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なまず 未確認物体  作者: 春原 恵志
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未確認物体

 ザナはかれこれ2時間は特訓を受けていた。特訓と言うか演技指導に近い。伊瀬知が考えたシナリオでそれなりの役を与えられているのだ。私は女優じゃないし、探偵でもないのに、ザナは若干不貞腐れ気味だ。

「大森博士のことを良くわかってるのは貴女だし、ここに一人にしておけないから、仕方がないと思いなさい」という伊瀬知の言葉には納得がいくのだが、とにかく面倒くさい。早く大森の行方を知りたい思いがあるので仕方なくやっていた。


 そして深夜12時になる。伊瀬知が言うには、警備は深夜帯がもっとも手薄になり、未確認物体のある坑内に入りやすいそうだ。それで零時過ぎに事務所を出ていくことになった。歩いても行ける距離だが、もしものことを考えてバイクで出かける。さすがに深夜でもあり、安全運転で現地に着くことが出来た。

 公園脇の路地にバイクを駐車し、ジャケット類を脱いで作業服になる。ついでに工事用ヘルメットもかぶる。二人が着ているユニフォームは、現地作業者と全く同じものだそうだ。落盤対策チームというふれこみの、防衛省が来ているユニフォームである。でもどうやって調べたのかはよくわからない。伊瀬知が言うには前日の調査で情報を得たそうだ。

 二人はゆっくりと小松川第2ポンプ所の立坑に近づいていく。

 そこは高さ2mほどの金属製フェンスで囲われており、中は伺い知れない。ただ周囲の暗さに比べると煌煌と建設工事用のライトが付いており、ファンス越しにも昼間のように明るいのがわかる。

 立坑はほぼ正方形の穴が20m角で存在しており、深さは30mもある。

 フェンスの一か所に入口はあるが、立ち入り禁止の看板が掲示されて、外部の侵入を拒んでいる。深夜ではあるが、現在も工事が行われていた。今は24時間休みなしのようだ。

 伊瀬知たちは、立坑入口にある電話ボックスぐらいの管理者ルームに顔を出す。そこにはヘルメットをかぶった年配の作業員が待機していた。

「こんばんは、我々は落盤対策チームのものです。これから現場に向かいます」

 半分、寝ていたようで、おじさんははっと二人を見る。確かに落盤チームの作業服を着ているが、それにしてもこんなに若い女の子が、こんな時間に来るのか。ちょっと怪しく思うが、断る理由もないので通すしかない。落盤チームの管轄はここではないのだ。もし違ったとしても、入室は厳しく制限されている。

「はい、じゃあ、そこの階段を降りて、先にあるリフトで下まで行ってください」

「わかりました」

 おじさんは訝しげに二人を見送るも、再び睡眠モードに入るようだ。

 立坑は周囲を鉄板で固められてはいるが、太いケーブル類が地下に向かって複数本、這いまわっている。地下水の影響なのか壁も湿っており、そのケーブルが絡み合ってまるで生き物のようでもある。伊瀬知は鉄製の階段をどんどん降りていく。後ろからザナがこわごわ付いていく。するとそこに踊り場があり、さらに金網で囲われたリフトが見えてきた。それで地下に行くようだ。なんか人間用の鳥かごみたいだ。

「ザナ、乗るよ」金網状の扉を開けて伊瀬知が乗り込む。

「なんか、怖いね」ザナはおっかなびっくりだが、伊瀬知はにやりと笑い、「テーマパークみたいでしょ」と宣う。いやいや、とてもそんな風には思えない。

 扉を閉めてリフトの昇降ボタンを押すと、鈍い音とともに鳥かごの降下が始まる。内臓のような立て坑内を地下に吸い込まれていく。金属音を立てながら振動を伴って降下していく中、ザナは黙ってじっとしている。

 割と大きな音と振動がして、ザナは声を上げそうになる。リフトが地下に到着した。リフトから降りると、立て坑の地下は地上よりも明るいのがわかる。多くのライトが点灯しており、ここは昼間と変わらないほどだ。作業員たちが必死に働いているのが見える。いたるところに建築資材が置かれ、現場は騒然としていた。

 周囲を見ると、まず海側の荒川方向にトンネルがあり、その反対側にもトンネルがある。ポンプ場は荒川側に向かって工事をしている。未確認物体があるのはその逆だ。伊瀬知たちはその方向に歩いていく。入り口には管理者らしき人物がいた。

「お疲れ様です。落盤対策チームの者です」伊瀬知が挨拶する。

 管理者は若い女性二人に若干驚くが、やはり管轄外らしく、作業服を見てそのまま通してくれた。

 トンネル内はコンクリートで覆われており、建設用のライトがポツポツと点いている。先ほどの工事現場と比較すると、騒音もなく遥かに薄暗くなる。

「悠、怖いね」

「幽霊なんか出ないよ。それこそテーマパークじゃないんだから」にやりと笑う。

「ずっとレールが敷いてあるね」

「シールドマシンや運搬用のトロッコがこれを使ってる」

 トンネルには鉄道のようなレールが敷いてあり、それが奥まで続いている。トンネル内を20mぐらい進んだところで、二股に分かれる。本来は直線で掘り進んでいたはずが、急に路線変更になり、このポンプ場行のトンネルが新たに作られたことが伺える。

