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雨宮未夢:帳簿が写した記憶

ノクスは、部屋の奥で古びた魔導書に目を通していた。相変わらず、声もかけずに扉を開けると睨まれるのは分かっていたが、未夢は意を決して扉を押した。


「……なに」


低く掠れた声。寝不足なのか、それとも単に人と話すのが億劫なのか、ノクスは視線すら上げずに呟いた。


「これ、施設から持ち出した帳簿なんだけど……ちょっと、見てもらえない?」


未夢はそう言って、重たい帳簿を机の上にそっと置いた。


ノクスの指がぴくりと動いた。興味がない風を装いつつも、彼は帳簿の表紙に手を伸ばした。そして、ぱらぱらと数ページを捲った瞬間――


「……これ、神聖派絡み?」


珍しく、ノクスが目を見開いた。


未夢は一瞬、意外そうな顔で彼を見つめた。


「ええ……かもしれない。支援金の出所が不自然で、修道会を経由している痕跡があるの。貴族の名義になってるけど、どう考えても彼らの資金力じゃ説明がつかない」


「どこ?」


ノクスの口調が、明らかに変わった。


面倒くさそうに唇を噛むような癖もなくなり、指先が鋭く紙をなぞる。普段の彼からは想像もできないほど、集中力が一点に集まっていた。


「この辺……ほら、このページ。書き換えた跡があるの」


未夢が示した箇所には、金額の上にうっすらと別の文字跡が残っていた。修正魔法を施して上書きした形跡。ノクスはそこに魔力を流し込み、うっすらと前の文字を浮かび上がらせた。


「“光の献身会”……聞き覚えがある」


その名を口にした瞬間、ノクスの手が止まった。


彼は数秒、ページを見つめたまま硬直していたが、次に顔を上げたときには、まるで別人のように鋭い眼差しを宿していた。


「これ、調べる。すぐに」


「え?」


未夢は驚いたように目を丸くした。普段なら、どんな頼みごとをしても「面倒」と返されるのがオチだったノクスが、自ら動こうとしている。それも、眉間に深い皺を寄せたまま、明らかに怒りを湛えて。


