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恋せよ、少年少女(9)

恋せよ、少年少女 (9)



「……お前、アホだろ」


 冷ややかな親友の視線を受け、空間の隅で縮こまっていた田代幸輔は肩越しに相手を振り返り、歯を剥き出して唸る。


「うるさいッ!」

「……って、こんなトコですごまれてもなあ」


 そう言って曽根憲二が呆れたように肩を竦めるのも無理はない。ここは遠足目的地である花博会場の男子トイレ。その一番奥まった場所で幸輔は壁にへばりついているのである。


「何だよ、一人で傍観者気取ってさ! 憲二も俺の苦労をちょっとは分かればいいんだ!」

「だってマジで第三者だし、俺」


 錯乱した幸輔の言葉に真っ当な返事をして、憲二は携帯電話で時間を確かめる。


「……んで? どうすんだ? 集合まであと二時間、ここに籠城すんのか?」

「……………」

「んなワケにいかねえよなあ? とっとと出てフツーにしてろよ。ビクつき過ぎなんだよ、お前」

「……そんなこと言ったって」


 悔しそうに唇を噛む幸輔。

 ──情けない自分を、一番よく分かってる。何が悲しくて男子トイレになんか籠もっていなくちゃならないんだ……たかが、女の子の一人、怖いくらいで。

 幸輔が恐れている人物──それは同じクラスの夏目円だ。先々週の日曜、寄合部のメンバーでの集まりの席で「幸輔が好き」だと大声で叫んでからこっち、ずっと彼に付きまとっている。クラスでも用もないのに話しかけて来て、幸輔を追って部活まで一緒にしてきた。円があまりに明け透けな態度をとるものだからクラスメイトにもからかわれる始末で、幸輔は心底参っていた。


「……日本語が通じる相手なら、いいんだ。だけどあの子は本当、何考えてるか分かんないんだよ……」

「そおか?」


 溜息交じりの幸輔の台詞に、憲二は同意を覚えないようだ。


「俺はアッチの姐御サンの方が厄介だと思うけどね。アレに較べたら夏目なんてまだマシな方じゃねえ?」

「……橋谷先輩のこと悪く言うなよ」

「言うね。考えてもみろよ。そもそもの元凶はあの女なんだぜ? あの時、変に夏目を煽らなきゃ、こうまでお前が苦労することもなかったんじゃねえの?」

「言うな!」


 ふつふつと沸きあがる怒りに任せて幸輔は叫び返していた。しかし憲二はやめない。


「あの女はぜってー気付いてるよ。お前の気持ちにな。でも、それ弄んで楽しんでんだ。火つけて、それが燃え広がってくの、安全な場所でただ眺めて面白がってんだよ。めちゃくちゃサイテーじゃねえか」

「……っ、黙れ!」

「つっ……!」


 幸輔が憲二につかみかかる。強く両肩をつかまれ、憲二は顔を顰める。


「あの人のことを悪く言うな! ただ、無邪気な人なんだよ!」

「無邪気が褒められることかよ! ちゃんとあの女の本質見ろよ! 色ボケしてんじゃねえよ!」

「……何だよ、憲二に先輩の何が分かってるって言うんだ!」

「分かるさ!」


 いつもならへらへらと相好を崩して適当ばかりの憲二の表情も、今は固い。

 髪を茶色に染め、耳朶にピアスの穴を空け…学校とは違う場所で色々な遊びを齧っている憲二だからこそ、垣間見てしまえる春賀の本質がある。ああやって、いつもテンション高く笑ってばかりの人間には、極端すぎるほど人に言えない暗い面があるはずなのだ。深い傷か──汚さか。どっちにしろ、幸輔が思い描いているような聖少女でないことは確かだ、と憲二は思う。


「……黙るなよ、分かるっていうなら、言えよ!」


 沈黙した憲二に、語調も荒く幸輔は詰め寄る。

 憲二は歯噛みした。確固たる証拠さえつかめれば、目の前でぶちまけてやる。だけど今は──直感と想像でしかない。さすがに、それを言ってこの頑固で思い込みの激しい親友を覚醒させることはできないだろうと思えた。

 それでも、あまりに幸輔が必死なので。

 あまりに一途に春賀という人間の幻想を信じ、全てに恋をしているものだから。

 不意に質量を増した暗い感情が憲二を突き動かした。唇が意地の悪い笑みを浮かべる。


「──ああいう女は絶対、男好きだよ」

「……何?」

「分かんねーのかよ、ああいうのは簡単に男にヤらせるタイプなんだよ。お前もストレートに頼んでみればどうよ? 結構簡単に──……」

「……ッ!」


 鈍い音がトイレの中に響く。殴られた左頬を押さえ、憲二はすうっと目を据わらせた。


「……上等ッ……!」


 そしてその腕が空を舞う。

 ──男子トイレ内で高校生が喧嘩をしている……その知らせを受けた会場係員と、中埜高校の教員が駆けつけて制止をするまで二人は、取っ組み合い殴り合いの喧嘩を続けた。

   

 二人は早々にバスに押し込められ、こってりと説教を受ける羽目になった。

 付き添っていた養護教諭の応急処置を受け、担任から喧嘩の理由を問われる間、二人は沈黙を守り続けた。担任教師に対し「すいません」の言葉は言ったけれども、それ以上のことは言おうとしない。二人の頑固さに根負けし、担任は大きな溜息をつく。


