エピローグ:雨宮未夢
燃えさかる炎のような閃光が、視界を白く染め上げた。
その光は、世界の理すら焼き尽くすような強さを持っていた。
熱さも、痛みもない。ただ、何かが引き裂かれるような音が、耳の奥で鳴った気がした。
気づけば、深い闇の中に立っていた。
声がする。
「ずいぶん大胆な賭けに出るんだね」
低く、冷ややかな声が闇を裂いた。
淡く浮かび上がる光の中、影のような存在が一歩、前へと踏み出す。その視線の先には、まっすぐな瞳をした一人の少女が立っていた。
「私がほしいのは、あの子が笑っていられる世界。そのためになら、どんなことだってするわ」
少女の声は、揺るがぬ決意に満ちていた。
その顔に浮かぶ静けさは、諦念でも諦めでもない。ただ、覚悟の深さだけがそこにあった。
「最終確認だ。失敗したら、君はこの世界から魂ごと消える。それでも──」
再び投げかけられる問いに、少女はわずかに眉を動かし、口元を引き結ぶ。
「何度も聞かないで。……早く始めましょう」
凛とした声が、重苦しい空気を切り裂いた。
⸻
足音というものには、その人の性格がよく表れると彼女は常々思っている。例えば、あのバタバタと小さな部屋を走り回る足音――それは、妹・絵美里のものだ。
「未夢!今日は推しのコラボカフェだから早く起こしてって言ったよね!?」
ドアを勢いよく開けて絵美里が叫ぶ。肩までの髪が跳ね、朝日を浴びて艶めく黒髪が揺れた。
「起こしたわよ。あと10分って二度寝したのは絵美里でしょう」
未夢は布団の中から顔を出し、ため息まじりに答えた。
「お母さんは?」
「もう仕事に行ったよ」
二人だけの朝。菓子パンをくわえながら、絵美里は口いっぱいに言葉を詰め込む。
赤いリボンに、白いスカート。鏡の前で巻き髪を器用に整える姿は、手慣れていて年齢以上に大人びて見える。
「なに?」
「ずいぶん今日は赤いね」
「王子殿下の女コーデだからね」
得意げに胸を張る絵美里に、未夢は肩をすくめる。
「またゲームの話?」
「赤薔薇の君の美しさに負けないようにしないと!」
ここ最近、絵美里は「flower hourglass(通称フラアワ)」という女性向けソーシャルゲームに夢中だ。食事中も寝る前も、推しキャラの話ばかり。
それでも、楽しそうに話す彼女を見ていると、未夢はどこか微笑ましく思ってしまう。ただ、時には永遠に興味のない話を聞かされる側の気持ちも汲んでほしいのだが。
「お姉ちゃんも第一章のメインイベストまで読んでよね?」
「気が向いたらね」
「……あ、今日雨じゃん。傘忘れそうだった!」
「昼頃には止むみたいよ」
「あーよかった。じゃ、いってきます!」
「いってらっしゃい」
バタンと扉が閉まり、絵美里の足音が遠ざかる。途端に訪れる静寂に、未夢は窓の外へ目を向けた。雨は、絵美里が起きた時よりも強くなっているようだ。
ソファに腰を下ろす。今日はバイトまで時間がある。けれど梅雨の低気圧のせいか、頭が重い。
絵美里がフラアワに夢中になって半年。未夢もついに、そのアプリをダウンロードする決心をした。
別にゲームが嫌いなわけではない。ただ、未夢は推しキャラが女性になりがちなタイプなので、男性キャラ中心のゲームには食指が動きにくいのだ。とはいえ、絵美里によれば、女性キャラも何人か名前付きで登場しているらしい。
フラアワは、異世界の学園を舞台にした女性向けゲーム。王族も庶民も平等に学べる名門学園。普通科に通っていた主人公は、ある事件をきっかけに魔法科に転入する。そこでは四つの派閥が対立し、プリンシパルと呼ばれる生徒会に目をかけられた主人公は、やがて学園を巻き込む陰謀に巻き込まれていく。
キャラクターは全12人。それぞれ1章ごとに深掘りされ、現在は第7章の途中らしい。
ゲームを起動すると、アニメさながらの美しいオープニングが流れ始めた。登場するのは、いずれも端正な顔立ちのキャラクターたち。だがその中に、一瞬だけ映る二人の少女がいた。
銀色の髪の少女は鏡に微笑み、黒髪の少女はひび割れた鏡を睨みつけている。ふたりの瞳は、同じオパール色だった。なぜか未夢は、その瞳に心を奪われてしまった。
オープニングが終わると、画面が切り替わる。
“Who do you choose?”
キャラクター選択画面。しかし、さっきの二人は見当たらない。やはり物語の中心人物ではないのだろう。
どのキャラクターにも心惹かれずにいると、雷鳴が轟き、部屋に雨音が強く響く。そして突然、画面に別の文字が浮かび上がった。
“You don’t choose us, I choose you.”
次の瞬間、スマートフォンの画面が真っ暗になり、まるで鏡のように未夢自身の姿が映る。
光――強烈な閃光が彼女を包み、意識が遠のいた。
目を開けたとき、そこには見知らぬ天井が広がっていた。
いや、天井というより――天蓋だ。
バタバタと走る足音が近づく。勢いよく扉が開いた。
「お姉様ー! セレーネお姉様!! もう朝ですよ!!」
そこに立っていたのは、画面で見たあの黒髪の少女だった。白のドレス、赤い揺れる大きなリボン――年齢は少し幼く見えるが、間違いない。
未夢は、戸惑いながら口を開いた。
「……鏡」
「鏡? えっ、はい、どうぞ!」
差し出された手鏡に映った自分の姿。
銀髪に、オパールの瞳。
そこにいたのは、もう“未夢”ではなかった。
――セレーネ・ハイドレンジア。
『フラアワ』の中で、ただ一人、物語の未来を知る少女。
彼女は、ゲームの中のサポートキャラクター――セレーネ・ハイドレンジアに乗り移ってしまっていた。
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“The rules of this world only apply to those who have the soul of this world.”
中学生の頃に書いていた小説と同じタイトルで、今の自分が書いたらどうなるか試してみたくて書き始めました。もし読んでくれる人がいて、需要があるなら、このまま書き続けたいと思っています。よろしくお願いします!