恋せよ、少年少女(14)
恋せよ、少年少女 (14)
その頃。
3年の教室が並ぶここ教室A棟二階では、どのクラスも暗幕カーテン、前後の入り口にあるガラス窓に張り紙をして、公然の秘密裏に劇の練習が行われていた。
人気のあまりないその廊下に、突然飛び出した少女がいる。長い髪を無造作に揺らし廊下に座り込むと、お腹を抱えて笑い出す。
「もっ…もうダメ! 限界! これ以上耐えらんない~!」
けたけたと笑い転げている少女の後に、クラスメイトが呆れた顔で廊下に出てきた。その少女──春賀を見下ろし、困ったように溜息をつく。手にした劇の台本を軽く丸め、それで自分の肩を軽く叩く仕草をして、言った。
「あのー……橋谷さん? このシーン、別にお笑いのシーンじゃないんだけどね? 何で笑っちゃうのよ」
「だっ…だって、……だって~」
笑いすぎて目尻に滲んだ涙を拭い、春賀も眉を下げ困ったような顔をする。しかし口元の笑みは消えていない。
「……なぁんか、ダメなのよね~。あたし、向いてないみたい、こーゆーの。だから、ね? 早いとこ配役を変えて……」
「あまぁいっ! そんなんで逃げられると思ったら大間違いだからね!?」
「…………ハイ」
冗談口調の提案を一喝され、春賀はしゅんとうなだれる。
するとそこへ、すらりと背の高い少年が登場する。腕組みをしてぷんすか起こっているクラスメイトを「まあまあ」と宥め、座り込んでいる春賀に手を差し伸べた。
「まだ練習は始まったばっかりだし、そんなムキになんなくても大丈夫じゃねえの? 橋谷さんだって、慣れてくればうまく演れるようになると思うよ」
「ありがと……中山くん」
手を貸してもらい立ち上がりながら、春賀はその少年に礼を言う。すると彼はにっこりと笑った。
「大丈夫、最初は台詞だけ覚えるつもりでいこうよ。危ないとこは俺がフォローするから、気負わずやって」
彼の笑顔に毒気を抜かれたように、春賀を怒鳴っていた少女も平静を取り戻す。
「んー、そうだね、焦っても仕方ないよね。じゃ、ちょっとここで橋谷さん以外のシーンやっとこうか。橋谷さん、良かったら息抜きに校内回ってきてくれない?」
「ありがと~、うん、うん、何でもやるよ~。何をすればいいの?」
天の助けとばかりに彼女の提案に縋り付いた春賀であったが、次の台詞に、一瞬、顔の色を失った。
「この書類、清風祭の実行委員会本部まで届けて欲しいんだ」
「え──……、……委員会本部って、あの、生徒会室だったよね……?」
この時期のみ立ち上がる清風祭実行委員会は、生徒会室に間借りして活動を行っている。生徒会本部役員も、実行委員という肩書きはないものの、例年、全面的に実行委員の活動をバックアップしていた。
「そうそう、よろしくね! まかせたよ!」
「う、うん……」
春賀の目の前で教室の扉が閉まる。
手の中に押し込まれた書類を見、春賀は戸惑いの表情を見せた。
「……生徒会室、かぁ」
小さく、ぽつりと呟いた。その後、何かを吹っ切ろうとするかのように大きく深呼吸をする。
「……偶然なんて、そうそう起こるわけないもんね。さ、さっさと済ませてこよう!」
まるで自分に言い聞かせるかのように声に出し、そして生徒会室に向けて歩き出した。
「たーのもー!」
そして生徒会室に辿り着いた春賀であるが、木製の扉をふざけた台詞とともにごんごんと叩くこと二回。反応がないことに首を傾げる。ドアノブに手を触れてみると……。
「あれ、開いてる。……もしもぉし……?」
そーっと扉を押し開けてみるも、内部に人影は見えなかった。中央の大きなテーブルの上には、たくさんの書類。ところどころきちんと積み上げられているところあり、散乱しているところあり。そろりと体を室内に滑り込ませると、黒板に清風祭について話し合ったのだろう様々な痕跡が見て取れた。そこに懐かしい筆跡を見つけ、春賀は一人表情を和らげる。
「誰かいませんか~?」
きょろきょろとしながら足は自然に奥の書庫へと繋がっている扉へと向かう。開校当時からの生徒会活動に関する様々な資料が保管されている場所である。春賀は知っている。そこにいると、この生徒会室に誰かが入ってきても気づかないことが多い、ということを。
「……ここにも、誰もいない。随分無用心ね……」
書庫の扉を開けて中を視線だけで探った春賀がそう呟いた時……生徒会室の扉がキィと開けられた。春賀は慌てて振り返る。
「あの、この書類届けに──……」
──言いかけた言葉が、途切れる。
薄く開いた唇のまま春賀は固まった。
それは相手も同じだった。生徒会室に入って春賀の姿を確認した彼は、その場に立ち竦む。その背後で、ゆっくりと軋む音を立てて扉が閉まった。
パタン、と。余りにも大きく響く音。
……あの日が、リプレイされているのかと思った、お互いに。
「……何か、用事かい?」
動揺を理性が凌駕したのは、玲の方が早かった。穏やかに微笑んで、何気ない動きで、手元のバインダーとファイルを束をテーブルの隅に置く。自分から逸れた視線にほっと息をつき、春賀は頷いた。
「クラスの子に劇について出す書類、頼まれて。実行委員長に渡すヤツみたいなんだけど」
