表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なまず 未確認物体  作者: 春原 恵志
5/9

大森博士捜索

 新潟県柏崎市は原子力発電所で有名だが、本来は海沿いののどかな町である。新潟県において新潟市と直江津市の中間にあり、大きな港もないためにそれほど発展してきたわけではない。産業としてはもちろん稲作などの農業が中心だが、原発関連以外の産業は少ない。

 某国の情報活動もこういう地域だとやり易くなる。人口が少なく、まず人目に付かない。また海がある点が有利に働く。海岸沿いにはひとけのない、かつ人目に付かない場所が散見されるのである。つまりはそこから船で容易に密航できることになる。

 その柏崎では大森博士の捜索に自衛隊特殊作戦群の精鋭部隊が参画しており、その人数は30名程度だ。部隊本体は柏崎地域事務所で情報収集していた。

 そして伊瀬知とザナはその事務所近くで待機している。大森博士の捜索については、特殊作戦群の情報を利用するのが得策であるという、伊瀬知の判断からだ。 

 今日の伊瀬知は女性自衛官の服装である。ザナは待機するように言われており、今回はコスプレしないで済んだ。それだけは安心できる。

 伊瀬知がザナに話す。「じゃあ、行ってくるからね。車の中でじっとしてるんだよ」まるで子供扱いだ。

 昼時の割と隊員が少ない時間帯を狙って、伊瀬知一人が事務所に入って行く。今や事務所内は特殊作戦群がいるため、ごった返している。つまりは現地の自衛官と、木更津の作戦群の隊員との区別が付きづらいのである。現地の人間は見かけない顔は木更津隊員だと思うし、木更津隊員は逆に新潟の隊員と判断することになる。

 伊瀬知のようなコスプレ隊員は違和感もあるが、深く追及はされないだろうと、事務所内を我が物顔で歩いている。まずは事務所内の探索から始める。忙しそうな振りをしながら歩き回る。

 入ってすぐの部屋は市役所同様、奥のほうに上官の席があり、手前に事務机が固まって4個並べられている。ここで文書類を処理するようだ。今は昼休みなので、ほとんど人がいない。伊瀬知は素早く上官の机付近を捜索し、それらしい封筒に入った文書を勝手に小脇に抱える。

 特殊作戦群本部がいる部屋はすぐに分かる。奥側の会議室がそのようである。

 伊瀬知が会議室のドアをノックする。中から声がする。

「どうぞ」

 扉を開けて入る。敬礼をしながら身分を名乗る。

「自衛隊新潟地方協力本部より参りました、総務課2等陸士の小林香と申します。書類をお届けに上がりました」

 会議室は10畳ぐらいの広さで、もちろん窓などはない。襲撃を防止する目的もあってここは密室である。会議机がコの字に並べてあり、10名ぐらいが座れるようになっている。今は3名ぐらいしかいない。おそらくここも食事時なのだろう。

 奥に座っているのが階級から判断すると軍隊長だ。階級章は1等陸佐である。伊瀬知が近寄り、先ほどの文書を渡す。軍隊長らしき人物はそれを確認し、「ああ、これは俺宛じゃないな。入り口にいた隊員に聞いてくれ」とうんざりした顔で言う。

「失礼しました」伊瀬知は敬礼しながら、その文書を受け取る。

 そしてそのまま会議室を後にする。柏崎事務所宛の文書であることは確認済でこうなることは想定内だ。伊瀬知は文書をもとの場所に戻して、そのまま事務所を出ていく。

 伊瀬知はザナの所に戻る。

「悠、任務完了なの?」あっと言う間に伊瀬知が戻ってきたので、ザナが驚く。

 伊瀬知は「会議室にマイクを仕掛けた」と笑顔でいう。会議室の机の裏側に小型マイクを仕掛けていたのだ。

「あとは隊員からの報告を待つだけかな」

「悠は自衛官のユニフォームも持ってるんだ」

「今回は必要だと思ったから持ってきた。あと、警察官の制服はいつも持ってるな。探偵の七つ道具」

 そんなものなのかな、ザナは素直にそう思う。

 そしてそれからは無線で確認し続ける。夕方を迎える頃になり、隊員から続々と情報が入って来る。

 それによると運搬車らしき、ふそうキャンターは市内、畔屋の裏山に乗り捨ててあったそうだ。もちろん盗難車だった。ここからさらに車を乗り換えたのか、徒歩で移動したのかは不明だが、いずれにしろこの周辺だろうということになり、現在は重点的に周辺地域の捜索が続けられている。