 そしてその三又のところに検閲所があった。ここからは防衛省管轄でセキュリティが極端に高くなるはずだ。

 伊瀬知たちと同じ作業服を着た職員が、検問所に待機している。明らかにこれまでの作業員とは異なり、目つきが厳しい、そして若い。伊瀬知が自衛官に話す。

「お疲れ様です。内閣府宇宙開発戦略推進事務局の小林です」

 続いてザナが何度も練習したセリフを言う。「同じく田中です」

 自衛官はザナに訝し気な目を向けるも、タブレットで確認を取る。

 予め伊瀬知たちは内閣府人員として登録済である。もちろん違法にハッキングしてのことだ。やはり、この現場を仕切っているのは、自衛隊情報局と陸上自衛隊の特殊作戦群部隊だった。防衛省側には内閣府清水統括官を語って入場登録済である。

「どうぞ」内容を確認した自衛官が手を奥に向ける。

 いよいよ、本丸に突入だ。

 さらにトンネルが続いていく。さらに20mほど奥に入ると、また、大きな遮蔽板が出てきた。分厚い金属製でトンネルを完全に塞いでおり、ステンレス製なのか銀色の金属がむき出しである。そしてその中央には車輛が出入りできるような大きな扉があり、その脇に人間が通行できる小さな扉がある。職員はここから出入りするようだ。

 ここにも自衛官らしき男が待機していた。そしてその自衛官は明らかに武器を所持していた。最新の20式小銃だ。

 落ち着いた感じで伊瀬知が言う。「お疲れ様です。内閣府宇宙開発戦略推進事務局の小林です」

 男は敬礼するも、無言で先ほどと同じくタブレットで確認を取る。

「こちらはどなたですか?」怪訝そうな顔でザナに聞く。やはり外国人は目立つ。

「内閣府宇宙開発戦略推進事務局の田中マリアです」

 自衛官は疑惑の顔で質問する。「失礼ですが、田中様の上司のお名前を伺ってもよろしいですか?」

 ザナが青くなる。それを伊瀬知がフォローする。

「それは直属の上司ですか?それとも事務局長のことですか?」

「両方でお願いします」平然と自衛官が答える。

 ザナはたじろぐが、伊瀬知は知らん顔だ。

 覚悟を決めたザナが答える。「局長は河部康則で、直属の上司は渡部敦です」

 自衛官はタブレットで再確認する。そして納得の表情で、「失礼しました。どうぞ、お通りください」そう言うと扉を開けてくれた。

 助かった。実はこのくだりは伊瀬知と何度も練習していた。あらかじめ質問を考え、数パターンで学習したのだ。ただ、日本人の名前になじみがないため、間違えないかが心配だった。

 ステンレス製の重そうな扉を抜けて、二人が中に入る。


 中に入って思わず声を上げそうになる。扉の先には驚くほど大きな部屋があった。トンネルの数倍はあろうかといった大きさである。部屋は立方体で周囲をコンクリート製の壁で囲まれており、幅は30mで奥行きはさらに40mぐらいはありそうだ。さらに天井までの高さは30mもあろうかという広さである。どこか遺跡の石室を思わせるような重厚感のある部屋だ。

「イラクの遺跡みたい」ザナがつぶやく。

 壁周辺にたくさんのライトが点灯しており、ここも昼間のように明るい。

 そしてその中にあるのは、全体を銀色のシートで覆われた物体である。とてつもなく大きいのがわかる。物体の周囲には、建築現場などで見られる金属製の足場が組まれている。

 灰色のコンクリートの周囲の壁と、足場を含めた物体との隙間は人間がやっとこさ通れるぐらいしかない。物体は部屋の大半を占めている規模だ。まさにこの部屋の主のようだった。

 周囲には、作業服を着た自衛官以外に、白衣を着た研究者のような人間もいた。伊瀬知が近くの自衛官に話かける。

「内閣府の小林と申します。現場の責任者の方はおられますか?」

「この時間の担当は自衛隊情報本部の丹内情報官です。あそこにおられます」

 白衣を着た研究者の隣にいる作業服の人物を指す。30歳後半ぐらいだろうか、背も高く掘りの深い、俳優のようなイケメンではある。

 伊瀬知はそのまま、丹内情報官のところに行く。研究者と話をしていた丹内が伊瀬知を見止める。そして誰だこいつは、と言った顔をする。

「宇宙開発戦略推進事務局の小林と申します。彼女は同じく田中マリアです」ザナも会釈をする。この辺も練習済だ。日本人はことあるごとに縦に頭を下げる。

 丹内は依然として不審者を見るような目つきだ。

 伊瀬知が続ける。「今日は清水統括官からの指示で参りました。現状確認が目的です」

 ここで丹内は少しだけ顔が和らぐ。やはり清水統括官は当案件の重要人物らしい。

「なるほど統括官からの依頼ですか、こんな深夜までですか?」伊瀬知は笑顔で返す。「まったくあの人も気が休まる時がないな。本人も何度も来てるのにね。それで何を聞きたいのかな?」

