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恋せよ、少年少女(2)

恋せよ、少年少女 (2)



 そうして幸輔はしばし幸せな空想に耽り、HRが終わったことも気付かなかった。


「幸輔! おい、何ぼーっとしてんだよ」


 体を強く揺すぶられてはじめて、現実へと意識が戻される。幸輔は目をしばたかせると、目の前で怪訝そうな表情を浮かべる親友の姿を見詰めた。


「あ……憲二(けんじ)?」

「『あ……憲二』じゃねーよ、お前。何やってんだよ。HRにゃ遅刻してくるわ、迷子になってるわ、終わりの挨拶したのだって気付かねーしよ……」

「しょうがないだろ、憲二、待っててくれなかったじゃんか」

「待つかよ、ガキじゃあるめーし」


 呆れたように肩を竦める少年は、進学校の中埜高校には珍しく、髪を明るい色に脱色して襟足を長めに伸ばしていた。髪に隠れた耳朶にはピアスホールの痕。外見はかなり軽めの印象を受ける。

 対する幸輔は、短髪にそろえた黒髪で、顔の造作や振る舞いもごくごく普通の高校生少年である。何とも奇妙な取り合わせであるが、二人は幼稚園の頃からの幼馴染みであり、最も仲の良い友人同士でもあった。


「あれ、母さんたちは?」


 人が廊下へと捌けていく教室内を見回して、幸輔は憲二に尋ねる。


「茶ァ飲んでくって。俺らもどっかで何か食ってかねえ? 腹減ったし」

「んじゃそうすっか」


 荷物を持って教室から出ると、廊下は、人でごった返していた。スーツ姿の保護者と、学ランおよび紺のセーラー服の群れ。

 廊下の窓から部室棟に視線を投げかけている幸輔に、憲二はその先を追って、首を傾げる。


「あそこ、何だろな」

「部室棟だって」

「ふぅん。校舎と較べて、随分ボロっちい建物だな」


 ……あの人はまだいるんだろうか、だったら逢いたい、あの扉を開けて出てきてくれないかという思いが胸をよぎる。先ほど窓があった辺りの部室の扉を見詰め、心の中で強く願う。しかし、祈りなど都合よく届くはずもなく、部室棟の扉はどこもしっかりと閉じられたままだった。


「どうした? マジでぼーっとしすぎだぜ、お前」

 近くのファーストフード店で注文をして席に落ち着いてから、憲二はおもむろに切り出す。がさがさと包みを開けてバーガーに齧りつくその様子をぼんやりと眺め、幸輔は思い煩うような溜息をついた。

 その反応によって、長年友人をやっている憲二にはある程度の察しはついてしまう。


「……天使にでも逢ったか」

「いや……桜の精だ」


 ぶっ!っと憲二がコーラを吹きかけた。咳き込む彼に構わず、幸輔はうっとりとした目で語り始める。


「……舞い散る桜の花びらを、憂いを帯びた眼差しで眺めていて……そうして彼女は俺に気付いたんだ。とっても艶やかな微笑みを浮かべ、俺に向かって白く細い指先を振る……。……俺、あんな綺麗な人に逢ったことないよ……」

「さ、桜の精ぃ? マジで?」

「憲二も彼女に逢えばわかる! すっごい儚げで可憐な人だったんだから!」

「あ、そ……」

「信じてないな」

「いや、別に今更どってことないけどさ。お前がはったりかましてるとも思っちゃねーし。……けどお前って、語り始めるとほんっとポエマーだよな……全身痒くなりそーだぜ」


 腕やら胸やらをかきむしる仕草を見せる憲二を、幸輔はじと目で睨む。


「俺の話全然マトモに聞いてないだろ」

「当たり前。お前の好みってどっかおかしいんだもんよ。お前にかかりゃ、十人並みの容姿の女も絶世の美女に早変わりだもんな~」


 それについて幸輔に反論の余地はない。恋が冷めた後、何度も「あれ、こんな娘だっけ?」を繰り返しているうちに、恋は盲目を自分は地でいっているのだと気付いてはいる彼である。黙ってもそもそとバーガーを食べ始める。


「で、でも、今度は勘違いとか思い込みとかじゃないぞ、絶対。本当に綺麗な人だったんだ。憲二も絶対認める」


 食べながらはっきりと言い返す幸輔に、憲二はにやりと笑った。


「ふぅん。ま、そんなに美人なら学校通ってるうちにすぐに誰だが分かるだろ。明日の新入生歓迎会、二年生は出るんだろ? そこにいれば二年生、いなきゃ三年生ってことだし」

