表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プラスチック・ブルー  作者: いわたとおる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/3

3 『ダンゴムシの可動域』

     3 『ダンゴムシの可動域』


 梅雨入り前の空気は、重たくて粘度が高い。

 放課後の生物準備室も例外ではなかった。換気扇が古びた音を立てて回っているが、湿気は部屋の隅々にまで澱んでいる。

 僕は作業台に向かい、RGガンダムの腰部フレームの仮組みを行なっていた。

 一ミリにも満たない極小のパーツをピンセットで摘まみ、指定されたダボ穴に差し込む。カチリという微かな感触だけが、この世界の正しさを証明してくれる。

 背後で、ページを(めく)る音がした。

 月島レイナだ。

 彼女はこの数日、毎日のようにここに来ている。生徒会が終わったであろう後に。

 最初は警戒していた僕も、彼女が本当に何もしない――ただ椅子に座って本を読んだり、スマホをいじったりしているだけ――だと分かってからは、空気のような存在として受け入れ始めていた。

 ただ、今日の彼女は少し違っていた。

 いつものように参考書を開くのではなく、鞄をごそごそとまさぐり、何かを取り出したかと思うと、それを僕の作業スペースの端に、コロンと転がしたのだ。

「……なんだ、これ」

 僕は作業用ルーペを跳ね上げ、転がってきた物体を見た。直径七センチほどの、黒い球体。プラスチック製だが、表面には光沢のある甲殻のような(モールド)が刻まれている。

「お土産」

 月島レイナは、頬杖をついたまま悪戯っぽく言った。

「駅前のスーパーの入り口で見つけたの。五〇〇円もしたんだから」

「……ガシャポンか」

 僕はその球体を手に取った。ずっしりとした重み。そして、精巧な作り。

 見覚えがある。いや、ネットの模型ニュースで見たことがあった。バンダイのガシャポン開発部が狂気じみた情熱で開発したという、『だんごむし』だ。カプセルレス(容器に入っておらず、この状態で排出される)仕様の、10/1スケールモデル。

「……バンダイか」

 世界最高峰の射出成形技術を持ちながら、時折その情熱を不可解な方向へ全力で振り切る狂気のメーカー。かつて『ウンコスルデイズ』などという――その名の通り「うんこ」をテーマにした――玩具を大真面目に発売した前科もある。

 技術力の無駄遣いここに極まれり。だが、このダンゴムシもまた、その系譜に連なる「偉大なる暴走」が生んだオーパーツと言えるだろう。

「なんでまた、こんなものを」

「目が合ったの」

 彼女はふふ、と笑った。

「機械の中にぎっしり詰まっててさ。みんな丸まって、じっとしてるのが可愛くて。つい回しちゃった」

 優等生の生徒会長が放課後のスーパーで一人、ガシャポンのハンドルを回している姿を想像する。それは校則違反ではないが、彼女のパブリックイメージからは程遠い光景だった。

「開けてみてよ」

 促されて、僕は球体の隙間に指をかけた。 パカッ、という音と共にロックが外れる。僕の手の中で、球体だったものがジャラリと展開した。無数の脚。節のある背中。触角。一瞬にして、巨大なダンゴムシの姿が現れる。僕の開いた掌と同じくらいの大きさだ。

「うわ、キモッ」

 自分で買ってきたくせに、月島レイナが顔をしかめた。

「開くとやっぱりグロテスクだね。裏側の脚とか、リアルすぎて鳥肌立つ」

「……いや」

 僕は思わず、その裏側に見入っていた。

「これは……すごいな」

 僕はルーペを下ろし、その構造を拡大して観察した。

「なんだ、この設計……。外殻のパーツがスライドして重なるようになってる。R(曲線)の計算が完璧だ。丸まった時に一切の隙間ができないように、クリアランス(部品同士の空間)が調整されてる」

