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恋せよ、少年少女(21)

恋せよ、少年少女 (21)



「文化祭に告白する!」


 翌朝、第一声がそれだった。憲二の顔を見るなりずかずかと近づいてきて、鼻息も荒く意気込んで彼は宣言した。親友の言葉を聞き、憲二が返せた反応はただひとつ。


「あ、そう」


 と言って、無感動に相槌をうつことだけだった。

   



(……するのか、ついに……)


 胸を通りすぎるのは、じゃりじゃりと砂を噛むような味気ない感想ばかりだった。一時間目の始まる前、幸輔の言葉を聞いてからというもの、憲二は全てに集中できないでいた。いや、たったひとつ集中していることがある。それが何かと言えば、幸輔の台詞のリフレイン。

 どうせ駄目だろう、と心の奥で誰かが囁く。

 多分、幸輔は玉砕する。それこそ、九割九分の確立で。万にひとつも、彼女は頷くまい。


(……いや)

 ──頷きは、しないだろう。


 付き合ってくださいと言われたら、橋谷春賀は応じないだろう。

 だが、……ほだされは、しないか? それこそ、妙な情に流されはしないか? あの笑顔でもって、あのノリの軽さでもって、一時でも受け入れはしないだろうか。

 シャープペンシルを持つ手に、自然力が入る。

 想像できてしまうところが、嫌だ。

 自分だって散々していることだから──愛のない不道徳な関係。モラルも、常識もなく、あるのはそこにいる互いの肉体という触れられる形のみで。だが、その触れられるものが、饒舌に思える飢餓感があるから、抗えない。セックスできるチャンスがあれば、危険でない限り「まあいいか」と応じてきた。その後がどんなに空しかろうが、味気なかろうが、そこに至るまでのプロセスで、どうしてもすっとばしたい何かがある。

 真面目な言葉のやりとりと、真剣な心の交し合い、互いを安心させるための気配りや心遣い、そんなものを。

 すげかえた。ノリのいい軽い言葉と、甘い誘い文句と、腰に回した掌から伝える快楽で。同価値なんて思っちゃいやしなかったくせに。


「……………」


 パキリ、とシャープペンの芯が小さな音を立てて折れる。

 白いノートに僅かに生まれた鉛の色に視線を落とし、憲二は奥歯を噛み締める。

 ──幸輔が思い切る前に、……と気持ちは逸る。

 だが、何を?

 思い切る前に、自分は、何をしよう、または何を言おう、と思っているのか。その問いに対する明確な答は、彼自身にもこの時、見えてはいなかった。

   



 嫌な出来事は続くもので。

 放課後、教室に忘れ物をとりに行った帰り、部室に辿り着く前に廊下でくだんの人物に遭遇してしまい、憲二は、相手に気を使うことなく思い切り嫌そうな顔をしてしまった。それを見、春賀はけらけらと笑うのだ。


「あたしと遭っちゃって、サイアクーっ、て顔してる」


 何故か楽しそうにおかしそうに笑う顔から視線を逸らし、心の中で(別に)と言い返す。

 会いたくないわけじゃなかった……ただ、会いたいわけでもなかったのだけれど。奈津と話して自分の感情の外側の形が見えてきたとはいえ、その中身は自分自身にもミステリーゾーンで。会えば、そこを引っ掻き回されるのを分かっていた。


 ──黙って、立ち去ってしまえばいい。


 最善の方法を知っていて、それなのに憲二は実行できずに、その場に立ち尽くしてしまう。

 彼女の方から動き出してくれればいいと願った。しかし願いは届かずに、春賀は、憲二が一番突かれたくない場所をダイレクトに突いてきた。


「──なんで視線逸らしていやそーな顔するのに、立ち止まってるのかしらねぇ、憲二くんは」


 にやにやと笑いながら。その理由は分かっているぞ、とでも言いたげな笑み。

 

 ──ブチリと。

 憲二の中で何かが切れる音がした。


 ぐい、と力任せに彼女の腕を掴んで引きずる。夏服から剥き出しの細い腕は、触れるとひんやりとした感触を掌に送ってくる。あっけにとられているかのように、一言も発さない彼女をすぐ傍の空き教室に連れ込んだ。

 手近な机の上に乱暴に肢体を押し付け──そして初めて、視線を合わせたその時。

 静かに、静かに自分を見上げている瞳に、憲二は言葉をなくす。


「……何が、したいの?」


 沈黙の後、彼女は静かに聞いてきた。その言葉の静けさが、いつもの天真爛漫な様子とはあまりにかけ離れていて、憲二は、今自分は人違いを起こしているのではないかと心の隅で思ってしまったほどだ。

