恋せよ、少年少女(23)
恋せよ、少年少女 (23)
体育館の暗幕はきっちりと引かれ、いつもあがっているステージの幕も今日はおりている。
ステージ横には大きなスクリーンが設置され、その反対側には本部席があり、審査員の面々が要項片手に小声で囁きあっていた。整然と並べられたパイプ椅子に一年生と二年生が着席し、あとは清風祭実行委員の開始の合図を待つばかり。
県立中埜高等学校第58回清風祭第一日目。
その最初の大イベントである三年生の劇が、今まさに始まろうとしていた。
実行委員長が合図をする。ふっと落ちる照明。
拍手が鳴り響く中、幕がゆっくりとあがっていった──。
「……っし、完成~!」
「うっわ、めちゃめちゃキレイよ、橋谷さん!」
「いいなぁ、元もいい上に化粧栄えもするなんて~」
ここ、控え室の教室で準備に余念がないのが、3-Dの面々である。くじ引きで決まった順番で最後の上映になったため、準備するのにも多少の余裕はあるのだが、高校三年間の中でも一番のイベントといっても過言でないこの劇に、みな、真剣だ。
衣装をまとい、舞台化粧を終えた春賀を見た女子たちが、わーわー、きゃーきゃーと声をあげる。
その声を聞きつけ、仕切りのカーテンをあけて男子たちが顔を覗かせた。
「ちょっとぉ、声かけてからあけてよー!」
「えー、終わったんじゃねーの? …おおっ、橋谷さん、超美人~!」
「マジ、すげー女王様!!」
「……あ、ありがと」
大袈裟すぎるように感じるみなの賞賛を、春賀はひきつった笑顔で受ける。
「……ていうか、鏡、ない? あたしも自分の姿、めっちゃ気になるんだけど」
「トイレの全身鏡じゃないと無理じゃない?」
「行ってくる……」
クラスメイトの言葉だけでは心許なく、春賀は少しは慣れたピンヒールをかつかつと響かせながら、すぐ近くの女子トイレに向かった。入り口にある全身像で自分を身、一瞬、言葉をなくす。
「……ず、随分気合いれて化粧してくれちゃって……」
黒いピンヒールのブーツ。光沢のある黒のドレス。昨夜、女子の命によって細かく三つ編みをしてから就寝した髪には、朝早くからウェーブ用のムースがつけられセットされ、細かな曲線を描いて全身に落ちていた。引いたこともないような黒のアイラインにマスカラ、そして濃い真紅の口紅。
「……どっからどう見ても女王様ね……ふふ……」
自分の姿に疲れたように薄笑いを浮かべる春賀。この姿を全校生徒の前に晒すのかと思うと眩暈がしそうだ。
(……みんな、何て思うかしら……)
親しい人の反応を想像して泣きたくなってくる。
「橋谷さん」
トイレの外から呼ばれたので、春賀は表情を引き締めて出ていく。そこには王子様の衣装に身を包んだ中山がいた。
「──わぁ、本当の王子様みたいね!」
春賀とは対照的になるように、白を貴重にした衣装に身を包んだ長身の彼は、どこからどう見ても王子様だ。春賀が手を叩いてその姿を褒めると、中山は眩しそうに目を細める。
「橋谷さんも、すげえ綺麗だよ」
「……みんなそう言ってくれるのはすごく嬉しいんだけど、やっぱり恥ずかしいね。それに、ちゃんと台詞間違えずにやれるか不安だし」
「大丈夫だよ、俺がフォローするし。橋谷さんは、心置きなく俺をぶってくれればいいんだから」
「中山くん、台詞がアヤシーよ……」
そういうお芝居なんだけどね、と苦笑して付け加えた春賀に、中山は少し近づく。きょとんとして見上げた春賀の手をとって、彼は身を屈めた。
白い手の甲に唇を掠める真似──お芝居のラストのシーンだ──をし、春賀を見上げ、微笑む。
「本気だよ。舞台の上では、絶対俺が守るから」
「─────」
「さ、行くかっ。そろそろ舞台裏に行く時間だよな」
「う、うん……」
──思考の混乱から、すぐに現実に引き戻され、春賀はほっと安堵の息をつく。
かき乱さないでほしい、引っ掻き回さないでほしい……今は、お芝居に集中しなくちゃいけないのに。面倒くさいことにならなければいいなあ、と春賀は心の中で呟いた。その不安が──杞憂で終わればいい、とも。
◇
いよいよ最後、3-Dの上演の時間になった。
ステージの幕があがる前に、ステージ右のスクリーンに映像が浮かび上がる。このように、舞台と事前に撮った映像とで劇を作っていくのが毎年のやり方の定番となっていた。
『昔々あるところに、とても美しい女王様が住んでいました』
ナレーションとともに、映し出されたのは学校の校門。彼女の生い立ちなどのナレーションが入りながら、カメラは校門から昇降口を通り、階段を登り、また降りて、と動いていく。
『──しかし彼女には困った性癖がひとつありました。それは、他人を叩くことが一番の楽しみだ、という何ともはた迷惑な性癖でした──』
ズームインされていくのは、運動場の隅にひっそりとある物置倉庫。中からパシーン、パシーンと怪しげな音が響く……。
ガラリと開けられるドア。
会場が一気に大爆笑する。
──そこにいたのは、汗だくで蕎麦を打つ3-Dの担任だった。
そして映し出される演目名……『王子様と女王様』
笑いが収まってきた頃、するすると幕があがり──スポットライトに浮かび上がるのは、くだんの格好をした、誰であろう、橋谷春賀である。
