Prologue__2
自らの腕で剣をふるい、立ちはだかるモンスターを屠る。各地を旅し人々と友好を深めながら、伝承の謎を紐解いてゆく。
VirtualReality――一昔前までは架空の存在だった、そして二〇四三年九月に軍事でも医療でもなく、なんと家庭用ゲーム機器として実際に開発された技術がそれを可能にした。
従来のマシンがABボタンや十字キーなどといったもので操作されるのに対し、その新たなゲームハードは、脳が発する肉体への命令そのものを直接汲み取って仮想体を動かすデジタル信号に変換する。ヘッドギア型のVR接続装置を頭にかぶり電源を入れれば、途端にプレイヤーは各々が作成したアバター〈そのもの〉となってゲーム世界に飛び込むことができるのだ。
五感情報すべての再現。
現実とまったく同じ感覚で動ける、その夢のような体験はゲーマーたちを魅了した。俺自身、初めて仮想世界に降り立ったときの感動は今でもよく覚えている。その衝撃たるや、一瞬現実の存在を忘れてしまうほどだった。
――とはいえ。
画期的技術と目されたVRにも問題がなかったわけではない。いやむしろ、問題の塊だったといっても過言ではないだろう。
いくつかあるが、その最たるものはソフトとの格差である。VRは三次元の再現を可能とした分要求されるデータ量が莫大になるという欠点が存在し、そのため初期に発売されたソフトの質は低くハードの性能を生かしきれないというようなことが続いたのだ。
俺が最初に入った仮想世界はゲームというより、実在する土地の風景を再現したという環境タイトルだった。そのためグラフィックはともかく、実際に行動できる範囲はごく狭い。
逆に広さを優先すると画質が劣化する。せっかくの立体描写がマネキンに写真を貼り付けたような薄っぺらさではプレイヤーも興醒めだろう。それならば大人しく既存のモニターゲームをやっていたほうがまだ面白いというものだ。
機構の斬新さゆえに、これまでのゲーム製作における常識がほとんど通用しない。すると企業が離れ、ユーザーが離れ、それから半年間、VRはそれ以上の進化を見せることなく次第に過去のものとなっていった。
〈その知らせ〉があるまでは。
VRワールドを制御するコアプログラムの小型化。それに伴って製作が開始されたVRMMORPG《仮想大規模オンラインロールプレイングゲーム》――〈ソウルクレイドル・オンライン〉。
当初は、開発会社が大手でないということもあって疑う声が多かった。何しろVRは実際にログインしてみなければ出来がわかりにくい。公式ホームページにはゲーム内の写真も載っていたが、平面と立体では見え方がまるで違うため信用が置けない。
ベータテストプレイヤー……つまりは正式サービス前の最終チェックに参加する人員の募集も、一度期待を裏切られた経験から多くのゲーマーは尻込みし、ろくに集まらなかったらしい。
俺もまた同じことを考えたのだが、どうせやってるゲームもないからと気まぐれで応募を決めた。募集は先着順だったため、告知当日に申し込みした俺は勿論当選し、それから数ヵ月ほどしてパッケージが送られてきた。
ゲームの舞台となるのは、科学の代わりに魔法を中心とした文明を築いてきた異世界だ。プレイヤーは冒険者となって己を磨き、力を蓄え、モンスターの徘徊する危険なダンジョンを制覇してゆく。
特に目新しい要素があるわけでもない、レベル・スキル併用性の単純なファンタジーMMO。
しかしVRではそれこそが難しい。何しろ数千、数万のプレイヤーが同時接続する前提だ、全員が狭苦しさを感じることなくゲームを楽しめるようにとすると相当な規模のマップデータが必要となる。
ただでさえこれまでのノウハウが通用しないというのに、そんなもの一体どれだけの労力を費やせばいいのか、想像するだけで目眩がしてくる。営利目的で挑戦するにはあまりにリスクの大きいジャンル。それが、大多数の人がVRに持つ認識だった。