 また、海岸沿いの捜査も並行して行っているらしい。地域的な特徴としてここから海路を使い、某国まで搬送する可能性が高い訳で、怪しい漁船などの確認も行っていた。

 先程から伊瀬知はノートパソコンを使って何やらやっている。ザナは手持無沙汰だ。いい加減、車内も飽きたので車を降り、付近をブラブラと散歩している。もちろん拉致の危険は付きまとっているため、車から大きく離れることはない。

 会話を聞いていると、特殊作戦群で何回も話が出るのが、何故、大森博士が拉致されてしまったかの反省話だ。当日は確かに監視が緩んだが、それ以外は常に保護対象として警備していた。拉致は博士が単独行動をする、まさにピンポイントで行われたことになる。警備の甘い部分を突かれた点を反省しているようだ。

 確かに早朝、大森博士が散歩に出るという習慣を、知っていれば防げた事象ではある。前後のいきさつは不明だが、これまで散歩に行かなかったのか、当日、突然に思い立って散歩に出かけたのかがよくわからない。ましてやそれを某国がどうやって察知したのかも不明だ。

 伊瀬知が車外のザナに声をかける。

「ザナ、今のうちに寝ておいてね。夜遅くに博士の救出に向かう予定だから」

 ザナが驚いて伊瀬知に近寄る。「悠、父の居場所がわかったの?」

 伊瀬知がパソコンを見ながら話をする。

「可能性の高い場所は見えてきた。自衛隊は確証を得るまでは動けないだろうけど、こっちはそんなことを気にする必要はないからね。一か八かで突入する」

「うん、わかった」

 ザナは助手席に戻って仮眠を取りだす。ザナはふと思った。そういえば伊瀬知が寝ている姿をみたことがない。いったい、彼女はいつ寝てるんだろう。


 警視庁公安部の橋爪は、先輩の木次と新潟に来ていた。

 博士の拉致犯追跡のため、新潟県警の外事課に調査依頼をかけており、その確認のためだ。Nシステムにより、犯人グループは小千谷インターチェンジを降り、タウンエースから他の車に乗り継いだことまではわかっていた。さらにそのタウンエースは都内で乗り捨てられており、現在、警視庁で調査中である。

 二人は新潟県警の外事課にて、担当課長の吉田と話をしていた。

 吉田が話す。「公安は大森博士が新潟にいると思われるわけですね」

「そうです。博士を拉致した車が小千谷インターで降りたことまではわかっています。しかし、その後の足取りがつかめないんです。こちらで何かわかったことはありませんか?」

「話を伺って、こちらでも付近の防犯カメラ画像を調べましたが、有力な手掛かりまではないですね」

「そうですか」木次が肩を落とす。

「乗り換えた車種が特定できればいいんですがね。小千谷周辺だと防犯カメラもない場所が多くて、特定するのがやっかいなんですよ」

「タウンエースがインターを降りてから、再びインターに戻るまでにそれほど時間を要していませんので、おそらく近い場所だとは思うんですがね」

「そうですか。でも市内もワゴン車だとけっこうな数が走ってるんですよ。この辺は仕事で使ってるのも多いですからね。それと乗り継いだ車がワゴン車ではないことも考えられますよね」

 確かに吉田課長の言う通りだ。ワゴン車はこのあたりでも一般的な車だ。拉致犯は証拠を残さないように、さらには追跡を交わすことも十分、考えているのだ。間違いなくプロの諜報員の仕業だ。

 吉田が話す。「確かに最近、北の諜報員らしい人間が、新潟に潜伏しているとの情報はあるんですよ。新潟は海がありますから、それに人目に付きづらい」

「密入国ですか、なるほど」

 木次が話す。

「ここで諜報員が活動する目的についてはどう考えます」

「そうですね。拉致といった話であれば、当然、本国へ輸送することを考えているでしょう。漁船などで海岸に着けてからそのまま密航する形ですよね」

「なるほどね。あと、それとは別に諜報員がこの地域で生活するとして、どんな仕事をしているんですかね。職種とかは?」

「ああ、それですか。ここいらは小さな貿易商社も多いんですよ。輸出入をしている貿易会社なんていうのは、いい隠れ蓑にはなりますね」

「なるほど、そういう意味では全国各地同じですね。そのあたりは地域によらないんですね」

「特に新潟は地の利もいいですからね。船を使う場合、今は北とは貿易はできませんが、ロシアや中国も近いですから」

「なるほど」

 ここで橋爪が話す。「手掛かりとすれば、もう一点あります」

「なんでしょうか?」

「自衛隊の特殊部隊が動いている可能性があります」

「特殊部隊ですか」

「ええ、陸上自衛隊なんですが、彼らも博士を追っています。特殊部隊が警備にあたっていて拉致されたようなんです。彼らもメンツがありますからね。例えば新潟のどこかの駐屯地でそういった部隊の動きがあれば、その地域が該当するかもしれません」

