恋せよ、少年少女(7)
恋せよ、少年少女 (7)
それから、クラブ本入部を経て、クラス遠足の日がやって来た。
学校を出発し、高速にのって幾許も行かぬうちに目的地についた瑞貴たち2-Iは、早速苺狩りを楽しむため軽装でバスを降りていく。
後部座席から降車という順序に従って瑞貴もバスを降りようとしたのだが、通路を挟んだ席に座っていた一人の少女が顔を伏せて蹲っているのに気付いた。澤田繭子である。伏せたせいでセミロングにした毛先が下に流れ、覗く白いうなじにうっすらと汗が見える。
「……澤田さん、どうした?」
瑞貴が声をかけると、繭子は顔を上げようとし、しかしそれが出来ずまた俯く。一瞬見えた顔色がかなり悪い。
「バス酔い?」
聞くと、こくんと頷いた。
そんなやりとりをしていると、副担任の女性教諭が二人のもとに近づいてきた。
「どうしたの? 何かあった?」
「澤田さんがバスに酔ったみたいです」
「あら、本当? 分かったわ、ありがとう。衛藤くんも早く降りてね」
促されるまま友人らと合流したものの、かなり具合の悪そうだった繭子の顔がちらついて、瑞貴は数度バスを振り返りつつハウスへと向かう。
渡された透明パックを手に、しばらくは友人らと苺狩りを楽しむものの、どこか気もそぞろになる。
──どうしてこんなに気になってしまうんだろうとぼんやり考え、瑞貴は彼女の姿が、記憶の中のある少女と合致することに気がついた。伏せられた顔、髪が重力に従って下へ流れると、自然覗くうなじ。そしてそこに浮かぶ汗。上げた顔は青白く、恨めしそうにこちらを睨む。
『──いいわよね、男は。この痛みを知らないなんて不公平だわ──』
ひどい生理痛に襲われるたびに、それを隠すことなく痛い痛いと喚く例の御仁を思い出したのだ。
男の瑞貴としてはやはりその痛みを理解し得ないわけで、痛い思いをしているのは可哀想だと思うものの、愚痴られて当たられても当惑するだけなのだ。我慢しろとひどいことを言えるわけではないが、だったらああした方がいいこうした方がいいとアドバイスできるわけでもない。激しい葛藤の末「……大変ですね」とだけ言ったら、優しさがないと怒鳴られ本の角で頭をどつかれた。
(……いや、どつかれなかった時もあったような……)
その記憶を掘り起こしていると、隣にいた友人が「イテッ」と小さく呻いた。
「パックで指切っちまった……」
友人が見せてきた指先にじわりと血液が滲み出てくる。一度その口の中に含んで吸うものの、やはり出血は進度こそ遅いもののじわりじわりと溢れ出すことをやめない。
「……どうする? 木野原先生に絆創膏貰ってこようか?」
「おー、頼んでいっか?」
指を咥えながら答えた友人に頷いて、瑞貴は一旦バスに戻ることにする。すると、ちょうどバスの中に入ろうとしていた女性教諭を捕まえることができた。
「先生、絆創膏ありますか? 矢部が指切ったんですけど」
「あ、救急バッグ、江川先生が持っていかれたのよね。……ちょっとごめん、これ、澤田さんのとこ持ってってもらってもいい? 私、江川先生のとこ行ってもらってくるわ。そのまま矢部くんのとこ行くから」
「はい、奥から四つ目のハウスなんで」
「うん、直ぐ戻るからよろしくね」
そう言って女性教諭はハウスとは別の方向にある、休憩所兼昼食所のログハウスへと走っていく。……なるほど、毎年先生たちの姿が見えないと思ったらそういう場所で休憩しているのかと納得しながら、瑞貴は手渡された冷たい濡れタオルを手に、バスへと乗り込む。
一番後ろの座席で、繭子は横になっていた。
「……澤田さん」
そっと呼びかけると、身を硬くした繭子が、次の瞬間目を開けてばっと飛び起きようとした。
が、それがかなわず、力が入らないような状態で椅子から転げ落ちそうになる。それを瑞貴は間一髪で濡れタオルを持った左腕で支えた。……右手に持った、苺入りのパックを庇った結果である。
「……ご、ごめっ……」
「いいよ、辛いんだろ」
瑞貴の左肩に手をかけ何とか上体のバランスをとる繭子が、喉にものを詰まらせたように焦って謝罪をするので、瑞貴は思わず優しく声をかけていた。
「寝てなくて平気か?」
「う……うん、さっきよりは大分、よくなったから」
「これ、木野原先生から」
座席に座った繭子に濡れタオルを渡すと、彼女は「ありがとう」と言ってそれを受け取り、頬に当てた。その冷たさが触れた瞬間、ほっとしたように息をつく。確かに、さきほどより大分顔色がいいようだ。
「……どう、したの?」
そのまま瑞貴が隣に座ってきたので、繭子が驚いたように戸惑いがちに問うてくる。
「木野原先生に澤田さんのことまかされたから。戻るまでよろしく、って。──それとも、いない方が気が楽か?」
「……だって、苺は?」
繭子の問いに、思わず笑ってしまう瑞貴であった。
「長時間張り付いてまで食べ続けたいものだとも思わなかったけど……。……食べてみるか?」
「え?」
