海底調査
1
政府に新たにナマズ対策チームが作られた。
チームリーダーは清水統括官が担当することとなる。清水はこれ以外の業務もあり、多忙を極めていたが、林総理から何よりもナマズ対策が優先と、しばらくは専任で対処することになった。
早急にナマズ存在確認をとの命を受け、ナマズの再起動後、3日後に現場海域に遠隔操作型無人探査機を派遣させることとなる。海底調査の3日での決行は異例の早さである。日本国内には5000m級の無人探査機は、海洋研究開発機構の『かいこう』しかない。
海上母船にかいこうを搭載し、現地まで運搬して深海探査をおこなう。母船は横須賀港から出港するため、大森博士たちは横須賀に行くことになる。都内道路がズタズタに寸断されており、移動は困難を極めるため、ヘリコプターを使用した。
陸上自衛隊のUH―60JAヘリコプターがその任に当たる。このヘリコプターは乗務員2名を除く12人乗りで、国内ではもっとも多く利用されている。スライド式の大きな扉が両サイドにあり、乗員はそこから乗り降りする。よく戦争映画などで見かけるヘリコプターで、映画ではドアを開けた状態で機銃を打つシーンがよく見られる。米国製のヘリである。もちろん陸自ではそういった機銃操作は行わない。
同行は特殊作戦群から操縦士と副操縦士を加えた4名、それと大森博士、ザナ、伊瀬知と海洋開発機構から2名が参加した。
乗員の配置は運転席に自衛官2名、それと背を向ける形で特殊作戦群の小隊長でもある永富1等陸尉とその部下が座る。乗客用の座席はヘリコプターの前方に向かう形で3名分の椅子があり、そこに大森博士、伊瀬知、ザナが座り、背中合わせで開発機構の2名が座っていた。
ヘリが合同庁舎屋上のヘリポートから飛び立っていく。扉を閉めた状態でも、ロータの騒音は相当なものだ。永富小隊長が手前に座っている大森達に大声で話す。
「永富と申します。これから横須賀基地までお供させていただきます。我々、陸上自衛隊は横須賀基地まで同行、それ以降は海上自衛隊の管轄になります。本来であればもう少し大型のヘリがよかったのですが、現在、救援活動でほとんどのヘリが使用中です。少し乗り心地は悪いかもしれませんが、よろしくお願いします」
「いえ、大丈夫です。こちらこそよろしくお願いします」
「それと災害以来、大気の流れが安定しないようです。風が強いので、若干揺れるかもしれません。ただ、ヘリコプターは安全な乗り物ですのでご安心ください」
大森とザナは少し心配そうな顔になる。ザナが永富に質問する。
「時間はどれくらいですか?」
「はい、30分程度ですが、同時に被害状況の確認も行いますので、もう少し時間がかかるかもしれません」
「そうですか、わかりました」
ヘリはそのまま東京上空、厄災現場に向かって行く。
大宮を飛び立って、すぐに被害状況がわかってくる。ナマズが再起動した中心部から、半径5㎞圏内の完全消失とのことだったが、それよりも外側の地域で地滑りや火災の被害が相当数出ているようだ。さすがに消火作業は終わっているが、上空から見ても焼け跡などがわかる。恐らく東京都全体に被害が及んでいるのかもしれない。
永富が話す。「都内近郊は震度6以上の被害だったようです。消失部は10㎞程度なので地表面へのダメージだけかと思いましたが、ナマズ再起動の衝撃で地殻の変動も起きたようです。立川断層あたりも刺激されたようで、多摩地区にも大きな被害が出ています」
現在は新宿方面に向かって南下しているのだが、被害は徐々にひどくなっていた。さすがに新宿の高層ビル群は持ちこたえているようだが、都心に向かうにつれ、本来はあるべきビル群が崩壊、あるいは無くなっていた。
「明治神宮はなんとか残っていますが、都心に向かうにつれて地滑りの影響で残骸しか見当たりません」
確かに第二次世界大戦の空襲跡を見るようで、瓦礫しか見えない。ザナがうめくように言う。「ここにいた人たちはみんな犠牲になったのね」
大森が答える。「ああ、甚大な被害だ。この地域は地滑りの影響もあって、消失部に向かって低くなっている。蟻地獄の穴に向かっていくような角度がついている」
ザナが伊瀬知に話す。「所轄の村上さんも犠牲になったのかな」
「そうだね。助かってほしいけど、木場警察署どころか江東区ごと無くなってるからね」
