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CRUMBLING SKY  作者: 莞爾
第二話 機械仕掛けの幻想 上
4/6

 周波数調整員――二十二世紀の発達したAGIネットワークと浮遊バクテリア、そしてそれにより発生した霊素可視化現象の問題を解決するための組織。


 裸眼での拡張現実投影を可能にした極微細ヨクトコンピュータ――『浮遊バクテリア』は都市部を中心に大気中へと散布され、質量を持たないホログラム広告として活用された。緑化活動のデータ収集、高精度の気象予測、放射線測定など、あらゆる分野においてこの極微細コンピュータは役立てられた。


 しかし、脚光を浴びた新技術が生活に定着してからしばらく経ち、重大な問題が発生した。


 ――浮遊バクテリアによる物質世界への侵食。


 それは歴史上最大規模の人的災害となり、集団幻覚をはじめとした事件報告が相次いだ。

 拡張現実が見せる幻覚によって、健常者がある日突然、精神異常者と変わらない状態に陥る。さらに、浮遊バクテリアは複数人に同一の幻覚を見せるため、組織単位での集団ヒステリーを引き起こし、社会を混乱へと導いた。


 風化しつつあったカルト宗教やテロのような、理解不能の恐怖と混乱を、全世界に同時多発的にもたらしたのである。


 具体的な対処法もないまま、人々は三ヶ月もの間、幻覚と共に暮らすことを余儀なくされた。当時の都市は、まさにゾンビ映画さながらのパニック状態だった。


 天地が反転する幻覚により身動きが取れなくなった者。

 肉体が腐り落ちる幻覚により発狂した者。

 都市を徘徊する魑魅魍魎の目撃談――。


 誰もが「幽霊を見た」と語り、日本ではこの集団ヒステリーを『霊素可視化現象』と呼んだ。


 『地獄の門が開いた』と後世に語られるこの事件は、教科書にも早々に掲載された。

 以降、ネットワークの管理は国際法で厳格に整備され、各国の政府によって統制されることとなった。

 特に日本では、閲覧権限に応じた納税制度が導入され、現在ではインターネットの接続は携帯端末の納税クラスにより六段階に分けられている。

 当時は大きな反発もあったが、アメリカ・EU・中国といった強国からの外交圧力も相まって、この流れを止められる者は、もはや存在しなかった。


 お偉方はこの制度に肯定的だった。「行き過ぎたポピュリズムを抑制できる」とのことで、インターネット税制度を容認した。

 何よりも、ネット接続を制限してからというもの、浮遊バクテリアの侵食が沈静化したことがその正当性を補強した。


 そして周波数調整員は、なおも侵食を続ける浮遊バクテリアと、それによる霊素可視化現象の問題に対応する職業である。その母体は、主に葬祭業の企業。特に経営不振に陥った葬儀屋が新事業として参入するケースが多く、その背景から業界全体が「日陰者」扱いされやすい。


 ……大雑把に言えば、

 『私たち周波数調整員バランサー幽霊退治ゴーストバスターズなのだ』

 と、同期は言っていた。


 言い得て妙だと、俺も思う。





「周波数調整員……たしかに聞いたことあるかも」


 小夜は俺の名刺を眺めて呟いた。

 テーブルには注文していた料理がそろい、小夜は生パスタ使用のカルボナーラ、俺は特製ビーフシチューソースのオムライスを食べているところだ。


「浮遊バクテリアって、義務教育で習ったろ。中学あたりで」


「私が授業を真面目に受けてたと思う?」


 小夜はパスタを巻きながら、肩をすくめる俺を横目で見た。


「で、なんでその周波数調整員なんかやってんの?」


「理由は二つ。一つは、前の仕事が全然稼げないウェブデザイナーだったから」


「ふーん」


「もう一つは、俺に適性があったこと」


「……てきせい?」


 カルボナーラを頬張ったまま、小夜が聞き返す。


「周波数の適性。体内に流れる電気が特殊で、浮遊バクテリアとの親和性が高いんだ」


「……それだと、幻覚を見やすいってことにならない?」


「そう。幻覚を見やすい。この体質じゃないとこの仕事には向いてないんだ。例えば浮遊バクテリアが多く集まっている場所、これから霊素可視化現象が起こりうる場所があるとして、浮遊バクテリアに鈍い奴が調査にやってきても意味がないだろう? 違和感に気付けないんだから。

 だから、影響が微弱なうちに感知できる体質の人間がいち早く駆けつけて、対処にあたる必要がある。昨日俺が公園にいたのも、そこに浮遊バクテリアの気配を感じたからだ。……気配って言っても、ほんのわずかな見間違い、幽霊を見たような空目を見分けなきゃいけないから、なかなか難しいんだけどな」