「うん」


 憲二の言葉を聞いて、明日の歓迎会が俄然楽しみに思えてきた幸輔であった。目をキラキラさせて明日の空想に耽る親友を眺め、「オメデタイ奴……」と憲二は呟いた。



  ◇


  

 翌日。

 歓迎会が始まる前、会の準備をしていた生徒会長の澤田玲(さわだあきら)は、てくてくと体育館に入ってくる一人の女生徒に目をとめた。今日、三年生は実力テストがあり、文系クラスの生徒会役員と二年生が歓迎会に参加することになっていた。


「あ、き、らっ。頑張ってる?」

「春賀か。テストは終わったのかい? 君は確か理系じゃなかったっけ」


 バインダーに挟んだ会の進行表にチェックを入れながら、澤田玲は柔らかな印象を与える瞳と唇に優しい笑みを浮かべる。温和な性格がそのまま容姿に滲み出ているような、優しいつくりをした顔立ちをしていた。

 玲の質問に、春賀はにっこりと笑って返した。


「理系は挫折しちゃった。今年から文系に転向したの。だから暇で」


 あっさりと言ってのけ、それ以外は喋ろうとしない春賀に、玲もそれ以上は聞かない。副会長に放送機材の最終チェックを指示して、隣にいつづける春賀に話しかける。


「暇な三年生は例年ギャラリー(二階席)から見学するのが常になってるからね。好きにすればいい」

「会長! 準備できました、二年生に移動かけますか?」

「ああ、頼む」


 二年生にてきぱきと指示をする姿を、春賀は素直に賛辞した。


「玲、もう生徒会長が板についてるね」

「前年の後期から、もう二期目だからね。慣れもするよ」

「受験生の年に、会長職やってて大変じゃない?」

「特技も資格もないんじゃ、これくらいやらないと内申に関わってくるだろう?」

「嫌味な理由~……」


 そう言って笑う春賀には、それが玲の本心からの台詞ではないことは分かっている。一年の時に一緒に学級委員を務めて以来、彼の責任感の強さや、周囲への心配りの素晴らしさを熟知している春賀である。進路の関係で今のクラスは違うけれども、一年の時に親しかった距離はまだ失われていない。きっと、生徒会のメンバーに頼みこまれ、断れずに自らの意思で再任を決めたのだろう。そういう力があるのに、「内申のためだよ」と言える余裕を見せる人間を、春賀は嫌いではない。力のある人の嫌味はトゲがない。

 体育館の入り口がざわつき始め、二年生がクラスごとの椅子にかけはじめる。二階のギャラリーにも、暇を持て余した三年生の姿が見え始めた。

 友人と体育館に入ってきた瑞貴は、本部席の近くにいる生徒会長と春賀の姿を目ざとく見つけてしまう。しかし、二人の姿に気付いたのは、何も瑞貴だけではない。


「ねえねえ、あの二人ってやっぱ付き合ってんの?」

「だよねー。橋谷さんって生徒会役員じゃないじゃん? でもよく一緒にいるし」

「美男美女でお似合いじゃない?」


 背後で囁かれる無責任な噂を、瑞貴はできるだけ聞きたくない、と思う。真実は瑞貴にも分からない。春賀が誰と付き合っていようといまいと構わない…と思う。けれど瑞貴は生理的にあの会長が嫌いなのだ。得体の知れないあの笑顔を見るたびに、目を背け、舌打ちをしたくなる。

 けれど、噂話というものは、誰に対しても適当にお鉢が回ってくるもので。


「衛藤くん、橋谷さんと同じ部活だよね? 会長と橋谷さんって付き合ってんの?」

「いや……そういう話、しないし」


 パイプ椅子を揺らして振り向いてきた女子を、瑞貴は適当にあしらう。そもそも、そんなことを知って彼女たちの何の得になるのか…と思うのだが、噂話の真相を知りたいわけではなく、噂話そのものが好きなようなので、「関係ないから」と言ってやめはしないのだろう。