「なるほど、我々とすれば、漁夫の利ですね。自衛隊側は秘匿事項で動いているというお話でしたよね。先方に聞くわけにはいかないな。まあ、わかりました。そういった点も注意してみましょう」

「すみません。よろしくお願いします」

 まさに藁にでも縋ろうといった心境である。新潟県に自衛隊の駐屯地は2か所あり、地域事務所も数か所ある。限定できれば捜索範囲を狭めることができる。


 アメリカ使節団は、来日したその日から積極的に調査活動を始める。ただ、日本側とは動きが違う。とにかく無駄なく迅速に作業を進めていくのだ。ただ、その内容は小泉教授とほぼ同様の物性試験を主体に行っていた。どうやら日本側の調査では得心がいかないようだ。

 あらかじめ、米国から持ち込んだ機器で調査を繰り返す。アメリカ側も人数制限があり、作業工数が不足しているようで、穴埋めに小泉教授が使われていた。いまや彼はアメリカのパシリの様相を呈していた。

 清水と丹内は使節団が何か言い出さないか、やらかさないかと冷や冷やして動向を見守っている。ここまでは差しさわりのない調査で傍観できていた。

 メイが物体を前に腕組をしながら悩んでいる。エリック局長が話しかける。

「メイ、どうかな?」

「そうね、この物体は今のところ、活動を停止している。ただ、まったく停止しているかというとそうでもない。ちょっと見てて」

 メイはそう言うと、地面に落ちていた小石を物体に向けて投げつけた。小石は物体にぶつかる。ところが驚くことに跳ね返す事はしない。そのまま、真下に自然落下する。

「不思議な動きでしょ」

 エリックは確かにそのとおりだとばかりに、両手を広げる。

「これはどういうことだろうね」

「これまでの調査で分かったのは、光の照射や硬度計のピック衝突に対しても、この物体は反応しない。というか、吸収している。今の石の動きも投げつけた運動エネルギーを吸収しているんだと思う」

「なるほど、吸収か」

「そう考えると、この物体はエネルギーを吸収し、ある量のエネルギーを蓄えると励起するかもしれない」

「外部からのエネルギーを吸収しているのか。それでどこかで励起すると」

「うん、閾値しきいちみたいなものがあって、一定レベルを超えると再起動するかもしれない」

「そいつはすごいな。ついにUFOが動き出すのかい」エリックがにやりとする。

「そうなると思う」

 ちょうどそこに一仕事を終えたケリー補佐官が顔を出す。

「エリック、メイ、状況を教えてくれ」

 エリックがメイと話した内容を説明する。

「なるほど、閾値か。もっとパワーを加えればいいということだな」

 メイが対応する。「そうです」

 するとケリーが想定済といった顔で言う。「あれを使えばいい」

 メイが驚いた顔をする。「あれってレーザ装置ですか?」

「そうだ。そのために持ってきたんだろ」

 エリックが話に加わる。「確かにレーザは物体に衝撃を加える目的で持ってきましたが、果たして使っていいのか、そのへんが未知数です。メイはどう思う?」

「物体が励起するということは、動き出す可能性がありますよ」

「それはそうだが、そこまでの励起状態を生み出さなければいいだろ。それに勝手に動くことは無いんじゃないか?」

「確かに地球外のものだとしても、そういった安全装置はついているかと思います。宇宙人は我々よりはるかに知能が高いはずですから」

「それよりもこいつの利用価値のほうが優先されるだろ。なにせ核兵器を超える、まさに最終兵器になるかもしれない。我国の軍事的優位は決定的になる」

 それでもメイの顔は優れない。ケリーが追い打ちをかける。

「メイ、あのレーザ装置にいくらかかったかわかっているよね。装置の効果を見ることも必要だよ」

 それでメイが渋々うなずく。「わかりました」そういってエリックに話す。「もし物体に不穏な動きがあった場合、レーザは瞬時に切断できるのよね」

「それは大丈夫だ」

 メイは無言で大きな物体を見る。その不気味な黒い球体は、依然としてこの部屋の主だった。

 アメリカの使節団は、その後も予定していた測定項目を施行する。

 そこから導き出された結果自体は、日本側の調査内容とは大差がなく、物体については、不明という結論しか出てこなかった。


 そしてその夜、アメリカ使節団と日本側とで、今後の調査内容の進め方についての確認会議が、ホテル大会議室にて行われた。日本側のメンバーは前田官房長官、栢尾防衛大臣、清水統括官、丹内情報官、小泉教授である。

