第2話 天の声の正体は母でした
異世界に来て最初の夜、私は王城の客室で寝かされた。ふかふかのベッド。豪華な天蓋。枕が四つ。
落ち着かない。落ち着かなさすぎる。
『ひより、寝てる?』
「寝てないよ……天井が高すぎて怖い」
『高いのはいいことよ。換気がしやすい』
「そういう問題じゃない!」
天の声――ママは、夜でも元気だった。いや、元気すぎた。
神様になったら夜勤とかないんですか。神界って労基ないの?
『さっき王様が渡した旅の支度金、確認した?』
「したよ。袋に入ってた」
『中身、数えた?』
「数えるの!?」
『当然。数えないと抜かれる可能性がある』
「王様が!? 抜くの!?」
『王様が抜かなくても、途中で盗まれる。だから分散して持つ。財布は二つ。あと靴の中に――』
「ママ! 異世界で防犯講座やめて!」
私は枕に顔を押しつけた。
でも、少しだけ安心してる自分もいて、それが悔しい。悔しいけど仕方ない。だって私は今、勇者で、しかも高校生で、しかも異世界で、しかも帰れるかどうか分からなくて――
『……ひより』
ふいにママの声がやわらかくなった。
『怖いよね。でも大丈夫。ママがついてる』
「……うん」
悔しいのに、返事してしまう。
それが、私の負けだ。
◆
翌朝。
旅立ちの準備は「王城が全部やってくれる」らしく、私はほとんど何もしないまま、隊商みたいな一団に混ざって城門を出た。
同行者は三人。
剣士の青年(やたら爽やか)、魔法使いの女の人(落ち着いてる)、僧侶の少年(寝癖がすごい)。
全員、私を見るたびに「勇者様!」と目を輝かせる。
いや、私、昨日まで普通の女子高生だったんだけど。
『勇者様、って呼ばれたときは、こう、軽く頷いて笑う』
「ママ、横で顔芸指導しないで」
『顔芸じゃない。コミュニケーション』
「コミュニケーションを顔の筋肉で管理しないで!」
隊商の外に出ると、道は土で、空が近くて、草の匂いが濃かった。
異世界だ――って、ようやく実感が湧いてくる。
実感が湧いてくると、次に湧くのは不安だ。
魔王。
旅。
命がけ。
私は、唾を飲み込んだ。
『ひより、深呼吸。肩の力を抜く。今はまだ、レベル上げの段階』
「……レベル上げって、ゲームじゃないんだから」
『ゲームみたいな表示出てたでしょう? 受け入れなさい』
ママが正論を言う。正論で殴ってくる。
神ってそういう存在なの?
そんな会話(会話なのかこれ)をしながら、私たちは最初の町へ向かった。
◆
町は思ったより普通だった。
石畳の道。露店。パンの匂い。走り回る子ども。
現代日本と違うのに、生活の音は同じで、少しだけほっとした。
そして、町の端にある「冒険者ギルド」へ。
「勇者様、まずはここで依頼を受け、実戦経験を積みましょう」
爽やか剣士が言った。
私は頷こうとした――その瞬間。
『ひより、入口の右から入って。左は――』
「ママ、今、なに?」
『左は“ぼったくり受付”』
「ぼったくり受付!? 制度として存在するの!?」
私は目を凝らす。
たしかに受付が二つある。右は列が長い。左は空いてる。
え、空いてるほうがぼったくりってなに。逆じゃない?
「……右にします」
「勇者様? 左が空いていますよ?」
「……右が好きです!」
私の声が裏返った。爽やか剣士が首を傾げる。
魔法使いの女の人が「勘が鋭いのね」と微笑んだ。やめて、持ち上げないで。ママのせいだから。
『ほら、危機回避できた。次は依頼の選び方。初心者は採取系――』
「ママ、うるさい!」
思わず口に出した。
ギルド内が一瞬、静かになった。
「……勇者様?」
僧侶の少年が不安そうに覗き込んでくる。
私は慌てて笑った。
「いや、えっと……独り言! 独り言です!」
『ひより、独り言は危険。周囲に誤解される。対策として――』
「対策を今言わないで!」
私の額に汗が浮かぶ。
これ、最悪だ。異世界で「天の声」聞こえてる勇者って、どう考えてもヤバい人だ。
受付で依頼書を見ていると、目の前に「スライム討伐」「薬草採取」「迷子の猫探し」みたいな、よくあるクエストが並んでいた。
『迷子の猫探しはダメ。時間かかる。スライムは経験値効率いい。薬草は安全』
「ママ、最適化しないで。ちょっとは冒険のロマンを……」
『ロマンで死なないで』
「うっ……」
また正論。
私は仕方なく「薬草採取」を選んだ。安全第一。ママが喜ぶ。悔しい。
◆
町の外れの森に入る。
木々の間から差す光が綺麗で、鳥の声がして、空気がひんやりしていた。
「勇者様、ここから先は魔物が出ます。油断せずに」
爽やか剣士が剣の柄に手を置く。
私は杖(木の棒)を握りしめた。昨日、王様から渡されたやつ。やっぱり木の棒だ。魔王が笑うわ。
『ひより、右足一歩下がって』
「え?」
言われた瞬間、私は反射的に右足を引いた。
次の瞬間、私の足元の地面が――ずぼっ、と沈んだ。