「ああ、じゃあ俺が預かっておくよ。今ちょっと別の場所で会議中だから」
「ん」
返事をして、春賀は書類を渡そうとする。
……渡そうとするのだけど、足が竦んで動けない。
春賀は僅かに顔を俯かせる。長い髪が頬にかかり視界を遮ってくれる中で、必死に心の中で叫んだ。鎮まれ、鎮まれ、と。
──大丈夫、もう昔のことだ、終わったことなんだ。今の自分は昔の自分とは違うし、相手も昔の相手とは違うのだ。
しかしそう言い聞かせれば言い聞かせるほど、鼓動はどんどん加速し早鐘を打つ。息が苦しい。足元がふらつきそうだ。
「……ッ……」
春賀は、きりり、と唇を噛み締めた。
黙り込んで動かない春賀を不審に思い顔を上げた玲は、書類を手に持ちながら、俯いている少女を見つける。
肩にほつれる髪が彼女を頼りなげに彩る。書類を握り締めた指先は微かに震え、痛々しいまでのこわばりが見て取れた。
──そんな彼女の姿に、言い知れぬ衝撃が玲の心中を貫いた。
キシ……。
床を軋ませ一歩を踏み出した玲に、春賀はぎゅっと目を閉じる。
近づいてくる気配と嗅ぎ慣れた匂い。
「…………!」
さらり、と頬にかかる髪を指でかきあげられた。
「……君は……少しも変わらないね……」
吐息まじりに笑う。それに対し春賀は、弱々しく首を振った。
「……違う」
息を詰まらせながら吐いた春賀の言葉を、玲は落ち着いた声音で切り捨てる。
「──ほら、そんな風に震えて」
「……っ!」
春賀の頬を玲の指が滑った。春賀の体が過敏すぎるほどに反応する。
それでも玲は離れようとしない。指先から掌で頬全体を柔らかく包む。身を屈めて、首筋に唇を近づけて。
「……やめて、玲」
「本当に、やめていいのかい?」
「……………」
髪をかきあげ、覗いた白い首筋に、玲の柔らかな唇がしっとりと触れた。春賀が喉の奥で小さな吐息を漏らす。
「……玲……」
「そんな風に名前を呼ばないでくれ」
「……………」
「──また、止まらなくなるよ……?」
「……!」
ぎゅ、っと玲のシャツの袖を握ったその指先が望んだものは、続行か中断か。
玲がそれを考えるより先に、部屋の外の廊下が僅かにざわつき始めたことに気づく。──実行委員の面々が帰ってきたのだ……、そう思いあたった時には既に、春賀が思わぬ素早さで玲の手をすり抜けていた。
風のように、その身を翻し。
扉が開かれた時にはもう、春賀は入り口付近、どう見ても不自然ではない場所にいる。
「あ、名越くん、ちょうど良かった~。これ、ウチのクラスの」
「おー、サンキュ。……何々、橋谷さん、主役なの?」
「へっへー、ヒーローとヒロインのダブル主役だけどね?」
扉を開けて入ってきた実行委員長を目敏く見つけ、既にいつもと変わらぬテンションで話しかけている。
それは玲も同じだった。
「会長、生徒会主催の出し物の申請書、二件追加です」
「ああ、じゃあそれはこっちのファイルに入れて。あとで検討しよう。──放送機材の件はどうなった?」
「まだ放送部と交渉中です。視聴覚担当の赤羽先生が色々と聞いてまわってくださってるみたいで」
先ほど流れた数分間がまるで夢幻のように、二人の表情はすっかり切り替わっている。書類を提出し終えた春賀は、「さて、と」と呟いてドアノブに手をかけた。
「じゃ、失礼するね。玲、まったね~」
「ああ」
手をひらひらと振る春賀が玲の名前を呼んだことには、誰も頓着しない。春賀と玲の仲の良さは生徒会内では周知のことだった。美男美女、まぁ、そういうことだろうと思っている者が半分。どうでもいいと思っている者が半分、といったところだろうか。
しかし春賀は、扉が閉まる瞬間、刺すような視線を背後に感じる。
「…………?」
ぱたんと閉じた扉の向こうを振り返り、小首を傾げる春賀。
(……繭子ちゃん、かな?)
思い当たるのは澤田玲の妹だ。どうも、顔を合わせるたびに敵愾心を剥き出しにされているような気がしてならない。思い当たることと言えば玲関連だろうか……と、そこまで考えたところで、春賀は急に暗い顔になる。
暗い顔になった、と思ったら、すぐにすたすたと歩き出した。
足は迷いなく一箇所を求めて動く。それは教室ではない。階段を降り、教室棟と部室棟をつなぐ渡り廊下を通り──、
「あれ?」
ふと、目的地である部室に辿り着く前に、端から声をかけられた。
「どうしたんですか? 今、劇の練習してるんですよね」
男子トイレから出てきた少年──それが田代幸輔であり寄合部の部員である、という情報が、春賀の頭の中でカシャンとつなぎ合わされた。
つなぎ合わされた瞬間、春賀はとんでもない行動に出る。
「……っ、はっ、春賀さん!?」
両腕を広げぎゅうとしがみついてきた春賀の体重を何とか支えた幸輔であったが、あまりの事態に動揺を隠せず、驚いた様子で彼女の名を呼ぶ。しかし春賀は何も言わず、幸輔にしがみつき続ける。
顔を真っ赤にしてうろたえる幸輔。
その胸に顔を埋めた春賀の唇が、微かに動いて何事か呟いた。それは誰にも聞き咎められないほど小さな声だ。
──ここは、安全だ、と。
彼女は、そう呟いていた。
続く