「現状の進捗確認です。物体の正体はわかりましたか?」

 とたんに丹内は怪訝な顔つきになる。「いや、毎日、こちらから報告してますよ。そんなに急展開出来るもんじゃない」

「つまりは進展なしということですね」伊瀬知は心底困り顔を見せる。「うーん困りましたね。総理もご立腹のようですよ」

 丹内の顔つきが変わる。やはり総理という言葉に敏感のようだ。防衛大臣経由で何か小言があるかもしれないと思うのだろうか。

「しかしね。大森博士がこうなった以上、進展を期待されても」と言いよどむ。

 大森の話が出て、ザナが気色ばむ。ただ伊瀬知は全く慌てず、

「大森博士のその後は依然としてわかってないんですね」

「その件も連絡済です。今もうちの特殊部隊が捜索中です」

 丹内は若干、不満げに話す。毎度毎度、督促された内容なのだろう、増々、ザナが何か言いたそうになるのを、伊瀬知が覆い被すように話す。

「もう、1週間ですよ。この件も総理が気にされています」

 このキラーワードは効くようで、丹内がさらに慌てる。

「正確には6日です」

「6日って、つまり早い話、行方不明の博士情報は何もないということですね」

「申し訳ない。今、あらゆる情報網を使って捜索しています」

「ホテルからいなくなった」

「ああ、そうです。おそらくどこかの情報機関の仕業だとは思っています。北か中国、ロシア辺りが有力ですが、まだ、情報が少ない」

 ここまでで伊瀬知たちが知りたい情報の大半が判明した。さらに追い打ちをかける。

「警察には連絡していないということですね」

「当たり前ですよ。当案件は極秘事項です。特殊部隊自身も詳細は知らない。ただ、博士を奪還するように指示しているだけです」

 伊瀬知にとって、ここまでで博士の情報は大方わかった。後はこの未確認物体についての興味だけだ。

「そちらはどなたでしょうか?」白衣の研究者を見て話す。

「大森博士の研究を引き継いでもらっています。小泉教授です」

 名前を言われた小泉は、ぼさぼさの白髪頭の老人で優しそうな顔をしている。眠そうな目で伊瀬知とザナを見る。そしてザナを見て目が覚めたように言う。

「あれ?貴方は確か、大森教授の」

 しまった、こんなところに知り合いがいた。

「はい?何でしょうか」ザナはとぼける。

 これもさっき散々やったシュミレーションの一環だ。とにかく知った顔が居ても、知らぬ存ぜぬで切り抜けろと言われたのだ。

「ああ、そうか、彼女はロスにいるはずだからな」

「大森博士の知人に似ているのですか?」伊瀬知がフォローする。

「ええ、私は写真でしか知らないんですが、大森さんが養女にしたという女性がいましてね。彼女に似ていたのでつい、いや、失礼しました」

 まったく冷や汗ものだ。

「小泉教授は大森博士の研究を引き継がれたんですよね。どうですか?」

「うーん、これは私の能力を越えてますよ。地球外のものであることは間違いがないんですが」

「小泉さん機密情報です」丹内が慌てて遮る。

「非破壊検査できないんですよね」伊瀬知が構わず続ける。

「お聞きですか、そうなんです。何も受け付けない。硬度もそうだが、すべての光線を拒否する」

「小泉さんこれ以上は」増々丹内が増々慌てる。まったく丹内は固い男だ。伊瀬知は未確認物体に近寄る。

「今は布で覆ってるんですか?」

「そうです。何かの信号を出しているかもしれないので、これはシールドを兼ねています」

 伊瀬知にあたふたしながら丹内が近寄って来る。それを無視して「ちょっと見ても良いですか?」返事を聞く前に、伊瀬知が布を下から剥がす。

 その物体はとにかく黒かった。そして球体のようだった。布をはがした部分は球体の下側で丸みを帯びた部分しか見えなかったが、すべてを吸収するかのような漆黒の物体だった。

「こら!やめなさい」丹内が慌てて布をかけ直す。

「まったく、開けちゃあだめだ。とにかく今の所は最重要機密事項です。どなたにも安易に見せるわけにはいきません」

「清水統括官は見られたんですよね」

「それはそうですが、あなたの立場で見て良いものではありません」

 ザナはもっと情報を欲しそうな顔をするが、伊瀬知はここまでと出ていく姿勢を見せる。

「わかりました。じゃあ、我々はこれで失礼します」

 丹内がほっとした顔をする。伊瀬知が小泉教授に話をする。

「小泉さんはどちらにお泊りですか?」

「ロイヤルパレスお台場です」

「じゃあ、大森博士と同じですね。警備は大丈夫なんですか?」

 伊瀬知は丹内に向かって小言を言う。

「大丈夫ですよ。二度と同じ轍は踏みません」

「そうですか、それでは失礼します」

 伊瀬知たちは現場から離れていく。先ほどの経路を戻り、リフトに乗った時点でザナが話す。

「悠、あなたは知ってたの?」

「なんのこと?」

「大森がいなくなったことよ」

「いえ、すべて憶測よ。でも思った通りだった。大森はホテルからいなくなった。言い換えれば拉致されたということね」

「拉致なの?」

「間違いない。これでザナが狙われた理由も分かってきた。貴方を博士との交渉材料にしたかったのね」

「どういうこと?」

「大森博士が未確認物体の情報を掴んでいるってこと。そしてその情報を世界が欲しがっている。それで拉致された」

「あれは何なのかな?」

「地球外から来たものであることは、間違いがないわね」

「悠はあれについても知ってたの?」

「それも推測。でも間違いなく地球のモノではないわ」

「確かに異様だった。真っ黒でなんか不気味だった。あれは何なの?」伊瀬知はお手上げポーズで答える。「で、これからどうするの?」

「ホテルがわかれば、拉致した状況も見えてくるでしょ。さっきの話で博士が宿泊したホテルもわかった。さあ博士を探しましょう」

 ザナは先程覚えた会釈で返す。


 清水統括官は総理からの突然の呼び出しに面食らっていた。電話などの通信手段では伝えられない話とのことで、恐らく例の案件だろうと焦りがつのる。秘匿事項のため部下に運転も依頼できない。公用車を自分で運転し、首相官邸へ急ぐ。