 林総理が不在のため、前田官房長官が総理大臣の代理として参加している。その前田が話を始める。彼は英語ができないので、当然、通訳が翻訳する形にはなっている。

「お疲れ様です。遠路はるばる調査に協力いただき、首相に成り代わって感謝申し上げます」いつものおべんちゃらである。

 続いて清水がこの会議を取り仕切る。爺さん連中に任せるとろくなことにならないと思っている。

「それでは、未確認物体の今後の調査について意見交換を行いたいと思います」

 まずアメリカのケリー補佐官が話し出す。

「残念ながらこれまでの調査では何も判明しなかった。結局、あれが何なのかが良くわからない。地球外のものということは推測されますがね。それで我々としてはもう少し、突っ込んだ調査を提案します」

 ケリーの言葉は日本側に有無を言わさぬ勢いがある。

 ケリーがメイを見る。メイが自分の番だと話しだす。

「今回、アメリカから10億気圧級の高強度レーザ光装置を持ち込んでいます」

 レーザと言う話が出て、ナマズ理論を聞いている清水たちはぎょっとする。

「それで、明日からはそれを使います。物体がどのような反応をするか見てみようと思っています」

 大森博士からは、高度のエネルギー照射は止めるようにと釘を刺されている。前田官房長官はそれを知っているはずだが、見ると何故か知らないふりをしている。いや、ひょっとすると本当に忘れているのかもしれない。清水が慌てて話す。

「いや、いきなりレーザはまずくないですか、どういった反応を起こすかもわからないし、危険が伴わないですかね」

 ケリーが怪訝そうな顔をする。

「何か根拠があるのですか?あるなら話してくれ」

「根拠ですか、えーと」

 そう言いながら前田を見てフォローを期待するが、爺さんはきょとんとしている。だめだこりゃ、と栢尾防衛大臣を見るが眼をつぶって、こいつはおそらく寝ている。

「破壊しないでしょうか?ねえ小泉教授?」と小泉に振る。ところが小泉は大森が話したナマズ理論を知らないのだ。それで気軽に話す。

「どうですかね、ただ、このままだと八方ふさがりなんで、やってみてもいいかもしれませんね」

 これは困った。どんどんレーザ照射の方向に話が進んでいく。そしてとどめの一撃がはいる。なんと身内の前田官房長官のひとことだ。

「日本としても、やってもらって良いと思いますよ」

 清水は絶望する。もうどうしようもない。


 会議が終了し、日本側の担当者が残る。小泉を除いた大森博士の理論を聞いた者たちだけだ。

「官房長官、レーザはまずいですよ。大森博士が言ってましたよね」

「え、そうだったかな。レーザを使うとどうなるんだ?」

 前田はとぼけているのか、忘れているのか、よくわからない。齢75歳を越えた老人はほとんど認知症だ。

「大森博士は物体に過度の高密度エネルギーを与えると、活性化するって話でした」

「それで?」前田は何のことかわからず質問を返す。だめだ、何も覚えてない。丹内が言う。

「ナマズは故障している状態です。エネルギーを加えて励起状態に持って行くと、再起動しかねないって話です」

「再起動するとどうなるんだ」

 完全に忘れているのがわかる。「いきなりダークマターを発生させる可能性が高いと言っていました」

「スターウォーズか?」いやいやそれはダースベーダでしょ、と突っ込みたいのを我慢して清水が言う。

「暗黒物質、ブラックホールのことです。そうなると物体周辺でどんな現象が起きるか分かりません」

「しかしな。もうやるって言ってるんだから」まるで他人事のような話しぶりだ。

「いえ、少なくとも総理の確認を取らないとまずいです」

「総理は今日と明日は群馬県知事選挙の応援演説だ。そうだ、じゃあ清水君が総理に話を付けてくれ。ナマズの話は文書やメールもだめだっただろ。直接、会うしかない」

 確かにこの案件は外部に漏れないように、口頭だけと厳しく制限されていた。なんのことはない、それだけは覚えているのか、他はみんな忘れているのに。しかし、この状況で清水に行けとは、大丈夫なのかこの官房長官は、いやこの国は。

