恋せよ、少年少女(5)
恋せよ、少年少女 (5)
──新学期が始まって、一週間が過ぎていた。
春休みの休みボケも既に修正済みの生徒たちは、勉学に運動に、青春にと日々変わらず励む。時に真剣に、時に力を抜いて。
そしてここに、……力を抜きすぎの体で、にやにや笑いを止めぬ少女が一人。
「……春賀、やめい。気味が悪い」
見るに見かねた親友が声をかけるものの、少女は机の上にぐてっと上半身を投げ出し、またにやにやしている。
「……春賀」
「だってぇ~……嬉しいんだもん。楽しいんだもん。あー、こんなに一遍に日々が薔薇色になっちゃってどうしよう! これってどういうことだと思う、奈津?」
「どうって……、……悪いことが起きる前兆なんじゃないか? 過去の事例から鑑みて」
「……ひど」
「至極真っ当な予想だと思うがな」
そう言い切って奈津は眼鏡のフレームを指で上げる。そして、前の席の椅子を後ろ向きにして座り机に張り付いている春賀を、冷たい視線で見下ろす。
「……去年の騒動を、忘れたとは言わせんぞ」
「忘れた…、あいたっ!」
呟いた春賀の頭を、容赦なく分厚い英単語辞書ではたく奈津。
涙目になりながらも、その話題に乗ってこなかった春賀に奈津は、(時期尚早だったか)と内心で舌打ちをした。放課後の、人気のない教室にしばし流れる沈黙。黙り込んだ奈津をちらりと見上げ、春賀はにっこりと笑う。
「……ふふ、楽しいねえ、奈津」
「──ああ」
溜息混じりに返事をした後、奈津も思考を切り替えた。
「新入部員が四人は確実、これほど嬉しい事態もないな。しかも今回は春賀のお手柄だ」
「へへっ」
嬉しそうにブイサインを出す春賀。
──話は、日曜日の花見に遡る。
◇
部活説明会の後、寄合部に数人訪れた入部希望者に呼びかけたこともあり、日曜の花見には一年生が四人、参加してくれた。
学校近くの河原にシートを敷いて、金額を指定してそれぞれが持ち寄った菓子やジュースを広げる。桜は八分咲き、といったところで、風が吹けばひらひらと数枚のピンク色の花弁が晴天を舞った。花見日和の美しい晴れ空。春賀たちのシートから一番近いところでは、家族連れがバーベキューを楽しんでいた。
「さて…と! じゃあ、改めて自己紹介から行こうか? ……と言っても、一年生の四人は、みんな同じクラスみたいだけど」
そう言って春賀が視線を移した先には、僅かに緊張した面持ちのニューフェイスが四人、姿勢も堅苦しく端座している。
その姿を微笑ましく感じながら、まず、春賀が自己紹介の口火を切った。
「じゃあまずあたしから、ね。部長の橋谷春賀です。クラスは3-D」
完結に名だけ言って、春賀は右隣に座っていた瑞貴を視線で促す。
「……副部長の衛藤瑞貴です。クラスは2-I」
ついで、春賀の左隣にいた奈津が口を開く。
「私は坂木奈津だ。クラスは3-A。……で、こっちの男は、部員じゃないんだが、同じクラスの楠田尚志だ」
「よろしく~」
奈津に紹介された男は、優しく笑う目尻と口元が印象的な少年だった。いかにも人畜無害そうな、人の良さそうな感じがする。──言わずと知れた、奈津の恋人である。
そうして一年生も、尚志の隣から座っていた順に自己紹介をした。
田代幸輔、曽根憲二、そして湯川久美子、夏目円……みな、1-Aの面々である。
ペットボトルの飲料をコップに注いで、乾杯をしたところで、宴会はスタートした。
「だから円はね、恋をしたんです。これは絶対運命なんです」
「はあ……」
宴会も盛り上がりを見せてきた中で、隣に座った少女が、突然自分に向かってそんな話をし始めたので、瑞貴はそう気の抜けたような返事をするしかなかった。先ほどの紹介で夏目円と名乗った一年生である。ふわふわの長いくせっ毛を指で弄びながら、円は、ひそひそ話をするように瑞貴に体を寄せる。
「だからね、先輩に協力して欲しいんです」
「協力って……恋路を?」
「はい!」
にっこりと笑って頷く円。応じていいのやら突き放していいのやら…この手の話をふられることが滅多になかった瑞貴は答を探して視線を彷徨わせる。しかし、春賀は春賀で幸輔や憲二と会話していて、自分を助けてくれる人物はいないようだ。