当然、SCOの開発元もその程度のことは知っているだろう。知った上でリリースしてきたのだから、これはもう余程の馬鹿か自信家でしかあり得ない。さてどうなることやらと、俺は生身からアバターへと意識を移し――広がる世界に圧倒された。
かつて見た環境タイトル以上の、鮮やかな現実感。木の葉一枚、小石一つに至る細部まで作りこまれた、本物と見紛うばかりのグラフィック。
目を疑った。ぼんやりして別のディスクを入れてしまったかとも思ったし、何かの間違いではとフィールドをがむしゃらに駆け回ってみたりもした。どうやら本当に本当らしいと確信するまでに丸一日かかった。
それからのことは言うまでもないだろう。俺はSCOに、真の仮想世界の魅力に取り付かれた。
家にいる間はほとんどダイブして過ごし、深夜にログアウトして最低限の睡眠だけとる。学校では授業そっちのけでキャラの育成方法を考え、ノートには板書の代わりにゲーム内容に関する考察を書き記す。当時の生活すべてがSCOを中心に回っていたといっても過言ではない。
「どっちが現実だかわからない生活をしている」とは、そんな俺を見ていた兄の言だ。
全くその通りで、俺にとってもはやこのゲームは単なる遊びではなくなっていた。いわば、もう一つの現実、もう一つの人生とも呼ぶべき存在。あっという間にテスト期間が終わり、データがリセットされたときには魂の一部を持っていかれたかのような喪失感すら覚えたものである。
その後、二〇四五年一月には正式版パッケージの販売がされた。
ベータの評判が口コミで広がったらしく今度は瞬く間に完売したらしい。もっとも、俺はそちらの騒ぎには参加していないが。テスターには優先購入権という特典がついていたのだ。
当然購入、即日ログインし、俺は再び剣一本を携えて果てしない冒険への一歩を踏み出した。
それが中学二年の冬のこと。現在の日付は二〇四七年六月七日。
俺は、未だここで剣を振っている。
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光の矢が骸骨戦士の頭蓋を抉りとり、骨の体を無数のポリゴン片へと変えた。
同時に、周囲にいつもはない荘厳なファンファーレが鳴り響く……といってもそう感じるだけで、実際にはこの音は自分にだけ聞こえる仕様なのだが。
目の前には見慣れたフォントで、今の戦闘において入手した経験値とアイテム名、そしてレベルアップを知らせる表示がなされていた。口笛なぞ吹いている様子を見ると、クロノも同じタイミングで上がったらしい。俺は緩む口元を隠せないまま近くに寄った。
「やったな。これで何レベルだっけ、お前」
プレイヤー同士での戦闘、PKを認めているこのゲームではレベルやスキルといった個人情報は生命線だ。しかしこいつとはリアルでも親しく、不定期的とはいえこうしてパーティーを組むような仲である。今更隠し立てもなにもない。
「69だよ。ユトは?」
クロノがあっさりと答えたように、俺もまた何でもなく返す。
「87になった」
「……相変わらず無茶苦茶だね、君は。そりゃあ僕は古参プレイヤーの中では弱い方だけど、それでも20レベ近くも差がついてるとか。いくら何でもやりすぎだろ」
このレベルホリックめ、という言葉には苦笑で応えるほかなかった。
SCOのマップ拡張は、ボスを倒し、ダンジョンをクリアするごとに新たなエリアが開放されるという方式を取っている。そのため最新の、つまりはもっとも強力なモンスターが跋扈する区域を最前線、そこを探索するものを攻略組と呼んでいるのだが、レベル87という数値はその中でもさらに上位に位置している。
つまりそれだけの戦闘を重ねてきたということであり、言い訳などできるはずもないのだ。