「そうか、町ごと無くなってるんだ」ザナがうつむく。そして話す。「私が子供の頃も、戦争で毎日のように知り合いが死んでいった。昨日までは元気に話していた人が、今日にはいなくなってたけど、ここまでひどい状態じゃなかった。何でこんなことになったのかな」
大森も言葉がない。ナマズ再起動以降、自分がもっと強く主張すればよかったのかと後悔ばかりが募っている。
伊瀬知が言う。「これ以上の被害を出さないことを考えないとね」
ザナは亡くなった人を鎮魂するかのように、静かに眼下の景色を見ている。
海が見えてくる。もちろん数日前まではここは海ではなく、東京の中心部だった場所である。ちょうど東京湾が大きく形状を変えた格好となっていた。海が都心部を飲み込んでいる。ただ、今もってよどんでいるようで、真っ青な海の色ではない。暗い灰色である。
大森博士が話す。「ここは海底がえぐられて深くなっている。深海の状態はここからだとわからないが、海面には澱みがある。ここまで濁っていても探査機で確認できるのだろうか?」
大森が真後ろにいる海洋研究開発機構の人に質問する。
「この状態で海底にある物体を確認できますか?」
機構の人間が海面を見ながら答える。背広を着ているが機構の人間というより、自衛隊の人間のようにアーミーカットだ。
「どうですかね。潜ってみないと何とも言えません。我々も経験がないものですから」
「そうですか」
ヘリは濁った海面を進んでいく。ひととおり観察を終え、方向を横須賀基地のほうに向ける。永富が大森たちに話す。
「それでは、これから横須賀基地に向かいます」
大森たちが頷く。
これまでも風の影響でヘリが揺れることはあったが、この時、特に風が強くなった。ヘリが揺れ、ザナが慌ててシートをつかんだ瞬間、開発機構の2名が飛び跳ねるように振り返り、拳銃のようなものを連射した。拳銃は大森とザナ以外に向かって発砲されていく。自動拳銃だ。
特殊作戦群の永富とその部下は不意を突かれ、瞬く間に血まみれになって、絶命した。
伊瀬知のみが銃弾を避け、反撃を試みようとするが、機構の人間の銃口が、大森の頭部に押し当てられていた。男は伊瀬知に向かって吠える。
「動くな。お前の情報は同志から聞いている。少しでも動いたら博士は死ぬ」
伊瀬知は身動きできない。
ザナが叫ぶ。「あなたたちは何なの?」
伊瀬知が代わりに答える。「北の諜報員」
「え?」
「そうだ。このまま北朝鮮まで飛んでもらう」
もう一人の諜報員が運転席の自衛隊員のところにいて、拳銃を操縦士に向けている。操縦士と副操縦士は生き残っていた。飛行を続けるためには殺すわけにはいかなかったということだろう。
「このまま北朝鮮まで飛ぶんだ」
それに副操縦士の隊員が言う。
「それは無理だ。そこまでの燃料がない」
諜報員は燃料メータを確認し、拳銃のグリップで隊員の頭を殴る。
「十分、あるじゃないか、我々をなめるんじゃない。北朝鮮はすぐそこだ」不敵に笑う。
伊瀬知は諜報員の隙を伺っている。それに気が付いたのか、大森に拳銃を当てている男が言う。
「伊瀬知、お前が俺たちを倒した瞬間に、この爆弾が爆発することになるぞ」
そういうと男は自分の背広のボタンを外し、体に巻きつけてある爆弾らしきものを見せる。
「これはアメリカ製C4だ。威力はお墨付きだ。すぐに爆発できるようになっている。お前が俺たちを殺してもこれで全員道連れだ」
男は不敵に笑う。自分の命など惜しくないらしい。まさに自爆覚悟の作戦のようだ。運転席で銃を構えている男も同じように爆弾を見せる。
伊瀬知が話す。「なんだか、機構の人間にしてはおかしな格好をしていると思った。大宮から乗るのも不可思議だった」
「そうか、残念だったな。もう少しはっきりと指摘するんだったな」不敵に笑う。
すると伊瀬知が何かをつぶやく。aftah albab
「あん?何か言ったか?」男が面食らう。
突然、ザナがヘリのスライド式扉を開ける。
「扉を閉めろ」
びっくりした諜報員はザナの行動を止めようとするが、ザナを撃つようなことはしない。大森とザナは無傷で確保しろとの命令が出ているようだ。
