言わないと伝わらない
しかしこの人出の多さはどうだろうと、自分のことは棚に上げ、混雑している神社の境内を眺める。確か去年の初詣もそう思った記憶がある。
去年の初詣は、わたしが一緒だったのはもちろん後輩くんじゃなくグループでもなく、別れた彼だった。
ああ…切ないわ。でも…今年はどうして黒崎くんと初詣をしてるんだ?
「去年は…」
「ん?」
「去年は…彼と来たんですか」
「どこに」
「初詣です」
まったくどうして、この子はわたしがまさに考えていることをタイミング良く聞いてくるのかな。
まさか、顔に書いてあるとか。
「そうよ。別れた…振られた彼と来た。でもそれがどうしたの。ああ残念。小吉だった。黒崎くんは?」
「俺は大吉でした。それじゃあ、先輩は今、フリーなんですね」
「えー!大吉なんてすごいじゃない!わたしおみくじで大吉なんて出たことない」
「あの、先輩…」
本殿までの道の途中にいくつかの小さな祠があり、そこを順番にお参りする。参拝客は本殿に集中しているので、その辺りは人気がなくひっそりしていた。南向きだったので太陽の光でぽかぽかと暖かい。
「きっといいことあるよ。何て書いてあった?」
彼は折りたたんだ小さなおみくじの紙を広げ、めんどくさそうに読み上げる。
「ええと、探し物はおのずと見つかる。下り坂を進むように何事もうまく行く」
「おお、すごい。それから?」
「思いを告白せよ。さすれば会うにつれ思いは深まり幸せな将来が待っている」
「それは…入れ食い状態ってことね」
「先輩のその言い方、ちょっと下品です」
きみに言われたくないと思いつつ、この際だから聞きそびれていたことを聞いてみる。
「今は彼女いないってさっき言ってたけど…」
「ええ。彼女いない歴一年ですね」
「一年か。そうすると就職前に、まだ黒崎くんが学生の時に別れたんだ」
「そうです。就職してからはいません」
「でもさ。おみくじの宣託だと、思いを告白しろって。今は好きな人はいないの?」
自分のおみくじを木の枝に結ぶ。ほかにも沢山のおみくじが結んである。
と…後ろで気配を感じた。
振り返る間もなく、わたしはガッと肩を抱かれて背中を壁に押し付けられた。顔の横でドンッと壁が鳴る。そして片手を壁についた黒崎くんの真剣な顔が目の前に。
え…?
「好きな人はいないのって…そんなの決まってる」
「黒崎…くん?」
ジッと見つめる目がこんなに近くに。
黒くて綺麗な瞳。
細面の整った顔。
息がかかるほど近くに…。
やばい。
「七尾先輩。わかりませんか?」
「な、なにを?」
「俺が好きな人はあなただって」
何を言ってる…の…。
「ああ…」
綺麗な顔がどんどん近づいてくる。
「七尾樹理。俺があなたが好きだ」
「…う、嘘よ」
「嘘じゃない。生意気な俺を文句一つ言わずに仕事を教えてくれて、自分は悪くないのに、俺と一緒に頭を下げてくれた」
「それは…仕事だから…それがわたしの仕事…」
「そんなことは分かってる。俺はあなたを尊敬した。俺もこんな人になりたいと思ったんです」
彼の瞳の力に捕まったわたしの声がどんどん細く小さくなっていく。もうその黒く深い瞳しか見えない。
「いつしかあなたへの尊敬の想いが愛情に変わって…あなたを俺のものにしたくなった」
「でも…わたしはきみの先輩で年上で教育担当なのよ」
「それがどうしたんです。年上だろうが先輩だろうが関係ない。俺はあなたが欲しい」
やばい。
本当にやばい。
このままじゃ…。
横を向いて身じろぎしたわたしの顔の横で、再びドンッと壁が鳴る。
「ひっ」
「どこへ行くんです。逃げられませんよ」
「もう、やめて…」
「先輩。俺のものになってください」
「な、何を言って…」
「俺のことが嫌いですか?」
「黒崎くん…」
「どうなんです?」
「これ…冗談なんだよね」
「いいえ」
「さ、さっきみたいにジョークなんでしょ?」
