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CRUMBLING SKY  作者: 莞爾
第二話 機械仕掛けの幻想 上
5/19

幻覚災害

 始まりは二一〇〇年。

 22世紀の節目に合わせて発表された新技術『微細フェムトコンピュータ』。

 これはドローン技術とIoTの融合から発展したもので、小型の飛行デバイスが独立した演算処理ユニットとなり、空中に浮遊して分散協調処理を行う。

 各個体は専用の新規格ネットワークを通じて常時クラウド接続され、大気圏内全体がハードウェア的クラウド環境と化す構想が打ち出される。

 この技術は一部の先進国で試験的に導入され、軍事・都市運営・医療分野などで成果を上げた。


 それから十年後には、『極微細コンピュータ』が開発された。もはや肉眼では識別できないナノスケールの演算粒子は、裸眼での拡張現実投影を可能にした。

 都市部を中心に大気中に散布され、浮遊状態で自己電力供給しつつ、優れたAGIも内臓。全世界的なクラウド・ハードウェア・インフラとして運用される。

 高精度の気象予測や都市インフラの効率的運用支援など幅広い分野で活用され、不可欠な存在となっていった。


 しかし、二一一七年……史上最大の人為災害『世界同時多発集団幻覚《E.V.E.N.T.》』が発生。

 極微細コンピュータ群が旧世代ネットワークとの干渉を受け、帯域共鳴現象を引き起こした結果、空間内に局所的な電磁スパイクが発生し、ホログラムや映像投影が暴走。

 一部は脳の知覚系を直接刺激し、人間に対し「共通の幻覚」を見せるようになる。

さらに不安定な量子干渉により、ホログラムであるはずの存在が現実に物理的干渉を起こす霊素可視化現象が確認される。


 世界同時多発集団幻覚は三ヶ月に及んだ。


 天と地が反転する幻視により、歩行不能となる市民。

 自らの肉体が腐敗する錯覚により精神崩壊する患者。

 都市空間に現れた霊や獣、神との接触を訴える群衆。


 誰もが何かを「見た」と語り、逃れられない悪夢を彷徨い歩いた。

 この未曽有の幻覚災害は、いち早く学校の教科書にも取り上げられ、二十二世紀を生きる者たちの一般常識となった。


 一方、世界は世界同時多発集団幻覚の反省を受け、ネットワークインフラを国営化する法案を推し進めた。

 極微細コンピュータは国家単位での統制管理へと再編され、回線の帯域・強度・アクセス権はすべて課税制度のもとに分類された。


 特に日本では、ネット閲覧権の課税制度が導入され、現在では個人の通信端末が政府の定める六段階のクラス制によってアクセス可能領域を制限されている。


 そして、周波数調整員バランサーは浮遊バクテリアの残留干渉である『霊素可視化現象』への対処を目的に設立された専門職である。


 ――同期の言葉を借りるなら……『私たちの仕事は幽霊退治ゴーストバスターズだよ』ということだ。


 言い得て妙だと、俺も思う。





「周波数調整員……たしかに聞いたことあるかも」


 小夜は俺の名刺を眺めて呟いた。

 テーブルには注文していた料理がそろい、小夜は生パスタ使用のカルボナーラ、俺は特製ビーフシチューソースのオムライスを食べているところだ。


「『イベント』の頃は十歳くらいじゃないか?」


「二一一七年だから……九歳だね。親はすごく大変そうだったけど、私は学校休めて嬉しかったし、怖い幻覚も見てないよ」


「浮遊バクテリアって言葉はさすがに知ってるだろ」


「あたりまえだよ。見えないけどこの空気中にもあるんでしょ?」


 小夜はパスタを巻きながら話を本題へ戻す。


「……で、なんで幽霊退治する人が池を眺めるだけなのさ?」


「見張りみたいなもんだ」


 俺の返答に小夜は冷ややかな目を向けた。


「なんで周波数調整員なんかになったの?」


「理由は二つ。一つは前職がウェブデザイナーだったから。幻覚災害以降はまるで稼げなくなった」


「ふーん」


「もう一つは、俺に適性があったこと」


「……てきせい?」


 カルボナーラを頬張ったまま、小夜が聞き返す。


「災害時に分かったんだが、俺には特定周波数に適性があるらしい。浮遊バクテリアとの親和性が高いんだ」


「……それだと、幻覚を見やすいってことにならない?」


「そう。幻覚を見やすい。だから向いてる。

 例えば浮遊バクテリアが多く集まっている場所、これから霊素可視化現象が起こりうる場所があるとして、浮遊バクテリアに鈍い奴が調査にやってきても意味がないだろう? 違和感に気付けないんだから。

 影響が微弱なうちに感知できる体質の人間がいち早く駆けつけて、対処にあたる必要がある。昨日俺が公園にいたのも、そこに浮遊バクテリアの気配を感じたからだ。……気配って言っても、ほんのわずかな見間違い、幽霊を見たような空目を見分けなきゃいけないから、なかなか難しいんだけどな」