諜報員に隙ができた。伊瀬知はそれを見逃さない。大森の頭に当てていた拳銃を下から手で弾く。銃は一瞬でヘリの天井まで飛び跳ねる。男は予備の拳銃を撃とうと背広のホルダーに手を入れるが、それより早く、伊瀬知が男の襟首をつかんで、開いている扉から男を投げ飛ばす。なんというパワーだろう、大の男が外に吹っ飛んでいく。男が扉から出た瞬間に強烈な爆発が起きる。間一髪でヘリへの被害はなかったが、爆風でヘリが大きく揺れる。ザナが悲鳴を上げる。
伊瀬知が動いたと同時に、自衛隊の副操縦士が残った諜報員の拳銃を奪おうとする。諜報員はそれを振り払うと、副操縦士に容赦なく射撃する。運転席に血煙が上がり、ヘリの前面ガラスが真っ赤に染まる。副操縦士は絶命する。
伊瀬知は一気に諜報員に向かっていく。男はもはやこれまでと伊瀬知ではなく、大森に向けて銃を連射する。まさに苦し紛れの行動だった。伊瀬知は両手を広げて博士の前で盾となる。銃弾の軌道に自身の体を投げ出したのだ。
伊瀬知の体から鮮血がほとばしり、ザナが悲鳴を上げる。諜報員はさらに連射するが、伊瀬知は最後の力で男に掴みかかる。男は撃つことをあきらめ、ついに爆弾の起動スイッチを押してしまった。
そのあとの伊瀬知の動きは、まさにこの世のものではなかった。C4が爆発する瞬間に男を引きづり、男もろともヘリから外に飛び出していく。二人が外に出たとたん、猛烈な爆発が起きる。伊瀬知と男は太陽のような爆炎に飲み込まれた。
ヘリが大きく揺れる。ザナが叫ぶ、悲鳴だ。
「悠!!!!」
爆発の衝撃で、しばらくヘリは揺れ続けるが、なんとか持ちこたえる。
爆煙が収まり、機内に平穏が訪れる。しかし伊瀬知悠は跡形もなく消えてしまった。
「ああ、悠、なんてこと」
ザナは伊瀬知がどこかにいないか、周囲を見渡すが、何も残ってはいなかった。すべてが塵になってしまった。それでも海面に目を凝らす。
「悠」
大森博士もしばらくその様子を見守る。そしてザナに話す。
「さっき彼女はザナになんて言ったんだ?」
「アラビア語で扉を開けてって言ったの」
伊瀬知がアラビア語まで話せるとは知らなかった。
残った操縦士が話す。「すみませんが、大森博士、いったん大宮に戻ります。扉を閉めてください」
「ああ、わかりました」
伊瀬知の働きにより、大森たちの命は守られた。ボディガードとしての伊瀬知の職務は遂行できたわけだが、その代償はあまりに大きかった。
2
一行が合同庁舎に戻る。ザナの落ち込みようはひどく、大森に抱えられ歩くのもやっとの状態だった。大森はザナを休憩室で休ませる。
その後、大森は清水統括官を相手に状況説明を含め、執務室で話をする。
事情を聞き終えた清水は、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
「清水さん、どうしてこんなことになったのかわかりますか?」
「申し訳ない。機構から連絡があり、是非、ヘリで現地を見学したいとの申し出がありました。それを鵜のみにしてしまった。先ほど確認したところ、そんな要請はしていないとのことでした」
大森も憤りを抱えるが、これ以上話をしても失われた命が戻って来るものでもない。それをなんとか納得しようとする。
そんな大森を見ながら、清水も言いづらそうに話をする。
「それで大森博士、現地視察の件ですが、どうでしょう、これから仕切り直してもらえないですか?」
一瞬、憤りの表情を見せるが、自分がやるべきことの重要性を理解して答える。
「わかりました。やるしかないでしょう」
「すみません。再度、自衛隊機を準備させます」
ザナは焦燥が激しいため、大森だけが自衛隊機で横須賀基地へ飛ぶ。横須賀港にて深海潜水調査船支援母船『よこすか』に乗り込んだ。
母船には海洋観測研究センターの島田センター長が同行、大森と挨拶を交わし、すぐに出港する。
船内の打ち合わせルームにて、参加メンバーがミーティングを行っている。
メンバーは、大森と島田の他に海上自衛隊の特別警備隊長黒沢、政府関係からは内閣府の須永事務次官が参加していた。
島田センター長が話す。
「概ね2時間で目標海域に到着の予定です。現在のところ海路上に問題はありません」
大森が質問する。「探査機での調査にどのくらい時間がかかりますか?」