声が震えてしまう。こんな、どストレートな迫られ方をしたのは初めてだ。
「ああ、わからない女だ」
気だるげな溜息混じりの言葉とともに、彼の顔が近づいてくる。
反射的に顔を背けようとしたら、顎を掴まれ無理やり正面を向かされ、そして…わたしの震える唇に彼の唇が押し付けられた。
「ん…」
自然にため息がもれた。何が起きているのか理解できなかった。判断力が麻痺している。首の後ろに腕が回されたと思ったら、ぎゅうっと強く引き寄せられ、彼の唇がもっと強く押し付けられる。
やがて…。
永遠に続くかと思うほどのキスが離れた。
「これでもジョークだと思いますか?」
「…」
「俺は真剣です。先輩。俺と付き合ってください」
「…きみの本気はわかったわ」
やっとの思いで、呆けたようになってしまった頭をハッキリさせて口を開いた。
「じゃあ俺と…」
「待って。そんなに簡単にきみを好きになれないよ」
「仕方がない…」
「ああ、駄目…んっ…」
また顔が捕まり、情熱的なキスが。喘いだ唇の隙間に彼の舌が入ってきた。はじめは遠慮がちだったが、次第に動きが大胆になる。
「うんんっ…」
ため息が漏れた。より強く抱きしめられた。そのあいだも離れることのない甘い口づけに、身体から力が抜けてしまう。
しかし赤い霞のかかった頭の奥から、ふつふつとこんな思いがこみ上げてきた。
"わたしだってそれなりに真剣に恋愛をしてきたんだ。いきなり欲しがられても簡単にうんとは言わない"
"誰かをを好きになることにもっと時間をかけたい。キスぐらいで簡単に落ちると思ったら大間違いよ"
呪縛が解けた。目を開けて彼の胸を懸命に押し返し、柔らかく、そっとキスを振りほどく。
「何度キスをしてわたしを落とそうとしても無駄。今は無理よ」
「ふう。手強いですね」
「きみよりほんの少し早く生まれて、きみよりも少しは経験があるからね」
そう。彼はモテて色々な女と恋愛経験を積んできたかもしれない。でもわたしだって幸せな恋やつらい恋があって、誰かを好きになっていっぱい泣いていっぱい笑って、今日まで生きてきたから。
「こういうことは焦らないの」
「わかりました。七尾先輩」
彼が身体を離した。わたしはその顔を捕まえる。
「お返しだよ」
ささやいてから、彼の唇にそっとキスをした。
「先輩…」
「きみのことは嫌いじゃない。でも…まだ何も始まっていない」
「見込みはゼロじゃないと?」
「さあ。どうかな」
「俺は諦めませんから。それに…」
「それに?」
「俺、もっとあなたのことが好きになってしまいました」
「ふふ…」
神社の境内でこんなことをして、神様が怒らないだろうか?
そういえば、おみくじに「思いを告白しろ」ってあったから、これは神様の策略かもしれない。
彼が壁ドンしたのもお稲荷さんの祠だし。
壁ドンなんて初めてされた。あんな真似をする男なんてドラマか漫画の中だけで、現実にはいるわけないと思っていたのに。
あれはやばかった。
もう少しで…。
「来年は着物で来ようかな」
「えっ、それは俺と来年も初詣に行くって意味?」
「それはきみ次第」
「がんばります」
こんな彼も可愛いな。
今は彼との時間を楽しもう。
でも、会社ではビシビシやるからね。
「さあ、肝心の初詣をしないと。本殿に行こうよ」
「そうですね。ねえ先輩」
「なに?」
「手をつないでいいですか」
「は?手?え?」
「先輩と手をつなぎたい」
やばい。
今、胸がキュンとした。
普段はビシッとスーツが決まってるイケメンがわたしと手をつなぎたいだなんて。
まったくもう。
可愛いじゃないか。
「いいよ」
「やった!」
子供のように喜ぶ彼と手をつないで本殿へ向かって歩く。明日のことは分からないけれど、今年は去年より良い年になればいいな。
「先輩…」
「なあに。黒崎くん」
急に立ち止まった彼が、
「先輩。きっとあなたを振り向かせてみせる」
わたしの肩を抱いて、熱くささやいた。