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なまず 未確認物体  作者: 春原 恵志
6/9

ナマズ

 翌早朝、清水はアメリカ側の作業を止めさせるため、林総理大臣に会いに群馬県に向かう。昨晩もアメリカ側との確認作業が深夜まで続き、ほとんど寝ていない。さすがに50歳を越えた睡眠不足は堪える。

 林総理の本日の予定は、前橋と高崎での県知事候補者への応援演説だ。元々、林の地盤が群馬県でもあり、今回の立候補者は以前、林の秘書をしていた人物、子飼いの一人でもある。そういう意味では、是が非でも当選をさせるという強い意志での遊説だ。

 清水は6時8分発の新幹線に乗り、高崎まで急ぐ。本来は部下にやらせたい案件ではあるが、ナマズに関しては秘匿事項でもあり、なおかつ口頭のみが許容されているため、清水が対応するしかない。

 総理には例の件で、緊急の打ち合わせがありますとだけ連絡してある。ただ、昨晩は地元での縁故者との酒宴が催されたようで、電話に出た総理はほろ酔い気分だった。どこまでこちらの緊張感が伝わったのかは、甚だ不透明だ。

 車内で仮眠を取ろうとしたが、緊張感から眼がさえて一向に眠れなかった。結局、うとうとしだしたところで高崎駅に着く。両毛線に乗り換え、ようやく前橋に到着した。

 すぐに駅前に止まっていたタクシーに飛び乗る。

 総理は駅前のホテルに宿泊していた。清水はホテルのフロントに自らを名乗り、林を呼び出すよう依頼する。ホテルマンが電話し、確認を取ると、「林様はお部屋でお待ちしているとのことです」と慇懃に対応する。

 清水はそれを背中で聞き、エレベータで最上階のスイートに向かう。部屋の前にはSPが2名待機していた。「清水だ、入るぞ」顔なじみのSPが敬礼して、部屋に入る。

 林は寝巻のままベッドに座りながら、朝飯を食べていた。和定食だな。

 林は清水を見て手を上げて挨拶する。「ご苦労さん」そののどかな表情にイラっとくるが、無視して話す。

「総理、アメリカがナマズにレーザを当てるようです」

 寝ぼけ眼だった林の顔に緊張が走る。

「レーザを、いや、それはまずいだろ。大森博士はレーザとか強力なエネルギーを持つものは避けろと言っていたはずだ」

「そうです。しかし前田さんが了承しました」

「官房長官が了承したのか、いや、あいつもナマズの話は聞いていただろう。そんなはずは」林は思案顔になる。

「ですが、実際に了承したんです」

「いや、それはまずい。清水君は止めなかったのか?」

「止めましたよ。でも、前田さんは聞く耳を持たなかった」

「まったく、役に立たないな」林は頭を振る。

 いや、役に立たないのは官房長官を任命したあなたですよね、と言いたいのをぐっと堪えて、「総理のお力で止めて頂けますか?」吐き出すように言う。

「困ったな。説明するとナマズの正体をばらすことになるだろ、それはまずい」

「しかし、ナマズが再起動でも起こしたら、それこそ大変なことになります」

 林は考え込む。テーブルにあったお茶をすすって、気持ちを落ち着かせると、おもむろに話す。

「しかし、本当に再起動するのか、それと大森の言うように再起動でダークマターが発生するのかな?そんなことが本当に起きると思うか?」

 今さら、このおっさんは何を言っているのかと思いながらも話す。

「それは私にはわかりませんが、大森博士がそういうのであれば、信ぴょう性は高いと思います。彼は、ことこの分野では第一人者です。リスクマネジメントの観点からも、これは守るべき事項だと判断します」

 清水は額に血管を浮かび上がらせる勢いで話す。さすがにこの権幕に林も従う。

「わかった。とにかく、アメリカ側には明日まで待つように言ってくれ、そこで私から説得する」この回答で清水はほっとする。

「わかりました。明日、総理の確認を取るまでは実験をしないように申し伝えます」

「ああ、頼んだぞ」

 清水はとんぼ返りで東京に戻るために、走るようにホテルを後にする。これでは俺は使いパシリの小僧ではないか。


 小松川第2ポンプ所。

 晴天で海からも心地よい春風が吹いている。公園には家族ずれもいて、のどかに遊んでいる。まさに小春日和である。

 そんな気候にもかかわらず、フェンスで囲われた立坑脇にいる丹内情報官は青い顔をしている。さらに冷や汗も流している。昨日の会合でアメリカ側は確認が取れたと判断し、今やレーザ装置の搬入を試みようとしていた。

 清水統括官が総理に進言しているはずだが、その後、連絡がない。先ほど前田官房長官には電話をしたが、忙しいのでそっちで何とかしてくれと言う。いや、何とも出来ないから相談しているのだが。清水も携帯を切っているのか連絡がつかない。おそらく今頃は総理と打ち合わせ中のはずだ。早く連絡してくれないと大変なことになる。気ばかりが焦る。

 アメリカは横田基地から、米軍の輸送車で大型の装置を運びこんでいる。工事現場の作業者達も何事かと興味津々である。米軍車輛を使うなどと、もう秘匿事項など有名無実ではないか。

 ケリー補佐官が丹内に近寄ってきて、立坑に設置してある大型のクレーンを指さす。

「丹内さん、この大型のクレーンは耐荷重何キロなのか?」

「ちょっと待ってください」

 丹内が現場監督に確認する。監督は手元の資料を確認し、丹内に話す。それをケリーに伝える。

「50トンまでは大丈夫です」

「それなら問題ないな。じゃあ、降ろしてくれ」

 そういうと、木箱に入ったままのレーザ装置を降ろそうとする。木箱の大きさは、軽トラックぐらいはある。

「丹内さん振動に気を付けるように言ってくれ。静かに降ろす必要がある」

「ケリーさん、しかし、ちょっと待っていただけませんか?」

 丹内の言葉にケリーは怪訝な顔をする。

「なんでだ?昨晩もみんなで打ち合わせしただろう、前田官房長官も了承事項だ。理由を話しなさい」

 ケリーの押しに丹内は何も言えない。ペリーの開国命令に従った江戸幕府の気持ちがわかる。外人は押しが強い。

「わかりました」

 丹内はそう言うと、現場監督にゆっくりと降ろすように指示する。

 木箱がロープで吊るされ、ゆっくりと立坑を降りていく。地下にはエリックとメイ博士が待っている。

「オーライ、オーライ。慎重にね」

 地下には軌道があり、それがトンネル内まで続いている。すでにレール上にはトロッコが置かれており、そこに向かって木箱が降ろされていく。そして無事軟着陸に成功する。

 下で待っていたアメリカの担当者が、数人がかりでロープを外し、今度はトロッコに結び付けていく。エリックは上で待っているケリーに手を上げて合図する。ケリーも了解の合図を返す。

「丹内さん、次は電源ユニットを降ろします」

 同じような木箱が待機していた。いよいよ実験が行われるのか。丹内はあきらめにも似た心境だ。続いて電源ユニットも同様に降ろされ、2基のトロッコがトンネル内に入って行く。

 現場監督が丹内に質問する。

「いったい何やるんですか?なんだかものすごい機器のようですが、彼らは米軍か何かですか?」

 丹内の顔が増々蒼ざめる。「いえ、アメリカの調査会社の人たちです。横田基地に物品搬入したので米軍の輸送車を使ってますが、民間ですよ、民間。ははは」

 ひきつった笑い方をする。それを見た現場監督は不思議そうな顔をしている。


 トロッコがトンネル内を進んでいく。未確認物体、ナマズの部屋の入口はいまや大きく開けられ、トロッコの搬入を許している。自衛官がしきりと周囲を警戒している。

 ナマズはその存在を誇示するかのように、今はむき出しの状態で部屋の中で鎮座していた。レールはナマズに向かって一直線に配置されており、レーザ装置のトロッコがナマズに対峙するかのように設置されていく。