……いや、いた、一人。心配そうに瑞貴と円を見守る久美子が。
「ごめんなさい、衛藤先輩。円、変で」
「……あ、いや」
「久美、変なんて言っちゃ嫌。円は真剣なんだから。──ねえ先輩、協力してくれますよね?」
「……………」
眉間に縦皺を刻み込み、瑞貴は苦悩する。…一体何だっていうんだ、この子は。滅茶苦茶なんだ…滅茶苦茶なんだけど、春賀とはまた違った滅茶苦茶具合だ。
仕方なく瑞貴は覚悟を決めて、自分の方から質問をする。
「……協力はともかく。……相手は誰なんだ? それを聞かなきゃ、イエスともノーとも言えないな」
「いやっ、先輩!」
ばしっ! 突然平手で背中を叩かれ、瑞貴はごほごほとむせる。……なかなかに容赦のない力だったので。
「そんなの恥ずかしくて言えるわけないじゃないですか~」
頬に両手を当て、くねくねと肢体をくねらせる円に、瑞貴は唖然とするしかなかった。
──人間じゃない、これは同じ人間じゃない。本能がそう危険を告げる。
そこへ久美子が遠慮がちに円に意見する。
「……円、好きな人を言わなきゃ、衛藤先輩も、協力できるものもできないと思うよ?」
「だってぇ~……じゃあ、じゃあ、久美が言ってよ~」
円が肘で久美子を突付くのを見て、瑞貴が視線を久美子に移す。しかし久美子は僅かの間のあと、すいません、と呟いた。
「……すみません、私も知らないんです。円の好きな人」
「え?」
「……私にも、恥ずかしいって言って、教えてくれなくて……」
「……………」
「……………」
無情な沈黙が流れ、瑞貴と久美子は、救いようのないものを見るような憐みの視線を円に集中させた。
……その時。
「こらっ! そこのお嬢さん! 今、うちの大事な子に狼藉を働いたでしょうっ!」
突然の怒号と共に、円と瑞貴の間に強引に割り込むのは…誰であろう春賀だ。
「いやーん、乱暴にしないで~」
「いやんと言われて止まるヤツがあるか!」
「……また、何を言ってるんですか、あなたは……」
円に詰め寄る春賀、そしてそのとんちんかんな言葉に、瑞貴が疲れたように言い返した。
春賀に間近ですごまれて、円は顔の前で掌をふって否定する。
「違いますー、円は衛藤先輩にお願いしてたんです~」
「お願い?」
春賀が聞き返すと、円はぽっと頬を染めて顔を背ける。背後にいる瑞貴を振り返ると、彼は肩を竦めた。
「……恋路の協力をして欲しいようで」
「恋!」
その瞬間、春賀の瞳の色が変わる。…まるで、極上の餌を見つけた獣のように。
「誰っ、誰なの相手は! 瑞貴が協力できるような相手なの? 教えなさい、教えなさい!」
嬉々として掴んだ円の肩を揺さぶり、当の揺さぶられている円といえば、春賀の迫力に負けることなく、頬をぽっぽと染めて笑っている。
「いや~ん、言えませんー……円、恥ずかしくってー」
「恥ずかしさを乗り越えて発言してこそ快感なのよ! さあ、言うのよ、言いなさい~!」
ぽかんと口を開け唖然とする久美、何も言えず疲れたようにこめかみを押さえている瑞貴が見守る中、やがて円は、恥ずかしげなポーズを取りながらも大声で白状した。
「円……、幸輔くんに一目惚れしたんです~!」
一方。
広いシートの反対側、こちらは、奈津と尚志を肴に話を盛り上がらせていた。
「えっ、じゃあ中一の時から付き合ってるんスか?」
「ん、そういうことになるな」
「なげー……」
感嘆の声を上げる憲二に、奈津はにやりと笑い返す。
「時間じゃないよ、男女はな」
その視線がするりと幸輔に移ったので、幸輔は内心でどきりとしてしまう。自分の恋心を見透かされているのかと思った。しかし奈津は何も言わず、また視線を憲二に戻す。
「二人はどうしてこの部に来ようと思ったんだ?」
「いやー、俺はどこでも良かったんスけどね…こいつが」
憲二はそう言って幸輔をちらりと見ると、きししと笑う。
「ばっ…憲二、余計なこと言うな!」
「何が余計? ちゃーんと知っといてもらったほうがいいんじゃねーの? 『桜の精』にさ」
「憲二!」
「『桜の精』?」
幸輔の制止も虚しく憲二はさらりとその単語を舌に乗せてしまう。当然のように、奈津は眉をぴくりと上げてオウム返しにしてきた。
「まさかとは思うが……それは春賀のことではあるまいな」
