恋せよ、少年少女(12)
恋せよ、少年少女 (12)
一ヵ月後に文化祭を控え、校内が慌しいムードに包まれていたある日の昼休み。
教室で昼食を食べ終えた後、読みかけの文庫本を部室に置きっぱなしにしてきたのを思い出した瑞貴は、昼休みでざわつく廊下を通り抜け、寄合部の部室へと向かっていた。
入り口を見ると、南京錠がかけられていない。曇りガラスの向こうには人の気配。
ガラリと引き戸を開けるとそこには、長い髪を無造作に垂らした少女が、小難しい顔で手元の冊子に見入っていた。
「あら瑞貴、どうしたの?」
「ちょっと忘れ物です」
目的のものはすぐに見つけたのでそのまま立ち去ろうかとも思ったのだが、春賀を難しい顔にさせているそれに興味惹かれ行動を移す前に、彼女の方から声をかけてくる。
「ねー、ねー瑞貴! ちょっと聞いてよ! こっち座って!」
長袖のシャツの袖口をぐいぐいと引っ張られ、そのまま彼女の横のパイプ椅子に強引に腰掛けさせられる。
春賀はその横に自分のパイプ椅子をぴったりとくっつけると、瑞貴の右側の腕に己の左半身を凭れさせ、冊子の表紙をずいとその目前に突き出した。
「……これは、清風祭の劇の台本ですか?」
聞くまでもなく、表紙にはでかでかと、『清風祭劇シナリオ 3-D用』との文字が入っている。
「ここに台本があるということは、何か役でも回ってきたんですか?」
「…っ、よくぞ、聞いてくれたわ! あたしはね、本っ当に楽しみにしてたのよ? 高校三年間の集大成、この寄合部での活動を、文化祭で楽しい形にして終わりたいと思っていたのよ。それなのに、それなのに! 三年生は劇優先とか横暴なこと言うし! さすがのあたしも、クラスの女子全員は敵に回せないし! 本当、辛いのよ~! 瑞貴ならあたしのこの気持ち、分かってくれるわよねっ? ねっ!?」
「…………はあ」
としか、瑞貴には返しようがなかった。
一方的に喚きたてた春賀は、冊子を握り締める勢いでそのまま瑞貴の右腕にしがみついて「ひどい、辛い」を連発している。
しばしの間を置き、状況を脳内で整理した後、瑞貴は眼鏡のブリッジに指をかけ軽くため息をついた。
「……つまり、こういうことですか? クラス劇で練習に参加しなければいけない程度の役にあたり、寄合部への参加断念を余儀なくされた、と。しかもそれは春賀さんの本意ではなくて、クラスの大意で決定されたので、それを不服に思っている、と?」
「そうそうっ、そうなの! そうなの~!」
間近で、眉根を寄せ困惑しながら必死な形相をたたえている顔が、瑞貴を縋るように見つめている。
彼女はそのまま瑞貴の肩のあたりに顔を埋めた。
「劇なんて嫌……あたしはここにいたいのに~……」
「……だけじゃなさそうですけど、ごねている理由は」
淡々と言葉を返すと、顔を伏せたままの肩がぴくりと揺れた。
それを見取って、瑞貴は少し思案する。
「……劇自体が問題、なんですか? 役が主役級だとか」
「─────」
沈黙は肯定なり、とはよく言ったものだ。
黙りこんだ春賀の手元には、くしゃりと歪んだ劇台本。それを奪い取りたい衝動にかられるも、その後の展開を幾つかのパターンに分けて想像すると、結局その衝動は自然にしぼんでいく。奪い取ったのが女王様のご機嫌損ないに繋がったら、これほど面倒なこともないわけで。
手持ち無沙汰に沈黙を続行する瑞貴。
それが逆に良かったのか、春賀は静かに口を開いた。
「……その、通りよ」
「はい?」
「主役級よ! ヒロインよ! どうよ、参った!?」
「……はあ」
間抜けな返答をする瑞貴に頓着することなく、春賀はぎゅっと瑞貴の腕を抱きしめる。