 室内には大型のクレーンがないため、レーザ装置は、トロッコに乗せたままで使用するしかない。木箱が取り外されて、レーザ装置が姿を現していく。レーザ装置は槍状の5基のユニットが装備されて、円錐状にその5基が中心を向いている。言い換えれば5本の槍が敵に向かって突くようである。照射されたレーザ光はひとつになり対象物に集中的に当たることになる。

 続いて電源ユニットの木箱が外され、小型のコンテナのようなユニットが現れる。その前方からは太いケーブルが出ており、研究員がレーザユニットと接合する。専用の電源ユニットには内燃機関が付属しているようで、スタンドアローンで稼働する。

 部屋には小泉教授もいて、アメリカ側の作業を興味深く見守っている。丹内がケリーと室内に入ってくる。

 エリックはレーザ装置の作業をおこなう研究員に指図している。

「まずは物体の中央部に向かって照射してみましょう。反応を見てから照射箇所を再検討します」

「どのくらいのパワーでやりますか?」

「まずは50%から行きましょう」

「10KWになります」

 エリックがうなずく。研究員がパネルを操作し、電源ユニットが動き出した。やはり内燃機関で電気を作り出している。排気ガスはホースで部屋の外側に出しており、大型トラックのエンジン音のような騒音が室内に響き渡る。それと同時にレーザユニットの槍の中が明るく点灯する。

 小泉教授がメイに質問している。

「このレーザ装置はどういったものなのですか?」

「化学酸素ヨウ素レーザを使っています。赤外線レーザなので光線自体は肉眼では確認できません。高出力のレーザを照射できます。5基あるので小型のレーザとしては世界最高レベルです」

 小泉教授がなるほどと頷いている。その話を聞いて丹内は増々蒼くなる。世界最高ってなんだよ、早く清水さんから指示が来ないのか、気が気でない。


 陸上自衛隊柏崎地域事務所では、朝から自衛隊による大森博士への聞き取りが行われていた。特殊作戦群では北朝鮮部隊に出し抜かれた形の拉致事件でもあり、何故、このような事態になってしまったのかを明らかにする必要があった。一方、博士はナマズのその後が気になって仕方がない。拉致されて以降の調査がどうなっているのかを確認したいのだが、自衛隊が離してくれない。

 さらに特殊作戦群では、伊瀬知悠なる探偵ごときに、救出劇までも取って変わられたことになり、そのことも気に入らなかった。伊瀬知とザナにも同じように聞き取りが行われていた。

 もっとも伊瀬知の方はのらりくらりと、当たり障りのない話をするので、自衛隊側も本当のことが良くわからない。ましてや女探偵一人が6人の北朝鮮軍人を相手にしたと言うことも信用していない。たまたま、救出できたという伊瀬知の筋書きに、納得せざるを得ない模様だ。また、北朝鮮スパイはそれこそ公安の案件でもあり、自衛隊の作戦群がどうやって動いていたかを知られるわけにはいかない事情もあった。ちなみに公安は自衛隊も監視対象としている組織実態があり、敵対関係ともいえる。

 結局、伊瀬知とザナは午前中で解放された。

 伊瀬知が地域事務所の外に出て、伸びをしている。

「ふぁああああ、疲れた。救出するより聞き取りの方が疲れたよ」

「悠、朝、いなかったよね。早くからどこかに行ったの?」

「え、ああ、散歩だよ。柏崎なんて初めて来るからね。市内観光してみた。のどかな良い街だね」

「そうなんだ。昨日、あれだけ活躍したのにすごく元気だね」

「まだまだ若いからね。ザナには負けないよ」

 そういってザナにウインクする。

「いや、最初から悠には勝てないけど」ザナも笑顔で返す。

「大森博士の聞き取りは、まだ続いてるんだ」

「そうみたい。一日缶詰じゃないかな」

「そうなんだ。疲れてるし、未確認物体の事も気になるだろうにね」

「そう思う。ところで、北朝鮮のスパイはどうなったのかな?」

「警視庁の公安が、柏崎の所轄と共同で捜査しているらしいよ」

「へー、じゃあひとまず危険は無くなったのかな」

「どうかな。そこまではわかっていないけど。まあ、しばらくは大丈夫かな」

「悠はこれからどうするの?」

「ザナからの依頼事項は博士の救出だから、私は任務完了だね」

 その回答が来るだろうと予想していたザナが話す。

「それでさ、出来ればしばらくボディガードをやって貰えないかな」

「それはザナと大森博士のボディガードってこと?」

「そう、アメリカに戻るまででいいから、お願い」

 ザナが祈るように手を合わせる。

「追加費用が発生するけど、それでもいいの?」

「うん、大丈夫。是非、そうしてほしい」

「了解。じゃあ日本滞在中はボディガードをするね」

「うん、ありがと」

「じゃあ、ザナ、昼飯にでも行く?」

「うん」

 ザナがうれしそうに言う。ここまでの共同生活で、ザナは伊瀬知に対して姉のような親近感を抱いていた。


 橋爪と木次、新潟県警外事課の吉田課長らが、柏崎中古車買取センターの現場に来ている。既に銃撃事件から一夜経っており、現場はある程度、片付いていた。今は所轄の警察官が数人、現場検証をしている。

 所轄から聞いた昨夜の話では深夜1時ごろ銃撃音がして、その後、数人が現場より立ち去ったというものだった。警察官が現場に着いたのは事件発生から30分後だったが、すでにそこには誰もいなかったそうだ。ただ夥しい血痕があり、争ったような跡、さらには何者かが監禁されたような形跡があった。

 所轄の刑事と吉田が話をする。

「結局、現場には人はおろか、何も残っていなかったということか?」

「いえ、何もということではありません。空の薬きょうや人質監禁の痕跡は残っています。さらには大量の血痕も残っていました」

「薬莢の種類はわかったんですか?」

「トカレフ弾のようです」

 トカレフ弾となるとやはり北朝鮮だろう。

「ただ、それをやった人間と武器はなかったということですね」

「残念ながらそういうことです」

 その様子を見ながら橋爪が木次に話す。

「やはり北の諜報員ですね。証拠を残さないように逃げたと言うわけです」

「それでもこれだけの痕跡を残すんだから、よほど慌てたんだろうな」

「そう思います。ましてや銃撃戦なんて初めてですよ」

「ああ、それだけ向こうも重要なミッションだったというわけだ」

「あるのは北朝鮮製の武器の痕跡だけです。しかしそれ以外は何もない」

「自衛隊の仕業じゃないということか」

「伊瀬知ですね」公安の二人は伊瀬知のことをよく知っている。

「博士は救出されたのか?」

「そのようです」

「伊瀬知一人で相手をしたということか、それは信じられないな」

「ええ、確かに」

「大森博士は自衛隊が保護してるんだよな」

「それについては連絡がありました」

 木次がうなずく。「じゃあ、我々はとにかく、諜報員のその後を探るしかないな」

「わかりました。まだ、遠くには逃げてないだろうから、聞き込みからやりますか」

 木次と橋爪が行動を開始する。


 清水は急いで東京に戻るために前橋駅まで走ったが、駅の時刻表を見て愕然とする。両毛線は1時間に2本しか走っていない。さらに運の悪い事に、たった今出たばかりではないか。

 何だこれはと憤るが、仕方がないので最短で行く方法を模索する。タクシーで行ったほうがいいのか、電車が早いのかとスマホでチェックするが、これがまた実に微妙な差で、結局、遅れの無い電車を選ぶことにした。

 所在無く駅前のコンビニに寄り、パンとコーヒーを買って食べる。こんなことなら、ホテルで朝食を取るんだったと後悔する。丹内に電話を入れるのだが、先ほどからスマホからは現在、電波の届かない場所にいるというメッセージだけが届く。ひょっとすると地下のナマズの所にいるのか、何やら胸騒ぎがする。

