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恋せよ、少年少女(17)

恋せよ、少年少女 (17)



 珍しい人物の訪問を、滅多に会わないだろう場所で受け、坂木奈津は顔には出さないものの内心でひどく驚いていた。

 放課後の校内は学園祭の準備で慌しく、この図書室にいる人間も普段に比べ限られている。今日はたまたま彼氏である楠田尚志のほうが舞台づくりの仕事があり、奈津のほうの衣装づくりの班は休みだったため、彼女は一人、図書室の奥で勉学に励んでいた。

 清風祭が開催されるのは六月半ば。しかしその翌週の土曜日には模試があり、一ヵ月後には学期末テストが待っている。イベントは楽しめるだけ楽しみたいとは思うものの、今年は受験生、気は抜かれない。


「奈・津・さ・んっ。お疲れさんっす」


 甘ったれた声で近づいてくる一年生は、曽根憲二といったか、寄合部の一年生だ。

 へらへらと愛想良く笑う軽い調子が、どこか昔の春賀に似ている、と感じていた。ごまかし慣れている人間の癖だ、しまりのない、警戒心を抱かせまいとする笑顔は。茶色に染めた今風の髪型も、耳にあるピアスの痕も。少なくとも一度は、自分に過剰に期待し、過剰に裏切られた結果──、そんな風に奈津は分析する。

 ちらりと彼に一瞥を寄越しただけで、奈津は手元の参考書に視線を落とす。しかし彼女の中には、彼の話に付き合おうという心積もりが出来ていた。


「何だい、少年? わざわざ私を探しにきたんだろう。あれだけ部長がうるさく言っている部活動をさぼってまでも私に会いたい用事とは、何かな?」

「えー、ていうかさー、……春賀さんてさー、処女?」

「……何を聞くかと思えば」


 軽くせせら笑う奈津の背後に回り、その肩を揉みつつ、憲二は媚びへつらう。


「だって、あのルックスにあのスタイル、んであの性格っしょ? 彼氏いないっつー言葉を信じるとしてもさ、男の方がほっとかねーっていうかさー。なんかさー噂で聞いたんだけど、生徒会長と付き合ってたらしいし? 副部長ともえらく親密だし。どうなってるか知りたくてさ~」

「そんなくだらないことが知りたくて、こんな来たこともない場所まで出掛けてくるとは……」

「んー、俺ってほら、興味のあることには貪欲でさぁ」


 何が楽しいのか、けらけらと笑いながら憲二はそう言う。

 それが本当の理由でないことは、もちろん奈津には分かっている。だが、彼の真意が汲み取れないのもまた事実だった。明らかに春賀を愚弄するような出だしで会話を始めて、何を引き出したいというのだろうか、彼は。

 奈津は、ようやく顔を上げると、じっと憲二を見た。


「君は……春賀が嫌いなのか?」


 眼鏡の奥からの鋭い視線に、憲二は一瞬真顔になる。

 その一瞬を見逃さず、奈津は言葉を継ぐ。


「……図星か? 君は、春賀の何を知りたくてどうしたいんだ? ──理由は親友か? 田代が春賀を好いていることは、君には関係ないことだろう? しかもアレは春賀の意思でもない──」

「幸輔のことは関係ねーよ、ただ……」

「『ただ?』」


 深みに沈んでいくような静かな瞳と口調でなされた問いに、憲二はいつしか己の本心を覗かせていた。

 ペースが、完全に奈津に傾いていく。


「……初めて見た時から、ムカつくんだよ、あの女。へらへら笑っちゃいるけど、すっげ嘘くさくて……。あー、ただの能天気なバカ女かと思えば、……ヤな言葉、投げつけてくるしよ」


 何も言わず隣の椅子を引いてやると、憲二は鷹揚にそこに腰掛ける。

 膝の上に肘をつき、組んだ指先の爪を軽く噛むようにして、憲二は苦々しく顔を歪める。


「……『同族嫌悪』……つったんだ、あいつ……」

「成る程な」


 憲二の言葉を聞き、奈津は言葉短に相槌を打った。

 そこまで聞けば、問いかけたい台詞はひとつだ。


「──で? 君はそれを聞いてどう思った」

「どうって……」


 分かんねえよ、と小さく呟いた憲二は、ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき乱す。


「……分かんねえ、けど。……ただ、違う、って、言い返したくなった」

「ふうん?」

「……だって俺は、……あそこまで辿り着けてねぇし」


 ぽろりと。

 何の遮りもなく、彼の本音がその唇から零れ出た。

 一度、堰を切ればもう止まらない。憲二は唇を舐め、話し出す。


「多分、あの女も俺も相当、軽い人間なんだろうけどさ。俺はそれを、心のどっかで苦々しく思ってる。後ろめたかったり、やましかったりする。けど、あの女はそんなトコもう、飛び越えちまってんだ。人の好意も悪意も、上手にふるいにかけて、自分にダメージがいかねぇように調節できる。──羨ましくて憎らしいんだ、きっと。自分だって人に言えねぇこと抱えてるくせに、生きてるのが楽しいみたいな顔してんな、って……」


 一気に話したその後。

 図書館の隅で、控えめな拍手がぱちぱちぱちと鳴り響く。

 憲二が曖昧な表情で顔をあげると、奈津は拍手を止め、およそ感動しているとは言えない無表情で彼を褒め称えたのだ。


「──いや、言わせてみるもんだな。まさかここまで素直だとは。いや、感心感心」

「……おちょくってる?」

「ように見えるか? 精一杯感動したんだけどな、私は」


 軽く首を傾げ、そんな風に言ってのける。


「……つーか、奈津さん、分かりにくい……」


 ははっ、と軽く笑い声を立てると、憲二自身にも、自分の肩の力がふっと抜けたのが分かった。

 ──気づかなかった、自分はこんなにも、橋谷春賀にこだわっていたのか。そして、こだわっていることを認めずにいたことが、こんなにも自分を苦しめていたのだ。

 己の弱さを吐露してしまえば、構えることのなくなった心ほど軽くなるものはない。

 少なくとも、今話を聞いてくれた人間の前では。


「……なんかさー、奈津さんて、意外。癒し系?」

「私がか? 面白い冗談だな」

「だってさ、何か、春賀さんが傍に置きたがるのも分かるっつーか……」

「私を付き合いにくいと感じる人間の方が多かろう。あれは特殊な例だ」


 ずばんと言ってのける奈津に、賞賛の気持ちさえ覚える憲二である。


「奈津さんて、不安になることなんてねーの?」


 と、失礼なことまで口走る。

 その問いを受け、奈津は呆れたように肩を竦める。


「超人間じゃあるまいし。私はただの平々凡々な人間さ」

「そうやってサラリって言えちゃうトコがなー……」

「──だけど私には尚志がいる」


 そう言って僅かに伏せた睫毛が落とす影は、突然彼女を柔らかく見せ、憲二をドキリとさせる。


「私が不安なことは尚志が肯定してくれる。尚志が不安なことは、私が肯定する。誰だってただの人さ。だけど、そうやってうまく出来てるんだ」

「……………」


 かあ、と頬が熱くなるのを憲二は感じた。

 何ていうか……真顔でなんてことを、この人は。


「……何か」

「ん?」

「奈津さんがノロけてんの、初めて聞いたかも……」


 辛うじて返したその台詞に、奈津は静かに笑みを浮かべた。


「そうか?」


 その笑顔に救われたように──憲二もまた、唇を緩めた。



  続く

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