 俺は饒舌になっていることを自覚して、彼女を置いてけぼりにしている事に気付いた。

 そもそも、こんな日陰者の職種に興味はないかもしれない。


「要は、変人は周波数調整員に向いているってことだな」と、話題を切り上げた。


「何でこんな話になったんだっけ?」


「名前を聞かれて、職業を聞かれたんだよ」


「次は何が知りたい?」


「そうだな……小夜の家が、いつから問題を抱えるようになったのか」


 薬物依存はどれくらい常習的なものなのか、それによって彼女が抱える問題の根深さがわかるかもしれない。


「多分、おばあちゃんが亡くなってからかな」


「何年前だ?」


「十四年前……だと思う。私が二歳のとき」


「そうか」


 なるほど。俺は顔には出さないように努めたが、かなり絶望した。

 おそらく祖母の収入や年金を当てにして生活していたのだろう饗庭家の両親は、かなり根深いところから腐っている。

 小夜にとってはそれが日常であり、親の異常性を正しく認識できていない可能性が高い。


 ――どうしたものか……。


 児童相談所に連絡するのはやはり避けられないと思うが、今の関係性、俺に対しての信頼を簡単に壊してはいけないような気もしている。俺が通報することで家庭を失い、さらに誰も信じられなくなってしまっては、彼女の将来は闇だろう。


 可能な限り親から隔離しつつ、小夜との信頼関係を築いて、彼女を更生させてあげたい。……であれば、安全な夜を、もっと楽しい日々を、小夜にも味わわせてやれないだろうか。


「さて、昼飯は食べ終えたが、デザートはいるか?」


「大丈夫。次はどこ行く?」


 さして考えなくても用事は思い浮かぶ。

 出かけるための服を調達したい。


「……少し電車に乗って移動するか。ユニクロにでも行こう」


 ファミリーレストランの会計を終え、俺たちは東伏見駅で西武新宿線に乗り、高田馬場まで移動した。


「小夜の親とばったり鉢合わせないかな」


「いるわけないよ」


「何でわかる?」


「仕事に出てるはずだし、お母さんも外には出たがらないから……」


 含みのある言葉と表情の翳りを見て、何となく追求するのは避けた。俺としては大きな駅のある繁華街は違法薬物の売買を行っていそうだと考えたりもするが、詳しいわけではない。入手経路はきっと別なのだろう。


 駅前の商業ビルは三が日の時短営業もなく、むしろ福袋や初売りセールで賑わっていた。今年は元旦から陰鬱な気分が続いていたので、これほど陽の気が集まる所にいると人酔いしそうだ。


「私こういうところ苦手、早く買い物済ませちゃお」


「意外だな。若い女はこういうところ好きなもんだと思ってたが」


「全然。……いろんな人がいると、なんか、ぐるぐるする」


 小夜も人酔いする側の人間らしい。

 俺はユニクロで女性用の上着とシャツ、そしてボトムスを二着ずつ買い揃え、付き合っていると見せかけるための化粧道具も同じ商業ビル内のコスメショップで探した。

 化粧品の知識がないため、商品選びはすべて小夜に任せ、俺は後ろについて歩き、会計をするだけだ。


 ――やっていることは援助交際そのものだな……。


 そう我に返って、すこしぞっとする。

 小夜には悪いが、デート紛いの外出は二度とごめんだと心底思った。


「周波数調整員の仕事って、必ず夜じゃないとダメなの?」


「そんなことはないが、人前で幻覚を見るのはお勧めできない。変動給制だから、報告書さえきっちり出せば好きな時間に働いていい」


 とはいえ依頼があれば相手の都合にも合わせなければならないが。と心の中で付け加える。


「報告書に嘘を書いたら?」


「バレる。上から支給されるものはいろいろあって、例えば携帯端末も会社から支給されたものだ。仕事の量や質は筒抜けだ」


「昨日の公園は? 手柄がないからお金もらえないの?」


「そういうわけでもない。『幽霊』を相手にする仕事だから、警戒して監視していたのならそれも報告書を書く。なにか普段と違う出来事が起きたら調査するし、その結果浮遊バクテリアの処理ができたら実績報告して歩合が支払われる」


「じゃあ、私にしつこく話しかけてきたのも、調査のつもりだった?」


「じっと見つめていたのは確かに調査の一環だ。あんな夜中、しかも元旦に黒いセーラー服の小夜が現れたなんて幻覚だと思うだろう。でも、実在する人間だと分かったから、挨拶したんだ。じっと見つめ続けた後に無言のままじゃ不審者扱いされかねないから」


「なるほどね」


 小夜は納得して小刻みに頷く。

 商品棚に陳列されたイエローカラーのサングラスを試着して、鏡を確認する。

 目を隠すだけでも年齢はごまかせそうだ。


 少女はお洒落な鎧を身に纏い、大人の世界に溶け込むのだろうなと思った。


「尾鳥さんについていけば、夜に幽霊が見れるの?」


「見れる……かもしれない。小夜の体質が浮遊バクテリアに敏感なら、俺が経過観察している場所に案内できる」


「経過観察?」


 小夜はそう言ってサングラスをつけたまま振り返る。

 年齢も誤魔化せるだろうし、よく似合っていた。


「微弱な拡張現実発生地が東伏見公園にある。今やっている仕事は女の子の幽霊だから、仲良くなれるかもな」


「本当!?」


 小夜は幽霊が見られると聞いて目を輝かせた。

 もしかしたらいい刺激になるかもしれない。


「ついてくるか?」


「うん行きたい」


「深夜に調査するから、出勤に備えて昼寝しよう」


「じゃあ、今日は帰ろ?」


「そうしよう。……そのサングラスも買っておこう」


 俺は小夜の更生の糸口が見えたことに浮かれ、サングラスを持って会計に行った。値段は二万三千円。

 値段を確認しなかった俺が悪いが、予想以上に高かった。最後の最後で痛い出費だが、不思議と後悔はなかった。

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