「そのまさかですよ」
憲二が答えるが早いか、奈津は目を点にさせた後、くっくっと喉の奥で笑い始めた。
「さ、桜の…、そうか、あいつが…くくっ……」
「……坂木先輩?」
「くっくっ…、はっ、……これは傑作だ…っ…」
表情のない顔ばかりしている少女が、腹も捩れんばかりの笑いを噛み殺している事態に、憲二も幸輔も唖然とする。笑い転げる奈津の横でそれまでにこにこ笑って会話を見守っていた尚志が、やはりにこにことしながら言った。
「橋谷さんはアレだよねえ、妖精っていうより怪獣だよねえ」
「……! 尚志っ、私を笑い殺す気かっ……?」
「ほらさ、ビルとか掴んでめきって壊しちゃうんだよ。それをぽーいって投げ捨てて、建物容赦なく踏ん付けて。どっちかっていうと、そういうイメージだよね」
のほほんと、とんでもない発言をした尚志は、まるで縁側で余生を楽しむご老人のようにのんびりビニールコップの飲料を啜った。
尚志の言葉を聞いた憲二と幸輔が、どういうことだと顔を見合わせた時、──二人の耳にも飛び込んできたのである。
円の絶叫が。
「円は幸輔くんに一目惚れしたんです~!」
その言葉が発された次の瞬間、幸輔に全員の視線が集中した。幸輔の想い人である春賀も、円の肩を掴んだ姿勢のまま、じっと幸輔を見ている。状況のつかめないまま、しかしその視線とみなの沈黙に耐えられなくなった幸輔は、慌てたように言葉を返す。
「……困るっ! 俺、好きな人いるし……!」
「えぇっ……!?」
幸輔の返答に円は悲しげに眉根を寄せる。
「……円、幸輔くんのこと、本気で好きなのに……」
「お、俺だって、本気で好きだよ。だから困る!」
「……ひどい……」
瞳を潤ませて俯いた円に、誰もが声を掛けられずにいる。──ただ一人を除いては。
「……円。……どうして泣くの、どうして下を向いちゃうの」
円の肩を掴んだままの春賀が、彼女に向かい諭すように言葉をかける。今にも涙が零れそうな潤んだ瞳を上げ、円は唇を噛み締めた。
「……だって、先輩」
「だって、じゃない! 人を好きになったら、『だって』は禁句!」
春賀のきつい語調に、我知らず円は姿勢を正す。
「いい? 好意ってのはもともととっても独り善がりな感情なの。相手の都合なんておかまいなしの、自分一人の感情なの。──だから、貫き通していいのよ、思い切り、自分の気が晴れるまで」
「先輩……」
誰もが、春賀の言葉に内心で関心したり頷きかけたりしていた…のだが、しかし。春賀はその後、とんでもない台詞を続けた。
「──だからいいのよ、幸輔くんの都合なんて考えなくていいのよ! 彼が誰を好きでも関係ないわよ、奪い取っちゃいなさい、振り向かせちゃいなさい! 基本はストーキング! 部活を一緒にして、登下校の待ち伏せ! 休日の情報も集めたら行く先々に出没! そして欠かさず毎日の会話! いっちばん身近な人間になりなさい、……そうしたら」
目を細め、にやりと笑い、春賀は人差し指でつんと円の鎖骨の真ん中あたりを突く。
「彼はあなたのもの……」
「……お姉様っ……」
胸の前で指を組み、きらきらした瞳で春賀を見上げる円。──完全に春賀に毒された少女を見、瑞貴は溜息をついて疲れたように唸った。
一方、幸輔は、それこそ自分が泣きたいような気分である。なぜに、自分の好きな人が、恋を諦めろと言わんばかりの酷いことを言うのだろうか、と。仕方ないといえば仕方ないのだけれど──春賀は幸輔の想いを知らないわけだし。
「夏目さんっ…ホント、困るから、マジで……!」
彼女が諦めてはくれないかと、シートの向こうから走り寄った幸輔の前に、春賀がずいと立ちふさがる。春賀と真っ向から向き合う形になってしまい、幸輔はかあっと頬を染めて顔を背けてしまった。そんな幸輔に頓着することなく春賀は言うのだ。
「……じゃあ、幸輔くんはやめちゃうの? 部活……」
「…………ッ!」
「淋しいな……」
小首を傾げて、僅かに頼りなさげな表情と上目遣い。──そして彼は堕ちた。
「やめません! 俺、絶対やめません!」
──瑞貴と奈津はその時はっきりと見た。黒い尻尾の生えた少女が、してやったりとにやりと微笑む様を……。
続く