 俺は饒舌になっていることを自覚して、彼女を置いてけぼりにしている事に気付いた。

 そもそもこんな日陰者の職種に興味はないかもしれない。


「要は、変人は周波数調整員に向いているってことだな」と、話題を切り上げた。


「何でこんな話になったんだっけ?」


「名前を聞かれて、職業を聞かれたんだよ」


「次は何が知りたい?」


「そうだな……小夜の家が、いつから問題を抱えるようになったのか」


 薬物依存はどれくらい常習的なものなのか、それによって彼女が抱える問題の根深さがわかるかもしれない。


「多分、おばあちゃんが亡くなってからかな」


「何年前だ?」


「十四年前……だと思う。私が二歳のとき」


「そうか」


 なるほど。俺は顔には出さないように努めたが、かなり絶望した。

 おそらく祖母の収入や年金を当てにして生活していたのだろう饗庭家の両親は、かなり根深いところから腐っている。

 小夜にとってはそれが日常であり、親の異常性を正しく認識できていない可能性が高い。


 ――どうしたものか……。


 児童相談所に連絡するのはやはり避けられないと思うが、今の関係性、俺に対しての信頼を簡単に壊してはいけないような気もしている。俺が通報することで家庭を失い、さらに誰も信じられなくなってしまっては彼女の将来は闇だろう。


 可能な限り親から隔離しつつ、小夜との信頼関係を築いて、彼女を更生させてあげたい。……であれば、安全な夜を、もっと楽しい日々を、小夜にも味わわせてやれないだろうか。


「さて、昼飯は食べ終えたが、デザートはいるか?」


「大丈夫。次はどこ行く?」


 さして考えなくても用事は思い浮かぶ。

 出かけるための服を調達したい。


「……少し電車に乗って移動するか。ユニクロにでも行こう」


 ファミリーレストランの会計を終え、俺たちは東伏見駅で西武新宿線に乗り、高田馬場まで移動した。


「小夜の親とばったり鉢合わせないかな」


「いるわけないよ」


「何でわかる?」


「仕事に出てるはずだし、お母さんも外には出たがらないから……」


 含みのある言葉と表情の翳りを見て、何となく追求するのは避けた。俺としては大きな駅のある繁華街は違法薬物の売買を行っていそうだと考えたりもするが、詳しいわけではない。入手経路はきっと別なのだろう。


 駅前の商業ビルは三が日の時短営業もなく、むしろ福袋や初売りセールで賑わっていた。今年は元旦から陰鬱な気分が続いていたので、これほど陽の気が集まる所にいると人酔いしそうだ。


「私こういうところ苦手、早く買い物済ませちゃお」


「意外だな。若い女はこういうところ好きなもんだと思ってたが」


「全然。……いろんな人がいると、なんか、ぐるぐるする」


 小夜も人酔いする側の人間らしい。

 俺はユニクロで女性用の上着とシャツ、そしてボトムスを二着ずつ買い揃え、付き合っていると見せかけるための化粧道具も同じ商業ビル内のコスメショップで探した。

 化粧品の知識がないため、商品選びはすべて小夜に任せ、俺は後ろについて歩き、会計をするだけだ。


 ――やっていることは援助交際そのものだな……。


 そう我に返って、すこしぞっとする。

 小夜には悪いが、デート紛いの外出は二度とごめんだと心底思った。


「周波数調整員の仕事って、必ず夜じゃないとダメなの?」


「そんなことはないが、人前で幻覚を見るのはお勧めできない。変動給制だから、報告書さえきっちり出せば好きな時間に働いていい」


 とはいえ依頼があれば相手の都合にも合わせなければならないが。と心の中で付け加える。


「報告書に嘘を書いたら?」


「バレる。上から支給されるものはいろいろあって、例えば通信端末も会社から支給されたものだ。仕事の量や質は筒抜けだ」


「昨日の公園は? 手柄がないからお金もらえないの?」


「そういうわけでもない。『幽霊』を相手にする仕事だから、警戒して監視していたのならそれも報告書を書く。なにか普段と違う出来事が起きたら調査するし、その結果浮遊バクテリアの処理ができたら実績報告して歩合が支払われる」


「じゃあ、私にしつこく話しかけてきたのも、調査のつもりだった?」


「じっと見つめていたのは確かに調査の一環だ。あんな夜中、しかも元旦に黒いセーラー服の小夜が現れたなんて幻覚だと思うだろう。でも、実在する人間だと分かったから、挨拶したんだ。じっと見つめ続けた後に無言のままじゃ不審者扱いされかねないから」


「なるほどね」


 小夜は納得して小刻みに頷く。

 商品棚に陳列されたイエローカラーのサングラスを試着して、鏡を確認する。

 目を隠すだけでも年齢はごまかせそうだ。


 少女はお洒落な鎧を身に纏い、大人の世界に溶け込むのだろうなと思った。


「尾鳥さんについていけば、夜に幽霊が見れるの?」


「見れる……かもしれない。小夜の体質が浮遊バクテリアに敏感なら、俺が経過観察している場所に案内できる」


「経過観察?」


 小夜はそう言ってサングラスをつけたまま振り返る。

 年齢も誤魔化せるだろうし、よく似合っていた。


「微弱な拡張現実発生地が東伏見公園にある。今やっている仕事は女の子の幽霊だから、仲良くなれるかもな」


「本当!?」


 小夜は幽霊が見られると聞いて目を輝かせた。

 もしかしたらいい刺激になるかもしれない。


「ついてくるか?」


「うん行きたい」


「深夜に調査するから、出勤に備えて昼寝しよう」


「じゃあ、今日は帰ろ?」


「そうしよう。……そのサングラスも買っておこう」


 俺は小夜の更生の糸口が見えたことに浮かれ、サングラスを持って会計に行った。値段は二万三千円。

 値段を確認しなかった俺が悪いが、予想以上に高かった。最後の最後で痛い出費だが、不思議と後悔はなかった。




――――❖――――――❖――――――❖――――


注釈:世界同時多発集団幻覚《E.V.E.N.T.》――正式名称は Enhanced Visual Emergence through Network Turbulence(ネットワーク撹乱による拡張視覚出現現象)の略称。

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