 こうして清水は明日、朝一番で群馬県にいる総理を訪ねることになる。総理は群馬県高崎市に行っていた。


 深夜になり伊瀬知とザナが動き出す。赤のスイフトスポーツは、柏崎市内のとある場所でゆっくりと停車する。今日の伊瀬知の格好は工場勤務でもしそうな作業服だ。さらにキャップもかぶっている。これで何をするのだろうか。

「悠、ここなの?」

 スイフトが停車したのは柏崎市の町はずれの市道だった。道路は直線で幅は5mぐらい。両側に工場らしき建物が連なっている。街灯も少ないせいか周辺は薄暗く、肉眼でははっきりしない。近くに民家もなく、いたって静かだ。

「そうね。この近く。行くよ」

 そう言って車を降りる。伊瀬知の後ろからこわごわとザナが付いていく。

 市道を静かに進んでいく。両側にプレハブの建物が続いている。入口にはそれぞれ看板があり、いずれも何かの会社のようだった。しばらく進むと伊瀬知がザナを手で制する。そして小声で話す。

「自衛隊だ」

 伊瀬知が小さく指さす先には、確かに数人の人影が待機しているように見える。暗いのではっきりとはわからないが、人の気配がする。

「自衛隊が暗視装置を付けて偵察してるね。ここも自衛隊の候補先って訳だな」

「でも悠はここだと思うんでしょ」

「うん、多分、間違いない。中古車販売業者なんだけど、事業実績があまりない。そしてその販売先があやしい。ロシア向けになってるけど、北朝鮮に流していると思う」

「その先の建物だよね」ザナが指さす。

「そう、今、自衛隊がいる道路を隔てた向かいの建物、看板は柏崎中古車買取センターになってる」

 暗くてあまり見えないが、看板があるのはわかる。あれを伊瀬知は見えるのだろうか。

「ザナはここで待機してて、何かあったらそこの自衛隊に助けてもらってね」

 そう言うと、伊瀬知はするすると忍者のように匍匐前進していく。そして一瞬にして目の前から消える。あれ、悠が消えた。


 伊瀬知は買取センターの2mはある塀を、一瞬にして飛び越える。そして敷地内に音もなく降り立つ。建物を見ると真っ暗で灯もない。そしてそのままするすると入り口に向かっていく。入り口の前に立つとシリンダー錠を工具を使って開ける。ただ、ほとんど一瞬の出来事で、まるで鍵でも使って開けたようだ。

 それを見た向かい側で監視している自衛官が慌てる。何者かが侵入したことはわかる。ただ、そういった情報は聞いていないのだ。急いで本部に問い合わせを始める。

 伊瀬知が静かにドアを開ける。中は暗いが事務所のようだ。バレーコートぐらいの広さはある。受付用の長テーブルがあり、その奥に机がある。普段はここで事務作業でもするのだろうか。その近くのソファーに寝ていた男が、人の気配に気づいて、むっくりと起きあがり朝鮮語で話す。

「誰だ?」

 驚くことに伊瀬知は流ちょうな朝鮮語で、さらに男の声で「俺だ」と言う。

 男が答える。「ナムグンか?」

「ああ」そう言うと伊瀬知は男に近寄り、いきなり鼻と口の間の急所付きをする。男は不意を食らってそのまま気絶する。ここは人間にとっての急所で、綺麗に決まると簡単に気絶する。

 伊瀬知は男を抱え込むように、そのままソファーにそっと寝かす。

 入り口付近のこの部屋にはこの男しかいなかった。伊瀬知は右奥に向かって行く。あらかじめ、建物の構造図は入手していた。博士を監禁してある部屋は、一番奥まったところだと推測していた。

