――昧旦《まいたん》の欠落者――
饗庭小夜は毒虫のように生きていた。
しぶとく強張りながら、じっとして動かなかった。
彼女の母親はステンレスハンガーを握りしめ、蹲っている娘の背中に振り下ろす。
鋭い風切り音の後に、容赦のない痛みが爆ぜた。
饗庭小夜は歯を食いしばり、目に涙をためて呼吸を浅く繰り返す。
鞭打ちは断続的に、悪意を込め、不規則に幾度も振り抜かれた。
痛みの雨に打たれる最中、饗庭小夜は静かに、心を無にして耐え忍ぶ。
幼い頃は己の罪について内省したこともあったが、どれだけ考えても、理由を理解できたことはなかった。
彼女はいつからかこの理不尽を、《《そういうもの》》だと認識するようになったのだ。
自然災害に悪意が備わっていないのと同様、親から与えられる暴力も自然の摂理なのだと認知していた。
そうなってしまうほど幼い頃から、虐待行為は常習的に繰り返されていた。
ステンレスハンガーがすっかりひしゃげて使い物にならなくなると、母親は鞭打ちの執行を終了する。
次に母親は、憔悴して床に額を押し付けている饗庭小夜の頭に手を伸ばした。
乱れた髪を鷲掴みにして持ち上げ、ごみ袋を捨てに行くような足取りで、玄関まで引きずっていく。
饗庭小夜は苦しい体勢のまま、母親の歩調についていく。
ずかずかと進む母の脚と、散らかった廊下が視界に映る。
母親は上がり框を裸足のまま出て、玄関の扉が開かれた。
掴まれた髪が放られる。
その勢いで頭から転げ落ちる。
荒れた玄関先は冷え切っていた。
アスファルトに倒れて見上げた夜空。
星空の代わりに、漂う浮遊バクテリアの群れが淡く瞬き、ノイズ混じりのホログラムを夜空に散らしていた。
とても寒いはずなのに、痛みのおかげで全身が暖かい。体からは湯気が立つようだった。
饗庭小夜は、ほんの少しだけ清涼さを感じていた。
視界の端、母親が扉を閉める姿が見えた。
錠をかける音が一つ響いた後には、静寂が耳に詰まる。
毒虫のように耐え凌いだ彼女はやがて、ゆっくりと身を起こした。
枯れ枝ばかりの庭に隠していたサンダルを履いてまだ暗い昧爽の街を歩き出す。