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雨宮未夢:猪突猛進

皇宮の敷地内、陽光がきらめく静かな池のほとり。


咲き乱れる白い睡蓮の向こうで、シリウスとソレイユが向かい合って座っていた。水面には雲の影が淡く揺れていて、鳥のさえずりすらも遠慮がちに聞こえるほどの静けさ。


「……静かねぇ」


池を見渡せる木陰から、その様子を眺めながら、未夢は小さく息を吐いた。

隣では、やはり見守り役に徹しているエルネストが腕を組んでいる。


「これ、隠れる必要あるんですか?」


「二人きりで話すのが大事なんだろう?」


彼の言い分はもっともだが、覗きをしているようで気分はあまり良くない。

だが、妹の幸せには変えられるものはないかと未夢は諦めることにした。


「どんな会話をするのか楽しみだな」


「想像つきませんね」


シリウスもソレイユも普段は自分から会話を始めるタイプではない。

しかし、ふたりの視線の先では、シリウスがやや居心地悪そうに椅子に座り、ソレイユが頬を紅潮させて何かをまくしたてている。見ているだけで、どちらが主導権を握っているかは明らかだった。


「……殿下に恥をかかせるようなことは、絶対にいたしません! ご両親にもきちんとご挨拶をして、家庭教師を増やして、礼儀も再確認いたします!!!」


「あ、ああ……いや、ソレイユ、その、落ち着いてくれ……っ」


「落ち着いてますっ!」


「いや、どう見ても落ち着いてないってば……!」


未夢は思わず噴き出しそうになりながら、口元を押さえた。行くんだソレイユ。統計上、俺様キャラは我の強いヒロインに弱いんだ。押しきれ。

エルネストが額を押さえて溜息をつく。だが、その横顔にはどこか穏やかな笑みが浮かんでいた。絵美里から聞いた話によると口の上手いネームドキャラ一位だったエルネスト。彼すら唸らせるソレイユの熱弁に、さすがのシリウスも圧倒されているようだ。

しかし、ソレイユは踏みとどまり、腕を捲ったかと思うと拳を握りしめた。

次の瞬間、大きく息を吸うと、はっきりとした口調でシリウスに宣言した。


「殿下、何度も申し上げていますが、わたくしは!王妃になる覚悟はできています!このまま婚約の話、進めます」


シリウスはばつが悪そうに顔を顰める。


「……で、でも」


シリウスの声に微かな動揺が生まれるのも無理はなかっただろう。彼の表情は普段の気取ったポーカーフェイスを取り落としている。


「わたくしに至らないところがあるのなら直します! お妃教育だって受けますし、お料理やお掃除だって……っ」


「お前……っ」


「ちゃんと陛下にも挨拶に伺います!お金だってありますし、大丈夫です!」


「…………ああ、もう」


シリウスは呆れたようにそう呟いた。そして髪の毛をくしゃりと握りつぶすと頭を抱えた。


「……殿下?どうかされました?」


「いや……」


シリウスが口ごもった後、観念したように口を開いた。


「……わかったから、一旦落ち着け」


エルネストが額を押さえて溜息をつく。だが、その横顔にはどこか穏やかな笑みが浮かんでいた。


「……ソレイユ嬢は妃を何か勘違いしてないかい?」


「想像以上に猪突猛進ね」


「それにしても……シリウスが、あそこまで押されるとはな」


エルネストがどこか感心したように呟く。


「わたくし殿下のことをもっと知りたいんです。そしてわたくしのことを殿下に知って欲しいんです」


そして大きく息を吸い込んだ後、一気に吐き出すと背筋をぴんっと伸ばした。普段の姿はポメラニアンのような愛くるしい彼女。今の姿は、まるでよく訓練された猟犬のようだ。今まではソレイユの気迫に押されていたシリウスが、初めて自分から身を乗り出した。


「俺のことを?」


「はい、好きなお茶受けから文字を書く時の癖まで全部知りたいんです」


シリウスは一瞬黙り、やがて小さな声でつぶやいた。


「……ベリーのムースケーキ」


その言葉を聞いてソレイユな華やぐような今日一番の笑顔を見せた。その言葉を聞いた瞬間のソレイユの顔はきっと忘れないだろうと思わせるものだった。 


「美味しいですよね!何のベリーが好きなんですか?」


一方的だった会話のキャッチボールはお互いにパスを出し合うようになっていった。


「心配しすぎだったのかもしれませんね」 


「年長者として心配をするのは当然だろう」


そのとき、ふたりの間で何かあったのか、水辺からぱしゃりと水音がした。見ると、シリウスが椅子から少し立ち上がり、ソレイユの手をとって何か言っている。


「……これは」


エルネストも言葉を失ったように呟いた。未夢も大きく息を吸うと、思わず拍手をしてしまうところだったがなんとか堪えた。しかし心の中ではその感動に打ち震えていたのだ。あの捻くれ俺様王子の心をほんの数分で溶かしたのだ。

思わず木の陰から飛び出しそうになる未夢を、エルネストが慣れた手つきで首根っこをつかんで止める。


「……離してもらえます?」


「君は魂年齢(とし)相応に冷静なんだか、そそっかしいのかわからないな」


初々しく、ぎこちなく、それでもまっすぐに。


まるで水面に射す陽光のように、かすかな希望がそこには確かにあった。

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