第1話 神界採用面接と勇者召喚が同時進行
私の母――天城ママは、いわゆるスーパーママだ。
会社を三つ経営してるくせに、朝は五時に起きて弁当を作り、洗濯物を干し、なぜか玄関のたたきまで磨いてから私を起こす。しかもそれを「普通」みたいな顔でやる。
「ひより、遅刻するよ。起きて。あと前髪、右に流したほうがいい」
「ママ、私だってそれくらいできるよ……」
それが私の口ぐせになったのは、たぶん中学のころからだ。
母は悪気がない。むしろ愛が重い。重すぎる。重さで地球の自転がちょっと遅くなるんじゃないかってくらい。
その日もそうだった。
「買い物付き合って。五分で終わるから」
母の「五分」は信用してはいけない。五分で終わるのは、母の頭の中での工程表であって、現実では一時間半になる。
「……はいはい」
私は部活帰りのジャージのまま、近所のスーパーに付き合った。
吹奏楽部で今日も音を外して、副部長に笑われて、帰り道にちょっと落ち込んでいたけど、母は察していたのか、いつもよりやさしい声だった。
「今日、疲れてる? 無理しないでいいよ」
「大丈夫。……私だって、それくらい」
「うん。できるの知ってる。でも無理しないで。ママがやる」
ああ、またそれだ。
「できる」と言うと、「知ってる、でもママがやる」で返される。完璧な包囲網。逃げ道ゼロ。
スーパーでの買い物が終わり、母はレジ袋を両手に、さらに私のリュックまで持とうとした。
「それは自分で持つって!」
「いいの。ひよりは手を空けて周り見て」
「ママが一番周り見てないよ!」
そんなやりとりをしながら横断歩道を渡ろうとした、そのときだった。
ブレーキの音。
誰かの叫び声。
白いライトが視界を塗りつぶして――
世界が、ぶつんと切れた。
◆
次に目を開けたとき、私は石の床の上に寝ていた。冷たい。やけに冷たい。
天井は高くて、壁には意味のわからない紋章。周りには、鎧姿の人たちがずらりと並んでいる。
「……え?」
声を出した瞬間、喉がからからで変な音になった。
「おお……! 目覚めたか、勇者よ!」
目の前に、やたら装飾の多い王冠をかぶったおじさんがいた。横には、マントを羽織ったおじさん。後ろには、魔法使いっぽいローブのおばさん。
全員、やたら真剣で、やたら芝居がかっている。
「ゆ、勇者……?」
「そうだ! 我らはこの世界を滅ぼさんとする魔王を討つため、異世界より勇者を召喚した!」
「……ちょっと待って。え、異世界? ここどこ?」
「このアルディナ王国である!」
どこそれ。
思考が追いつかない。だってさっきまで横断歩道で――
私は飛び起きて、周りを見回した。
「ママは!? ママどこ!?」
鎧の人たちがざわついた。王様が咳払いする。
「……む? “まま”とは、そなたの世界の称号か?」
「称号じゃない! 母親! 一緒にいたの!」
胸がぎゅっとなった。
事故の瞬間の光が、頭の奥でまだちらついている。
王様は困ったように顔を見合わせ、隣の魔法使いっぽい人が口を開いた。
「召喚は一名のみ……のはずですが」
「はず、って……!」
そのとき、私の耳に、ふわっと声が落ちてきた。
『ひより!』
聞き慣れた声。
泣きそうになるくらい、聞き慣れた声。
「……ママ?」
『大丈夫? 痛いところは? 寒くない? 息できる?』
「ちょ、ちょっと待って。どこにいるの? え、今、聞こえたよね? 私の頭に!」
『聞こえてる。うん。よかった。ひより、生きてる』
「ママも!? 生きてるの!?」
『……それが、ね』
そこで声が一瞬、遠くなる。
私は周囲を忘れて、ただその声にしがみついた。
◆
一方そのころ。
天城ママは、真っ白な空間に立っていた。
足元は雲みたいにふわふわで、なのに滑らない。空気は澄みきっていて、鼻の奥が少しツンとする。ここがどこか、彼女はすぐ理解した。理解してしまった。
「……ここ、死後の世界?」
「正確には“神界”である」
振り向くと、光をまとった存在がいた。
人の形をしているのに、顔が認識できない。視線を合わせようとすると、焦点がずれる。
「あなたは?」
「この世界を司る神々の代表だ。まずは――」
「ひよりは?」
母は即座に切り込んだ。
代表神が言葉を詰まらせる。神なのに。
「……ふむ。話が早いな。あなたの娘は今、我らの世界に“勇者”として召喚された」
「は?」
母の目が細くなる。
神界の空気が一瞬だけピリついた気がした。
「勇者って……あの、魔王を倒すとかいう、死亡率高いやつ?」
「……概ねそうだが――」
「ちょっと待って。うちの娘、高校生。部活とテストで手いっぱい。魔王とか無理。無理です」
「しかし世界の危機である」
「危機なのは分かった。でも娘を使い捨てにするのは違う」
母の声は落ち着いている。落ち着いているのに圧がある。
代表神が咳払いをした。
「そこでだ。あなたに提案がある。あなたは異世界の能力が極めて高い。統計上、極めて――」
「娘を助けられるなら、何でもします」
「……よろしい。あなたを“新任神”として採用する」
「採用、って……面接?」
「面接である」
代表神が手をひと振りすると、空中に光の板が浮かび上がった。