 さらに内閣府に電話を入れ、状況確認とこれから戻る旨を連絡する。そして再度、丹内へ連絡するが、やはりつながらない。一応、メール連絡で総理の確認は取れて明日まで待つようにと指示をする。

 清水は両毛線のホームのベンチにひとり座って、電車を待つ。

 清水は広島県大竹市出身だ。前橋駅のホームから見るその景色はどことなく、故郷を思わせる。田舎にも数年帰っていないことを思い、ふとこれまでの自分の人生を振り返る。

 キャリアとして順調に出世もした。同期の中でも一番の出世頭だ。それなりの地位も得ることが出来た。結婚もしたし、娘もできた。世間から見ればまさに理想的な家庭に映っているはずだ。

 今までこんなに頑張って来たのに、どうしてこんなことになったのか、何が間違っていたのだろうか、いや、この結果は仕方のないことだ。そんなことを取りとめもなく考える。

 大森博士が語った話は、どこまで信ぴょう性があるのだろうか、米国のメイ博士も大森に勝るとも劣らない研究者のはずだ。彼女が間違った判断をするとも思えない。そう思うことでなんとか自分を納得させる。

 ふたたび丹内に電話をするが、出ないことを確認し、概ね30分近く待って、電車が到着した。


 レーザ装置はナマズに照射を続けるが、やはり何の反応もない。赤外線レーザ自体は光跡が見えるわけではないので、電源ユニットの動作音のみが室内に反響している。騒音の中、ケリーがエリックに話をする。

「反応がないみたいだな」

 エリックは手を広げる。「でもやはりこの物体は跳ね返すわけでもないし、吸収しているのは間違いがない」

「ふーん、やっぱりそうなのか。でも反応がない」

「もう少しパワーを上げてみましょう」

 エリックは作業員にパワーを上げるように指示する。レーザの動作音が大きくなり、出力が上がったことがわかる。ただ、脇で見ていたメイは少し心配そうな顔をしている。

 それでもナマズは相変わらず、何の反応もみせない。反応と言う意味では、これを見ている丹内のみが青くなっている。

「これはまずくないですか?」丹内は近くでこの光景を見ていた小泉教授に話をする。

「どうかな。いや、しかしこの物体は何なんだろうね、ここまでの高出力エネルギーに何の反応もない。反射しているわけでもないし、やはり吸収しているのかもしれないな」

 丹内は悩む。ナマズは政府の秘匿事項だ。自分の立場でも本来は知るべき話ではなかった。たまたま、大森博士との会話で聞いてしまったことだ。ただ、このままレーザ照射を続けると恐ろしいことが起きるかもしれない。いや、間違いなく起きる。特に大森と行動を共にしていた丹内は、ナマズの再起動だけは起こすなと何度も言われていた。ナマズはそのまま地中に眠らせるものだと。

 レーザは照射を続けていく。かれこれ、もう1時間近くになっている。それでも物体に変化はない。

 エリックがしびれを切らしたように作業員に再度、指示する。

「最高出力にしてくれ」

 作業員が了解し、レーザの動作音もさらに大きくなる。レーザ管が明るくなり、いまや最高出力のレーザが物体に照射されていた。

 丹内はもうこれ以上は我慢が出来なくなって、メイのところに行く。

 丹内の血相を変えた様子にメイが驚く。

「実は大森博士からは、この物体にエネルギーを照射しないようにと言われていました」

 その話にメイがぎょっとする。「何、それは本当なの?」

「はい、このことは政府内の秘匿事項で、今までお話が出来ませんでしたが、こいつはエネルギーを吸収し、それにより自身を励起させ、再起動する可能性があると聞いてます」

「それはわかってるわ」

「この物体は次元を移動するそうです。余剰次元を越えるとのことです。そのためにダークマターを発生させるというのが大森博士の見解です」

「ダークマター」

「そうです。さらに励起状態はいきなり現れる。一定量の蓄積があればすぐにそうなる可能性が高いと聞いてます」

「それはそうかもしれないけど、いきなり再起動する可能性は低いと思ってる」

「いえ、そうではないとのことです」

 メイが首をかしげる。丹内が続ける。

「これは自律型の宇宙船です」

「自律型」

「いわゆるAIで動いています」

「つまりは自分で判断するということね。なるほどそれはそうだと思う。それで他には何か言ってたの」

「大森博士はこの物体がここに落ちた時に、地震が起きたことを話されていました」

「地震?」

「はい、江戸時代の安政江戸地震がそうだと話していました」

「江戸時代?」

「1850年ごろです」

「そんな地震があったの?」

「そうです。震源地がまさにこの地点だそうです」

 メイが考え始める。レーザはその間も照射され続けている。メイはここで目覚めたかのように話し始める。

「ああ、そういうことか、つまりこいつは東京上空に突如として次元を越えて落下したということか、それで地震が起きた」

 メイはまた考える。「ああ、そうか、故障してたのか。つまり実験は失敗した。そしてそのままここで眠りについていた」

「そうです」丹内はほっとする。わかってくれた。

「やはり大森博士の余剰次元実験と同じ方法で次元移動したということね。ダークマターによる次元移動」

「そうなんです」

「そしてエネルギーをある程度、吸収すると励起する。ああ、なるほど自律型なら再起動する」

「はい、そうです」丹内は必死の形相で何度も頷く。ここでようやくメイが青くなる。

「自己判断。あ、もしかするとこいつはそれを待っているのか。一定量の励起エネルギーが蓄えられるのを。いや、それはまずい、それだとここでいきなりダークマターが発生する。ちょっと待ってこの大きさのダークマターってどうなるの」

 メイがレーザ装置にいるエリックとケリーの所に走り寄る。

「ケリー!レーザを止めて、このままだと大変なことになる」

 エリックとケリーが振り返って、メイのただならぬ様子にびっくりしている。

「どういうこと?」

「こいつはダークマターを発生させます」

「ダークマター?」

 その瞬間、室内にいた全員が何かの違和感を感じる。

 黒い物体が振動を始めだした。そして何か金属音のような高周波音を発生させている。

 そしてナマズが徐々にその色を変えていく。黒色だった外観が赤く光り出し、さらに段々と青くなっていく。

 ついにナマズが目を覚ましたのだ。

「ああ、起動した」メイが声を上げる。そしてその場に座り込む。

 ナマズからの異音が増々、大きくなる。そして振動も大きくなってくる。これまでの硬度が信じられないような動き方だ。

「これはまずい。レーザを止めろ!」エリックが叫ぶ。

 作業員がレーザを止めたが、ナマズはすでに励起してしまっていた。さらに振動していく。

「あああああああ」

 ついにナマズが大きく動く。それはあたかも生き物のようだった。その姿のまま、激しく振動し、室内すべてに己の姿を膨張させていく。その振動で室内にあるものは粉々に粉砕されていく。その場にいたものはその餌食となり、一瞬にしてちりとなった。

 そしてついにナマズはダークマターを発生させる。

 その規模は小松川どころではない。東京すべてに及ぶ。


 清水は高崎駅でようやく新幹線に乗車する。両毛線の本数と比較すると新幹線は信じられないほど多い。

 席に座ると、まずは今後の進め方を模索する。まずはアメリカが行おうとしているレーザ照射を止めることが最優先となる。総理からの話を持って何としても止めさせないとならない。しかしながら相変わらず、丹内とは連絡が付かない。本来であれば内閣府の担当者に連絡をすべきなのだろうが、ナマズ案件の特殊性のため、それが出来ない。完全秘匿事項なのだ。それゆえ嫌な予感しかしない。

 昨日の米国側との打ち合わせでも、朝一番から始めるような話ではなかった。もっともケリーやメイたち幹部抜きでの話し合いだったが。担当レベルではおそらく昼前後のスタートだと聞いた。まだ大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 新幹線は本庄駅を通過し、熊谷に近づいた瞬間、列車が強烈に揺れた。