 伊瀬知は通路を静かに進んでいく。その足音に気付いたのか、右側の部屋の扉が開いて男が出てくる。男は暗いのかよく見えないようだ。伊瀬知が男の声真似で言う。

「ナムグンだ」先ほど聞いた名前を言う。

「遅かったな」そう言うと仲間だと思いこみ、扉を閉め部屋に戻った。

 まさか一人で襲撃するとは思っていないのだろう、警戒心が薄い。伊瀬知はなんなく博士が監禁されている部屋の近くまで来る。 

 さすがにその部屋の前には男がいた。ここは窓からの月明りで若干明るい。彼には伊瀬知が見えている。ただ彼女を見て呆気に取られている。作業服を着てはいるが、なぜこんな娘がいるんだろうと、一瞬たじろぐ。小さな女性であるがゆえに外敵だとは判断できないのだ。その瞬間に伊瀬知は先ほどと同じく急所突きをする。あまりに早く反撃の隙さえ与えない攻撃である。不意を突かれて男は卒倒する。伊瀬知は倒れないように素早く抱え込み、ゆっくりとその場に寝かせる。

 アルミ製扉には小さなすりガラスの窓があり、中はぼんやりと少しだけ明るくなっているのがわかる。扉の前に見張りもいたし、さすがに警戒している。

 さて、いよいよ最終段階だ。ここからは銃撃戦も覚悟しないとならない。部屋の大きさから言って拉致犯は3名程度だろうと、あらかじめシュミレーションしていた。扉をゆっくりと開ける。

 部屋は薄暗いがやはり灯が付いていた。外部に漏れないように間接光を使い、灯篭のような明るさである。部屋の大きさは想定通りの12畳程度だ。入ってすぐにコの字の形にソファーがあり、その真ん中にローテーブルがあった。

 ソファーには左右に二人の男がいる。そしてさらに部屋の奥にも小さいソファーがあり、そこにも男がいた。博士はその男の脇に、猿ぐつわと手錠の様なもので後ろ手に縛られていた。

 ソファーの男が二人とも唖然としている。伊瀬知は女であることを最大限の武器に出来る。まさかこんな女の子が襲撃してくるはずがないと言う隙が出来るのだ。

 伊瀬知は素早く近寄ると、いきなり右側の男の顔面にパンチを加える。それが急所に入る。人間は一発でも急所に強烈な打撃を加えられると、簡単に脳震盪を起こす。それなりの衝撃を加える必要はあるが、伊瀬知のパンチはそれ以上の破壊力だ。ここで初めて、隣にいた男は襲撃されたことに気づき、机にある北朝鮮製の68式拳銃を手に取ろうとする。伊瀬知から目が離れたことが不運だった。前かがみになった男に伊瀬知は垂直にかかとを落とす。男の後頭部に強烈な蹴りが命中する。男はそのままガラス製のローテーブルを破壊し、血まみれで悶絶する。

 奥の男は素早く伊瀬知に向かって発砲するが、時すでに遅し、伊瀬知は目の前から姿を消していた。男が気付くと左から強烈な回し蹴りが飛んでくる。為す術も無くそのままふっとんでいくと、なんと壁まで飛んで、大音響とともに激突し壁がへこむ。それでノックアウトである。これでこの部屋の拉致犯全員をものの数秒で倒してしまった。

 伊瀬知が博士に駆け寄る。「博士、伊瀬知です。逃げますよ」

 大森博士は頷くが、監禁生活でいささか疲れたようでぐったりとしている。伊瀬知は素早く博士の猿ぐつわを取る。後ろ手の手錠を外すのには時間がかかりそうなので、そのまま博士を肩に抱えて部屋を出ようとするが、何かに気づく。扉の前で博士を降ろすと「少し待っててください」そう言うと、先ほど壁まで飛ばして気絶している男を抱えてから扉を開ける。

 伊瀬知自身は部屋に残って、男だけを扉の外に押し出すと、いきなり機関銃の乱射が始まった。先ほどの男が、軽機関銃を乱射したようだ。盾に使われた仲間が血まみれになる。そこでようやく、仲間を撃ってしまったことに気付いて悲鳴を上げる。

 そこが伊瀬知のねらい目だった。次に出てくる人間が、また仲間である可能性があるわけで、射撃を一瞬躊躇するはずなのだ。伊瀬知が飛び出す。やはり男は躊躇する。射撃判断するまでのコンマ何秒かで、伊瀬知が男に飛び蹴りをする。見事にあごにヒットする。機関銃はむなしく天井に向かって数発撃った後、男は気絶していった。

 伊瀬知は再び部屋に戻って博士を肩に乗せると、悠然と建物から出ていく。

 建物内の銃撃音を受けて、外にいた自衛官は大騒ぎだ。ただ判断に迷っている。必死になって無線で本部の判断を仰いでいる。ところが本部も状況がわからず、ただただ混乱している。

