――昧旦《まいたん》の欠落者――
饗庭小夜は毒虫のように生きていた。
しぶとく、強張りながら、じっとして動かなかった。
彼女の母親はステンレスハンガーを握りしめ、蹲っている娘の背中に振り下ろす。
鋭い風切り音の後に、容赦のない痛みが爆ぜた。
饗庭小夜は歯を食いしばり、目に涙をためて呼吸を浅く繰り返す。
鞭打ち刑は断続的に、悪意を込めて不規則に、幾度も振り抜かれた。
痛みの雨に打たれる最中、饗庭小夜は己の罪について内省していた。
……しかし、どれだけ考えても、叩かれてきた理由を理解できたことは、一度もなかった。
なので彼女は、いつからかこの行為を当然のものだと認識し始めた。
自然災害に悪意を求めないように、彼女は親の暴力も、ただの『そういうもの』だと思っていた。
悲しいことに、彼女は親の理不尽を当然のことと受け止めていた。
それ程まで幼い頃から、常習的に虐待行為は繰り返されていたのだ。
ステンレスハンガーがすっかりひしゃげて使い物にならなくなると、母親は鞭打ちの執行を終了する。
次に母親は、憔悴して床に額を押し付けている饗庭小夜の頭に手を伸ばした。
乱れた髪を鷲掴みにして持ち上げ、ごみ袋を捨てに行くような歩調で玄関まで引っ張り歩く。
饗庭小夜は苦しい体勢のまま、母親の歩調についていく。
ずかずかと進む母の脚と、散らかった廊下が視界に映る。
母親は上がり框を裸足のまま出て、玄関の扉が開かれた。
つかまれた髪が放られる。
その勢いで頭から転げ落ちる。
荒れた玄関先は冷え切っていた。
とても寒いはずなのに、痛みのおかげで全身が暖かい。体からは湯気が立つようだった。
饗庭小夜は、ほんの少しだけ清涼さを感じていた。
視界の端、母親が扉を閉める姿が見えた。
錠をかける音が一つ響いた後には、静寂が耳に詰まる。
毒虫のように耐え凌いだ彼女は、やがてゆっくりと身を起こした。
枯れ枝ばかりの庭に隠していたサンダルを履いて、まだ暗い昧爽の街を歩き出す。