「地震だ」

 新幹線が急停車する。幸い脱線するほどの揺れではなかったようだ。無事停車する。

 乗客たちが騒いでいる。しばらくして車内放送が地震発生のため、臨時停車したことを告げる。 

 清水は急いでスマホを確認するがつながらない。おそらく大元のサーバーがダウンした。それほどの大きな地震が起きたのか。この状況だと何の情報も得ることは出来ない。

 そして清水はこの地震が単なる東京近郊の地震であることを望む。間違ってもナマズ再起動などであってはならないのだ。それこそ、日本が終わってしまう。

 清水はそのまま座席でたたずむことしかできなかった。


 伊瀬知とザナは柏崎駅前の和食店で早めの昼食を取っていた。ここは海が近いので地元の新鮮な魚が食べられるとお勧めの店だ。ザナは刺身や鮨は食べることが出来るので、この店にした。

 店内は割と広く、40人は入れそうだ。座敷とテーブル席があり、伊瀬知たちはテーブル席に座る。まだ、十一時を少し過ぎたところで店内は閑散としていた。お店がお勧めだというお刺身付きの昼定食を注文する。

 店内には小型テレビがあり、朝のワイドショーが流れていた。

 伊瀬知がザナに質問する。

「大森博士と話をしたの?」

「そうなの。とにかく驚くような話だった。他の人には話をしないようにって言われたの」

「未確認物体の話ね」

「そう、とにかく信じられないような話だった。でも悠なら話をしても良いと思う。というか話さないといけない気がする」

 そう言ってザナは話し出す。


 大森博士の話は次のようなものだった。

 高い知性を持った宇宙人が、我々がいる太陽系を知り調査を試みようとした。そしてAIを搭載した自律型の宇宙船を派遣する。

 その宇宙人は地球からは遥か遠い星にいる。

 我々がいる太陽系から、最も近い太陽型恒星は、南天にあるケンタウルス座アルファ星だ。それでも4光年以上離れており、光の速度で進んで行っても4年はかかることになる。

 ましてや光速で進む飛行体などは作れないはずだ。よって地球まで来るには相当な時間を要することになる。ましてやそのアルファ星に知性を持った宇宙人がいるとも限らないため、もっと離れた惑星から来た可能性のほうが高い。そんな惑星から恒星間飛行をするためには、現状の航行ではない、あらたな方法が必要になる。それが余剰次元を使った移動であると考えている。これは大森博士が以前から研究していたテーマでもある。

 そして、あのナマズはそれを可能にしている。次元の壁を越えることができる物体ということになる。次元を超えるためには、ブレーンでの移動が考えられる。あのナマズはそれが出来る。そして次元を超えるためにダークマターを発生させる。ダークマター、言い換えればブラックホールだ。それは軍事利用の可能性を含んだものとなり、その利用価値は計り知れない。さらに次元移動も実現できることにもなり、その技術を習得することが出来れば、他国に対し、軍事、経済面にとって高い優位性を持つことになる。各国がこの物体に関心を寄せているのはそういった理由である。言い換えれば、あの物体はいわば未来からの贈り物ということになる。とてつもない価値を含んでいるのだ。

 ナマズが地球に来たのは、現在、ナマズが存在している地層から判断して、江戸時代だと思われる。その理由は地層だけでなく、江戸時代に発生したある事象が根拠になっている。ちょうどその時期に安政江戸地震が起こっているのだ。震源地が今回のナマズがいる位置と一致している。

 大森博士がこの案件に大きな関心を持った理由はこれにある。

 安政江戸地震は、安政2年10月2日、西暦で言うと1855年11月11日の夜に発生した。震源地は東京湾北部、地震の規模はM7~7.2、震源の深さは40~50㎞と言われている。被害は江戸市中を中心に今の埼玉、千葉そして神奈川県にまでに及んだ。震度6以上の激甚な地震動の地域は、江戸市中とごく周辺の町々にとどまった。それでも死者数は、地震動による家屋の倒壊と火災により、丸の内、本所、深川などで確認された人数だけでも、7000人を超すとされる。当時の事で実際はもっと多かった可能性もある。

 安政江戸地震については様々な記録も残っているが、その中で江戸湾(現在の東京湾)に巨大な水柱と、きのこ雲が上がったというものがある。当時、あの辺は海だった。実際は江戸上空に突如として現れた宇宙船が、とてつもない速度で落下したため、人目には触れなかったのだろうが、水柱ときのこ雲、その衝撃による地震でその存在を示したこととなる。

 地震は直下型と言われているが、時代と位置、そしてエネルギー量から判断すると、原因はこの宇宙船である。この物体が江戸上空に次元を超えて現れ、高速で地上に落下した。宇宙船はおそらく成層圏か、より地表に近い場所に突然現れ、落下したと思われる。もし、それよりも離れた宇宙空間から落下したのであれば、江戸時代と言えども、気付く人間がいたかもしれない。そういった文献もないことから、いきなり空中に現れて、瞬時に江戸湾に落下したものと思われる。さらにあのナマズは燃焼することはない。よって火球のように光を出すことも無いので、さらに見つけられにくかったのかもしれない。

 現在でも巨大な隕石落下の衝撃により、地震のような現象が起きることはよくあることだ。1908年のロシアでのツングースカ大爆発などもそうである。この隕石は空中で爆発したのだが、衝撃波により震度を記録している。古くは恐竜絶滅の裏には巨大な隕石落下があるとも言われている。

 また、大森が名付けた物体のナマズという名前についてだが、江戸時代には地震は地底にいるナマズのせいだと人々は思っていた。当時の文書類をみると、実際に鯰の絵が数多く描かれている。それで発見された物体をナマズと呼称した。

 ここで重要なのは、ナマズの落下原因についてである。

 本来であればナマズは地球近傍の宇宙空間に出現するはずだった。そうして地球などの観測をそれこそUFOのように飛行しながら行うはずだった。ところがその思惑が外れ、いきなり地球上に出現し、地上に落下してしまったのだ。これについてはナマズの故障か、宇宙人が座標をミスしたのか、いずれかだとは思う。しかし現在、ナマズは故障して活動を完全に停止している。そして長い眠りについていた。

 ところが200年近くたった今、偶然にも発見される。大森がこちらに来て確認したところナマズは活動を停止していたが、発見されたことにより、内部では再起動している可能性がぬぐえない。つまりすでに目覚めているかもしれないのだ。

 そして自律型の宇宙船であるナマズは、今の状態をどう捉えているかであるが、おそらく故障状態を良しとしていないはずで、修理をしようと目論むと思う。つまりは自分の星に帰還しようとする。

 博士の仮説になるが、ナマズの空間移動は、余剰次元を利用するはずだ。言い換えれば、ナマズはブレーンを越えて行き来できる能力を持っている。近年の物理学では、我々が今生きているこの空間にブレーン(膜)が存在すると定義しており、その転移を可能にするものが、ダークマターになる。

 大森理論ではダークマターにより、ブレーンを越えて余剰次元に到達できるものとしている。これは大森が実証した実験に基づいているのだ。そしてナマズの存在も、ダークマターを利用し、余剰次元を移動している証となる。大森理論を具現化したものが、まさにあのナマズなのだ。

 ここで問題なのはこのダークマターである。これはブラックホールと同義である。ブラックホールの特異点を使って物質が転移する。そして、もしナマズが帰還しようと試みるならば、東京周辺に巨大なダークマター、つまりはブラックホールが発生することになる。


