだ?」


 その声が聞こえた途端、兵士の男は顔を輝かせ扉の内側に目を向けた。敬礼したところを見ると上司か何かだろう。


 果たして足音とともに出てきたのは、兵士よりもさらに一回り大柄な男性だった。上等な装備と、それに見合っただけの実力をうかがわせる戦士の風格。年齢は四十代後半といったところだろうか、短く刈った茶髪に青い両目といった西洋風の顔立ちをしている。


「何があった?」


 彼は状況を見て、とりあえずは部下に話を聞くことにしたようだ。実は……と話し出す兵士の声を――座っているが――立ち聞きすると、やはり俺たちは意味の分からない存在として理解されていたらしい。申し訳ないとは思うものの、かといって今は精神肉体ともに疲労していて、弁解も謝罪もする気が起きない。


「ふむ……」


 一通りの内容を聞いた上司の男は、どういう意味がこめられているのか分かりにくい相槌を打つと、無精髭を撫でながら今度はこちらへと近づいてきた。しかし、よほど絶望に染まった表情をしていたのだろうか、彼は俺たちの顔色を見ると小さく眉を動かして言った。


「話は中で聞こう」


「ギリアムさん!? しかしそれは……」


「なに、守衛室までなら問題はない。夜来た旅人はそこで一泊してもらうのが普通だ。放っておいて明日二人の死体が転がっていても目覚めが悪いだろう」


「ですが、暴れるかもしれません」


「そのときはオレが止める」


 有無を言わさぬ口調で言い切ると、ギリアムと呼ばれた男は手を差し出してきた。


「君らはどうだ。温かい茶と多少の飯くらいなら出すが」


「……乗った」


 食事はともかく、簡易とはいえ室内に入れるのはありがたい。魅力的な提案に俺は即座にその手を取った。


 掌の皴のざらつき、皮膚越しに感じる血液の脈動、それはVRでも再現しきれない繊細な感覚だった。

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