 僕はダンゴムシの背中を撫でた。滑らかなABS樹脂の感触。

「すごいぞ、月島。これはただのオモチャじゃない。工業デザインの傑作だ。この多重関節のギミックだけで、飯が三杯食える」

 僕が熱っぽく語ると、月島レイナはポカンとして、それから吹き出した。

「あはは! 佐藤くん、そこ?」

「そこだろ、どう見ても」

「普通は『キモい』か『可愛い』かの二択だよ。……関節のギミックで感動してる人、初めて見た」

 彼女は楽しそうに笑い、それから伸びてきた人差し指で、机の上のダンゴムシをツンとつついた。

「でもさ」

 笑いが収まると、彼女の声のトーンが少し下がった。

「なんか、羨ましいよね」

「羨ましい?」

「うん。……こうやって、綺麗な球体になれるのが」

 彼女はダンゴムシを手に取ると、器用な手つきで――最初は少し怖がりながら、すぐに慣れた様子で――再び丸い形に戻していった。

 カチ、カチ、と節が収納され、脚が隠され、完全な球体に戻る。外敵を拒絶する鉄壁の防御形態。

「嫌なことがあったら、こうやってクルッて丸まってさ。硬い殻で外側を全部シャットアウトして。……中は安全で、誰も入って来れない」

 彼女は丸くなったダンゴムシを、両手で包み込むように持った。

「私にもこういう機能がついてればいいのに」

 その言葉には、冗談めかした響きの中に、無視できない切実さが混じっていた。

「家にいるとさ、閉じこもることを許してもらえないの」

 彼女は独り言のように呟いた。

「ドアも、心も。ちょっとでも閉じようとすると、すぐにお母さんが来て、無理やりこじ開けようとするから」

 生徒会、進学クラス、母親の期待。彼女を取り巻く世界は、常に彼女に「開いていること」を強要する。笑顔で、オープンで、社交的であること。だからこそ、この節足動物の「拒絶のフォルム」に彼女は惹かれたのかもしれない。

「……人間には、殻がないからな」

 僕はルーペを置き、淡々と答えた。

「だから、服を着たり、化粧をしたりして、擬似的な殻を作るしかない」

「そうだね。……でも、私の殻は柔らかいから。すぐに凹んじゃう」

 彼女は球体を転がし、また机の上に置いた。

 コロン。黒い塊は何も語らず、ただそこに存在している。

「佐藤くん、これあげる」

「は?」

準備室(ここ)に置いておいて。持って帰ったら、お母さんに捨てられちゃうかもしれないし」

「おれにゴミを押し付けるな」

「ゴミじゃないよ。……守り神」

 彼女は悪戯っぽく、けれど、どこか真剣な目で僕を見た。

「私がここにいない時、私の代わりに丸まっててくれる係」

「なんだ、その係。意味が分からん」

「いいの。意味なんてなくて」

 彼女は満足そうに伸びをすると、また参考書を開いた。

 僕は机の上に残された、巨大なダンゴムシを見つめた。

 黒くて、硬くて、頑丈な球体。それは確かに、彼女が心のどこかで望んでいる「理想の姿」なのかもしれない。

 僕はため息を一つ()き、ダンゴムシをRGガンダムの箱の横に並べて置いた。

 1/144の白い兵器と、10/1の黒い節足動物。

 奇妙な組み合わせだが、不思議と収まりは悪くなかった。

「……可動域の参考資料としてなら、置いておいてやる」

「ふふ。素直じゃないね、佐藤くんは」

 微かな雨の匂いがする静寂の中、僕たちはそれぞれの作業に戻った。

 僕と彼女の間には、言葉にならない共感が――「社会という外敵から身を守りたい」という、ひっそりとした共犯意識が、ダンゴムシのように丸まって転がっていた。

 この時の僕はまだ知らなかった。

 彼女が欲しがっていた「硬い殻」が、逆に彼女自身を窒息させる(おり)になる日が、すぐそこまで迫っていることを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なんか、毎回小道具がただ出てくるだけじゃなくて、何らかのメタファーになってるのがすごいですね。少なくともここまでの3話には無駄を感じません。 作者さんが前に言っていた、テーマは「ガンプラ」と「美少女」…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