「はい、それなんですが、今回は事前調査も無しにぶっつけで臨んでいます。現地で作業してみないと何とも言えませんが、簡単に見積もっても丸一日はかかるのではないかと思っています」
通常は前段で海域調査を行ってから、本調査となる段取りのようだ。今回のような特急で作業するのは珍しい。それほど、切羽詰まった作業となる。島田が探査機『かいこう』について説明する。
「水中カメラで海中を見ることができますが、あまり澱んでいると、どこまで解析できるのかがわかりません。一応、水中ソーナーで障害物の確認はできますので、お話ですとナマズは巨大な物体のようです。最悪でも在る無しについては判断できると思います」
大森がうなずく。続いて海上自衛隊の黒沢警備隊長が質問する。
「大森博士、もし物体が残っていた場合は、以降は自衛隊の作業になると思うんですが、実際はどのような処理になりますか?」
「処理ですか」ここで大森は言いよどむ。「それは難しいと思っています」
黒沢が怪訝そうな顔をする。「どういうことでしょうか?」
「今の我々の科学力では、何もできないということです」
内閣府の須永が慌てて質問をする。
「大森博士、清水からある程度、話は聞いていますが、となると対策はできない物体だということですか?」
「残念ながら、そういうことです。ナマズは地球上のあらゆる物質よりも硬く、破壊することは不可能です。手の施しようがありません。そしてエネルギーを吸収する能力があります。それも印加するエネルギーをすべて吸収するんです」
一同、博士の話に言葉がない。今の人類には対処できる術がないということだ。続いて須永が質問する。
「つまり、発見は出来るが、その後は為す術がない」
「残念ながらそうなります」
まさに絶望的な話である。須永が思い直すように質問する。
「それと確認しておきたいのが、ナマズが再起動する可能性についてです。本当にそれはありえるのでしょうか?」
「可能性は高いと思っています。現在は野放し状態ですから、海中でエネルギーを蓄えているはずです」
「しかし、今までは何百年も稼働しませんでしたよね。それなりに時間はかかるのではないですか?」
「それですが、今までは起動していない、言い換えれば停止状態でした。それを今回図らずも励起させてしまいました。今、ナマズは稼働し、エネルギーを貯める機能が復活していると考えます。ですからそれについても現地で観測したい項目になります」
「そうなると稼働していない可能性もあるわけですか?」
「そうですね。希望的観測になりますが」
望みの持てる話に少しだけ参加者の顔が和む。思い直すように須永が質問する。
「それで活動していると仮定した場合、再起動を始めるまでにどのくらいの時間を要しますか?」
「それこそ現地の状況を見てからです。ナマズが何を吸収して、どんな風にエネルギーを蓄えるのかがよくわかっていません。場合によっては深海のために何も蓄えるものが無いのかもしれません」
「なるほど、そうなってほしいですね」
「私もそう思います」大森はそう言うが望み薄と言った表情を見せる。なにせナマズはすべてのエネルギーを吸収できるのだから。
須永が質問を続ける。
「小松川の地下にあった際には、シールドシートを被せたように聞いています。今回のような海中でも効果はないですか?」
「いや、今となっては、あれは単なるおまじないに近い気がしています。シールドの効果は薄いでしょう。再起動前であれば地中深く埋めておくことでよかったのですが、すでに励起状態になっています。手の施しようがないかもしれません」
大森はそれなりに期待を残す言い方をするが、内心では万策尽きたと思っていた。さらに須永が思いつめた表情で話をする。
「実は清水も困っています。アメリカから矢の催促が来ています。向こうにも相当な犠牲が出ていて、どうやってアメリカ国内向けに発表するかについて、四苦八苦のようです。今回の探査にも参加させろと言ってきたんですが、それを止めるのも大変でした」
「元はといえば、彼らがレーザ照射などやるからこんなことになったんですよね」
黒沢は憤っている。自衛隊の犠牲者はアメリカの比ではない。それに大森が答える。
「それについては私も申し訳なく思っています。最初からもう少し強く主張していれば、こんなことにはならなかったかもしれない」