 そして暗視装置で見ていた自衛官は、信じられない光景を目の当たりにする。

 小さな女が工場から出てくると、その女は大森博士を肩に抱えているではないか。さらに、こちらが見えているのか、自衛官に向かって笑いながら手を振っている。あの女は何者だ。そして道路の右側からはまた、見知らぬ外国人の女が駆け寄っている。

 自衛官の無線から声が聞こえる。

『ターゲット1、どうした?なにかあったのか?おくれ』

 自衛官は報告できない。どうやって説明すればいいのだろうか。それぐらい異様な光景なのだ。大森博士は外国人を見つけて抱き合っている。すると女が自衛官の近くに来て話しだす。

「大森博士を救出しました。伊瀬知悠と申します。探偵です」

 自衛官はようやく暗視スコープを外し、伊瀬知をはっきりと見る。

「ああ、初めまして」と間抜けな応答をしてしまう。

 そして無線に話す。

『本部、大森博士が救出されました。おくれ』

『え、何やってるんだ。単独行動は取るなといっただろ、おくれ』

『いえ、救出はターゲット1ではなく、伊瀬知悠という探偵が行いました。おくれ』

『はあ、何を言ってる。博士はどうなったんだ。おくれ』

『博士は無事です。おくれ』

『状況がさっぱりわからん。まあ、いい。大森博士は救出されたんだな、本部まで連れて来てくれ、あと、その探偵かなんか知らんが、そいつも同行させろ。おくれ』

『拉致犯はどう処理しますか?銃撃戦あり。おくれ』

『われわれの任務は博士の救出だ。戦闘行為は禁じられている。拉致犯は警視庁に任せろ。おくれ』

『わかりました。おくれ』

 この話を聞いていたザナがつぶやく。「やっぱり、たてわりね」

 今までの暗がりから明るい場所に出て、大森博士が伊瀬知をはっきりと見た。そして驚愕の表情をしている。

「伊瀬知さん、あなた昔のままだ」

 伊瀬知はにこりと笑い、

「博士、私は先代ではありません。後を継いだものです」

「え、ああ、そうか、知らなかった。妹さんがいたのか、いや、びっくりした。そっくりだな」

 そしてまじまじと伊瀬知を見て、

「確かに少し印象が違うか。でも名前が同じなのかい。伊瀬知悠って言うのはどうして?」

「はい、いわゆる源氏名と考えてください」

「はあ、探偵も源氏名か、面白いな」

 大森博士は数日間の拉致監禁で、さすがに疲労の色が濃い。そのまま倒れこみそうな状態だった。自衛官が博士を保護する。

 博士を自衛隊に任せると、伊瀬知はスマホを使ってどこかに電話する。

「もしもし、橋爪さんですか?」

『ああ、誰だ?』公安橋爪は熟睡中だったようである。無理もない今は夜中の1時過ぎだ。

「伊瀬知悠です。今はどちらにおられますか?」

『ああ、伊瀬知か、俺は今新潟にいるんだ。こんな夜中にどうした?』

「はい、実は私も新潟にいます。たった今、大森博士を救出しました」

『なんだって!』橋爪が覚醒する。『どういうことだ』

「橋爪さん、柏崎中古車買取センターまで来てください。北朝鮮の拉致犯がまだ数人残っています。銃声がしたので所轄もこちらに来るはずですよ」

『いや、どういうことだ、え、もしかして伊瀬知がやったのか?』

「そうですね」

『ああ、なんてことを、わかった。すぐ行く。伊瀬知も待機してくれるか?』

「そうしたいのですが、これから自衛隊に身柄を拘束されそうです。連絡はしばらく無理かと思います」

『自衛隊か、なるほどな。わかった。じゃあまた』

 伊瀬知は電話を切った。


 柏崎地域事務所に大森博士と伊瀬知、ザナが自衛官に付き添われて到着する。

 博士の手錠を工具で切断した後、軍隊長らしき人物が迎えに上がる。

「大森博士、お疲れ様です。この度はわが隊の不手際で誠に申し訳ありませんでした」

「いや、大丈夫ですよ。犯人も命までは取らないという話でしたから」

「お疲れのところ、申し訳ありませんが、数点確認させてください。拉致犯は北朝鮮でしたか?」

「それは間違いないと思いますよ。朝鮮語を話していましたし、船の手配もしていたようです」

「本国に送る手はずだったんですね」

「そうです。ただ、私の拉致は急だったようです。ずいぶん慌てていたようで、船の手配に時間が掛かるようでした」

