恋せよ、少年少女(18)
恋せよ、少年少女 (18)
劇の練習があるせいで、教室で過ごすことが多くなった。
当たり障りのない関係を築いてきたクラスメイトたちと、時には他愛ない会話を繰り広げなければいけなくなってきた。
ソツなくは、こなせているはずだ。──死ぬほど神経を尖らせているなんて、誰も思っちゃいないだろう。春賀は独り心の中で溜息をつく。これで本日四十六回目。幸せは光の速さで逃げていっているな、と思う。
「……っかれたぁ!」
窓際の椅子に腰掛けて台本を眺めていた春賀の隣に、そんな台詞とともにどかっと腰を落とした少年がいる。彼に対しても春賀は、邪気のないめいっぱいの笑顔を向ける。
「お疲れ様! 上手ね、中山くん。羽田大臣とのやりとり、すっごく笑っちゃったわ」
「サンキュ。俺の演技が橋谷の演技を左右するとあっちゃ、張り切らないわけいかねぇだろ?」
「ふふっ、頼りにしてるね」
春賀の言葉に、嬉しそうに口元を緩ませる彼を見、内心、(困ったなぁ)と思う春賀である。
ヒーロー役の彼──中山良太は、以前から気さくな様子で幾度となく話しかけてきてくれていたクラスメイトではあったけれども、この劇の配役が決まってからというもの、妙に馴れ馴れしく近寄ってくるのである。帰る方向が逆であるというのに、練習で遅くなった放課後に何度も「送るよ」と言われ、対応に困ったことも数回……。
危険信号。
そんなこと、誰に言われなくても春賀自身が感じている。分かっている。
「橋谷さーんっ、ねえねえ、ちょっと靴下脱いでくれる?」
四十七回目の溜息をついた春賀のもとに、衣装担当の女子が大変楽しそうな様子で近寄ってきた。
「靴下? いいけど何で?」
「コレよコレ! ジャーンッ!」
そう言って彼女が箱から取り出したものは、高さ十センチはあろうかと思われるピンヒールのエナメルブーツである。ぬらぬらと黒光りするそのブツに、春賀の頬は自然ひきつった。
「……本当に本気で、コレをあたしに履かそうとしてるワケ?」
「絶対似合うから!」
「似合うとかそういう問題じゃない気がする……」
ぶつぶつ言っている春賀に焦れたように、その靴下を強引に剥ぎ取った少女は、手早く春賀の足をブーツに滑り込ませる。
「うわっ、橋谷さんて足細っ!」
「あたしだったらふくらはぎでつかえるよ、コレ~!」
「……………」
どう返答していいのか分からない女子らの賞賛を浴びながらブーツを履き終える。
それを横で見ていた中山が、「倒錯的」とからかった。なるほど、足を差し出し靴を履かせてもらう姿は、それは倒錯的な雰囲気があるのかもしれないと、春賀も女子のつむじを見ながら思う。──まさにそれは、今回の劇の内容には、ぴったりの世界なわけで。
身長が女子の平均を軽く超える春賀が十センチのヒールを履けば、男子の平均値を超えるほどになる。
しかし、隣に立った中山は、その春賀をも超えていた。
「……なぁんか、悔し」
茶目っ気たっぷりに頬を膨らませてみせた春賀に、中山は嬉しそうに笑う。
「似合ってるよ」
「こんな女王様ブーツが似合ってるって言われても……歩くのにも難儀しそうよ、コレは」
足元を見て困った表情を見せる春賀。その踵や爪先の具合をチェックしたクラスメイトの女子が、しゃがんだまま春賀を見上げ、「どう?」と尋ねた。
「キツかったりゆるかったりしない?」
「サイズはいいと思うんだけど……転びそう」
「ヒールのミュールとか履いたりしない?」
「履くけど、こんなピンの、しかもこんな高いのフツー履かないよ~」
女子は春賀の返答に「だよねぇ」と笑いはしたものの、この衣装を却下するつもりはないようだ。世界観を肉付けするのに必要な衣装とはいえ……静止の状態でバランスをとることさえ危ういのに、どうしろと。春賀は四十八回目の溜息をつく。
そんなふうに注意が逸れたのがいけなかったのだろうか。
「きゃっ……!」
ぐらり、と。倒れこむように、春賀はバランスを崩す。
しかし。
「よ、っと」
すぐに彼女の体は、すっと手を伸ばした中山によって支えられた。
否応なしに密着した上半身。鎖骨の下あたりに顔を埋めた瞬間に香った、女子とは違う男子の匂いに、春賀は危うく我を失いかける。
(…………っ!)
動揺を隠すために春賀は、小さく唇を噛む。
──分かってる、こんな時の切り抜け方は。笑いで終わらせるほうがいいのだと──。
パシっと、中山の手を払う。
バランスを持ち直すや否や春賀は、コケティッシュに微笑んで見せて、指先を中山の喉元に向かって伸ばす。体をピンと伸ばし、背筋を張って。彼の顎を、指の腹で軽く持ち上げるようにして。
「『気安く触るんじゃないよ。──アタシが誰だか、知ってるかい?』」
劇中の台詞をさらっと言ってのけた春賀も機転が利いたといえようが、中山のほうも負けてはいなかった。すぐにすっと身を屈めると、顎先にあった春賀の手をとり、その甲にキスを落とす仕草をする。
「『存じていますよ、女王様──』」
周囲にいた人間が思わずパチパチと拍手をしたところで、話のオチはついた。
「なんかもー、ミエミエ?」
「隠すつもりもない、って感じだよねー」
その後。別室の暗幕が張った部屋で衣装合わせをしながらの女子らのお喋りに、春賀はただただ乾いた笑みを頬に張り付かせていた。
彼女らの話は先ほどから一つの話題に終始している。「中山くんて、絶対橋谷さん狙いだよね!」と……。
当人の前で盛り上がらないで欲しいと思いつつも、へらへらと笑って調子を合わせてしまう、春賀の悪い癖である。嫌だという意思表示をすれば彼女らがやめてくれることを、分かっていないわけではないのだけれど。
「……で、どうなの? どうなの? 橋谷さんとしては~」
「どう、って……。うーん、……中山くんって、いい人だとは思うよ。けど、そんな対象として見たことなかったから……」
「……もしかして、もう付き合ってる人、いる?」
「え──」
途端に、彼女らの目がキラキラリンと光ったような気がし、春賀はたじろぐ。
YESの返答を期待していることに申し訳なく思いながら、春賀は首を振った。
「そうじゃなくて、恋愛自体、苦手なの。どう距離をとったらいいか分からないから──……」
戸惑いがちな返答に、彼女らは納得したように頷きあった。
「そういうの分かる! 仲のいい友達でいいじゃんねぇ、って感じでしょ?」
「メンドいもんねぇ、彼氏、いたらいたでさ。いなきゃ寂しいんだけど~」
多分、彼女たちの言ってることとは微妙に違うのだろうと思いつつも、春賀は曖昧に頷いてみせる。
心の中で、四十九回目の、溜息。
にこにこ笑って調子を合わせることは、表面的にはこんなに簡単なのに。笑顔だけで生きてゆかれるのならば、いつまでも笑っていられる自信が春賀にはあった。
けれど笑顔は──そこから生まれる好意は──それだけで済まないから。
単なる仲の良い関係だけで、男女の仲を終わらせてくれないから。
だから──困る。
春賀は通算五十回目の溜息をついた。
続く