「いくらベータの経験と〈ダイブ接続制限〉があるからったってね……ユトが戦闘系イベント以外に出てるのってほとんど見たことないよ」
「うーん、普通の祭りみたいなのは賞金賞品も大したことないからなあ。経験値稼ぎしてるほうが楽しいんだよ」
「うわぁ、重症だ……」
ベータテスト。
ダイブ接続制限。
それが、掛けた時間がそのまま強さになるMMORPGで、学生の俺が高レベル帯にいられる理由である。
前者については説明するまでもないだろう。テスターには危険なエリア、安全なルート、モンスターの弱点、レアアイテムの入手場所などといったゲームに必要なあらゆる知識と、そして何よりVR内での戦闘経験というアドバンテージが存在する。
コントローラーの無いこの世界での強さは単なる数字ではなく、自身の技量というものが深く影響してくるため、一般プレイヤーが慣れずに四苦八苦している間に俺たちベータ経験者は初期から大きな差をつけたというわけだ。
そして後者。こちらはベータのときにはなかったものであり、その発端はテスト期間中ヘビープレイのあまり栄養失調で倒れた奴が居たことによる。
VRは五感の全て、味覚とそれに伴う満腹感までをも再現してしまうため、ゲーム内での食事に満足し現実でのそれを怠ったことが原因らしい。倒れているところを家族がすぐに発見したからよかったものの、下手をすれば死亡も有り得たということで運営側はこの事態を重く受け止めた。
一日四時間、それが規定されたVR接続制限時間だ。味覚を消すという案も出たらしいが、そもそも長時間のダイブは筋力低下など様々な問題があるということでそうなったようだ。
この知らせは俺を含む多くのユーザーを残念がらせた。しかし同時に、限られた時間内でどう行動するかが攻略の鍵となったわけでもあった。いままでのレベル制オンラインゲームでは、言っては何だが暇な奴ほど有利だったのだ。
そんな中、どうせなら最強を目指してみようと考えるプレイヤーが出てくるのもある意味当然の流れで、俺もそのうちの一人だった。接続時間のほとんどをレベル上げに費やした結果、今の〈ユト〉がいる。
「別に、それが悪いとは言わないけどね。けどいくら何でも上げすぎじゃないかい?」
「そうでもないだろ。俺は基本的に単独プレイだからな。このくらいじゃないと最前線ではやっていけないし、それに、もっと強い奴らだっている。〈時の旅団〉のとこのガゼルなんて90越えてるんじゃないか?」
俺は有名なグループのリーダーを務める男の名を出した。最強の二文字を冠するとすれば、まず間違いなく奴だろう。事実、いつか行われた武道大会では圧倒的な力でもって優勝を果たしていたはずだ。
そのとき俺はどうしても外せない用事があって泣く泣く出場を断念したのだが、もし出られていたとしても他の参加者たちと同じように地に這いつくばっていたことだろう。
「さすがに90はないと思うけど」
「それでも俺より強いことは確実だろ。あれに勝つのが当面の目標だよ。ただ、これ以上はさすがに時間がとれないんだよなぁ……」
制限があるとはいえ、四時間だ。休日ならともかく学生が毎日それだけの自由時間をつくるのはなかなか難しい。あまり勉学をおろそかにしていると両親が回線そのものを切断してしまいかねない。もしそんなことになればガゼルを倒すどころか最前線にいられるかどうかすら危うくなる。
「贅沢な悩みだねえ。レベル80越えしている人なんて、SCO全体で見てもほんの一握りだけだと思うけど……それじゃ満足できないのかい?」
問い掛ける声には明らかな呆れが混じっていた。
華やかなイベント類には一切目を向けず、ただひたすらに戦闘情報のみを集め、子供じみた〈強さへの欲求〉を満たそうとする俺は、他のプレイヤーからするとどこか滑稽なものとして映っているのかもしれない。
