4.手を握ったのは
俺は、目をあけた。何だか汗をかいて気持ち悪いが、あの辛くて苦しい感じはなくなっている。
「レイン様、目を覚まされましたか!?」
弾むような声をかけられて、ようやく気付いた。パウラだ。パウラが、俺の手を握って、そこにいた。
ふと、夢の中で誰かの手を握ったことを思い出す。……あれはパウラだったのだろうか?
「レイン様、大丈夫ですか? 医師によると、熱は下がったからもう心配ないということでしたが」
そうか、熱は下がったのか。
そんなことを言うということは医師が来ていたのだろうが、全く記憶にない。どうやら本当にグッスリ寝てしまっていたようだ。
「パウラ、ずっとここにいたのか? お前一人で?」
「……あ、その」
パウラの顔が引き攣った。知ってる。パウラに表情を取り繕うことなんかできないから。素直に、思っていることが顔に出る。
――そう。出会った頃の、彼女のように。
そこまで考えて、ハッとした。
「はい、おりました。えと、ずっと一人だったわけではなくて、侍女の方がいらっしゃって、殿下のお世話をされていましたけど」
引き攣った顔でそう答えるパウラは、明らかに何かをごまかしていた。
握られた手を見る。
俺の視線に気付いたのか、パウラが「あっ」と叫んで、慌てて握っていた俺の手を離した。
「す、すいません……えっ」
離れた手を、俺は握り返す。そしてすぐ、分かった。
「……違う、この手じゃない」
あの時、躊躇うように俺の指先に触れた手は、この手じゃない。安心できた手は、違う手だ。
ほとんど無意識につぶやいた俺の言葉に、パウラが切なそうに寂しそうに笑った。
「ええ、仰る通りです。あたしじゃありません。良かった、気付かなかったら、どうしてやろうかと思っていました」
「パウラ……? あ、いや、すまない」
この時やっと、俺は自分が思ったことを口にしてしまったことに気付いた。俺が自分で側に置いていた女性に、そして辛いときに側にいてくれたのだろう女性に対して、失礼極まりなかった。
「謝罪はいりません。っていうか、王太子殿下が簡単に謝罪しちゃダメです。あたしは王宮を辞しますので、あとは王太子妃殿下と話し合って下さい」
「エナ……マルティエナと? なぜいきなりそんな話になる?」
「殿下が一番よく分かっているはずです。分不相応かもしれませんが、慰謝料は請求させてもらいます。本当なら王宮侍女になってお給金を得るはずだったのに、それができなくなっちゃったんですから」
「慰謝料……? 何の話だ?」
よく分かっているはず、といわれても、何の話なのかが全く分からない。分からないのに、パウラは一人で何かの結論を出してしまっているように聞こえる。
「王太子殿下に求められて、否と言える女性はそうはいません。下手したらそれで人生台なしになっちゃうんです。責任取って側室にでもあげてくれるならともかく、そうしてくれるつもりもないのなら、火遊びは程々にして下さい」
「だ、だから、話が見えないんだが……」
「まあ、殿下の寝室に呼ばれるようなことはなかったので、そこは幸いでしたけど。おかげで、あたし自身の結婚に、取り返しのつかない事態にはなりませんでしたから。では、失礼致します」
頭を下げて、俺の疑問に何一つ答えることなく、パウラは去っていく。そんなパウラに声をかけて留めることも思い浮かばないまま、俺はパウラの言葉を頭の中で再生させていた。
――寝室に呼ばれることはなかった。
そういえば、全くそんなことを考えたことがなかった。ただお茶して話をして、笑顔を見ていたかっただけだった。
同様に、側室など考えたこともなかった。だって俺は……。
「俺は、エナだけで良かったから」
口にして、歯がみする。
そうだ。俺はマルティエナだけいれば良かった。他の女性を、妃にするなど考えたこともなかった。
自分の手を見る。この手が、夢の中で誰かの手を握った。
分かる。あの手は、パウラじゃない。
「エナが、側にいてくれたのか……」
こんな最低な男の側に、ついていてくれたのだ。
想像出来てしまう。
俺の熱が下がって、目が覚める前に彼女はいなくなった。パウラに言い含めたのだろう。側にいたのは自分だと言えとそう言って、去っていったのだ。
「エナと話を……、その前に、パウラだな」
例え一時であっても王太子の浮気相手と見られていた女性が、王宮勤めなどできるはずがない。例え悪いのは俺だとは言っても、パウラは世間の好奇にさらされる。
確かに、俺はパウラの人生を台無しにしてしまった。
金で決着をつけるのがいいのかと言われると、正直躊躇いはある。けれど、王太子の俺が頭を下げて謝れば、パウラは許すしかない。"王太子が頭を下げたんだから"と言われてしまえば、金の請求すらできない。
言われたとおりに慰謝料を支払うのが、多分一番いいんだろう。
「悪かった、パウラ。俺のせいで、色々傷つけてしまって」
本人のいないところで、誰もいないところで、こうして口にするだけが、俺に許された謝罪方法だった。