「……まあ、お前らの問題だから俺も、あまり突っ込んだことは聞かないけどな。殴り合いはこれきりにしてくれよ。ちゃんと口も頭もあるだろう。しかも顔を殴るなんて、喧嘩の怖さを知らなさ過ぎるぞ」


 その説教も終わりに近づいた頃、集合の時刻になり、クラスメイトがバスへと戻ってくる。

 最後部座席でぶすくれた様子でいる二人に皆口々に「どうした、どうした」と声をかけたが、全く反応がないもので、そのうち腫れ物に触るように黙って自分の席に座り始める。

 しかし、それを突き破って近づいてくるツワモノが一人……。


「幸輔くん! どうしたの、その怪我!」


 狭いバスの車内を駆けてきた円に、幸輔は視線を寄越しもしない。しかし円はめげずに彼の頬の湿布に、無遠慮に触れてこようと手を伸ばす。


「喧嘩でもし……」

「──触るな!」


 円の言葉を遮り、幸輔は鋭い一声を上げた。声量としては大きくはない。しかし、刃のような鋭さを持った一声だった。


「……構うな、俺に」

「幸輔くん……?」


 幸輔は一度も円の方を見ようとはしない。普段、どれだけ付きまとっても、目を見てくれないことはなかったのに。──いかに無遠慮なところがある円といえど、本気の拒絶は感じ取ったようだ。何も言えず立ち尽くす。

 そこへ、湯川久美子がそっと声をかけ、二人も所定の席に座った。

 走り出したバス車内。疲れて眠り始める者もいる中、この静けさと空気重苦しさはそのせいだけではないだろう。高速道路をひた走るバスの走行音だけが鳴り響く。

 帰校したのは夕方になってからだった。

 解散の合図でバスを降り始める中、同じ方向に帰るはずの幸輔と憲二はやはり、行動を異にして動き出す。

 それを心配そうに見守っていた円であったが、やおら、憲二の方へ向かって歩き出した。


「円?」


 突然走り出した親友のテンポについていけず、久美子はバスの横で呆然とする。


「……曽根くん!」


 早足で彼の傍に近づき背後から声をかけると、憲二は立ち止まってくれた。振り返り、円の瞳を見て、「何?」と問い返してくれる。いつものような愛想はないものの、それが円をホっとさせる。


「……ねえ、……二人とも、喧嘩したの?」

「……。……んー……まあ、見ての通り」

「何があったの?」


 ストレートな円の問いに、憲二は僅かに困ったような笑みを見せた。少し思案した後、言葉を探しながらゆっくりと口を開く。


「……あのさ、それって夏目の地?」

「え?」

「アイツのこと、追い詰めないでやってくれねえ? あんな息つく間もねえほど追いかけられてちゃ、幸輔じゃなくても逃げたくなるぜ?」

「……円、そんなつもりじゃ……」

「そんなつもりじゃなくても、受け取り方は人それぞれじゃん?」


 憲二の言葉はオブラートに包まれ、決して円を正面から責めるようなものではない。それが却って彼女の心に響いたようで、円は俯いて、スカートをぎゅっと握った。


「喧嘩……、……円のせい?」

「…ばっかでもねえけど。……直接的には違うから、あんま気に病まねえでくれねえ? ただ、本気でアイツを好きなら、もっと態度柔らかくしてくんねえ? その方が振り向かれ率もアップするぜ、ぜってー」

「……うん」


 神妙に頷いて、円は別れの挨拶をするとバスの方へと戻って行った。

 自分も帰ろうかと前を向いた時…前方から歩いて来る一群と行き合う。

 学校近くの駐車場に停まっているバスの行き先は水族館になっていた。そこから同じように解散した生徒の群れが歩いてきて、その内、今一番逢いたくない人物とかち合う。


「あれ? 憲二くんじゃない」


 ──許可も取らずに、人のことを馴れ馴れしく名前で呼ぶ。その能天気に明るい声の持ち主を、憲二は一人しか知らない。


「どうしたの、その怪我? 花博行ったんじゃなかったっけ? 格闘技場でも行ったの?」

「……………」


 ……『許可も取らずに』なんて発想、自分らしくないのだけれど。いつでも気軽に馴れ合える相手と、気楽な関係を築いていたくせに。

 春賀の前で立ち止まり、憲二は彼女をじっと見る。きょとんとして見上げる少女は、憲二の目元に出来ている内出血を見つけ、楽しそうに笑った。


「やだー青ずみってるよ。知ってる? 顔の青ずみってね、日が経つにつれて下降して─……」

「……つくづく気を遣えない人ですね」


 春賀の楽しげな口調を遮り、憲二は低く言い返していた。

 まるで感情を窺わせない硬質な声音で。


「普通こういう時気を遣って空気を読んで、そっとしておくでしょう? どうしてアンタはそうなんですか? 人の迷惑とか、困惑とか、見えないんですか?」


 言った後、憲二はさっと視線を逸らした。そして春賀の瞳を見ずに、早口に「失礼します」と言って、その横を通り過ぎていく。

 その背を見送る春賀の表情からは、何の感情も窺えない。何かを考えているようで──何も感じていないようで。

 春賀を追い越して歩いていく同学年の生徒らの波が去り、それから、奈津と尚志がその場に辿り着いた。


「春賀? どうした?」


 何かを見送っている春賀の視線の先を見て、そこに何もないのを見取ってから、奈津はそう声をかける。すると春賀は小首を傾げにっこりと笑った。


「どうもしないよ?」


 その笑顔には、一点の曇りも見えなかった。



  続く

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