第3話 ボス戦より親子喧嘩
翌朝、私は一つだけ誓って起きた。
――今日は、ママに頼りすぎない。
『おはよう、ひより。起きた? 体調は? 喉は乾いて――』
「おはよう! 元気! 大丈夫! まずは私がやる!」
言い切ると、天の声が一瞬止まった。
『……え?』
「だから、今日から“見守り”ね。約束」
『……分かった。見守る。見守るよ』
返事はした。
でも、声の端っこが、明らかにソワソワしている。
見守るって言った瞬間からすでに見守れてない。
私は宿の窓を開けて、深呼吸した。
朝の空気は冷たくて、木の匂いがした。
よし。今日は自分で考える。自分で選ぶ。自分で――
『ひより、窓際寒いから羽織って』
「もう! 見守るって言ったじゃん!」
『それは健康管理。干渉じゃない』
「干渉だよ!」
いきなり崩れた。
でも、ここで引いたら昨日の自立宣言が泣く。
「……行ってきます!」
『気をつけてね。あと朝ごは――』
「行ってきます!!」
ドアをバタンと閉めた瞬間、頭の中が静かになった。
……静か。
静かすぎて、逆に怖い。
いつもなら「右」「左」「段差」「水分」と怒涛の指示が降ってくるのに、何もない。
私は足元を見て歩いた。えらい。私えらい。
ギルドに行くと、爽やか剣士と魔法使いと寝癖僧侶が待っていた。
「勇者様! 本日の依頼は――」
掲示板には「洞窟の魔物討伐」が貼られていた。
報酬が高い。危険度も高い。
そして、依頼主は“王城直々”。
嫌な予感しかしない。
「これは……魔王軍の斥候が出たらしいのです」魔法使いが言った。「放置すれば町が襲われる」
斥候。
つまり前哨戦。
魔王に近づいている。急に物語が進みすぎじゃない?
私は唾を飲み込んだ。
『……』
天の声は沈黙している。
見守り。見守り。見守り……してる。たぶん。
「行きます」
私が言うと、三人は頷いた。
勇者様、という目が眩しい。
心の中で私は叫ぶ。やめて、私そんなに強くない!
でも今日は言い訳しない。
私は勇者。私はできる。たぶん。
◆
洞窟は町から少し離れた山肌にあった。
入口から冷気が漏れていて、薄暗い。
足元には湿った石。水滴の音がする。
私は杖――いや、今日はちゃんと「槍」に持ち替えた。昨日、ギルドで買った。ほんの少しだけ立派になった。
これなら私の自力感がある。あるよね?
「勇者様、隊列は――」
「私が真ん中で」
前は剣士。後ろは僧侶。横に魔法使い。
王道パーティーっぽい。よし。
進む。
進む。
進む――
そして、洞窟の奥で、異音がした。
ごりっ、ぐちゅっ、と、何かが擦れる音。
獣の息づかい。
暗闇の向こうに、光る目。
「……来ます!」
剣士が叫んだ。
飛び出してきたのは、狼みたいな魔物。大きい。牙が長い。数も多い。
うわ、聞いてない。斥候ってこういう数なの?
「ひより様、回復は任せて!」
僧侶の少年が言う。
魔法使いが詠唱を始める。
剣士が前で受ける。
私は――
私は、思ったよりも動けなかった。
足がすくむ。視界が狭くなる。呼吸が浅い。
やばい。
怖い。
これが本物の戦闘だ。昨日のスライムとは別物。
『……ひより』
天の声が、ほんの少しだけ聞こえた。
私は喉の奥が詰まった。
言わないで。助けないで。今日は――
『――怖いのは当たり前。大丈夫。まず膝を曲げて、重心を落として』
「……っ」
言われた瞬間、身体が動いた。
悔しいのに、ありがたい。悔しいのに、助かる。
『今、左から来る。目だけで追わない。首ごと向けて』
私は槍を構えて、左に向いた。
魔物が跳びかかってくる。
「……っ!」
私は槍を突き出した。
当たった。手応えがあった。魔物が悲鳴を上げる。
そのまま剣士が斬り伏せる。
「ナイスです、勇者様!」
剣士が叫ぶ。
私は息を吸って、息を吐いて、次を見た。
今度は右。
魔法使いの火球が飛ぶ。
僧侶が回復を投げる。
私は――戦えてる。
怖いけど、戦えてる。
でも、魔物の数が減らない。
「多い……!」
魔法使いが眉を寄せた。
剣士も汗をかいている。
僧侶は詠唱で声が枯れかけてる。
そして。
洞窟の奥から、さらに重い足音が響いた。
ずん。
ずん。
ずん。
出てきたのは、狼じゃない。
狼の“親玉”みたいな、岩みたいにでかい魔物だった。
体に黒い鎧みたいな外皮。目は赤く光り、口から涎が垂れている。
「……あれが斥候?」
誰かが呟いた。
違う。あれは斥候じゃない。ボスだ。ボスっていう顔してる。
『ひより、落ち着いて』
「ママ……」
『ボス。強い。あなたたちだけだと危険』
天の声が、明らかに焦っている。
私の胸が痛くなる。
だから見守りって言ったのに。だから――
ボスが吠えた。
洞窟全体が震えた。
剣士が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「ぐっ……!」
「剣士さん!」
僧侶が走ろうとする。
でも別の魔物が道を塞ぐ。
魔法使いも詠唱が止まる。
私の目の前に、巨大な影が迫った。
死ぬ。
その単語が、はっきり浮かんだ。
槍を構える手が震える。
避けられる気がしない。
叫び声すら出ない。
『ひより!!!!』
天の声が、悲鳴みたいに叫んだ。
『――加護、追加!』