 このところ矢継ぎ早に、これまで経験したことのない尋常ではない事態が続いている。いささか寝不足気味だ。ただ、これがこの国の一大事であることは間違いがない。

 官邸に入り、地下駐車場に車を停めると特別室に急ぐ。最近は階段の昇り降りだけでも息が切れる。このまま心労が続けば早死にするのは確定だな、などと考える。

 特別室の前で息を整える。いざ、出陣とノックをし、中からの応答を待って扉を開ける。

 部屋には林総理、前田官房長官、栢尾防衛大臣がいた。間違いないやはり例の案件だ。林総理の顔色はいつもに増してさえない。心なしか青ざめている。

「清水君、録音機器などは持ってないな。スマホがあるなら、そこの金庫に入れてくれ」

「はい」最近は規定以上のセキュリティを要求される。情報漏洩には十分な注意を払うように指示されているのだ。スマホを金庫に入れて扉を閉める。林総理が話を始める。

「じゃあ、ここからはオフレコだ。ナマズ案件についてアメリカから要請が来た」

 ナマズとは大森博士が命名した未確認物体のことだ。隠語として関係者の間で使っている。それにしても今もってあの博士の話は信じられない。

 林が憤りながら話を続ける。

「あれだけ機密事項としていたのに、どうしてこうも簡単に情報漏洩するんだ。清水君、この国のセキュリティはどうなってる」

「すみません。私としてもどうして漏れたのかが不思議で仕方が無いです。記録の類は一切残さず、通信にも載せていなかったはずです。口頭のみでここまでやってきました」

「大体、大森博士の拉致だって、いまだに何もわからんじゃないか、防衛省は何をやってるんだ?」

 その言葉で今までぼーっとしていた栢尾防衛大臣が慌てる。

「今、特殊作戦群が行方を追っています。まもなく救出できると確信しております」

「はあ、何が確信だ。国会答弁の癖が付いてるんじゃないのか?そんな有体な報告は要らんぞ」

 憤懣やるかたない感じで、まだまだ小言を言いたそうだが、そんな時間も無いことに気づく。

「今朝ほど、ホットラインで大統領自ら電話があった。ナマズをアメリカと共同で調査させろと言ってきている。日米安保協定上のあるべき論も述べていた。安保を出されたら断れない状況だ」

 これはもっとも恐れていた事態だ。日本だけで進めたかった事案だったが、アメリカが介入するとなると、以降は米国主導となるのは間違いない。

「具体的な話はされたのでしょうか?」

「とにかく日本側が言う秘匿事項で進めたいということについては、先方も理解してくれている。よってホワイトハウス側も最低限の人員で臨むとの事だ」

「ペンタゴンが絡むんでしょうね」

「そうだな」

 やはりそうなるか、しかし、よりによってあんなものが日本で発見されるとは、今さらながらこの国の不運を呪う。

「それと確認だが、ナマズ案件に関する大森博士の調査報告は、この3人と丹内情報官以外は知らないと言うことで良いな」

 栢尾大臣と前田官房長官が清水統括官を見る。

「はい、それは大丈夫です。記録として一切残していませんし、当然、誰にも話をしていません」

「大森博士を引き継いだ爺さんはどうなんだ?」

「小泉教授にも情報は漏らしていません。教授には未確認物体の調査をするようにとだけ言ってます」

「栢尾君も大丈夫だろうな。愛人にピロートークで話をしとるんじゃないよな」

 栢尾大臣は露骨に慌てた顔をする。「まさか、そんなことはありえません」

 愛人の部分は否定しないのかと清水は思う。林が続ける。

「アメリカからどんな学者が来るのかはわからんが、大森博士の話が世に出たら、それこそ大変なことになるぞ」

「わかってます。そのため情報を、完全に秘匿事項として進めてきたはずなんですが」

 清水が歯噛みする。

「大森博士を拉致した人間はどこの国のやつらなんだ?それもまだ、わからないのか?」栢尾大臣がさらに青ざめる。「おそらく、北か、中国、もしくはロシアらしいというところまでは掴んでいます」

「なんだ、それじゃあ特定できてないってことじゃないか、やはり自衛隊だけだと限界があるんじゃないのか?それこそ警視庁がこういった案件は専門だろう」

「いや、しかし、この段階で公安を入れると、さらに情報漏洩の危険が高まります。防衛省と検察庁との連携にも課題があるかと」

「まったく、この国の組織体系は本当に縦割りだな。身動きが取れんな」

 清水は総理の天に唾を吐くようなセリフに内心あきれる。

「それから清水君、これからはホワイトハウスとのやり取りは君がやってくれ。そういう話にしてある」

 やはりそうなるか。秘匿事項だし、他の誰にも頼めない。ああ、早く楽になりたい。また、アメリカを調査に参加させるに当たって、どういうふうに繕うのかを考えると頭が痛い。調査チームに外国人が相当数加わることになるし、こちらの要望に沿ってくれるのかが不透明だ。増々胃が痛くなってきた。

「わかりました。対応します」

 清水はゆったりと風呂にも入れない生活を続けるしかないことになる。


 探偵事務所に戻った伊瀬知は、パソコンを使っての情報収集に移る。

 大森博士の拉致日は丹内の話から特定され、6日前の防犯カメラの映像を見ればいい訳だ。ちなみに伊瀬知のハッキング技能は相当なものだ。本人曰く、ネットワークにつながっているものすべて、網羅できるとのことである。

 また、ネットワークにない防犯カメラ映像は、所轄の刑事、村上保巡査部長の名前を語って入手する。もちろん、村上の伺い知らぬ話である。もしばれたら、謝ればいいかな程度の乗りである。