履歴書みたいなフォーマットで、母の人生が箇条書きになっている。
・企業経営:3社
・家事スキル:SSS
・育児スキル:SSS
・危機管理:SSS
・段取り:SSS
・睡眠時間:3時間(異常)
「……寝てないのは、あなたの世界の仕様か?」
「仕様じゃないです。私がそうしてただけです」
「理解した。では神としての適性は十分――」
母は板の一番下に出てきた「娘の生存率:12%」という数値を見つけて、目が据わった。
「……十二?」
「勇者は命を落とすこともある。世界の均衡を保つため――」
「均衡の前に、娘の命でしょ」
母は笑顔のまま、詰めた。
「あなた、責任取れるんですか。ひよりが死んだら」
「……神に責任という概念は――」
「じゃあ私が取ります。責任。だから私に権限ください」
代表神が沈黙する。
周囲に控えていた他の神々――多分、風の神とか火の神とか、そういう人たちがざわついた。
「干渉が過ぎる!」
「勇者に加護を与えすぎれば、世界が歪む!」
「前例がない!」
母は一人ひとりの顔(見えない)に向かって言った。
「前例がないなら作ればいい。娘が死ぬ前に」
「……あなたは強引だ」
「会社経営、強引じゃないと回りません」
母はきっぱり言い切った。
「今から娘のステータス見せてください」
◆
私の耳に、またママの声が戻ってきた。
『ひより、聞いて。あなた今、勇者やってる』
「聞いてる。聞かされてる」
『あなたの初期装備、ひどい』
「そこ?」
『そこ。だってあの王様、布みたいな服と木の棒渡してない?』
「渡された……」
『無理。あれで魔王は無理。ママ、神界で採用された』
「情報量多い!」
私は頭を抱えた。
鎧の人たちは「勇者様が頭を……!」と勝手に心配している。違う、ママがうるさいだけ。
『ひより、落ち着いて。まず深呼吸。次に水を飲む。今のあなたの体、転移ストレスで――』
「ママ、私だってそれくらいできるよ!」
『うん。できる。知ってる。でもママが言う』
くっ……!
論理が完璧すぎて反論できない。
「勇者様、どうされましたか? もしや召喚の副作用が……」
魔法使いっぽいおばさんが近づいてきた。私は無理やり笑顔を作る。
「大丈夫です。ちょっと、混乱してるだけで……」
『右手上げて。こっちにいるってアピール。助けてくれる人は使う』
「ママ、指示しないで!」
『命がかかってるの。指示する』
うるさい。けど、心強い。
その矛盾が、胸の奥でぐるぐるした。
王様が胸を張る。
「勇者よ! そなたには魔王討伐の旅に出てもらう! 褒美も用意してある!」
褒美。
旅。
魔王。
現実味がない言葉が次々と並ぶ。
私は返事をする前に、ふと気づいた。
「ねえママ。私、帰れるの?」
『帰れるようにする。絶対』
ママの声が、少しだけ震えた。
それだけで、私の喉の奥が痛くなった。
「……分かった。私、やる」
自分でもびっくりするくらい、素直な返事だった。
ママがいる。どこかで、見てる。支えてる。うるさいけど。
『よし。じゃあまず、加護を――』
「ちょっと待って! 加護ってなに!?」
王様が「加護……?」と首を傾げる。
その瞬間、私の視界の端に、見たことのない文字が浮かび上がった。
【加護:母の段取り 付与】
【経験値取得倍率 ×5】
【ドロップ率 上昇】
【ボス個体 初回遭遇時のみ弱体化】
「えっ」
いや、えっ、じゃない。
何これ。ゲームみたいな表示が本当に出た。出ちゃった。
『ひより、いい? これは“最低限”だから』
「最低限!? 倍率五倍が!? 最低限!? ママ、感覚バグってる!」
『だって死んだら元も子もない』
「だからって世界のルール壊してない!?」
『壊してない。整えてるだけ』
整え方が極端なのよ!
私は叫びそうになって、必死で口を押さえた。周りに人がいる。異世界でいきなり「ママやめて!」とか叫んだら、勇者じゃなくて変な子だ。
王様が満足げにうなずく。
「おお、勇者よ……召喚の儀式は成功しておったようだな! 神々の加護が見えるぞ!」
見えるの!? この世界の人、見えるの!?
私は目を見開いたまま固まった。
『ほら。だから落ち着いて笑って。ひより、口角二ミリ上げて』
「ママ、今それ言う!?」
『言う。第一印象は大事。ママは三社の社長だから分かる』
「ここ異世界!!」
私がわなわな震えていると、ママが急に低い声になった。
『――ひより。あなたの旅、危ないところはママが先に潰す。でもね』
「……なに?」
『あなたが“私だってできる”って言うなら、ママは少しだけ我慢する。少しだけ』
「少しだけなんだ……」
『だってママだもん』
その言い方が、妙に可笑しくて。
泣きそうだったのに、笑ってしまった。
異世界に来た。勇者になった。母は神になった。
なにそれ、意味がわからない。わからないのに――
このうるさい天の声がある限り、私は死なない気がした。
王様が剣を掲げて叫ぶ。
「勇者ひよりよ! 旅立ちの準備を整えるがよい!」
『よし、準備。まず睡眠。次に食事。装備の棚卸し。持ち物リスト作る』
「ママ、異世界でもチェックリスト作らせる気!?」
『当然』
ああもう。
私の異世界生活は、魔王より先に、ママに振り回されそうだ。
(つづく)