「待って……ノクス、なにか知ってるの?」


「昔――」


彼は言いかけて、一度唇を閉ざした。未夢が何も言わずに待っていると、ノクスは僅かに目を伏せ、低く呟く。


「……僕の家、昔は名前は違うけど似たような組織に金を出してた。貧しくても、救われるって信じて、最後の一銭まで」


未夢は息を呑んだ。ノクスが家族の話をすること自体、極めて珍しい。


「でも、何もなかった。食い物も仕事も、祈っても変わらなかった。金が尽きたとき、僕は……売られた。救済のためって、書類まで出されて、教会経由で“孤児”にされた」


彼の声は震えていなかった。怒りは静かに、冷たく、内側に沈殿していた。


未夢は言葉を失った。ノクスの無関心は、単なる無気力ではなかった。痛みを知りすぎた者が、もう誰も信じられないまま生きている姿だった。


「……だから、こんな奴らがまた“子ども”を利用してるなら、許せない。……徹底的に調べる」


ノクスはそう言いながら、机の引き出しから自身の魔導具を取り出した。記憶を視るための細工を施した小型の水晶球だ。


「帳簿そのものからは魔力が薄いけど、書き換えた魔法の痕跡なら残ってる。そこから記憶を追えるかもしれない」


「ノクス……」


未夢は思わず、彼の名前を呼んだ。何と言っていいかわからなかった。ただ、彼がこの話題にこれほどまでに感情を揺らす理由が、今はっきりと伝わってきた。


部屋の空気が一変していた。


エルネストが背後からそっと近づき、腕を組んだまま言った。


「記憶を視る魔法、どのくらい精度が出せる?」


「魔法そのものが強ければ、十分。記録された魔力の“感情”が強ければ……映像になる」


「感情、か」


エルネストが低く呟いた。


「じゃあ、仕掛けたやつが“悦び”ながら書き換えていたら?」


ノクスは、酷く冷たい笑みを浮かべた。


「――最悪の瞬間を、鮮明に見せてあげるよ」


ノクスは無言のまま帳簿の一部を見つめていた。古びた紙片を指先でなぞる仕草は繊細で、まるで傷ついた小動物を扱うかのようだ。


彼の前にいる未夢とエルネストは、息を呑んでその様子を見守っていた。


「……“魔法の使用は最小限に”。“対象の記憶が流れ込みすぎないように”」


ノクスはそっと目を閉じ、右手で帳簿を握る。


刹那、空気が震えた。


部屋の中が淡く青白い光に包まれ、紙片から微かに霧のようなものが立ち上る。

未夢とエルネストは、息を詰めてその様子を見守った。


「……“献金、今月も無事に”……」


ノクスの唇が、誰かの言葉をなぞるように動いた。


「“金に汚れた帳簿の改ざん”……“問題の寄付元は記録から消せ”……“名は残すな”……」


ノクスの瞳がかすかに光る。彼の視線の先には、現実には存在しない“記憶の幻影”が映っていた。


「……映った?」


未夢がそっと尋ねる。


ノクスはしばし黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。


「……顔は見えなかった。フードで隠れてた。でも、男。若い。……左手の甲に、黒い印があった」


「印?」


「……多分、あれは“祈祷文の焼き印”。聖堂派の……過激派だけがつけるやつ。普通の信徒じゃない」


沈黙が流れる。


未夢はぞくりと背筋が寒くなった。


それは単なる信仰団体ではない。自らを“神の剣”と称して、罪を裁く資格があると信じる者たち。王国でもごく一部の限られた地域で密かに活動している、狂信的な集団。


「……それじゃ、本当に……」


「仕掛け人は、聖堂派の過激派か、少なくともそこと通じてる誰か」


エルネストの声が低くなった。いつもの軽口はなく、瞳に宿る光は鋭い。


「金の流れだけでなく、思想そのものを支援施設に浸透させてる……?」


「貴族や商人と違って、貧しい子どもたちに思想を植え付けても世間に与える影響力は低いはずよ」


未夢の疑問に、エルネストが少し顔を伏せて考え込む。


「……いや、あるかもしれない。君が見た未来。暴動になるはずの労働者たちの集会。そこにいた子どもが、明らかに“何かを吹き込まれてた”って、そう言ってなかった?」


「……!」


未夢は思い出す。あの時、未来視で見えた“火事と混乱”の中に、涙を流しながら「これは正義だ」と叫ぶ少年の姿があったことを。


「もしも彼らが、“純粋な弱者”を通して正当性を主張しようとしているなら?」


「暴動を“正義の怒り”に見せかけるための……準備?」


「そして、巻き込む。誰も疑わない存在を、敢えて最前線に立たせて」


未夢は拳を握った。


ノクスがふいに、視線を逸らした。彼の肩はかすかに震えていた。


「僕は……あんな奴らのために、魔法を使ったんじゃない」


それは、誰に向けた言葉でもなく、自分自身への吐露だった。


エルネストが静かに歩み寄り、ノクスの肩に手を置いた。


「君が見せてくれたものは、“真実”だ。それがどんなに醜くても、知ることで守れる命がある」


ノクスは何も言わず、小さくうなずいた。


未夢はその瞬間、自分の中に、確かな覚悟が芽生えているのを感じた。


この戦いは、ただの暴動阻止じゃない。人の心を弄び、希望を踏みにじる者に対する、静かで確かな反撃だ。


「ノクス、ありがとう。……あなたがいてくれて、よかった」


その言葉に、ノクスはふいと目を逸らした。


「……礼なんかいい。やるべきことを、やるだけだ」


そう言った彼の背中には、普段にはない強さが宿っていた。


エルネストが軽く頷いた。


「なら、こっちも動こう。情報の出所を洗って、次の手を打つ」


未夢もまた、心の中に渦巻く怒りと恐怖を押し殺しながら、一つの決意を固めていた。


「情報がまだ足りない。記憶に出てきた“若者”が誰か、調べる必要がある。施設内部に協力者がいる可能性も」


「僕のほうでも、神聖派と繋がりのある人物を探ってみる。貴族議会にも、密かに支援してる奴がいるかもしれない」


「わたくしは殿下からグラジオス家に話をするべきだと思います。グラジオス家が狙われている以上、火事が防げても他の方法で相手は攻撃を仕掛けてくる。」


「そうだな、光の献身会の規模にもよるが未来視のことは伏せながら大人達の手を借りないと行けない段階になってきた」


それぞれの役割が、自然と決まっていく。


静かに動き始めた歯車は、やがて王国全体を巻き込む嵐の中心へと向かっていく。

未来を変えるために。

過去に囚われたままの少年が、自ら進んで前に進もうとしている――それは、たった一歩でも、確かに希望の兆しだった。


その時、ノクスがぽつりと呟いた。


「……また、使っていい。君のためなら、僕の魔法、使っていい」


それは、誰よりも他人を恐れていた少年の、精一杯の信頼の証だった。


未夢は、少しだけ微笑んだ。


エルネストはそんな二人を見て、小さく肩をすくめた。


「ノクスにも“共犯”としてしっかり働いてもらわないとね」


「光栄だね、“優秀な犯罪者”の一味に加えてもらえて」


夕暮れの街を抜けて、三人はそれぞれの道へと戻っていった。

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