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恋せよ、少年少女(16)

恋せよ、少年少女 (16)



 翌週、衣替えの完了のとともに、清風祭のパンフレットが全校生徒に配布された。

 劇の紹介は演目のみで、出演者は載らないからそれが救いだ、と誰ともなしに呟いたのは春賀である。二日間に渡り開催される清風祭の一日目は校内発表のみなのだが、三年生が行う劇は例年一日目の午前中に、全校生徒を体育館に集めて大々的に上演されていた。結局全校生徒に恥を晒すことには変わりないのだが、前日まであれこれと言われるよりは、当日舞台上だけで済んだほうがマシというものである。

 ……とは言っても、実行委員に企画書は提出されているわけであり。人の口に戸は立てられない。橋谷春賀がヒロイン役らしいという噂は、学年内でもちらほらと囁かれていた。


「……もー、ほんっと、屈辱っ!」

「……は、分かりましたけど。こんなところにいていいんですか?」

「あー、いいのいいの。どうせ今は私が出ないとこのシーン練習なんだもん」


 一応建前的に心配してみせる瑞貴の言葉を、春賀はそう言って一蹴する。暇そうに手元のパンフレットをめくる音が、壁に天井に静かに響く。

 常に施錠されている屋上へと続く階段の踊り場は、人通りもなく、静かに時間を過ごしたい時には最適だった。下からの階段からは、死角になっていてそこに誰がいるかは分からない。だから、先にそこを使用している者は、階段から見える場所に鞄なりを置いておくのが暗黙の了解だった。そうすれば、その場所をお気に入りとして利用している者同士が、偶然遭遇してしまい変な気を使う必要がないからだ。

 忙しい者はこんな場所に来る必要はない。

 また、部室や教室などで安らげる者も、同じく必要がない場所。

 居場所がなく自分を持て余す者だけが、校内の隠れ場を知っているのは、いつの時代も同じである。

 今日、なぜここに春賀と瑞貴がいるのかと言えば、廊下でばったり出喰わしたところ、瑞貴は彼女に「付き合え」と拉致られたのである。曰く、一人でいるのは寂しいからだそうで。ならば部室に行けばいいと思うのだが、賑やかにしたい気分でもないようだ。

 彼女は時折こうやって、瑞貴や奈津を拉致っては、人気のない場所で無為に時間を過ごしたがった。

 静かで、誰にも邪魔をされない場所。気の置けない友人との他愛ない会話。


「……こないだ、ね。瑞貴が来た時、部室に幸輔くんと二人だったじゃない?」

「──そうでしたね」


 突然切り替わった話に数秒遅れた反応をした瑞貴は、こちらを見ないで語る横顔に視線を移した。

 春賀は、パンフレットに視線を落としたまま、ぽつりと呟く。


「……やっぱり、まだ苦しいなあ、と思った」

「……そうですか」

「必死だったなー。窓際に寄って気持ち落ち着かせて、わざわざ憲二くんの話題出してそこにもう一人いるように暗示させたり」

「……………」

「足が竦まなかっただけでも褒められたモンだと思わない?」

「……同意を求められても困ります」


 くるりと顔を向けて笑った春賀を見返し、瑞貴は心底困ったように顔をしかめた。

 ──本当に、何と返していいのか分からないのだ。いつもの態度が態度だから軽くあしらっていいものか、彼女の傷の深さを認め労わってやるべきなのか。

 密室で異性と二人きりになれない──それが彼女の傷痕だった。

 足が竦んで、体が震えて、声を失って、どうしようもなくなるのだといつか話してくれた。

 そして何故か……瑞貴は例外なのよ、と。確かに彼女は瑞貴といても、その症状を発現させることはなかった。それが何故かは、互いに明確な答を持っていない。恐らくは、異性として微塵も意識し合ってないのだろうと窺い知れたが。

 瑞貴が様々なことを思い出していると、春賀が何でもないことのようにさらりと告げた。


「──でも、玲とはやっぱりだめだった」

「……生徒会長と二人きりになったんですか?」

「ぐーぜんよ、偶然。まさかこの時期に、生徒会室が閑散としているなんて思わないじゃない?」


 膝を抱えた姿勢で、その膝の上で頬杖をつき、憮然とした表情をする春賀。


「すぐに他の役員が来て事なきを得たけどね。──でも、やっぱり、玲の指先が優しくて」


 無意識に、触れられた頬に己の指を滑らせる。そして吐息まじりに言葉を継いだ。


「優しくて──躊躇いなく触れてきて。……泣きそうになったな、この人を手離したんだった、って思ったら」

「……………」


 瑞貴が何とも言えない表情をして顔を逸らせる。彼がそうすることを分かっていて敢えてそれを口にした春賀は、ごめんね、と小さく口の中で呟いた。瑞貴に聞こえないほどの小さな声で。その後、こちらを向かない耳朶から首筋のラインを眺めながら首を傾げる。