 パソコンに向かって、キーボードを激しく打ち続ける伊瀬知にザナが聞く。

「父の行方はわかりそう?」

「うーん、さすがに某国の情報機関だね。防犯カメラを避けてるな。どこにも映ってない」

「さすがの悠もお手上げなの?」

 伊瀬知はだまって作業を続けている。

「よし、これでいいかな」リターンキーを押すと、パソコンに何かの画像が出てくる。

「見つかったの?」

「偵察衛星画像を拝借した」

「偵察衛星?」

「日本上空には各国の偵察衛星がけっこう存在しているのよ。秘密裏に飛ばしてるのもあるし、アメリカは、セキュリティが複雑なんでハッキングに時間がかかるけど、これは中国の偵察衛星、日本のものよりも割と良く見える」

「中国が偵察衛星を持ってるの?」

「もちろん、400器近い衛星が世界各地を監視している」

「で、それをハッキングしたの?」

「まあね。それでこれは当日朝の映像ね。博士は散歩に行ったりするの?」

「うん、健康とアイデアを練るために毎日の散歩は欠かさない。毎朝1時間ぐらいは歩いてる」

 おそらく早朝というか、深夜帯だ。画面に4:33と表示がある。拡大画像のせいか、はっきりとはしないが、博士らしき人物が一人でホテルを出ている。そこにいきなり数人の人間が現れて、そのまま拉致する様子が見える。そして素早く付近の車に載せて、あっという間に走り去る。そこまでで誰も博士の護衛についていないことがわかる。

「父に護衛はいなかったの?」

「いないようね。この早朝散歩は予定になかったのかもしれない。想定外でさらに警備も薄かったのかも」

「悠、父は無事なの?」現場の映像を見たザナは増々心配になる。

「間違いなく無事。大森博士の価値は計り知れない。物体の真相を知るためにも博士は殺せない。金の卵を産む鶏だからね」

「でも、もし父がその話をしてしまったら、用済みなんじゃないの?」

「とんでもない。博士の利用価値はそれだけに留まらないはずだよ。だから取引材料としてザナを欲しがった」

 ザナはそう言われても心配そうだ。「早く助けないと」

「わかってる」

「大森は私たち親子の命の恩人だけど、実際はそれだけじゃない。私の本当の父親は早くに殺された。子供のころから父親代わりになってくれたのは大森だった。だから、私にとっての父親は大森なの」

 ザナは大きな目にいっぱいの涙を蓄えている。伊瀬知が頷く。

 しばらく画像を見ながら、ザナが思い出したように話す。

「あれ、悠、衛星画像ってリアルタイムでしか見ることが出来ないんじゃないの?こんな2週間前の画像をどうやって見てるの?」

「ああ、そうだね。画像は探偵社のサーバーに保管してる。そこにアクセスして画像検索してるの」

 この探偵社はそんなことまでできるのか、空恐ろしい。

「ザナ、確認だけど、大森博士があの物体の何に気づいたのかな」

「どうかな、推測だけど。私も父の研究について色々教えてもらっていることがある」

「博士のテーマは余剰次元だったよね」

「そう、物理学は運動方程式だの万有引力だの、ニュートンやユークリッドが発表した理論が主流だった。それをアインシュタインが相対性理論を発表して大きく変わった」

「時間の追加ね」

「そう、簡単にいうと、ニュートンなどのユークリッド幾何学に時間という理論を追加したのが相対性理論、それにより、これまでは不透明だった惑星の動きなどが飛躍的に正確に分かって来た。人工衛星からのGPSがより精度があがったのもそのおかげなの」

「聞いたことがある」

「それまでの3次元世界に、時間という新たな次元を追加した。そのあと量子力学が出て波動方程式を生み出した。次元についてはさらにもっと多くの次元が存在するとも言われている」

 伊瀬知はコーヒーをサーバーからカップに入れて、ザナに渡し自分も飲む。ザナは話を続けていく。

「今、次元は11次まであるらしい。それを余剰次元って言うんだけど。そしてその理論にブレーンというものがあるの」

「ブレーン、膜のことかな?」

「そう、そのブレーン。それは我々には見えないんだけど、この世界には存在していて、ブレーンで次元を超えて動くことも可能になる。それが大森の研究テーマなの」

「ブレーンね。ここにもあるのかな?」伊瀬知が部屋を見渡す。

「あると思う。話を変えると、昔からUFOの情報はあるけど、宇宙人は地球には来れないって話を知ってる?」

「ホーキング博士が言ってる話ね」

「そうなの。私達がいる太陽系から、もっとも近い恒星の距離でも4光年も離れている。もっとも近いところでだよ。つまり、光の速さで進んでも4年かかるってこと。まず光速で移動することなんか不可能だし、そう考えると地球に来ている宇宙人って長生きだよね」

「そうね。不老不死なのかな」伊瀬知が笑う。

「あと、相対性理論では、すべての基本は光の速度だから、光速を越えるものは存在しない」

「光速を越えるもの論争はあったよね。タキオン粒子だっけ」

「そうね。でも確認されていないし、もしあるとすれば相対性理論を越えたものじゃないと説明できない」

「なるほど」

「父はそういった恒星間移動、小説なんかでよく出てくるワープ航法ってものを実現させるためには、ブレーンを使う方法があるんじゃないかって話している」

「ワープか」

「それで父が年初に発表した理論が、それを理論上可能とする重力波とダークマターなの」

「私も読んだよ。まったく新しい理論だね。確かにあれだとワープも可能かもしれない」

「悠は重力が未知のものだってわかるよね?」

「重力だけが実証されていないってことね」

「そう、光は光子だとわかってるし、それ以外もほぼ解明されて実証実験も行われている。ただ、重力についての本質はわかっていない」

「それを大森が証明したのね」

「そう、重力にも重力波があるって話。そして父が提示したのが、重力はブレーンを使っているって理論なの」

「目には見えないブレーンね」

「だから、重力波は捕らえられない。父はそれを立証するために、重力を集中させてブレーン移動が可能なことを立証したの。それが今回の発表になる」

「重力波を使った物質の移動ね。重力を集中させてダークマターを作ったんだよね。それにより、そこにあった水素粒子を消失させることで、別次元に移動したことを証明したって記述があった」

