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CRUMBLING SKY  作者: 莞爾
第四話 龍を追う者
9/18

❖❖❖

「東京都区部を円で結ぶ山手線がいわゆる陣だっていうのは饗庭ちゃんも知ってるわよね?」


「はい、有名な都市伝説ですよね」


「旧態依然なシステムから乗り換えられない都市インフラは、内部に大量の浮遊バクテリアをため込んでいるの。それこそ飽和しているほどよ。

 ……ほら、オトリの仕事場も公園で三角形を結ぶでしょ? あれと同じね」


 貝木は注文した料理をつまみながら、小夜に対して周波数調整員の仕事を熱く語っている。


「土地や人間から発生する電界……」


「そう! 囮から聞いてるみたいね。山手線は巨大な上に人が多いでしょ? 内側に囲われた都市全体が電界になって、しぶとく生き残るアングラネットワークと大晦日の膨大なサーバー負荷によるスパークで異変が生じるの。東京で毎年『龍』が出るのは当然のことなのよ」


「龍って……さっき見た大きな化け物ですよね。あれってなんなんですか?」


「浮遊バクテリアよ?」貝木は当然のことのように言う。


「そうじゃなくて、こうして楽しそうに飲んでるってことは、危ないものじゃないんですよね」視線は俺に向いていた。貝木相手では笑い飛ばされてしまうと思ったのだろう。


「規模はでかいが、調整員レベルの適性がないとまず拝めることができない。昔ほどバクテリアの濃度が濃くないからな」


「……あれ? 饗庭ちゃんには説明してなかったの?」貝木が首をかしげる。


「急な話だから内緒にしてた。その方が楽しいと思ってな」


「にゃるほど。先に見えちゃったから怖くなっちゃったか。……えっと、『龍』ってのはね、要は浮遊バクテリアのお祭り。見える人にとっての初日の出よ」


 ぴっと人差し指を立てて、貝木は得意げに話を始めた。


 ――龍が浮遊バクテリアの初日の出か……言い得て妙だな。


「饗庭ちゃんはもう姿を見たと思うけど、どんな感じだった?」


「え、っと……ビルのおっきいモニターから、映像が飛び出るみたいな、感じでした」


「混濁したネットワークが具現化しようとするから、しばらくは蚊柱みたいにぐちゃぐちゃしてると思う。……いわゆるラジオの砂嵐だね。そこから時間をかけて周波数が整い、姿を現す。浮遊バクテリアが溜め込んできたイメージが結びついて、人間の想像を超える姿を生成するんだよ」