「ねえ瑞貴……玲のこと、まだ気にしてるの?」


 ──気にしないわけがない。しかしその本心をぶつけたら、彼女はどうなるだろう。へこたれない笑顔と能天気さが曇った後の彼女をどう処理していいか、その問題は実際自分の手には余った。だから、いつも瑞貴は考える。春賀が一番ダメージを受けない答を。


「でも、あの時春賀さんは、ああして欲しかったんでしょう?」

「ん……」


 あの時。

 日が短くなってきた秋の夕暮れ。部活が終わった後、その日はたまたま二人で昇降口に向かっていた。途中の廊下で行きあった澤田玲が視線だけで春賀を呼んで、彼女は踏み出そうとし──、しかし、振り返ったのだ、一度だけ。縋るような目をしていた、止めて欲しいと、揺れる瞳の奥で訴えていた。春賀がそうして欲しそうだったから、瑞貴は言ったのだ。『春賀さん、帰りに何か食べてく約束、どうします?』できるだけ意味を持たせないように淡々と、どちらでもいいという態度を前面に出して。結果、春賀は今思い出したというような素振りでくるりと踵を返し、瑞貴に駆け寄った。玲は何かを了解したようにその場から去っていった。

 そして二人は、嘘を嘘のままにしないために、中埜高校御用達のラーメン屋に行き、湯気で鼻をずるずる言わせながら黙々とラーメンを啜ったのだ。

 ……けれどあれ以降、玲は春賀の前に姿を現すことはなくなった。だから瑞貴はこの半年間以上ずっと考えていたのだ。二人は本当に付き合っていて、あの時が別れる別れないの瀬戸際だったのではないかと。


「瑞貴がいてくれて良かった」


 同じことを思い出していたのだろう人が、隣で神妙に呟く。


「あの頃のあたしは本当に心が弱くて、色んなことに耐え切れなくなってたの。瑞貴が明るいほうへ引っ張ってくれなきゃ、今でもあたしはずっと苦しまなきゃならなかったわ」

「参ったな。あの時声をかけなければ、もうちょっと思慮深い部長になったかもしれなかったわけですか。いや、惜しいことを……」

「失礼ねっ、人が真面目に話してるのにっ!」


 瑞貴の軽口を嗜めた春賀の声は、その台詞とは裏腹に非常に楽しそうだ。彼の言葉を喜んだことが簡単に窺い知れる。


「そんなにあたしに振り回されるのは、迷惑?」


 振り回していることは自覚しているんだなあ、と瑞貴は内心で思う。


「もう慣れましたよ」

「ふふ、そう言ってくれるから、好きよ」


 いつものように腕を絡ませてくる春賀。腕一本を彼女の好きにさせながら、瑞貴は手持ち無沙汰に天井を見上げた。

 物事に余り頓着しない主体性のない自分は、彼女には相当心地がいいのだろう。それは分かる。実際、興味がないから何も聞きはしなかった。噂も右から左へ流れていってしまう性質だから、彼女に対し先入観も思い込みも生まれなかった。波風が立つのを恐れ、逆らわず、従順にして、彼女の欲しいだろう言葉を選び取っては渡し続ける。

 そうやって、自分の高校二年間は過ぎるものと思っていた。

 それを、満足とも不満とも自分は感じないだろうとも。


「……よし、休憩終わり! じゃあ私は教室に戻るね。部活のほう、よろしく!」

「はい」


 瑞貴を拉致した時と同じく、唐突に切り替えをして立ち上がり階段を駆け下りていく後姿を見送った後、瑞貴は一人小さく溜息をつく。


 ──人は、知らなければ飢えることはない、と何かの本で読んだことがある。


 もっともだ、と瑞貴は思った。

 自分が彼女の支えの一つになっていることだけ、知っていればよかったのだ。何もないからっぽな自分が、彼女に支えとして執着されることで安定していたことなど、気づかなければよかった。


「……今更言っても遅い、か……」


 どうして、今になって気づいたのか。

 引鉄は──分かっている。彼女の台詞から想像したからだ。春賀と生徒会長が、二人きりになってしまった、そして触れられたのだと言ったその現場を。


「……………」


 もう一度、諦めのような溜息が知らず唇から漏れる。

 彼女がしがみついていた腕が、冴え冴えとした空気を運んできて、その冷たさに思わず身震いをした。



  続く

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