 話を聞き終わって、伊瀬知が質問する。

「もしダークマターが発生するとして、それはどのくらいの大きさになるのかな?」

「それはよくわからないらしいんだけど、少なくとも日本は無くなるって言ってる」

「ずいぶん大きいな」

「そうなの。父が今年になって発表した理論も同じ」

「たしか余剰次元の存在証明だったよね」

「そう、重力を使って物体の余剰次元への転移を実証したの」

「今回のナマズと同じ内容か」

「父は重力を局所集中する理論式までは発表したんだけど、具体的な装置についての発表は避けたの。それはあまりにその威力が大きかったから」

「どのくらいだったのかな?」

「実験では水素粒子1個を消失させるミクロンオーダーの極小ダークマターでも、テニスコート規模の実験装置が必要だったって」

「それぐらいの規模か。ナマズの大きさのものを転移させると、地球が無くなるかもしれないね」

「可能性は高いらしい。父は総理に、とにかくナマズを目覚めさせてはならない、絶対に動かしてはいけないって。それこそ地球の消滅になるんだから」

「博士が心配してるのは、ナマズが故障しているってことだね」

「そう、ナマズは自律型の装置だから、修理するために自分の星に帰還することを考えるはずだって」

「たしかにそうか」

「再起動するといきなりダークマターを発生させることになる」

「それはそうだね。病気になったら病院に行くものね。それでナマズを動かすものは何かな?」

「ナマズはすべての入力要素を全て吸収するみたい。磁力、光力、電磁波、X線、運動エネルギー、おそらく重力も、それをずっと励起できるまでため込んでるはずだって」

「それでシートを被せてたんだ。そうなるとエネルギー量の高いものを印加するのはご法度だね」

「そう、とにかくそれだけは止めるように言ってあるって。なるべく静かにして、そしてそのまま眠らせておかないと」

「なるほどね」伊瀬知は納得の表情を見せる。

 テレビではリポーターがどこかの公園に行って、施設を紹介している。子供たちの笑い声が聞こえている。のどかな光景の裏には恐るべき事態が進行しているかもしれないのだ。ザナは今のこの平和を守る必要性を痛感している。自身の身の上を想うとこういった平和な世界が続いていくことを心から望んでいる。

 話に一段落ついたところで伊瀬知が話しかける。

「ところで、ザナは食べられないものはあるの?」

「特にはないけど、母親がムスリムだったから、豚肉は食べないようになった」

「そうか、じゃあとんかつは無理だね」

「油で揚げたやつだよね。大森は好きみたい。私は食べない」

 イスラム教徒ではないが、母親と同じではありたいと思う。

「悠は何かあるの?」

「食べ物の好き嫌いはないよ。なんでも大丈夫」

「でも、悠はどうやって、あの運動神経を手に入れたの?こういったら失礼だけど、人間とは思えない」

 伊瀬知は笑いながら言う。「どうかな。人間離れしているとはよく言われるけど、自然と身に付いた感じかな」

 ザナは信じられないと目を丸くする。「悠のお母さんはどんな人だったの?」

「母は私と似ていたみたいだよ。運動神経も母譲りかな」

「へー、ああ、そういえば、悠のお父さんってどんな人なの?」

「父親か」

 その瞬間、突然、テレビの画像が途切れて、まったく何も映らなくなる。

「あれ、テレビが壊れたのかな?」

 店員がチャンネルを変えるが、どこも何も映らない。さらにチャンネルを変えると、映る局もあった。

「テレビの故障じゃないな。放送局の問題だな」

 次の瞬間、地面から強烈な揺れを感じる。

「あ、地震だ」ザナは地震の経験があまりないようで驚く。

 伊瀬知の顔が曇る。「ザナ、もしかして、これはナマズじゃないの?」

 ザナも青ざめる。「え、まさか」ザナが自分のスマホを確認する。「悠、つながらないよ」

「大元のサーバーがダウンした。東京が震源だ。やっぱりナマズが再起動したんだ。大森博士の所に戻ろう」

 お店に事情を言い、食事をキャンセルし地域事務所に急いで戻る。


 すでに事務所は大騒ぎになっていた。隊員が情報収集のために駆け回っている。災害時に一番に駆けつけなくてはならないのは自衛隊である。

 伊瀬知とザナは大森博士を探す。大森は先ほどまで聞き取りを行っていた会議室にいた。刑事ドラマでよく出てくる調書を取るような部屋である。テーブルがあり、大森は奥の席になかば呆然と座っていた。

 ザナが大森に駆け寄る。「ナマズが動き出したの?」

「どうやら、そのようだ」大森は苦虫をつぶしたような顔をしている。

 伊瀬知が言う。「博士は状況を掴んでいますか?」

「いや、何もわかっていない。自衛隊も詳細はわからないみたいだ」

「それは、市ヶ谷の防衛省からも情報が無いと言うことですか?」

「おそらくはそうだろうな」

「博士が考えるナマズ再起動の規模は東京全域程度でしょうか?」

 大森は記憶をたどる。「あれだけの大きな物体だからね。それで今回の再起動は転移を目的としていないかもしれない」

「どういうこと?」ザナが質問する。

「うん、軽々なことは言えないが、本当に再起動するとなれば地球規模のダークマターになる可能性が高い。それに比べるとあまりに規模が小さい気がする」

「じゃあ、今回の地震はナマズじゃないの?」

「それがよくわからない。私もこの地震が普通のそれだと思いたい。ただ、ひょっとするとナマズの試運転だったのかもしれない」

「試運転?」

「そう、ナマズは長い期間眠っていたわけだから、機能確認ともいうべき試運転をしたのかもしれない」

「試運転としてどのくらいの規模のダークマターを起こすの?」

「少なくとも東京都が無くなるぐらいの影響は出るだろうね」

 ザナが青ざめる。本当にナマズが再起動したのか。東京はどうなったのか。

「博士、まずは情報収集です。軍隊長の所に行きましょう」

 伊瀬知の呼びかけに大森も呼応する。3人で軍隊長の所に行く。

 軍隊長は大森を見て、何事かといった顔をする。

「大森博士、何かありましたか?」

「はい、私は今回の地震の原因に心当たりがあります。力になれると思います」

「そうですか、ちょっとこちらも情報が掴み切れていません。これから情報収集を兼て、高田駐屯地に向かいます。高田の方が色々な情報を掴めるはずです。博士もご同行願えますか?」

「大丈夫です。娘たちも一緒でいいですか?」

「はい、構いません」


 大森博士とザナは自衛隊の高機動車で高田駐屯地に向かう。伊瀬知だけは自分の車で付いていく。駐屯地までは10㎞ちょっとだ。車中の軍隊長は小幡と言う名で、特殊作戦群の指揮を取っていた人物だ。年齢は40歳後半だろうか、温和な顔で自衛隊員とは思えないぐらいの優男だ。その小幡が話す。

「先ほどのお話ですと、大森博士は今回の地震に心当たりがあるということでしたが」

「ええ、おそらくこれは地震ではないと思っています」

「と言いますと?」小幡が不思議そうな顔で聞き返す。

「江東区で発見された、未確認物体が要因で発生したものと考えているんです」

「え、そうなんですか、自分は詳細までは聞いておりませんが、丹内情報官から、そういったものの存在については報告を受けております。大森博士が拉致されたのも、その物体のせいだとも」

「そうです。それで、あれが動き出したとなると恐ろしいことです。へたをすると人類が滅ぼされるかもしれません」

 小幡軍隊長は言葉がない。それほどまでに危険性の高いものだったのか。助手席に座っていた隊員が小幡に話をする。

「軍隊長殿、携帯衛星通信装置にて本部と連絡を試みておりますが、やはり通信出来ない状態となっております」

「それは通信機自体が故障している状態なのか?」

「いえ、通信機は稼働しておりますので、市ヶ谷防衛省側の問題ではないかと思います」

「そうか、いったいどうなったんだ」小幡がうめく。


 高田駐屯地に到着。隊員は大森一行を引き連れて、そのまま駐屯地本部にまで入って行く。

 本部は3階建ての最上階にあった。

 部屋はバスケットコートぐらいの広さで、自衛官たちが数台のモニターを前に様々な機器を操作している。中央に大型のテーブルが設置されており、資料がその上に所せましと置かれていた。幹部連中が揃って打ち合わせをしていた。

 テーブル奥に座っているのはこの駐屯地の連隊長のようだ。階級章から一等陸佐であることがわかる。

 その駐屯地の連隊長に小幡が敬礼挨拶する。

「特殊作戦群の小幡です」

「第2普通科連隊長の小川です。現在の状況についてはこちらも情報収集中です。いまだ詳細が掴めておりません。ただ、どうやら震源地は東京のようです。直下型地震ではないかとも言われておりますが、通信を含め、情報がまるで入ってきません」