一同が黙る。今更、起きたことを悔やんでも仕方がないことだとはわかっているが、どうしても言わざるを得ない気持ちもある。今回の厄災での日本における被害は有史以来、最悪の事態となっている。死者数は増え続け、今や行方不明も入れて500万人を超えている。
島田センター長が話す。
「皆さん、現地に着いてからは、長時間の探査になります。今のうちに仮眠をとっておいてください」
参加者一同が了解して、部屋にて仮眠を取ることとなった。
それからは順調に航海が続き、約2時間後に目標海域に到着する。
甲板上で関係者が海を見ている。ここからみる海面はさらに澱んでいるように見える。一瞬にして5000mもの海溝が出現したわけだから、こうなるのも無理はないのかもしれない。
島田センター長が話す。
「これからかいこう7000Ⅱを潜航させます。この無人潜水機は7000mまで潜ることが可能です。潜航深度は世界でもトップクラスです」
探査機は二つから成っている。実際に探査をおこなう小型のビークルとそれを中継するための大型ランチャーがある。どちらも箱型でランチャーは黄色のカラーリングが施されている。ビークルは白色でその半分程度の大きさとなり、ケーブルでランチャーとつながっている。まずはビークルから海中に沈めていく。
「一応、ビークルにはマニュピレータも付いています。物質の採取も可能な構造にはなっているんです。今回は使用しないと思いますが」
確かに2本の手のようなマニュピレータが、先端についているのがわかる。
「じゃあ、我々はコントロールルームに行きましょう。そこから観察します」
大森たちが観測船のコントロールルームに入る。
ここは船の操舵室程度の広さで実験室風でもある。操作パネルや計器類があり、モニターには、かいこうから画像が送られてきていた。濁った中で魚などが泳いでいるのがわかる。島田センター長が話す。
「海中の状態がどうなのかがわかりませんが、心配なのはケーブルの断線です。あまりに海流が激しいと断線の可能性も出てきます。断線対策は行っていますが、今回のようなケースは初めてなので、そういった懸念もあり慎重に対応していきます」
「なるほど、断線が起きると貴重な探査機が失われますね」
「そのとおりです。非常に高価なものなので。場合によっては中止もあり得ます」
「GPS機能を使って指定目標地点を目指していきます」
「よろしくお願いします」
「海底に到着するまでに、概ね2時間以上はかかると思っています」
島田センター長の話通り、海中の状態を確認しながら、探査機はそれから2時間をかけてゆっくりと海底まで到達していく。何度か潮流の動きが激しくなり、そのたびに様子を見ながらの沈降だった。
海底に到達以降、周辺海底のナマズの捜索を進めていく。海底の画像を見ると澱んではいるが視界がまるでないといったものでもなかった。しばらく探査機を動かしていくと、なにやらぼんやりと光るものが見えてきた。
「何か光っているようですね。あれがそうかな」島田が話す。
大森がモニターを見つめる。
探査機が光の方向にゆっくりと進んでいく。徐々にそれが明るくなってきて、ついには海底にほのかに光っている物体を映し出す。そしてさらに近づいてみる。
大森がうめく。「ナマズだ」
それは小松川の地下にあった卵型の物体と同じものだった。ただ、違っているのは、それが発光している点だった。
「ナマズの外観自体にはまるで変わりがない。ああ、ダメージがないという意味です。そして今や完全に稼働している。あの光はエネルギーを蓄積している証です」
ナマズがオレンジ色に輝いている。さらにはその発光が呼吸でもしているかのように強弱している。須永が言う。
「まさに映画で見るUFOみたいですね」
「確かにこんな鮮やかな発光をするんですね」大森が答える。こんな非常時でも科学者としての興味が尽きない。
黒沢は自衛官として気が気ではない様子だ。
「大森博士、この状態をどう見るべきでしょうか?」
「今の状態から、次の再起動がいつ起きるのかですよね。少しナマズの変化を見てみたいと思います。エネルギー量が変わると発光状態も変わるのかもしれません」
須永が聞かなければならない事項について確認する。