「橋谷さんの名前って、ハルカって言ったっけ? ほら、年賀状によくある字面の」


 女子の会話に触発されたのか、隣に座っていた友人が瑞貴に話しかける。


「季節の春に、賀正の賀」

「何か縁起のいい名前だよな」

「あの人は、年がら年中頭の中がおめでたいから」

「……えらい言い様だな。一緒にいると大変って話、本当なんだ」

「え?」

「ウチの部長の話でさ。部長会議でも面白いことやったって? 三年の人たちも言ってるぜ。遠くで見る分には楽しいし美人だけど、近くにいくとヤバイって」

「……そうでもない。いちいち付き合わなきゃ実害は軽減するかな」

「キツイな~衛藤」


 彼は瑞貴の返答がいちいち気に入ったらしく、けらけらと笑っている。友人を愉快にさせても、自分はちっとも気分がよろしくない瑞貴は、むっつりとした表情で生徒会長を睨み据える。春賀は既にギャラリーにあがったらしく姿は見えない。涼しい顔をして会場の様子を眺めている会長の表情を見、また口元がきつく歪んだ。

 ──お前、それは嫉妬じゃないのか?

 なんて声が、自分に問い掛ける。嫉妬が、即恋愛感情に結びつくわけじゃないと、瑞貴は辛うじて言い返した。

   

 二年生の入場に続いて一年生の着席が終わり、新入生歓迎会が始まった。

 はじめの言葉から始まって、様々な歓迎の催しが続く。その最中、幸輔はきょろきょろと落ち着かなく辺りを見回し、件の少女を見つけようとする。


「いたか? 幸輔」

「いや……」


 隣の憲二が小声で囁いてくるのに、幸輔は首を振って答える。三年生かもしんねぇな、と憲二が、幸輔が思ったことを口にした。

 会は滞りなく進み、生徒会役員であるらしい少女が、スライドで学校行事を説明しているところだった。二年生は、知っている人の映像が出るのが面白いのか、時折笑い声を立てる。

 そうやって、薄暗い中、誰もが同じ一点を見ている時、そうでない場所が気になることはないだろうか。幸輔の行動も、まるで裏番組にチャンネルを変えてみるような、意図しないものであった。ステージ下の端、放送機材が置いてあるところに、先ほど生徒会長だと名乗った人物が、数人の役員と共に立っている。そのすぐ後にある、ギャラリーへ通じる階段から、プリーツスカートの少女が降りてくるのが何となく目についた。


 ──あ……!

 思わず声をあげそうになって、幸輔は憲二の制服の袖をつかんでいた。


「どうした?」

「……いた……」


 幸輔の視線を追ったその先に、憲二は同じく生徒会長を見た。そして、階段の二、三段目から、彼に話しかける長い髪の少女。暗幕をさげた体育館の中なのであまりよくは見えないが、遠目でも美人のように感じた。背も高めで、スタイルも良いようだ。


「やっぱ三年生か? 上にいるってことは。わりと大人っぽい感じ……」


 ぽつりと感想を漏らした憲二の袖を強く握り、幸輔は切羽詰った声を上げる。


「どうしよう、憲二。俺、あの人と話してえ」

「……どうしようったって、お前、今は無理だろ。会終わった後もクラスごと教室まで直行だし。ま、桜の精が実在するこたが分かっただけでもいいんじゃね?」

「そうだけど……」


 好きな人が出来るとそれだけいっぱいいっぱいになって、こうやって毎回必死になる幸輔を、慶二は呆れつつも半ば羨望の眼差しで見ていた。惚れっぽい幸輔は、中学生の頃も誰が好きだの誰に惚れただの、恋愛のことばかりでてんてこ舞いだった。実際に告白するだの付き合うだのまでいったことはないのだが、その分まるで片想いを楽しむ思春期の少女のようだ。

 反面教師なのか、一緒にいる自分といえば軽い方へ流れてしまったように思う。それを嫌だとかいけないと思うことはないが、幸輔の純粋さは救いでありまた、己の汚れた部分を明るみにする光でもあった。決して暖かで優しい光ではなく、射す陽射しのように強く眩しいものだ。例えば言えない秘密を持たざるを得なくなる。女とシたことがある、という事実を。


「部室棟にいたんだろ? じゃ、何かの部活に入ってることは確実だろーし。部活説明会、あるんじゃなかったっけ?」

「そうだよな……、うん、そうだ」


 二人がこそこそと会話をしているうちに、歓迎会はつつがなく終了した。


 暗幕があけられて明るくなっていく体育館の中、階段に腰掛けて澤田会長と話している春賀を、瑞貴、幸輔、憲二という三人の少年が見詰めていた。



  続く

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