 小幡はうなずくと、ここで大森を紹介する。

「皆さんに紹介します。こちらはロスアンゼルス工科大学の大森博士です。我々は博士の警護を主任務としておりました。また、博士は今回の災害について知見をお持ちとの事です」

「そうですか、それは心強い」そう言いながらザナと伊瀬知を不思議そうに見る。それを見た小幡が答える。「こちらは博士のお嬢様、ザナさんと」小幡が少し言いよどむ。「伊瀬知さんです」

「お嬢様がお二人ですか?」

「いえ、何と言いますか、こちらはお嬢様の御友人になります」

 小川連隊長は増々、不思議そうな顔をする。外国人の娘とこの宝塚の男役みたいな女性は何者なのか。その顔を見て伊瀬知が話す。

「探偵を生業にしている伊瀬知悠と申します。けっして怪しいものではありません。ザナさんの友人で部外者と言うわけでもありません」

 そう言われても一向に要領を得ないのだが、小川はそれどころではないと、作業を続けることにする。

「今は衛星回線を使って、他の部隊の生存確認を行いながらの情報収集を行っています」

「ネットはまだ復旧していませんか?」小幡が確認する。

「まだのようです」

 モニター前で作業をしていた隊員が、振り返って小川に話す。

「連隊長殿、木更津駐屯地とつながりました」

 木更津は小幡の所属地になる。小幡がほっとした顔をする。

「木更津は健在か、それは良かった。話は出来るか?」

「はい、今、向こうの司令とつながっています」

 小川が話を始める。

「高田駐屯地の小川です。木更津の状況をお知らせください」

「木更津の田畑です。こちらは大きな被害はありませんが、都心はひどい状況です。なんというか、これは地震ではない気がしています」

「どういうことですか?」

「はい、こちらの地震計では震度4を記録したのですが、都心の被害は地震の被害ではない。見た方が早いと思います。今、映像を送ります」

 モニターに画像が転送されてくる。木更津駐屯地から都内を撮影したものなのか。

「田畑司令、これは何ですか?海しか見えませんが」

「はい、ああ、そうなんです。東京が沈んでしまったと言ったらいいんでしょうか、海になっています」

 木更津駐屯地から映像が転送されてくる。それを見た全員が絶句する。

 木更津から都内を写したもののようだが、海面があり、その上が靄のように煙っている。たしかに手前にアクアブリッジらしきものが見え、橋は健在なのだが、肝心の都心のビル群がそこには無い。

「地盤沈下したように都心が無くなっています。おそらく23区すべてが沈下してしまったのかもしれません」

 大森博士がうなる。「やはりそうか」


 清水は相変わらず、新幹線車内に閉じ込められたままだった。かれこれ1時間近くこの状態で、駅員も来ないし車内放送もない。乗客たちもさすがに騒ぎ出す。

 突然、清水の携帯が鳴りだす。画面を見ると回線が復旧したようで、表示名は総理秘書の田島だ。確か東日本地震の時はネット復旧に相当な時間を要したと思ったが、今回はそれほど時間もかからず回復できたようだ。

 電話に出る。「清水です」

「清水さん?生きてますか?ああ良かった。こちらは総理秘書の田島です」

「今、新幹線の中です」

「今、総理と代わります」

 林総理が電話に出る。「清水君か、大変なことになったぞ」

「え、まさか」

「そのとおりだ。東京が無くなった」

 時を同じくして、新幹線車内から絶叫に近い叫び声が上がっていた。ネットワークが復旧したため、みんながスマホを使って、様々な媒体から画像や情報を見ているようだ。清水は青ざめる。

「まさかナマズが起動したんですか?」

「そのようだ。最悪の事態だよ。とにかく副都心の大宮は生き残ったようなので、そこを臨時政府の拠点とする。それから、大森博士も救出されたそうだぞ。彼も大宮に呼んだ。君も大宮を目指してくれ。我々はヘリで向かう」

「わかりました」

 政府は危機管理の一環で、都内大規模な災害発生時における政府機関喪失の際には、大宮副都心に政府を移せるような体制を作っていた。


10

 橋爪と木次は柏崎で捜査を始めようとした矢先に地震が起き、一旦、当地の所轄である柏崎警察署に行くことにする。携帯がつながらないため、情報収集を兼ねていた。

 柏崎警察署の駐車場に車を停める。見渡すと特に地震の被害もないようだ。木次が話す。

「この辺はそれほどの震度じゃなかったみたいだな。いったいどこが震源なんだろうな」

 ここまで車を走らせた限りでは、この辺りは大きな被害もなかった。

 二人が署内に入る。やはり中は騒然としていた。電話は繋がっており、さかんに鳴っている。ここはネット回線ではないのだろう、相変わらず橋爪のスマホは繋がらない。受付付近にいた女性警官に声をかける。