 その戸惑いは、次の春賀の台詞で混乱へと変わる。


「──あたしを、抱きたい?」

「……んなこと聞いて……ッ、俺がそうだっつったら、どうすんだよ?」

「抱きたければ、抱けばいいわ」

「…………ッ」

「今更、もったいぶるような体でもないもん」


 さらりと唇から零れ落ちた言葉は、様々な意味を含んだものだった。受け止めそこねて、憲二は本格的に言葉をなくす。──彼女の、自分との相似を探していたはずだった。彼女が汚らしい人間であると、知らしめたかったはずなのに。

 聞いた瞬間、自分の心が苦みで重く沈むのを感じた。

 黙りこんでしまった憲二の背中に、すっと春賀の腕が伸びる。

 背中に回った腕の温もりになぜか安堵を感じた憲二だったが、すぐに、おかしなことに気づいた。


「……何でだ?」

「……………」

「震えるくらいだったら、自分から触ろうなんてしてくんじゃねーよッ……」


 憲二に触れた指先が僅かに震えていて、それを感じた憲二は苦々しく吐き捨てて、彼女から離れようとする。けれど。


「ダメっ!」


 思わぬ強い制止にあい、更に強く抱きしめられて、苦しさに一瞬呼吸の仕方を忘れた。

 春賀は、強く憲二にしがみつくと、必死に訴える。


「憲二は、もっと人に甘やかしてもらわなきゃダメなの!」

「─────」

「優しい人は、淋しがりやなんだから!」


 初めて聞くような春賀の真剣な声、口調。


「優しい人は、優しくしてほしい人なの! 笑ってばかりの人は、笑ってほしい人なの! そうじゃない、って無理してたら、誰だって苦しくなるんだから……自分が嫌いになるんだから!」

「─────」


 心臓を、一気に貫かれたような気がした。

 心の深奥まで見透かされたようで、衝撃が大きすぎる。どうして──どうして彼女が、そんなことまで、知っているんだろう。

 ──淋しかった、人の優しさと温もりがほしくて、いつでも誰にでも愛されていたかった。けれど、それは途方もない望みで。叶うためには元々の自分の性格じゃダメな気がして。明るくノリよく、誰とでも付き合うようになった。自分も笑って、冗談で人を笑わせて……そんなふうにしていれば、大抵の人間は警戒心を抱かず自分に近寄ってきてくれる。たとえ都合のいい友人でも、増えていく。増えていけば、一人になることもない気がした。

 でも──苦しかった。本当の自分が、ずっと、殺され続けているような気がして。


「……んで、あんたにそんなこと……」


 不覚にも滲みそうになった涙をぐっと飲み込んで、机に広がった彼女の髪に頬をつけて、顔を隠す。

 すると、指先で髪の毛を撫でられた。


「図星でしょ?」

「……胸くそ悪ィくらいにな」

「だってあたしも同じだもん。──優しくない人も笑ってくれない人も怖くって、いっつもヘラヘラしてること、覚えたよ? 一生懸命笑ってると、周りの人も自然に笑顔になってくれるの。そうするとね、優しくされてるって錯覚できるの。ああ、あたし愛されてる……幸せだなあ、って」


 一息ついて、春賀は言葉を続ける。


「──たとえそれが、あたしの錯覚でも」

「そんなこと──」

「ない、って言ってくれる? 優しいね、憲二は」


 甘く穏やかな声音でそう囁かれた時……憲二はようやく、自分の心を知った。

 恐る恐る、彼女の背中と腰に、両腕を回す。体を密着させるように抱きしめても、彼女は抗わなかった。

 首筋に頬をつけ、自然に零れるままに吐息を漏らす。


「……あんたなら、愛してくれると思ったんだ。本当の俺でも」

「うん」

「だけど……俺だけを見てくれるわけじゃねぇから、苛ついて、あたったんだ。……ガキだよな、俺……」

「あたしもガキだけどね? 所詮はまだ、高校生、だもん。だけどこれでも、憲二より二つは年上ですから?」

「……勝手にしてんなよな、呼び捨て」

「そっちこそ、いつの間にタメ語?」


 言葉の応酬をした後、二人は顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。笑った後、自然に唇が近づいていく。

 憲二の胸に、チラリと親友の顔が去来した。しかし、罪悪感は脆く崩れ、目の前の安楽に引き寄せられる。

 キスをした。お互い、何度目か数え切れぬようなキスを。温もりを分かち合い、優しさを伝え合うようなキスを。


「……あんたが、好きだ」


 思い余ったように呟いた憲二の言葉に、春賀は「ありがとう」と微笑み返した。その後、もう一度視線を交し合い、秘密を共有する共犯者のように忍び笑いをした。

 憲二は、想いへの返答を求めなかった。春賀も、何も言わなかった。

   

 ただ──満たされきった表情をしている憲二と同じような表情をしている春賀であったが、心の内は、冷静で。──きっと明日には、後悔しているだろう、……彼女は、自分自身にそう囁いた。いつもいつも、その場限りでも愛されたいがために、流されてしまうことを……いつものように、悔いてまた、……自分を嫌いになるのだろう、と。



  続く

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