落とし穴。
「うわっ!」
間一髪。私の足は穴の縁にかかった。
爽やか剣士が顔色を変えて駆け寄る。
「勇者様! 大丈夫ですか!」
「だ、大丈夫……」
『言ったでしょう。森は危険。だから足元確認』
「ママ、いまドヤらないで!」
穴の中には尖った杭が見えた。
背筋が冷たくなった。もし一歩遅れてたら――
『ひより、顔色悪い。水分。あと糖分』
「ママ、ここ森!」
『携帯食、持ってるでしょう? ポケット確認』
「……ある」
昨日、ママが「非常食は必要」って言って、なぜか私の荷物にねじ込ませた干し肉。
この世界でも干し肉なのは笑うけど、今は助かった。
私は干し肉をかじりながら、思った。
ママ、ほんとに……うるさい。
でも……すごい。
◆
薬草を採取していると、草むらががさっと揺れた。
出た。
緑色のぷるぷるした、あれ。
「スライムです!」
僧侶の少年が叫ぶ。爽やか剣士が前に出る。魔法使いの女の人が詠唱を始める。
私は固まった。怖い。そりゃ怖い。異世界の初戦闘。
『ひより、深呼吸。スライムは弱い。弱いけど油断すると溶かされる。だから――』
「ママ、情報が怖い!」
『じゃあ簡潔に言う。顔を守って、距離を取って、横に動け』
「わ、分かった!」
私は横に動いた。
スライムがぴょん、と跳ねた。
――当たらない。
不自然なくらい、当たらない。
「……え?」
スライムの体当たりが、私の横を通り過ぎて空振りする。
もう一匹が襲ってきても、なぜかぎりぎり当たらない。
『命中率、少し下げておいた』
「やってる! ママ、やってるよ!」
『最低限』
「最低限が最低限じゃない!」
私がツッコミながら杖を振ると、杖がスライムに当たった。
ぷるん、と弾けて、スライムが消えた。
その瞬間、また表示が出る。
【経験値 +50(×5)】
【レベルアップ!】
【レベル 1 → 3】
「えっ、いきなり!?」
爽やか剣士たちが目を見開いた。
「勇者様……今の一撃で……!」
「さすが勇者……!」
やめて! 誤解! 私の一撃じゃなくてママの陰謀!
『ひより、今のはあなたの一撃よ』
「え?」
『あなたが振った。あなたが当てた。だからあなたの成果』
ママの声が珍しく、ちょっとだけ誇らしげだった。
『ほら、言ったでしょう。ひよりはできる』
胸が、きゅっとなった。
悔しいけど、嬉しい。悔しいのに、嬉しい。
「……ママ。私だって、それくらいできるよ」
『うん。知ってる』
……ずるい。
その返事はずるい。
◆
町に戻る道中、私の頭は忙しかった。
勇者としての現実。
ママが神様になった現実。
そして何より――
これから毎日、天の声で指示され続ける現実。
耐えられる気がしない。
でも、いないよりはずっといい。
その矛盾が、また私をぐるぐるさせた。
ギルドに依頼を報告し、報酬を受け取って宿に戻る。
部屋に入った途端、私はベッドに倒れ込んだ。
「はぁ……今日、疲れた」
『お疲れさま。ちゃんと水飲んだ?』
「飲んだよ!」
『歯は磨いた?』
「まだ!」
『じゃあ磨く。あと、足のマメ見せて』
「ママ、異世界で足のマメチェックやめて!」
私は枕を叩いた。
でもその瞬間、あることに気づく。
「……ねえママ」
『なに?』
「ママってさ、私に加護盛りすぎじゃない?」
『盛ってない。必要な分』
「必要って……世界のバランスとか、他の神様怒るでしょ」
『怒ってる』
「でしょ!?」
『でもね』
ママの声が、いつもの「段取りお母さん」から、少しだけ低くなる。
『ひよりが死んだら、誰が責任取るの? って言ったら黙った』
「圧がすごい……」
『圧じゃない。正論』
「正論の暴力!」
私は天井を見上げて、息を吐いた。
そして、決めた。
「ママ。明日から、ちょっとだけ静かにして」
『……え?』
「いや、うるさいからとかじゃなくて……うるさいけど。そうじゃなくて」
うまく言えない。
でも言わないと、ずっとこのままだ。私はずっと「ママに守られる勇者」のままだ。
「私、勇者なんだからさ。少しは……自分でやりたい」
『ひより』
ママの声が、止まった。
たぶん、ショックを受けてる。母親ってそういうところある。うちの母は特に。
「私だって、それくらいできるよ。だから……見守って」
沈黙。
そして、やっと。
『……分かった』
ママの声が、少しだけ小さくなる。
『じゃあ、約束。危ないときは言う。危ないときは絶対言う。いい?』
「……それくらいなら」
『よし。じゃあ寝なさい』
「そこは即命令なんだ……」
『神だから』
「神だからって便利に使わないで!」
私は笑ってしまった。
疲れてるのに、笑ってしまった。
異世界の夜は静かで、窓の外には知らない星が瞬いていた。
私は布団を引き上げて目を閉じる。
天の声が少しだけ遠くなって、それでも確かにそこにある。
うるさい。
でも――
私は、ひとりじゃない。
(つづく)