きょとんとした繭子の目の前にパックごと差し出すと、彼女は目をぱちくりとさせ、瑞貴と苺を見比べた。
パックを受け取らない繭子に、瑞貴は言葉を付け加える。
「気持ちが悪い時に酸味があるものを食べると、案外楽になるらしいから。もし食欲があるなら、どうぞ」
「あ……、……ありがとう」
頬を僅かに赤らめ、ふんわりと笑ってパックを受け取る繭子。その膝の上にパックを置いて、摘んだ一つをゆっくりと口元に持っていくのを、瑞貴はぼんやりと眺めた。
──春賀が生理痛で部室で死んでいた日、たまたま昼食の残りとして持っていた蜜柑が、彼女の機嫌を良くさせたことを思い出しながら。
「……おいしい」
一口噛んで、繭子は微笑んで瑞貴を見る。とても嬉しそうな顔をするので、やはり苺などの柑橘類は効果があるのだと、瑞貴は思った。
そのまま小さな唇が、ゆっくりと苺を飲み込んでいく。三つ食べ終えたところで、繭子の手から瑞貴へとパックが返った。
「もういい?」
「うん、ありがとう。とっても美味しかった。ちょっと元気、出たよ」
柔らかく笑う目尻は、やはり澤田玲生徒会長と似ている。
そう瑞貴が感じたことをまるで読んだかのように、繭子がぽつりと呟いた。
「……私、衛藤くんに嫌われてるのかなあ、と思ってたから」
「は?」
思わず怪訝な声を出してしまったのは、まるで今までの流れと繋がりがないような話題を出されたと感じたからで。
しかし、繭子はそのまま寂しげに言う。
「だって、お兄ちゃんと橋谷さんが、仲良いから……」
「──ちょっと待ってくれ。何でそこで会長と春賀さんが出てくるんだ?」
「だって……」
だって、ともう一度呟いて、繭子は瑞貴を窺うように上目遣いをした。
「……付き合ってるんでしょう? 衛藤くんと、橋谷さん……」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声をあげてしまった瑞貴の反応は、彼にしてみれば当然のものだ。それに似たようなからかいを受けたようなことはあるものの、真っ向から問い掛けられたのは初めてだ。これを澤田繭子本人だけがそう感じて言っているのか、自分の与り知らぬところで周知の事実になっているのかは分からないが、とにかく彼は、目の前に横たわった誤解を解こうと必死になった。
「──そういう噂があるのか?」
「……生徒会の人たちは、そうだって言ってるけど。……だって、二人、いつも一緒だし」
「そりゃ、部活動が一緒なら、一緒にいる時間も多くなるだろ」
疲れたように溜息をつく瑞貴に、繭子は「違うの?」と小さく問い掛ける。
「付き合って…ない、の?」
「ない」
きっぱりはっきり言い切る瑞貴。その心と言葉に嘘偽りはない。
濃密な時間を過ごしたこの一年間。──どれほど自分があの破天荒な我侭に振り回され、苦労したか。何度胃の痛い思いをしたか。……最初こそ、淡い憧れを抱かなかったわけではない。しかしそんなもの、一週間も経たぬうちに見事に砕かれ尽くされた。
「……その、生徒会でどんな噂になってるかは知らないけど、澤田さんからも否定しておいてくれ。過去も未来も、あの人と付き合うなんて有り得ないから。後輩としての義務は果たしてるけど、これ以上近しい存在になるなんて、考えただけでも身の毛がよだつ」
「……そこまで言う?」
「いいんだ、事実だから」
疲れた吐息を吐き出して、瑞貴は座席の背凭れに体重を預ける。ずれた眼鏡のブリッジを指でなおし、もう一度溜息をついた。
不意に繭子が笑い声を立てたので、瑞貴は横目で彼女を見る。
「……ふふ、本当に大変なのね、橋谷さんて」
「ああ。関わらないほうが身のため、ってああいう人種に対して言うんだろうな」
瑞貴の返答に、繭子はころころと笑い続けた。そして、話のノリのように言葉を続ける。
「あのお兄ちゃんでさえ言うんだもの、大変だ大変だ、って」
「……………」
ざわり、と、ざらつくような嫌な感触が全身を走り抜ける。
しかし瑞貴はそれを悟られないよう、努めて変わらぬ笑みを返した。
ちょうど女性教諭が戻ってきたので、役目をバトンタッチしてバスを降りる。バスの独特の匂いから解き放たれ、大きく息を吸って外の空気を肺に入れた。
『あのお兄ちゃんでさえ言うんだもの、大変だ大変だ、って』
(……何だ、この嫌な感じは)
澤田繭子本人に何か感じたわけではない。──ただ、その唇から漏れた、兄、の言葉が瑞貴の心をささくれ立たせた。
──澤田玲。温厚で頭の回転も早く、人望も厚い生徒会長。
春賀と同い年の人間。一年の時、同じクラスだったと聞いている。そして、自分と春賀がからかわれるように、同じくある噂。橋谷春賀と澤田玲は付き合っているらしい──もしくは、付き合っていたらしい、と。
彼女がどんな過去を持っていようと、現在誰かを想っていようと知ったことではない。
もし──嫌悪感の理由を探すのならば。それはきっと。
単純に自分は生徒会長が嫌いなんだろうと思う。
続く