「すみません。警視庁の橋爪と申します。今どういった状況なんですか?」

 女性警官は鳴り続けている近くの電話を取るのをあきらめ、橋爪に応対する。

「我々も状況がわかっていないんです。ただ、ネットが繋がらないのと、都内のテレビ局からの放送が入りません。おそらく東京で何かあったようです」

「ということは震源地は東京ですか?」

「多分、そうだと思います」

 橋爪が木次と顔を見合わせる。

「桜田門はどうなんだろうな」

 とにかく情報が全くないのは困る。橋爪たちは取り敢えず、この場で待機することにする。所轄にお願いして会議室を借りる。

 時間が取れたことで、ここまでの事件を振り返ることにした。

 橋爪が話し始める。

「これまでも北朝鮮の動きを追ってきましたが、ここにきて一層激しさを増してきました」

「まあ、案件が案件だからな。向こうも必死なんだろうよ」

「それはそうなんですが、気になるのは情報の入手方法です。大森博士の動向を、どうやったらここまで詳しく知ることができるのか、不思議なんですよ」

「確かに俺もそう思う。どこかで情報漏洩があるんだろうな」

「二係としてもそれなりに情報収集してきたつもりです。北朝鮮の幹部らしき人間の動向も抑えてきたはずなんですが、一体、やつらはどこから情報を入手したんでしょうね」

「ハッキングや盗聴にしても限界があるはずだしな。ましてや今回の案件たるや、政府の秘匿事項で、情報漏洩には十分に気を使ってきたはずだ」

「そうです。警視庁の幹部ですら、今回の案件は知らなかったぐらいですから」

「考えられることは、政府内にスパイがいるということだな」

「それも中枢にいるはずですね」

「北と接触を持っていた関係者なんていたのか?俺はそういった話を聞いてないぞ」

「私も同じです」

「我々がマークしきれていなかった、北の諜報員を政府内に潜り込ませたということか」

「そういったところも今回の拉致犯を捕まえれば、わかると思うんですがね」

「それなんだが、博士を母国に輸送しようとしていたのだったら、密航船が海岸に来ていることになるな」

「そうですね。博士は救出されたわけですが、ミッション自体は継続するはずです。密航船から新たな諜報員が行き来するかもしれません」

「確かにその可能性は高いだろうな」

「それにしても地震の被害も気になります。このまま身動きが取れないようなことになると困ります」

「そうだな。本部はどうなったんだろうな」

 橋爪は会議室から署内を見渡す。相変わらず喧騒は収まる気配がないようで、署員が走り回っている。


11

 再び陸上自衛隊高田駐屯地。

 混乱の中、小幡は生き残った防衛省幹部と連絡を取りあっていた。しばらくして何か話がまとまったようだ。大森博士の所に来て話をする。

「大森博士、今、防衛省幹部から指示がきました。博士とお嬢様は臨時政府がいる大宮の合同庁舎に行っていただきます。そこで総理がお待ちとの事です」

「そうですか、わかりました。あと、お願いですが、こちらの伊瀬知さんも同行してもらいたいです」

 小幡は少し困ったような顔をするが、重要人物である博士の要望に渋々、同意する。

「わかりました。それではヘリを用意させますので準備をお願いします」

 小幡が離れていく。大森が伊瀬知に言う。

「伊瀬知さん、ザナからお願いしたようですが、私からも頼みます。日本を離れるまでは我々のボディガードをお願いします」

「はい、大丈夫です。費用はいただきますよ」伊瀬知は久々に笑みを浮かべる。

「もちろんです。それにしても大変なことになった。なぜこんなことになったのか」

 ザナが大森に話す。

「本当にナマズが再起動したってことだよね」

「そうだね。もう少し詳細画像を見たかったが、間違いない。それにしても凄まじい、ナマズのダークマターがあれほどのものだとは」

「想像を越えていたってことなの?」

「いや、想定した範囲ではあるんだけどね。実際に本物を見ると信じられない気がしただけだ。人類が初めて大規模なダークマターを間近に見たわけだからね」

「ブラックホールだよね」

「そうだ。そのとおり、ダークマターはブラックホールとも言える。ナマズは特異点を作ろうとしていたと思うよ」

「特異点で余剰次元へ転移しようとしたってこと?」

 その話に大森は少し考える。

「やはりナマズの大きさを考えると、今回のダークマターでは小さすぎる。計算上はあの数百倍、いや、下手をするとさらに大きくないと転移できないかもしれない」

「じゃあ、ナマズはあそこに残ってるんだ」

「あれは試運転に過ぎない。ナマズは残ってる。今や東京湾はダークマターのせいで、深く抉られて海溝になってるだろうから、ナマズは海底に沈んでいるはずだ」

「ナマズはこれからどうするんだろう?」

「今やナマズは完全に目覚めてしまった。それとさらに試運転を済ませているわけだから、転移するために、エネルギーを貯めて、次のダークマターを作り出そうとしているだろうね」

「じゃあ、さらに大きなダークマターを発生させようとしているの?」

「そう思う。そして、それは地球自体を消失させるレベルになる」

 ザナが絶句する。


 駐屯地にある滑走路から、大型輸送ヘリコプターCH―47Jが飛び立とうとしている。このヘリコプターであれば50名程度が乗り込むことが可能だ。自衛隊の特殊作戦群の隊員と大森一行が乗り込んでいた。

 騒音の中、小幡が後部座席にいる大森たちに近寄って話しかける。

「これからまずはヘリが着陸可能な大宮駐屯地に向かいます。博士たちはそこから、臨時政府がある合同庁舎に行っていただきます。もちろん私も同行します」

「そうですか、ご苦労様です」

 伊瀬知が小幡に話す。

「私の車を駐屯地の駐車場に置いてあります。都内がこんな状態なので、とりあえず、そのまま駐車場に置かせてもらっていいですか?」

「わかりました。高田駐屯地にはそのように伝えておきます」

 大森が小幡に話す。

「大宮到着後、隊員の方々はどうされるのですか?」

「いったん、木更津にもどりますが、すぐに災害対応を行うでしょう。自衛隊の本来の任務ですから」小幡が笑顔を見せる。実に頼もしい。「しかし、ここまでの被害となると、どこから手を付けていいのかわからないのが本音です。東日本地震を越えている気がします」

 確かにこれまで東京23区が消滅するような被害を聞いたことがない。小幡が自分の席に戻って行く。

 伊瀬知が大森に話をする。

「大森博士、少し確認させてください」

「ええ、なんなりとどうぞ」

「博士が拉致された経緯が気になっています。付け加えるとザナも拉致されそうになったんです」

「え、ザナも拉致されそうになったのか?」

 ザナがうなずく。大森は初めて聞いた話に心配そうな顔になる。伊瀬知が続ける。

「拉致したのは北の諜報員です。やつらがどうやって情報を入手できたのかが気になっています」

「確かにそうですね。実は彼らはナマズの存在はおろか、状況についても熟知していました。私が話をする前にです。ですから、あえて私から情報を取ろうともしなかった」

「なるほど、そうですか、やはりどこからか情報が漏れていたのですね。思い当たる節はありませんか?」

「いえ、わかりません」

「そうですか」

 大森がザナに話す。

「ザナは誰に拉致されたんだ?」

「わからないけど、六本木にいた半グレ集団だったみたい」

 伊瀬知が付け加える。

「それも北が指示したように思います。ザナなら簡単に半グレでも拉致できると思ったんでしょうね」

「実際はとんでもない探偵が付いていたわけだ」

「でもそのあとにその半グレが、探偵事務所まで再度、拉致目的で来ました」

「また、襲われたのか」大森博士は聞いてないよと言いたげである。

「悠が追い払ったの」ザナが嬉しそうに言う。

 ザナは今更ながら伊瀬知の活躍ぶりに感謝する。この探偵がいなければわれわれ親子はどうなっていたのか、考えるだけで空恐ろしい。


12

 ナマズの再起動により首都機能は完全に失われてしまった。それどころか、首都そのものが文字通り無くなってしまったのだ。ナマズがいた小松川第2ポンプ所を中心に、10㎞圏内が完全に消失していた。それは東京と言う都市の中心部でもあり,日本の肝とも呼べる部分だった。

 政治の分野では国会や官公庁のある永田町、企業の本社ビルがある大手町、さらには皇居までも文字通り消失していた。

 遊説で都心を離れていた林総理が生き残ったことは、不幸中の幸いだったが、政治家の大半は都内に在住、もしくはそこで活動しており、国会は機能しなくなる。さらに政治上、最も痛いのは、実務を担っていた永田町の官僚たちがほぼ全滅になっていたことだろう。政治活動自体が機能不全となった。

 さいたま副都心合同庁舎。大宮に新たに新都心として建てられた高層ビル群である。ここの第一庁舎に臨時政府機関が設けられた。林総理以下政府関係者は事態の把握はもちろんの事、生き残りの人材を集めることと、地方にいる人材を臨時政府に早急に集結させることを優先していた。さらには自衛隊も市ヶ谷の防衛省が無くなり、防衛大臣不在の中、災害救助活動の進め方もままならない事態となっていた。もちろん桜田門の警視庁も存在していない。


 臨時政府の幹部たちが、合同庁舎の大会議室にて打ち合わせを行っていた。総理以下各省庁を代表する人材が30名程度である。そこに今回の災害のキーマンである大森博士が、新潟からヘリで到着する。

 大森が関係者に付き添われて会議室に入る。林総理がそれを歓迎する。

「大森博士、ご無事でよかった」

 大森は総理に会釈すると末席に座る。内閣府の防災担当参事官の榊原が議事進行を行っていた。彼も生き残りの一人である。その榊原は大森博士が席に着いたのを確認し、話を始める。

「それでは当事案について知見をお持ちの大森博士が参加されました。あらためて今回の災害についての状況確認会議を続けます。先ほども述べましたが、本来であれば防災担当統括官である金城が進めるべき会議ではありますが、依然として本人の生存確認が取れておりません。金城に代わり私、榊原から報告させて頂きます。まずは現在の被害状況について、災害当時の衛星画像が残っておりますので、それをご覧ください」

 室内が暗くなり、会議室前面にある大型スクリーンに映像が写る。

「こちらは偵察衛星H‐ⅡA41号機による動画になります」

 東京上空からとらえた東京都心の映像が流れる。 

 まず映ったのは災害前の映像であり、画面中心は江東区のようである。画面中央に荒川が見える。さらにそこから東京湾やアクアブリッジも確認できる。

 しばらく静止画像のような映像が続いたのち、次の瞬間、荒川の河口を中心として円形に一気に消失が始まる。それはあたかも巨大なシャボン玉が、出来た瞬間にはじけて無くなったように見える。上空画像なので、それがより明確になっており、完全な円を描いている。まるで神がコンパスでも使って描いたようである。その後、円形の大きな空洞が出来、都心の重要施設をすべて消し去ってしまった。