「大森博士、清水から聞いた話になりますが、次に再起動するときには、さらに大きなダークマターを発生させるのではないかと、本当にそれは間違いないんでしょうか?」
その質問に対し、大森は冷静に話を進めていく。
「ここからは推測も交えます。ナマズは依然として本来の活動ができていない。ナマズの目的は太陽系惑星の探査活動です。本来であれば、飛行体として地球などを探査する目的でした。それが出来ない。つまり故障しているわけです。その証拠にもし正常であれば、それこそUFOのように地球上を飛び回るでしょうから、ここに待機するものではないのです。ナマズ自身が修理の必要性があると考えているでしょう。それで自分の星に帰ることを最優先します。そうなると前回のダークマター発動は、試運転だった可能性が考えられるのです。ナマズにとっては微小なダークマターの発生だったわけです」
須永たちの顔が曇る。大森が続けて話す。
「私の計算だと母星の帰還のために、おそらくその数百倍の規模で、再びダークマターを発生させるでしょう」
「つまりは、今回の厄災は単なる予行演習だったということですか?」
「残念ながら、そうなります。試運転です」
一同の顔が曇る。そして聞きたくても聞けなかった質問を須永がする。
「次に再起動を起こすと、それはどういう結果を招きますか」
「あまり言いたくはないのですが、おそらく、地球ごと消滅すると思います」
その場にいた全員が青ざめ、言葉を失った。
ナマズの調査はその翌日も続けられる。
探査機をいったん母船に引き上げて、異常がないかの確認をしたのちに、再び海中に沈めていく。今回は時間とともに、ナマズがどのような変化を起こしているかの確認である。一日で何らかの変化を見ることができれば、いつ起動するかの目途が立つ。
調査前に船内の食堂にて、博士たちが朝食を取っている。やはり全員、顔色は冴えない。大森に内閣府の須永が話をする。
「大森博士、清水からなんですが、アメリカからの催促が続いているそうです」
「そうですか。しかし、この状況をそのまま報告するわけにはいきませんね。もし報告すればどういう事態になるか、想像がつかないです」
「地球滅亡の可能性ありですからね」
その言葉でその場の全員が凍り付く。須永が恐る恐る話す。
「博士、例えばの話ですが、アメリカが核を使って破壊しようとすればどうなります?」
「ああ、それですが、まず核爆弾を深海まで持っていくことができないです。そういった兵器は現存しないはずです。しかし、仮にもしあったとしても、水圧で核爆発は極端に抑えられます。そんなことより、ナマズはどんな核攻撃も吸収してしまうはずですね。そういった化け物なんです」
「そうですか、一応、清水とも情報共有しておきます」
まるで最後の晩餐のような食事が終わり、再び探査機による調査が始まった。昨日と同じように探査機がナマズに向かって沈降していく。
モニターにナマズが映ってくる。それを見た大森博士が話す。
「昨日のデータは残っていますね」
島田が答える。「ええ、大丈夫です。比較しますか?」
「はい、お願いします」
モニターに2画面が映し出される。画面の右上に時刻が明示されている。右側が昨日のデータだ。博士が左右を見比べる。
「微妙に色が変わっていますね」
確かに右側がオレンジ色なのに対し、最新画像の左は黄色が強くなっている。
大森が説明を始める。
「一般に光はエネルギー量によって色が変わります。変化で言うとオレンジが黄色になっている。これはエネルギーが徐々に強くなっていると言えますね」
「そうなんですか」島田が言う。
「ええ、これからもっと青くなるかもしれません。光のエネルギー量から言うと、最終的には紫になるのかな」
「そうですか」
「昨日と今日の詳しいデータ比較をしてみましょう。変化と時間の相関関係が見えてきます。概略ですが再起動までの時間がわかるかもしれません」
「わかりました。データを取って大森博士に渡します」
「はい、よろしくお願いします」
大森博士たちによるナマズの調査はいったんここまでとし、博士たちは大宮の臨時政府に戻ることになった。
その後、大森博士がデータを整理して解析したところでは凡そ、あと10日で再起動の可能性があると推論された。
つまり人類に残された時間はあと10日となる。