「そう、それは重力波を証明することとブレーンの存在、さらには余剰次元までも立証したことになる」

「まさに世紀の大発見なわけね」

「私は、今回の未確認物体発見が、ひょっとすると、それを体現できるものじゃないかと思ってる」

「つまりはどこかの異星人が送ったものだって言うことね」

「ええ、そういった不思議なものが存在している。それこそが余剰次元の証拠になる」

「大森博士はその謎もわかったのかな」

「そうだと思う。父の実験と同じだもの」

「でも世界に同じようなことを研究している学者はいるんでしょ?」

「いるよ。でも父を超える人はいない。ひょっとすると父はアインシュタインを超えるかもしれない」

「そうか、じゃあその物体も含めて大森を世界が欲しがるわけか」

「あとはダークマターの存在が肝になっている」

「ダークマター?」

「ブラックホールがそれと同義かな」

「宇宙にあるなんでも吸い込むってやつね」

「父がやった実験は、簡単に言うと実験場でブラックホールを作り出すことなの。水素粒子を1個だけ消失させるための実験で、ブラックホールを作り出した。結果として水素粒子は消失した」

「なるほど」

「そのブラックホール生成技術が鍵なの」

「兵器化できるって話ね」

「そういうこと。世界のミリタリーバランスが大きく崩れることになる」

 ここで伊瀬知が気付く。「そういうことか、つまりあの黒い未確認物質はブラックホールを使って恒星間移動を実現させたんだ」

「そういうこと、水素粒子一個どころか、あの規模の物体を転移させることが出来てる」

「その技術があの物体にあるってわけか。世界が欲しがるわけだ」

 ザナがうなずく。そこで伊瀬知のスマホが鳴る。

「はい、伊瀬知です」

『公安、橋爪だ』

「橋爪さん、どうですか?何か掴みましたか?」

『ああ、大森博士の宿泊先と拉致された日にちまではわかったよ』

「それはすごい。情報ください」

『会って話す。電話はだめだな』橋爪は盗聴を気にしている。

「了解です。それ以外の情報はどうですか?」

『防衛省にも当たってるんだが、ガードが固くてな。特殊作戦群が絡んでいるところまではわかっている』

「そうですか、じゃあ、こちらからの情報を差し上げますね」

『何か、わかったのか?』

「博士を拉致した車はトヨタハイエース、色はブラックマイカです。6日前の午前4時半ごろにロイヤルパレスお台場前から出発しています。ただ、防犯カメラのない場所です」

 橋爪は無言だ。伊瀬知の情報は正確だった。ただ、公安では車種についてはわかっていなかった。『どうやったんだ。まあ、いいか、で、その情報は確かなんだろうな』

「間違いないです。それで橋爪さん、その付近の防犯カメラ画像から、ナンバーを割り出してください。その上でNシステムを使って追跡してください」

『わかった。ハイエースのブラックマイカか』

「わかったら情報をくださいね」

『ああ、じゃあな』

 電話を切る。伊瀬知がザナに話す。

「ちょうど公安の橋爪から連絡があった。Nシステムで車の向かった場所がわかるよ」

「よかった」

 

 そして、しばらくして橋爪から連絡が入る。話を終えた伊瀬知がザナに言う。

「博士を載せた車のその後がわかったよ」

「どこにいるの?」

「新潟県の小千谷インターチェンジで高速を降りてる。そこからNシステムがない場所に移動したので、見失ったらしい。おそらく車も乗り換えたかもしれない」

「どうして乗り換えたってわかるの?」

「うん、そのハイエースが都内に戻って来てるんだって、当然、それに博士は乗っていなかった。車だけ戻したみたい」

「そう、で、これからどうするの?」

「小千谷まで行ってみよう。多分、自衛隊の特殊部隊も、すでに博士の行方を追っかけてるだろうから、それを利用できるかもしれない」

「ひょっとしてバイクで?」ザナが心配そうな顔をする。ジェットコースターには乗りたくない。

「そうしたいけど、4輪車がいいよね。寒いし」

 ザナはガッツポーズをして心から喜ぶ。伊瀬知は少し寂しそうだ。

 二人は駐車場の真っ赤なスズキのスイフトスポーツに乗り込む。

「かわいらしい車ね」

「そうね。少し改造してるけど」エンジンを掛け、「さあ、行くわよ」と宣言する。

 車はバイクと同じようにタイヤを空転させながらスタートしていく。ザナはいきなりシートに押し付けられる。すさまじい加速だ。全然、かわいらしい車じゃないじゃない。やはり、この探偵はスピード狂だ。


 ザナは戦々恐々だったが、伊瀬知は高速道路に入ると制限速度での運転になる。ザナはほっとする。

「悠はスピード狂なのね」

「どうかな、せっかちなだけだと思うよ。時間が勿体ない。残念だけど、今日は警察の取締情報もあるから、制限速度一杯で走ってる。あまり速度を上げ過ぎて捕まるのももったいないからね」