 貝木はうっとりして頬杖をついた。


「その姿は毎年ランダム。今年もどんな姿になるかわからないけど、私たちはそれを見て楽しむ。見える人たちだけの、お祭りみたいなものよ」


「お祭り……」饗庭は言葉を転がす。その表情は少しだけ、期待と興奮を帯びていた。「じゃあ、私みたいに調整員以外も新宿に集まってるんですか?」


「あの人込みのなかに同業者の顔も見かけたし、見える人はここに集まってると思う」貝木は不敵に笑う。「でも……見える人は結局、調整員の道になっちゃうのよ」


「そうなんですね」小夜は感慨深そうに頷く。将来の進路として一つ展望が見えたようだ。


 見える人は、浮遊バクテリアに魅入られる。

 光に集まる羽虫のように、幻想の世界へと誘われていくものだ。


 深夜に街を徘徊するような落伍者でなければ、幽霊とは出会わない。

 周波数が合わなければ『龍』の姿を見る機会は訪れない。

 真っ当な人間には縁遠い世界……。


 その点でいえば、間違いなく小夜は素質がある。

 この霊素可視化現象というオカルティックな夢がいつまで続くのかはわからないが、不良少女が更正する道はあるのだ。


 さて、三人の認識共有がひと段落したところで、改めて飲み物の追加注文をする。

 生ビールとシャンディガフとジンジャーエールが届くと、貝木は龍の出現を祝して二度目の乾杯をした。


「ぷはーっ! 美味い!!」貝木は旨そうに生ビールを呷り、立派な白髭を付ける。


「上機嫌だな」


「まぁね。『龍』の出現は予測が来てから飛んできたんだから。これを見ないと年が明けた気がしないわ」


 貝木はほろ酔いで笑う。蕩けた眼差しが俺を見る。


「お二人はどんな関係なんですか?」


 小夜は炭酸が昇るグラスを眺めながら聞いてきた。


「同期だ……もう八年か」


「囮とはそんなに一緒なの!? 歳はとりたくないわー」


 貝木はぼやきながら水餃子を頬張る。


「最初は仕事の担当地域が近いから関わるようになったんだっけな」


「そうよ。というか私の狩場を横取りしたの」


「横取り?」と小夜。


「武蔵関と東伏見公園はもともと私の縄張りだったもの。それをこいつが奪って――」


「奪ってない。引き継いだんだ。三年目に引っ越したんだろうが。『弟が事故った』とかなんとか言って」


「弟が事故にあって心配だから、新潟に戻ったの。あ、私新潟生まれなのよ」


「今実家か? 一人暮らしだと思ったが」


「新潟には帰ったけど親とは暮らしてないわ。少し離れた賃貸で弟と二人暮し」


「えー、仲いいんですね」と小夜は少々のけ反る。家庭仲がいいことに驚いているようだ。


「普通よ普通。弟の彼女ちゃんとも仲良いけど……二人きりにはさせてあげないの」


 ひひひ。と貝木は意地悪に笑う。


「弟は幾つだっけ?」


「二つ下だから二十三」


「おお、小夜と同じだ」


 俺は小夜が成人しているとさりげなくアピールしたが、悪手だった。


「饗庭ちゃん二十三?」眉が怪訝そうに吊り上がる。「もっと若いと思ったけど」


「おお、二十三だよな」


「うん」


「……本当かなぁ……?」


 ひやりとする。


「そうだ。服!」俺は話題を変えた。


「服?」


「小夜の服をいろいろ買い揃えようと考えていたんだ。俺が選ぶより貝木に聞いた方がいいと思って」


「ちょい待ち。囮……あんたこんな若い娘と付き合ってるの?」


「い、や、付き合ってないが」


「じゃあなんで服のプレゼントなんか」


「プレゼントなんて言ってないだろ」


「『買い揃える』って、プレゼントとしか思えないでしょ」


「小夜は、……少々訳ありでな」


 この話題も悪手だと今更気付く。


 ――貝木に事情を説明することになる……芋づる式に隠し事が暴かれてしまう……。


 視線から動揺を悟られたか、貝木は小夜に向けて距離を詰める。


「ねぇ、饗庭ちゃんは今学生? それとももう働いてる?」


「あ……っと、働いてる? 感じです」


「どんな仕事」


「……コンビニバイトで」


「ふーん……大変ねぇ。ローソンかしら? ファミリーマート?」


「あー、ファミリーマートですよ?」


 ――まずい。


「ファミマね。この時期はおでんの販売もあって忙しいでしょう」


「そうですね……」


「おでんは何が好き?」


 小夜の目が泳ぐ。当然だ。やったことのない仕事についている設定で、さもよく知っている風に装う必要がある。

 単純に大根でも玉子でもいいはずの質問に思考する間が生じてしまう。それを見逃す貝木ではない。


「牛すじ串とかロールキャベツもあるのよ」


「あー、ロールキャベツ好きですね」


 小夜は完全に追い詰められている。もはやどちらが店員なのかわからないほど知識の差があった。

 貝木の提供した情報以上の会話が展開できていない視点で、もう黒だと見破られただろう。

 焦りからか、小夜は席を立とうとした。その手には電子タバコが握られている。


「あら、饗庭ちゃんタバコ吸うのね」


「はい、ちょっと失礼……」


 十七歳の限界だ。

 大人ぶる精一杯の背伸びが、喫煙者アピールなのだろう。


「はーい。気をつけてねー」


 貝木の声に感情が乗っていない。俺は酔いが吹っ飛んだ。

 小夜が煙草を吸いに席を外した後、仮面のような笑顔が俺を睨む。


「……囮」


「はい」


「未成年よね。すこし幻滅、いえ、かなり幻滅したわ」


「誓って手は出していない……! 聞いてくれ」


 貝木は槌を叩くようにビールグラスを卓に置いた。


「ええ。聞かせてもらいますとも」


 こうして俺は、新年の出来事を洗いざらい話した。





 時刻は二十二時半。しこたま酒を飲み、肴に腹くちくなった三人は店を出る。


「いくらだった?」と貝木。


「ざっくり二万」