視界に文字が弾ける。
【加護:母の守護 付与】
【防御力 大幅上昇】
【回避補正 上昇】
【一度だけ致死ダメージ無効】
「……っ!」
次の瞬間、ボスの爪が私を叩きつけた。
痛いはずなのに、痛くない。
身体が飛ばされたのに、骨が折れてない。
私は転がりながら立ち上がった。
「……生きてる」
『生きてる。よかった。よかった……!』
ママの声が震えていた。
その震えで、私も震えた。
助かった。
でも――
「ママ!!」
私は叫んだ。洞窟の中で、はっきりと。
「見守るって言ったじゃん!!」
一瞬、戦場の空気が変になった。
剣士も、魔法使いも、僧侶も、えっ? という顔をする。
私は、今さら恥ずかしくなった。でも止まれない。
『……ひより』
「私だって! 私だってできるって言ったのに!」
『できる。できるよ。でも――』
「でもじゃない! ママはいつもそう! 危ないって言えば全部やる! 全部整える! 私の失敗も怖さも、全部先に潰す!!」
言いながら、涙が出た。
怖かった。ほんとに怖かった。
でも、怖さを感じることすら許されないみたいで、悔しかった。
『ひより、聞いて』
ママの声が、いつもの「段取り」じゃなくなった。
母の声だった。
『ママね、神になっても、母なの。あなたが死ぬ可能性があるなら、手が勝手に動く。止められない』
「……じゃあ私、ずっと守られるだけ?」
『違う』
ママの声が、息を吸う音がして、続いた。
『あなたが戦うのを、見てた。昨日も今日も。できてた。怖いのに、立ってた。ママは……それが誇らしかった』
胸が痛い。
涙が落ちる。
でもその瞬間――
ボスが、再び吠えた。
「ひより様! 会話してる場合じゃないです!」
僧侶が叫んだ。
そうだ。今、親子喧嘩してる場合じゃない。魔王より先に私が怒られる。
私は頬をこすって、槍を握り直した。
「……分かった」
『ひより』
「ママ、追加の加護は、もういらない」
『……』
「その代わり――“一言だけ”教えて。どうやったらあいつ倒せる?」
天の声が、静かになった。
短い沈黙。
『……右足の関節。外皮が薄い。そこを狙って。今、剣士さんが左を引きつける。魔法は目を眩ませる。あなたは――突く』
「了解」
私は走った。
剣士が痛みに耐えながら立ち上がり、ボスの前に飛び込む。
「こっちだ、化け物!」
魔法使いが火ではなく、光の魔法を放つ。
ボスが目を細めた。
その隙に。
私は滑り込むようにボスの右足へ。
関節。外皮が薄い場所。
槍を――
「うおおおお!!」
叫び声は、勇者らしくないかもしれない。
でも今は、かっこよさより、生きること。
槍が刺さった。
ずぶっ、と感触。
ボスが悲鳴を上げ、体勢を崩す。
「今です!」
剣士が一気に斬り込む。
魔法使いの追撃が走る。
僧侶の光が味方を支える。
ボスが倒れた。
洞窟が、静かになった。
しばらく誰も動けなかった。
そして、剣士が笑った。
「……さすが勇者様」
私は肩で息をしながら、苦笑した。
「今のは……私の力、です」
嘘じゃない。
助けてもらった。でも最後に突いたのは私だ。
視界に表示が出る。
【ボス討伐】
【経験値 +500(×5)】
【レベル 3 → 8】
「……うわ、上がりすぎ」
『盛ってない。必要な分』
「必要な分って便利な言葉だね!」
私は思わず笑ってしまった。
泣いたあとに笑うと、顔が変になる。変になってもいい。ここは異世界だ。勇者だ。変な勇者がいてもいい。
◆
町に戻る途中、夕焼けが道を赤く染めていた。
みんな疲れていたけど、生きている。
それだけで、今日は勝ちだ。
宿に戻って、私は部屋に入るなりベッドに倒れ込んだ。
「……ママ」
『なに?』
「今日の、加護……ありがとう」
『……うん』
ママの返事が、少し鼻声だった。
泣いてるのかもしれない。神なのに。母なのに。
「でもさ」
『うん』
「次は、ほんとに“見守り”して」
『……努力する』
「努力なんだ……」
『だってママだもん』
「またそれ!」
私は枕を抱えて笑った。
そして、息を吐く。
「ねえママ」
『なに?』
「私さ、ちょっとだけ分かったかも。ママがずっと私にしてくれてたこと」
『……』
「うるさいし、過保護だし、段取り魔だし、神になっても変わらないけど」
『ひより、それ悪口?』
「褒めてる」
私は天井を見上げた。
知らない星が、今日も瞬いている。
「私、勇者として、ちゃんとやる。だからママは――」
『うん』
「うるさくしていい。ただし、必要なときだけ」
『……それ、すごく難しい注文』
「ママならできるでしょ。会社三つ経営してたんだから」
『……ひより』
ママの声が、ふっと笑った。
『あなた、成長したね』
「成長じゃなくて……異世界で鍛えられてるだけ!」
『それも成長』
「もう!」
私は布団を引き上げて目を閉じた。
ママの声は少し遠い。
でも確かにそこにある。
明日も戦う。
怖い。
でも、ひとりじゃない。
『ひより』
「なに?」
『ちゃんと寝なさい』
「……結局それ! 神の命令!」
『当然』
私は笑いながら眠りに落ちた。
異世界での私の冒険は、魔王より先に――
うるさい神様との付き合い方を学ぶ旅なのかもしれない。
(完)