 なるほど、それで安全運転になるのか。警察の取り締まりというやつに感謝しないと。そして、車は拉致車と同じ小千谷インターチェンジで降りる。

 伊瀬知の車内には無線機らしきものがあり、ずっと電源が入っていた。何かの通信を傍受しようとしているみたいだ。

 すると、ノイズに交じりながら何かが聞こえだす。伊瀬知が言う。

「自衛隊もここに来てるみたいだね」

「これが自衛隊の通信なの?今時、無線なんて使ってるんだ」

「そう、彼らは無線通信のほうを信用しているみたい。軍隊だからね」

「そうなの?でも無線だって、こうやって傍受されるでしょ」

「暗号通信機能を使ってるから、一般には聞くことはできないよ。私は暗号を解除したからこうやって聞けるけど」

 どうやって暗号を解除したんだろう、疑問がわく。やはりこの探偵は只者ではないようだ。大森が伊瀬知を頼れといった理由が分かる気がした。もっともそれは伊瀬知悠の先代の話だけど。

 自衛隊の通信が聞こえてくる。

『やはり拉致犯は白山運動公園前の駐車場で、車を乗り換えた模様です。おくれ』

 ザナは不思議そうな顔をしている。伊瀬知が話す。

「ここから近いな。でも、まだ、こんなところにいるとは自衛隊遅いな。今まで何をやってたんだろう。白山運動公園なんてすぐそこだよ」

『乗り換えた車は分かってるのか?おくれ』

 ザナは疑問点を質問する。「送れって何を送るの?」

「ああ、自衛隊用語だよ。おくれは英語でオーバーって意味。無線終了の合図だね」

「ああ、なるほど」

『地域住民からの聞き込みで、車は三菱ふそうキャンターらしいです。色は白です。おくれ』

『了解、ナンバーはわかってるのか?おくれ』

『判明しました。今、Nシステムで検索中です。おくれ』

 無線を聞きながらザナが何かに気付く。

「でも、何か出来過ぎじゃない。私たちが来たとたんに自衛隊無線が始まるなんて」

「実はね。特殊作戦群が新潟にいることは分かってたんだ。それでやつらから情報を得られるって思ってた」

「どうやってわかったの?」

「それは企業秘密ね」

「そうなの、でも今日ってタイミングが良すぎるよ」

「そうだね。まあ、それは自衛隊がもたついてたから助かったってことかな。でも来るのが遅れたとしても、後からでも自衛隊の動きはわかる。30人前後で動いてるみたいだから、それだけの人間が動けばおのずとわかるよ」

 なるほど、そういうことか、ザナは詳細については納得できないが概ね理解する。伊瀬知はしばらくそのまま待機し、自衛隊の次の動きを待っている。ザナはここまでの疲れも出たのかウトウトし出す。

 何時間たったのか、ザナが目覚めると無線から声が聞こえてきた。まだ、頭がぼーっとしていて日本語が良くわからない。伊瀬知が話してくれる。

「乗り換えた車が見つかったみたいだよ」

「どこにあったの?」

「柏崎だって、出発するよ」

 ザナは思った。柏崎ってどこなんだろ、再び、大森探しが始まる。


 その後のアメリカの動きは早かった。大統領からの依頼後すぐに、大統領首席補佐官ケリーから清水に連絡が入る。そしてそれから五日後に使節団が来日した。

 ここまでの迅速な対応を見ると、アメリカはある程度、事前に計画していたものと思われる。やはり日本の機密情報は筒抜けだったのだ。

 来日メンバーは大統領首席補佐官ケリートーマス、国防総省宇宙局のエリック局長、ハーバード大学のメイ教授他総勢20名であった。

 主席補佐官とは大統領の側近中の側近で、ケリーはやり手として有名な人物だ。実質米国を陰で支えているといっても過言ではない。そこまでの人間を派遣することからも、この案件に並々ならぬ関心を寄せていることがわかる。さらにこのケリーは元軍人で陸軍参謀次長を務めた人物だ。未確認物体の軍事的価値に大いに関心があるはずである。

 エリック局長は50歳代の白人男性で、元々宇宙開発の技術者で博士号を持つ、一方のメイ教授は60歳の白人女性で、宇宙物理学のアメリカにおける第一人者であり、世界的にも当分野の権威である。大森のライバルと目されている人物だ。

 日本政府としては、秘密裏に事を進めたいため、アメリカには秘匿事項で進めてもらっていた。とりわけ首席補佐官が来日しているとなると、この案件が一大事であると世界に表明することになる。使節団が専用機で横田基地に到着し、それを清水と丹内情報官が迎えに行く。

 そして日本側がチャーターした輸送車に乗ってもらい現地に入る。当初米国側はこれに難色を示したが、米軍車両でウロチョロされただけで、情報公開と同義語になってしまう。それを阻止するために説得を続け、ようやく納得してもらった。それでもこれだけの外国人が大挙して動くので、現場は何事かという話になる。清水は米国から落盤対策の専門家を招いたと説明をしていた。