「……エリック、……エリック!」
バラ鞭を片手に、少々ヒステリックに舞台のあちこちを見回す女王様。すると、袖から執事風の男が飛び出してきて、その足元に跪く。
「おっ、お呼びでしょうか、女王様!」
「遅いっ! あたしが呼んだら、五秒でかけつけて来いと言ってあるだろう!?」
「し、しかし、ただいまトイレに入っていまして……」
そこへ、女王様の鞭が炸裂する。
「だったらトイレごと駆けてくるんだね! ……ジョディ、ジョディはいないのかい!?」
次に現れたメイド風の女性にも無体を働き、女王様ぶりをアピールする舞台上の春賀。
──客席でそれを見ながら、瑞貴は口元を手で多い、呆れたような溜息をついた。(……これは、上演まで必死に隠したがるわけだ)……瑞貴は納得する。こんなの……自分に対する春賀の地、そのものではないか。
……劇のストーリーは平坦なものだ。
孤独な女王様が、散歩中に拾った行き倒れの少年。実は彼は隣国の王子であったけれども、そうとうは知らず寝食の恩返しをしろと、彼をこき使う女王様。彼は最初こそ嫌がっていたものの、徐々に虐げられる喜びに目覚めていき、二人は自然惹かれあっていく。
そんな頃、隣国では王子不在中、現国王が急に倒れ混乱していた。王子を探しにきた大臣の言葉により、自国の危機を知る王子。すぐさま女王様に帰国を願うも、彼女は許可をくれない。彼女は、初めて自分のわがままにとことん付き合ってくれる人間を見つけ、それを手離しがたくなっていたのだ。しかしそれは王子も同じ、好きな人を放って行くのは忍びない。
しかし、乳母や執事、そして隣国の大臣の説得の末、彼を自国に帰すことを決意する女王様。しかし彼が国王になれた暁には、一つの条件を飲めと約束させて。
舞台でのコミカルな演技と、事前に近くの公園やデパートで撮っておいた笑い重視の映像が良かったのか、そんな平坦なストーリーでも客席はよく笑いに沸いてくれた。必死に演技しながら、春賀はその反応に安堵する。
(……恥ずかしいけど、気持ちいい、かも)
自分が舞台に立ち、発言することで喜ぶ観客席。それは確かに快感だった。
中山と目が合う。彼は「やったな」とでも言いたげに、目で笑顔を送ってきた。春賀も微笑む。不思議な一体感が舞台上の役者に生まれていく。
様々な策略をめぐらせ、対立派閥を黙らせることに成功した王子。無論、その策略には女王様も一枚噛んでいる。めでたく王子様が国王として即位したその夜、客人として招かれていた女王様は、夜の月のもと、彼と二人きりになる。
──物語のラストである。
「……もう、あんたは行き倒れの乞食じゃない。一国の王だ。単なる一城の主であるあたしが、気安く話しかけちゃいけないんだ」
「……そんな、──」
「いいから黙ってお聞き!」
会話を遮ろうとした王子──もとい国王を、バラ鞭で叩く動作で黙らせる女王様。
「あたしは謝らないからね、本当に王子なんて知らなかったんだ。口から出任せだと思ってた。だから、ぶちまくったことは謝らないからね。──それにあんたも喜んでいたろ?」
びしっと鞭の先を突きつけて、にやりと不敵に微笑んで見せる女王様。
「──だけど、詫びを入れる気持ちがないわけじゃない。そこで、だ。……決めたんだ。あたし、一生あんたに仕えてやる」
「は……はぁっ!? 何を仰っているんですっ!?」
「あんたの使用人として、一生傍にいてやろうと言っているんだ。あんたは国王だし、あたしの暮らしも前に比べて不自由になることはなさそうだしな。あんたが望めば幾らでもお仕置きしてあげよう。どうだい、天国だろう?」
「──それは、つまり……。貴女も私の傍にいたいと思ってくださっていると……そういうことですか?」
「まあ、そういう解釈も出来なくないかもしれないな」
ツンと横を向く女王様だが、その仕草は照れ隠しにも見える。国王は感動して、彼女に手を伸ばした。
「使用人なんてとんでもない。私は貴女を愛しています」
その腰に手をかけて、彼女の体を引き寄せる。
「お願いです、どうか私の后になってください」
情熱的に囁いて、国王はぐっと身を屈めた。自然背を逸らす姿勢をとった女王様は、彼の顔が近づいてくる前にその頬ッ面を鞭でぱしんと叩き落す。
「気安く触るんじゃないよ! あたしが誰だか知ってるかい?」
背筋を伸ばしふんぞり返る女王様の足元、国王はすっと身を屈めた。
そして、鞭を持った彼女の手をとり、上目遣いに恭しく女王様を見上げる。
「存じていますよ、女王様」
顔を伏せ、手の甲にキスをし──そして、暗転。
拍手喝采の中、春賀も中山も微動だにせずに幕が下りるのを待つ。するすると緩慢な動きで降りる幕の先端を視界の隅にいれながら、春賀は全てが終わったことにほっとし、全身の力を抜いた。
──その隙を狙ったのか狙わなかったのか。
「────!」
もう、半ば以上幕はおりていた。舞台も観客席も暗かったから、分かった者は少なかっただろう──少なかったと、思いたい。
中山は、何を思ったか握っていた春賀の手を引いたのだ。
バランスを崩す春賀。それを受け止めようと体を起こした彼の顔が、呆気にとられている春賀に近づいてきて──。
「……ッ!」
気がついたら──唇を、塞がれて、いた。
続く