「とりあえずこれは奢りね」


「致し方ない」俺は貝木の言葉を受け入れた。


 未成年を保護していることは貝木に明かした。警察にも児童相談所にも頼れないことを伝え、今は仕事を手伝ってもらっているのだと。

 俺が会計を奢るのは、秘密にしていた罰ではあるがそれだけじゃない。小夜に似合いそうな服の提供とヘアーサロンの紹介料が含まれている。


「おー。だいぶ可視化が進んでるじゃん」


 貝木は駅前につながる大通りを見渡して『龍』を視認した。

 そこには液体金属のような、流線型のシルエットがビルの上空に聳え立っている。


 都市のきらびやかな明かりを反射する巨躯。

 足下を走る車はノーブレーキで龍に突っ込んで飲み込まれる。誰も姿が見えていない。対向車が龍の体をすり抜けて走り抜ける。


「ダイダラボッチみたいだね」貝木は言う。もう小夜の件で怒ってはいないようだ。


「不思議……」饗庭は恍惚と、しかし興奮に開いた瞳孔でその景色を眺める。「こんなに大きいのに、みんな『龍』が見えないんだ」


「量子の話、知ってる?」貝木がふいに言った。「ちょっとだけでも聞いたことあるでしょ? 『シュレディンガーの猫』とか」


「名前だけなら……」


「観測されるまで、猫は生きても死んでもいる。あの例え、まさにこれじゃん。この龍もさ、観測者に見られるまでは『いる』とも『いない』とも言えない。

 けど一度誰かが“見た”瞬間、世界のどこかで、それが“在る”ことになる」


 貝木は龍を仰ぎ見ながら、どこか楽しげに肩をすくめた。


「この街にいるのは“可能性”の塊みたいな幻想。見てる奴がいるからこそ、こうして形になる。

 “見る”ってさ、世界に影響を与える行為なんだよ」


「じゃあ、俺たちが見てるから……龍は、いる?」


「そ。『波動関数の収縮』……量子が“現実”になる瞬間」貝木は指をぱちんと鳴らす。「ロマンだよ。空を覆う巨大な龍も、見つけてもらえなければ存在しないことになるんだから」


 俺は新宿駅前交差点の鉄柵を背にして龍を見上げる。

 すれ違う人々は空に目もくれず、足早に通り過ぎていく。

 彼らは俺のことを、街頭広告を眺める暇な人間と認識しているのだろう。

 けれど俺には、確かに龍が見えていた。


「世界はそれを集団ヒステリと呼ぶ」貝木は自嘲して笑う。


「でも、奇麗……」


 小夜は目を奪われて離せない。


「私達が同じ幻覚を見てるなんてすごい……同じ夢を見てるってことでしょ?」


「そうだな」


 例えこの龍が、多数決では存在しないものだとしても。

 集団ヒステリの産物だとしても。

 観測者は夜を共にし、同じ夢を見上げる。


 この経験が小夜の心に光を灯せるのなら、充分だ。


 可視化した龍が新宿のビル街に顕現する。

 質量のある巨大な幻想は、建築物を破壊せずにゆっくりと移動している。まるで合成写真のようだった。


 龍は長い首を降ろして駅前の方へと傾いだ。幸運にも正面からご尊顔を拝める機会が訪れる。


 夜空を滑る龍の首は、いくつもの建造物をすり抜けながら俺たちの目の前に覆い被さる。


「今回の『龍』は鏡みたいだね」


 貝木は言いながら、その鏡面反射する冴え冴えとした外殻に手を伸ばそうとする。

 反射して映る俺たちの姿は、複雑な流線形に沿って引き伸ばされたり圧縮されたりして歪んで見えた。鏡像の奥に目をこらすと、龍の表面を滑る魚影を発見する。


 それは手を伸ばしていた貝木の指先に向かっていた。


「おい、貝木」俺が伝えようとするより早く、魚影は龍の外殻からぷくりと顔を出す。


 鮭の稚魚と似た形をしているその魚影は、まん丸に膨らんだ腹に眼球を備え、きょろきょろと世界を見回している。


「おわ、びっくりした」


 貝木は手を引っ込めて、そしてまた手を伸ばす。背伸びをしても届くかどうかの距離がある。小夜にはちょっと怖いらしく、手を伸ばす勇気が出ない。


 魚は腹の眼球で貝木を見つめると一つ瞬きをして、ぐるりと白目を向いた。

 そのまま尾ひれを差し出して、貝木の腕に向かって突き出す。

 尾ひれが人間の手に変形する。

 指先同士が触れ合う。


 俺と小夜はその光景に息を飲んで見守り、貝木は声にもならない驚きの表情で「今の見た!?」と訴える。


 邂逅。

 そうだ。

 まさしくこれは、龍との邂逅。


 観測者と量子が出会った。


「わ、わ! ……すごい……!!」


 子供のような無邪気な反応をする貝木。瞳には龍の反射が写り込んで潤んでいるように見える。


 ふと視界の横に気配を感じ、俺はすぐそばまで迫る龍の外殻を見る。

 ここにも魚影が二つ。こちらの様子を伺っている。


「お、尾鳥……」小夜が俺を呼ぶ。


 俺は頷いて、手を伸ばしてみせる。

 それに続くように小夜も手を伸ばす。


 龍はおそらく、外殻の表面を滑る眼球によって俺たちを見ている。

 そしてコミュニケーションを図るように、握手を交わした。


 浮遊バクテリアで構成された手の感触は滑らかで、大理石に触れているような硬さがあった。これが幻想とは思えない、確かな質量を感じたのである。


 龍はいつの間にか消滅していた。

 俺たちは空に手を伸ばす三人として、往来の奇異の視線を集めていた。


「あ、あれ?」小夜は状況を理解して、慌てて腕を引っ込めた。「消えちゃった……?」


「いつも呆気なく消えちゃうのよ」


 貝木は名残惜しそうに掌を見つめて饗庭の疑問に答える。


「私たちって周りの人からはどう見えてたんですか? ずっと変人だと思われてた……」小夜は己の奇行を俯瞰して、耳まで紅潮していた。


「貴重な体験が出来たんだから気にしない気にしない」


 まさに『集団ヒステリ』ってね。――貝木は愉快そうに笑った。

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