 そして、いよいよ未確認物体の部屋に使節団が入る。

 全員がその大きさに驚いている。現場で作業を続けていた小泉教授が挨拶する。

「京都工業大学の小泉浩二です。よろしくお願いします」

 メイ教授とは面識があるようで、彼女とだけあいさつを交わす。他は老いぼれ教授よりも物体に注目している。

 ケリーは腕組みをしながら半ば呆然と物体を見ている。

 エリック局長が清水に話す。「このシートを外してもらえるか?」

「わかりました。丹内さん外してくれ」

 清水が丹内に指示し、現場にいる自衛官が総出でシートを外しだす。物体の周囲の足場に乗って上側から一枚ずつシートを剥がしていく。徐々に物体が全貌を表しだす。

 ケリー、エリック、メリーら全員が驚嘆の表情を浮かべる。それほど、それは不思議な物体だった。

 それは楕円体で球体を上下につぶしたような形だった。卵型というか、それよりももっと理想楕円体である。そして何より不思議なのはその色だ。黒色はそうなのだが、まったく光を反射しない、吸い込まれるような闇にも似た黒だった。

 ケリーが物体近くまで近寄って触ろうとするのを、メイが制する。

「ケリーさん触らない方がいい。清水さん、今までこれに触った人はいますか?」

「大森教授から、素手では触らないようにと指示が出ています」

 メイがケリーに首を左右に振り、ケリーも手を引っ込める。

 メイが小泉に話しかける。

「現在までに日本側の調査で判明していることを教えてください?」

「はい、それが前任の大森教授が行方不明でして、私は引継ぎもしていない状態なんです」

 メイはびっくりして清水に向かう。

「どういうことです?」

「すみません。1週間前から大森博士は行方不明になっています」

 清水が言いよどむ、メイはケリーを見る。

「メイ、それは私から答えよう、某国の諜報員に拉致されたようだ」

「なんてこと」メイは絶句する。ケリーが清水に質問する。

「その後の大森の捜索はどうなってるんだね」

「現在、自衛隊の特殊作戦群が捜索中です。新潟方面にいることまではわかっています」

 ケリーは苦虫をかみつぶしたような顔になる。まったくこの国の要人警護体制はどうなってるんだと言いたげだ。メイが小泉に聞く。

「小泉さん、つまりは大森博士が調査した内容は何もわからないってことなのね」

「そうです。私の三日間の調査結果しかありません」

「なるほど、では小泉さんの調査内容を教えてください」

 小泉が資料を出してきて、エリックとメイはそれを受け取る。

「一通りの物性調査をおこないました。まずは表面の硬度なんですが、あまりに硬いために数値化できません。地球上でもっとも硬い鉱物はダイヤモンドですが、それをはるかに凌駕しているようです」

 その言葉にケリーは目を丸くする。

 メイが話す。「なるほど、それで地球のものではないことが証明されたわけね」

「そうです。また、光線の類も受け付けません。放射線、超音波、磁力線なども使いましたが、透過も反射もしません」

 エリックが質問する。「それは吸収しているのかな」

「そういったこともわかっていません」

「レーザ光はどうかな?」

「どうですかね。恐らくレーザでも無理ではないかと思います」

 メイとエリックが考え込む。しばらく考えた後にメイが小泉に質問する。

「先ほど、大森博士が触れない方がいいと言ったのは確かなの?」

「ええ、私は直接聞いたわけではありませんが、そう聞かされました」

「誰から?」

「そちらの丹内さんです」

 話を振られた丹内情報官が困ったような顔をする。メイが丹内に質問する。

「貴方は大森博士からどういう話をされたの?」

「これに直接触らない方が良いと言われました」

「理由は?」

「理由までは聞いていません」

「そうなの、でも何か感染の恐れがあるなら、存在自体に問題があるわけだから、こんな管理はしないはずだわ。それとも接触感染の恐れがあるのかな」

 丹内はわからないと首を振る。

 エリックとメイが二人だけで何事か話しだす。その隙に清水統括官が丹内の近くに来て話す。

「通訳もいないから、日本語で話せば大丈夫だろう」

 丹内が頷く。

「事前に決めたように、大森博士のナマズ理論については絶対に伏せるんだ。わかってるな」

「わかってます。今も接触理由は隠しましたし、総理からも何度も念押しされました」

「あれが知られると国家的損失だ。間違いなくこいつを米国に持って行かれるぞ。あと、さっきレーザ照射がどうとか言ってなかったか?」

「はい。言ってました」

「とにかくそれはまずい」

「わかってますが、理由を説明しないでダメとも言えませんよ」

「それはそうだが」

「これは私より統括官のお仕事だと思いますよ」

 確かにその通りなので清水は返答できない。

 エリックとメイの話が終わったのか、清水を呼んでいる。清水が飛ぶように寄っていく。丹内は後ろからそれを傍観している。

「何かありますか?」

「ここの地層の年代はわかりますか?」

 清水が作業をしていた小泉を呼ぶ。年代を確認する。

「ここの地層は新しいものです。それこそ多く見積もっても500年以内かと思われます。元々海だった場所です。それを埋め立てたのはここ50年です」

「それでこの物体が、どこから来たのかは推測出来ているのですか?」

「わかりません。ここの地層は汚泥に近いものです。痕跡と言った意味でもはっきりと断定できる証跡がないようです。これについては地質学者に確認しています」

 エリックとメイはさすがに困ったというか、あきれたといった顔をしている。日本側の対応の遅さに呆れているのだろう。

 その後も清水たちと代表団の話し合いは続く。

 アメリカの使節団の言い分は、結局、日本側では何もわかっていない、一体この国の技術力はどうなっているのだという不満と、ただ、この物体は間違いなく、地球外のモノである。よって協力して解明していきましょうというものだ。ただその裏にはアメリカとしても国益を兼て、自分たちの利益につなげたいという思いが見え隠れする。事実、大統領からはそういった指示を受けているようだった。

 その後も使節団関係者、とりわけケリーは、日本側に米国側の進め方を正論化する作業に従事していた。

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