「いや、ほら、ゲームの中でくらい最強を目指してみたいっていうかだな……」
言い訳にもなっていない言葉を口にしながら、気恥ずかしさに頬をかく。
たぶん俺はこのゲームの内に、幼少の頃見た夢の続きを探しているのだと思う。現実で勇者や英雄になりたいと願ってもまず叶うことはない、けれどこの世界なら、と。
「まあ、たかが仮想世界の出来事、数字の増減にすぎないってのは分かってるんだけどさ」
それでも、たとえ幻想の力と分かっていても、一度手にしてしまった以上失いたくないものなのだ。
いっそ――〈こちら側〉が現実ならいいと思ってしまうほどに。
我ながら頭の悪い考えであるとは思うものの、確かにそれは本心からの望みだった。
俺は視線をクロノから外し中空へと向けた。そこにはデジタル数字で強制ログアウトまでのカウントダウン表示がなされている。これがゼロになったとき、俺は現実に引き戻される。
ゲーム世界への突入、ゲーマーの夢を叶える機械、そんなキャッチコピーは俺にとって半分本当で半分嘘だった。
いや、最初は本当だったのだ。ただ純粋に〈ゲームとして〉ここでの生活を楽しんでいた。けれど、そのことに物足りなさを感じるようになったのはいつからだろう。この世界を好きになれば好きになるほど、ログアウトしたときの空虚感は大きくなる。所詮偽物なのだと強く認識させられる。
俺がレベルホリックと言われるほど戦闘を繰り返す理由の一端も、そこにあるのだと思う。ギリギリの戦い、命のやり取りをしている間だけは、あたかも自分が本当の剣士であるかのように錯覚できるのだ。
ゲームや本を楽しんだ後に感じる、自分もこんな生活をしてみたいというような思い、異世界への憧れはVRを通じてむしろ強くなっていったと言えるだろう。
そんなようなことを伝えると、
「なるほど、中二病だね」
身も蓋もない評価を貰い受けた。
自覚はあるが、人から言われるとまた違ったダメージがある。肩を落とす俺を笑い、しかしクロノはこう付け加えた。
「けどまあ、気持ちは分からないでもないかな」
意外な言葉に顔を上げる。
この世界はリアルすぎるんだよ、そう前置きしてクロノは言う。
「僕もね、ときどき〈クロノ〉が本当で、現実世界での自分の方が仮の存在だって感じてしまうことがある。そうすると、ログアウトして生身に戻ったら思うんだ。こんなときあの魔法が使えたら、とか。何でこんな軽い物が持てないんだろう、とか」
「……自分の貧弱さに失望する、ってことか?」
「そう。現実にステータス補正はないからね。自分が凡俗な存在である世界と、超人であれる世界。どっちを選ぶかって聞かれたら当然後者だ。だからまあ、ここにずっと居たくなるっていうのも理解できる」
なるほど、と思う。そもそもRPGとは、直訳すると『役割を演じる遊び』である。現実に不満や劣等感があればあるほど嵌りやすく、特にVRの場合それが顕著に現れるわけだ。
俺の場合は、退屈な日常からの逃避といったところだろうか。
「まあもっとも、ここが本当に異世界だったら、常に死の危険と隣り合わせの生活を送ることになるだろうけどね」
「ははっ、それもそうだな。街から一歩出たらモンスターがいる環境はぞっとしない。けど、今のレベルならそう簡単にやられることもないだろ。傭兵になって、モンスターを倒して日銭を稼ぐってのも悪くはないんじゃないか?」
「そうだね、僕らならパーティーとしてのバランスもいいし。本当に魔法が使えるようになるのは結構面白そうかな」
日々命を脅かされる、スリルに溢れた暮らし。
そんなものを羨むなど、平和な国に生まれたからこそ言えるガキの戯言なのだろう。けれど、想像の中の生活は実に楽しそうだった。
仮想を現実に。このとき俺たちは、確かに願ったのだ。
そして――世界はそれを受け入れた。