「拉致犯は何名でしたか?」

「目隠しもあったので詳細は不明ですが、おそらく5、6名だったと思います」

「なるほど、わかりました。詳細は明日、伺います。今晩はひとまず休養してください」

 博士の隣に心配そうなザナがいるので、気を使ったのかもしれない。女性の自衛官が大森たちを事務所内に案内する。

 事務所の一室が簡易宿泊施設となっており、大森以下3名に仮眠を勧めてくれた。

「お話は明日、伺わせてください」自衛官はそう言って扉を閉めた。

 6畳ぐらいの細長い部屋で、2段ベッドが両側に置いてある。

 下のベッドに大森とザナが腰かける。ザナが話す。

「ほんとによかった」

「ああ、伊瀬知さんのおかげだな」

 向かいのベッドに座った伊瀬知が笑顔で言う。

「仕事ですから、お気遣いなく。それより寝た方が良い。お疲れでしょう」

 博士は頷くとベッドに入る。ザナは2段ベッドの上に登る。

 そして伊瀬知も向かいのベッドの下側で、睡眠体制に入る。

 ザナは安どしたこともあって、布団に入ったとたんに眠ってしまった。


 翌朝、ぐっすり寝たのか、ザナは気分よく目覚める。そして下段にいる大森を確認する。大森はすでに起きており、ベッドに座っていた。

 ほっとしたザナが下段に降りてきて、大森の隣に座る。ふと気付くと伊瀬知がいない。

「悠はどこにいったの?」

「どうなんだろ、私が起きた時にはもういなかったな」

 ザナは伊瀬知が寝ていただろうベッドを見る。布団がきれいに畳まれており、寝た形跡がない。

「何か飲み物もらって来る」

「ああ、ありがとう」

 ザナが缶コーヒーを持って来る。それを大森に渡し、自分の缶を開けて飲む。大森も飲みながら話を始める。

「ザナには心配をかけたな」

「うん、心配したよ。でも悠に頼んでよかった」

「そうだね。まだ昔の伊瀬知さんがいると思ってたんだが、もう2代目だったとは、それにしても2代目もすごい人だな」

「うん、なんか人間離れしている」

「やっぱりそうなのか、昔の伊瀬知さんもそうだったよ。とにかく運動神経がすごいんだ。それと情報収集能力もすごくてね。2代目も同じなんだね」

「それと一緒にいるとすごく安心できる。絶対に守ってくれるっていう安心感がある」

「そうか、それも初代と一緒だ」

 ザナは納得の表情でコーヒーを飲む。そして話す。

「ところで、小松川にあったあれは何なの?」

「ザナはあれを見たのか?」大森は少し驚く。「あそこは立ち入り禁止だっただろう、どうやって?」

「悠がうまくやったの。大きな黒い物体だった。あれは何?」

「見てしまったのなら、話をしないとね。実は今回、日本政府からの依頼でね。地下から未確認物体が見つかったという話だった。おそらく地球外の物で調査をしたい。研究実績もあって、物理学の知識が豊富な人がいいということで、私に声がかかった」

「それなら、おとうさん以上に適任者はいないね」

「日本政府もあれが何なのかはわからなかったが、池内教授から世間に公開すべきものでは無いと言われて、そう対応したようだ。まあ、あんな不思議なものは見せないほうがいいとは誰もが思うよね。政府は私に依頼し、物体の正体が分かった時点での情報公開を目論んでいた」

「確かに異様な物体だった」

「だがね。私には思い当たることがあった。それで私からもこの件は秘匿事項とするように進言した。世界的大事件に発展する事案だと言ってね」

「それで私にも話をしなかったんだね」

「そう。ただ、あの物体は私の想像を超えていたよ」

「そうなの」ザナが驚く。

「うん、これは秘匿事項なんだけど、ここまで来たらザナだけには話をしよう、そして、もし私に何かあったら、今後はザナが引き継いで欲しい」

 いつになく、真剣な博士の表情にザナは言葉を失う。大森にそれだけの危機感があるということだろうか。

「私はあれをナマズと呼んでいるんだ」

「ナマズ?鯰って魚の?あれの形状から来てるの?」

「それもあるが、まずは順番に話そうか」

 ザナは了解とばかり、手を広げる。

 そして大森の話はまさに驚くべき内容だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