 会議参加者一同からうめきにも似た驚きの声が上がる。早送りでもしているかのような瞬時の映像だった。林が質問する。

「ちょっと待ってくれ、これは実際の速度なのか?早送りじゃないのか?」

「実際の動きになります」榊原は淡々と答える。

 次に円形に抉られた空洞に、東京湾から海水が侵入していくのがわかる。これは周囲を霧のような靄を見せながら、ナイアガラの滝のように徐々に動いていく。さらに東京都の陸地側には粉塵のような煙幕が、円の端部に広範囲に発生していく。これは地すべりが起こっていることを示しているようだ。円形の陥没だけではなく、地すべりのためにさらに被害範囲が広がっていくのがわかる。そしてそれ以外の陸地でも、何かの光の点滅が見られる。

「この画像からわかることは何かな?判断は付くのか?」

 林の質問に対し、大森が手を上げる。

「この中に科学者は私だけのようです。私から解説します。もし、お分かりになる方は遠慮なく発言して頂きたい」

 林が頷く。大森以上にこの事案を説明できる人物はいないだろう。出席者からも意見は出ない。大森が続ける。

「画像から判断して、震災の中心部は東京江東区です。そこを中心に球体上にすべての物質が消失したと考えられます」

「消失?どういうことかね」林が質問する。

「中心部に存在していた未確認物体、これを私は仮にナマズと呼んでいますが、これが起動しダークマターを発生させました。それによりナマズを中心として概ね半径5㎞程度の物質が消失したようです。ここでいう物質とは空気も含んでのことです」

 会議参加者は増々、訳が分からないといった顔になる。

「よって、発生時に上空を飛んでいた航空機の類も墜落したはずです」

「そうなのか?」林が防災担当榊原に質問する。

 その言葉に榊原は資料を見ながら話をする。

「はい、そのとおりです。判明しているだけで、当時、上空を飛行中の航空機18機、およびヘリコプター5機が消息を絶っています」

 大森が続ける。

「その範囲で真空状態が生まれましたので、急速な空気の移動があったためです。また、海水が空洞になった部分に流れ込んでいる。その反動で残った陸地周辺にも津波が発生したと思います。さらにはブラックマター発生時の衝撃で地震も発生していると思います。中心部から離れた地域から上がっている光の様なものは、火災だと思います。画像からわかる範囲で解説しました」

 大森の説明が終わったことを確認して、榊原が説明を続ける。

「報告を続けます。大森博士の話にあった消失した地域の被害実態がわかっていません。これは推測ですが、当日、その場所にいたと思われる人間は少なく見積もって、400万人近いものと推定されます。さらに二次被害で、先ほど話の合った火災や津波による被害で、さらに数万人規模で被害者が出ていると推定されます」

「そこまでになるか」林がうなる。榊原は続ける。

「被害の実態については今後の報告を待つしかありませが、まずは早急に生存者の救出にむかうべきと思慮いたします」

「そのとおりだ。非常事態宣言を出して、自衛隊、警察を総動員させる体制を取ってくれ」

 一同がうなずく。

 ここで大森が挙手する。榊原がそれに気づいて指名する。

「大森博士、何かありますか?」

「はい、それよりも私が懸念しているのは、ナマズの再起動がこれで終わったのか、さらにこれからがあるのかということです」

「どういうことかね」大森の言うことを理解できない林が質問する。

「はい、ナマズが起動した理由です。ああ、総理、その前に当会議に出席されている方々にナマズについて説明してもよろしいですか?」

「そうだな。この状況ではやむを得ないな。説明してくれ」

 大森がこれまでわかっていた、ナマズについての一連の解説を行う。歴史を含め、ナマズと言う存在についての持論を述べる。一同は呆気にとられる。

「つまり、ナマズは故障していたわけです。高度な自律型AIを搭載している宇宙船ですので、今や状況を改善するために自己修復し、生まれ故郷に戻ろうとしていると思います。我々が病気になり病院に行くように、自分の星に戻ろうとしているわけです。そのために再び次元を越えた旅に出ようとし、ダークマターを発生させました。さらに今回のダークマターにより、余剰次元へ転移したのであれば、まだ救いがあるのですが、そうではなかった場合が問題です」

「ダークマターを発生させたんだから、転移できたんじゃないのか?」林が言う。

「それについてははっきりと断定はできませんが、ここからは私の推論です。もう少し正確に計算してみないと何とも言えませんが、あの程度のダークマターでは転移は難しいのではないかと考えています。つまりもっと大規模なダークマターでないと、ナマズは次元を越えられないと思っています」

「じゃあ、転移できていないということか」

「はい、残念ながらそう思います」

 林以下会議出席者が絶句する。

「じゃあ、今回のダークマターは何だったんだ?」

「おそらく試運転のようなものだったと思います」

「何だってあれで試運転とは」林が首を振る。「いったいどうすればいいんだ。ナマズを止める手立てはあるのか?」

「申し訳ありません。止める方法は今のところ思いつきません。それとまずは早急にナマズがまだ存在しているか、否かを確認するのが先決です。私の計算違いということもあります」

「ああ、確かにそうだな。それは防衛省管轄だな。どうだやれるか?」

 それに防衛事務次官が答える。「確かに防衛省管轄とは思いますが、逆に大森博士に質問です。具体的にはどうやって確認すればいいのですか?」

「ナマズはそのまま海底に沈んでいる可能性が高いです。江東区にあった場所からそのまま真下の海底に沈んでいると思います」

「なるほど、わかりました。そこを探ればいいですね。動いてみます」

「それと深海探査や海洋学の専門家の意見も聞いて下さい。災害以降の潮流の動きも読めない部分があります」

「わかりました」

 その後、会議は今後の進め方を中心に話し合われ、まずは総理の記者会見で、治安回復、民心の動揺を鎮めることを目的にするとの方針が決まる。また、自衛隊の再編成を進めながら、同時に救助活動を最優先にするといった方針も決定された。防衛大臣はしばらくは総理が兼任することとなった。

 清水統括官はこの会議終了後に臨時政府に合流する。清水は新幹線を途中下車し、なんとかタクシーを走らせてここまで来た。関東地方は大混乱で、さらに大きな震災が起きるといったデマや各地で暴動が起きたといった噂が駆け巡っていた。一部、本当に略奪や暴動騒ぎも起こっていた。

 

 深夜になり、合同庁舎内の総理大臣執務室にて林総理と清水が話をしている。

「清水君、アメリカ対応は君がやってくれ、とにかく情報をよこせの一点張りだ」

「わかりました。使節団のこともありますので、アメリカも必死でしょう。実際、今回の震災責任は向こうにあるのですが」

「そうだが、そういった部分の匙加減や交渉が出来る人材がいない。外務大臣や外務省の出来るやつはみんな行方不明だからな」

「閣僚で残った人間はいるんですか?」

「数人はいるが、はっきり言って使えるやつはみんないなくなったな」

「東京中心に集め過ぎたということですね。たった10㎞圏内が消失しただけで、この国の要人どころか機能がすべて失われました」

「確かにそうだな。その範囲だけでこの国の中枢すべてが失われた。危機管理はどうなってたんだろうな」林の声は絶望感を含んでいた。

 清水は思う。ここまで首都に機能集約している国家は日本だけではないのか、まさに危機管理意識の欠落と言える。もし、首都を攻撃された場合も、国の機能は停止されることになったのだ。

 林が続けて話す。「ああ、それと皇族も同じだ。頭が痛い」

「各省の大臣選びも必要ですが、まずは組織改編、いや政治改革です。内閣府主体に進めますが、思い切った改革をしますよ。もう人材がいない。規制緩和と若返り、民間移譲も含めて抜本的にやるしかないです」

「仕方あるまい。もう政党も派閥もくそもない。好きなようにやってくれ」

「わかりました」

 今回の災害でよかったことは、思い切った政治改革が出来ることだろう。この国の政治活動を根本から変革できる。

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