「……何であたしがヒロインなのよぉ……あたしはね、そりゃ、身内のお祭り騒ぎは大好きよ? そういう中でなら、幾ら目立って注目浴びたっていいわよ? でも、見ず知らずの人間に披露できるほど、たいした人間じゃないわよ。舞台になんて立てないわよ。ねえ、何で? 瑞貴は何で、あたしがヒロインになんか担ぎ上げられちゃったんだと思う?」
「何でって……そりゃ」
顔でしょう、と言いかけてやめる。容姿と言えばそうなのだが、それだけじゃない、彼女の魅力。
「屈託がないからでしょうね、春賀さんの笑顔が」
「笑顔?」
きょとんと聞き返した瞳を一瞬だけ見返して、瑞貴はさらりと言い切った。
「良くも悪くも毒気を抜かれるんですよ、天真爛漫な様子を眺めているだけでもね。そういうのが必要だと思ったんじゃないですか? クラスの人は」
「……ちょっと瑞貴、天真爛漫って、褒め言葉じゃないの知ってる?」
「それは勿論」
「……かわいくないッ」
「…って」
何の躊躇いもなく、握ったその手首に軽く噛みつく。
噛みついた方も、噛みつかれた方も、それはそれでさらりと流した。そこに流れていくのは、気安い空気。積み重ねられた時間と信頼感の分だけ心地よい距離感。
「……機嫌、悪いですね」
「雨続きだから」
「ああ、脳に黴が生えるんですか」
「……瑞貴こそ、随分言うじゃない?」
いつになく自分を正面からからかう瑞貴の様子に春賀が頬をひくつかせると、瑞貴は少し意地悪そうに笑む。
「ちょっと最近、ストレスが溜まっているもので」
「部長で発散するんじゃないっ!」
「手近なところで済ませたほうがいいでしょう、こういうのは」
「何を言うのよ。犬猫の発情じゃあるまいし──」
ぽつり、と春賀がそんな言葉を漏らした。
その後。
妙な沈黙が流れる。
沈黙の元は春賀だ。僅かに瞳の焦点を失った様子で、己の台詞を反芻でもしているかのように。
(……………)
瑞貴は黙って視線を逸らす。気づいていないふりをする。
──それが、いいのだと、知らずに知っていた。
春賀が肩から力を抜く。瑞貴の袖の布地を握って止まっていた指先が、ちゃんと腕に絡まりつく。身をぴたりと寄せる。
「部活──、よろしくね? 副部長さん」
そうやって、笑顔を見せる。先ほどのちらりと覗いた闇が嘘のような、普段どおりの屈託のない笑顔で。
「……善処します」
眼鏡の奥で目を細め、瑞貴はそう答えた。
「みんなの前でも、こうやっていっぱいお喋りしてくれればいいのに」
「それは……多分、無理かと」
頬を膨らませての注文に、瑞貴は苦笑する。
「何で? 別に瑞貴、寡黙じゃないじゃん。ただの面倒くさがりでしょ? 部長不在の時くらいちゃんと代理務めてよ」
「俺が色々と口を出さなくても、滞りなく進みますよ」
「そうでも、役にはそれぞれ責務というものがあってねえ……」
「俺を副部長にしたのは、俺の意志じゃなくて状況ですよ」
果たす責任はないと嘯く横顔を軽く睨んで、春賀は唇を尖らせた。
「あたしと二人なら、たくさん話してくれるのにね」
「そりゃ」
腕時計の時間が、五時間目開始まで数分を告げていることを見取り、瑞貴は椅子立ち上がった。
そうして、まだ椅子に座っている春賀を見下ろす。
「適当に相槌打っているだけだと怒りますからね、春賀さんは」
「あたしのおかげ?」
「おかげ──」
寧ろ、せい、だろうと言いたいのを堪え、いつまでも動かない春賀に手を差し出し、床に立たせた。
じっと見上げてくる春賀に、軽く肩を竦めてみせて。
「まあ……自分の意志を捻じ曲げざるを得ないほどには影響を受けてることは認めますよ」
「ほんと?」
「嘘を言ってもしょうがないでしょう」
「ふふっ…嬉し」
ぎゅっと瑞貴の腕を抱きしめた後、その手が開いてくれた扉から先に足を踏み出す。
その背中を追って部室から出ると、瑞貴がきちんと施錠を確認し、二人はそれぞれの教室へと戻っていった。
外では、じっとりと蒸すような空気の中、粒の大きな雨が降っていた。
続く




