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CRUMBLING SKY  作者: 莞爾
第四話 龍を追う者
8/19

アポイントメント:貝木椛

 時刻は八時。

 遮光カーテンの隙間から差し込む朝日を他人事のように眺め、俺は今日の報告を書き上げる。薄暗かった室内はすっかり明かり要らずで、俺は手元のリモコンで間接照明の電源を切った。


 脳内は血に汚れた包丁のイメージが焼き付いていた。しかし同じくらい瀬川と交わした唇の感触がまだ残っている。

 恐怖と快楽という強烈な二つの体験が結びつき、こんな時間になっても目は冴えていた。


「考えるったってなぁ……」


 ため息が漏れる。

 瀬川は扱いきれない女だ。

 例え殺人を抜きにしても生きている世界が違う。

 持ち合わせた美貌と才覚。人間力とでも呼べるものが俺とは吊り合わない。


「どうしたもんか……」


 腕を組んで書き上げた報告書を眺めていると、不意に通信端末が振動した。

 俺は心臓が飛び出るほど驚いて、慌ててロックを解除する。


 メッセージの受信通知。

 貝木かいきからだ。


 〈お疲れ様です。

  多分まだ寝てるかな?


  急だけど、今年も龍が現れるよ。

  出現ポイントも発表されたからそこで飲もう。


  今日の十八時に新宿駅東口に集合ね。

  強制です。時間厳守!〉


「げ……」


 メッセージを開封したのは悪手だった。

 開封通知が貝木の通信端末に表示されてるだろう。


 まだ返信をしていないのに貝木から連続でメッセージが届いた。


 〈見たな〉


 ……恐ろしい。読まずに眠るべきだった。


 急な予定が入るのは面倒だが、相手が貝木椛となると無下にできない。

 血と唇の記憶は消えない。だからこそ、龍の話題は救いだった。


 俺はせめてもの反抗としてメッセージには返信せず、目覚ましのアラームを十六時に設定して目を閉じた。


 ――小夜も連れて行こう。


 身を休ませているとそんな考えが思い浮かんだ。

 『龍』の事を伝えれば、きっと目を輝かせてくれるだろう。……まだまだ知らない世界を見せてやりたい。

 そんな、庇護とも慈愛とも言えない気持ちが湧いてくる。


 俺は親代わりにでもなりたいのだろうか?





 今朝は夢も見ずに眠った。

 俺は身体を揺すられていることを感覚する。


「尾鳥さん? ……なんか目覚まし鳴ってるけど、起きなくていいの?」


 小夜の前ではそれなりに大人の振る舞いをしてきたつもりだったが、昨晩の疲れが抜けていないのか、だらしない姿を晒してしまっている。


「いや、……起きなきゃならん……」


 涙腺がうまく働かず、乾いた眼がなかなか開かない。


「すまないな、昨日は忙しかったんだ」


「べつに謝ることないでしょ。起きなよ尾鳥、アラーム止めて」


 言われるがままもぞもぞと手を伸ばし、枕元に置いた通信端末のアラームを停止する。力尽きたように俺はまた目を閉じる。

 瞼が重い。……こうして小夜の手で揺すられていると、かえって心地よく二度寝してしまいそうだ。


「……あれ、小夜はどうやって部屋に入ったんだ?」


 玄関の鍵は掛けたんだったか。俺は昨晩の記憶を遡る。


「普通に開いてたよ。私が家出しに来るってわかってるから、わざと開けてくれたんじゃないの?」


 ……そんなはずはない。


 俺は急速に目が覚めて、ベッドから起き上がる。

 昨晩は瀬川の一件に気を取られていたから、小夜が来ることを失念していた。

 ならば普段通り戸締りをしたはずだ。


 室内を歩き回り、侵入者がいないか見て回る。

 玄関は確かに開いている。下駄箱の上に置かれた鍵も持ち出された形跡はない。

 財布もある。部屋の中で失くしたものもなさそうだ。


「……急に飛び上がってどうしたのさ?」


「いや、何でもない」


 ――瀬川の仕業か、それとも俺の記憶違いか……。


「出かける準備をしてくれ」


「買い物?」


 俺は通信端末を確認する。時刻は十六時を少し過ぎた程度、新着メッセージは無い。


「新宿に用事がある」


「仕事?」


「いや、……飲み会だ。同期と会うぞ」


「そんなところに私が行っていいの?」


「貝木は気にする奴じゃない。あ、貝木ってのは同期で、前に話したよな?」


「不死の仕事を担当してる人」


「そうだ。女の人だから怖がらなくていい」


「え、待って。女同士じゃ歳バレるかも……」


 面倒くさそうに化粧を始めた小夜を背にして、俺はシャワーを浴びに風呂場に移動する。簡単に髪と顔を洗って全身の汗を流すと、タオルで乾かしながら片手間に通信端末のメッセージを確認した。今度は一通のメッセージが届いていた。

 予想通り貝木からだ。


 〈鶏肉か牛肉どっち?〉


 ――キャビンアテンダントか。


 ビーフorチキンとは、相変わらず能天気な奴だ。飲み屋の店を決めるつもりなのだろう。

 確か小夜は焼き鳥が好物と言っていたのを思い出し、『鶏肉』とだけ返信した。

 『連れが一人いる』と続けて連投した時には開封記録が付く。


 貝木から了承の返事が来た。


 〈おっけ〉


 洗面台で歯ブラシを取り、歯磨き粉をつけてデスクチェアに腰掛ける。

 歯を磨きながら、今度は杵原に向けて『今日の経過観察は中止』とメッセージを送った。


 なんだかんだと準備をするだけで集合時間が迫る。現在は十六時半。

 西武新宿には電車で三十分かかることも踏まえると、準備ができ次第さっさと出た方がいいだろう。


 小夜の方は部屋の姿見とにらめっこしてダークブラウンのアイラインを瞼に引いている。瞳には青味がかったカラーコンタクトが入っていた。


「二十三歳になれそうか?」


 俺は問いかける。


「どうだろ。髪を染めればかなり違うんだろうけど」


「髪?」


「黒髪って校則で縛られてる女の子のイメージがあるから、茶髪でも金でも染めちゃえば一気に歳がわからなくなるよ……通信制だし、私も染めようかな」


「染めたら親は怒るか?」


 小夜は鏡に映る自分の顔から眼を離し、天井を見上げる。


「あー、怒るかも。インナーカラーとかならバレないかもだけど、自分でできないし……」


 ――そういう悩みなら、まさに貝木はうってつけだ。


 貝木の本業は周波数調整員だが、世間の風当たりを気にしてアパレルでも働いていたはずだ。伝手を頼れば美容室の紹介をしてくれるかもしれないと、早速メッセージを送る。


 『美容室?』

 『男向けのおすすめはあんまり知らないよ』


 ――いや、女向けで問題ない。


 『女装でもするの?』

 『似合わねー(笑うスタンプ)』

 『(吐血のスタンプ)』


 ――(地団太のスタンプ)


 出かける準備が完了した俺は、デスクチェアに寛いで小夜の化粧が終わるのを待っていた。

 正確には化粧自体は完了しているのだが、着てきた服が顔と一致しないので急遽コーディネートを変更しているのだ。


 小夜が今着ているのは、いかにもドン・キホーテで売っていそうな何のこだわりもないジャージと、デニム風生地の丈の短いパンツ。靴は厚底で、確かに顔と体の年齢がちぐはぐな印象を受ける。


「俺のコートを羽織れば誤魔化せそうだが?」


「飲み会なら結局コートは脱いじゃうし、シャツとサルエル貸してよ」


 小夜は返事を待たず、クローゼットから引っ張り出して着替え始めた。ブラトップの後姿を流し見て、彼女の背中に蚯蚓腫れを見る。

 何の傷なのか……俺は無意識に視線を反らし、見ていない振りをする。


 持ち合わせの服ではどうにも足りそうにない……このあたりも貝木に相談してみよう。





 十九時過ぎの西武新宿線に俺たちは乗り込んだ。集合時間の少し前には間に合うだろう。


 ……車両内はそれなりに混み合っていて、座れる席はなさそうだ。俺は最後尾に立ち、吊革を掴んで車内広告をぼんやりと眺める。


 霊素可視化現象を経験した社会では、車両内の過ごし方にも大きな変化があった。


 拡張現実災害が起こるまでは一人に一つ、誰もが極微細コンピュータの恩恵を受けていた。老若男女問わず、通信端末を肌身離さず持っていた時代があったのだ。その保有率は驚異の一一〇パーセント。一人で複数台持っていることさえも珍しくなかった。


 今ではインターネットは国営となり、課税制度に大きく縛られた。

 一般のユーザーが使えるネットサービスは通話とメッセージ、天気予報やニュース、簡単なアプリゲームと検閲の入ったソーシャルネットワークサービスだけだ。


 匿名での情報発信は全面規制され、あらゆるやり取りは個人に割り振られたIDと紐付けられている。履歴も全て国のサーバーに情報提供される。それにより、通信端末は暇つぶしツールとしての輝きを失い、ゲームを楽しむなら専用の携帯ゲーム器を購入するようになり、書籍や雑誌は再び紙媒体が光を浴びることとなった。


 そんな時代の流れによって、車両内の様相は個性が目立つものとなっている。

 ゲーム機の握るもの、本を読むもの、友人同士会話を楽しむもの、業務用端末を忙しそうに操作するもの……。


 災害以前を生きた人間に言わせれば、『依存から抜け出すような感覚だった』。万能のツールがあらゆるアプリケーションを提供していた時は、確かに便利ではあったがそれ無しでは生きられないような、漠然とした不安があった。何より、常に端末とばかり向き合い、個々の関係も希薄になっていた。薄情で、どこか寂しい世界だったように思う。


「尾鳥さんの携帯は高額納税ハイクラスネットに繋がってるの?」


 小夜は素朴な疑問を俺に向ける。

 電車移動の手隙を利用して報告書を作成している俺を見て、税率の高い専用回線ネットワークに接続されていると思ったのだろう。


「……これはただの業務回線だよ」


 ――嘘である。


 周波数調整員バランサーに支給されている通信端末は、その業務内容から高度な専用回線と契約している。

 少し気が緩んでいた。と、言わざるを得ない。


 世界同時多発集団幻覚以前は当たり前だったネットの自由閲覧も今は昔。未成年にとっては垂涎ものだろう。これからは小夜の前でも通信端末やパソコンをあまり弄らない方がいいかもしれない。


「ローカルデータで書き留めてるだけさ」


 俺は露骨すぎない声で、高額納税ハイクラス端末であることを否定した。車両に乗り合わせた他人にも聞こえるように言っているのだ。日陰者の俺が下手に目立つのは避けたい。


「ふぅん」と、小夜は窓外に視線を移す。「今日は杵原さんに合わないのか」


「今日は休みとする」


 東伏見公園と武蔵関公園を交互に見張るのが、俺の基本的なルーティンワークだ。隔日で杵原の話し相手をして、浮遊バクテリアの情報を得る。

 だが今日は『龍』の出現予測が伝えられたので、杵原と小夜には我慢してもらうほかない。


「杵原は明日会いに行こう」


 小夜は残念そうに眉を下げる。


「……これからイベントがあるんだよ」


「イベント?」


「そう――」


 半音上がった疑問符の言葉に頷く。


「――僕たちはこれから『龍』を追う」

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