エピローグ
「レインデルト殿下、妃殿下がお呼びです」
「……呼んでる?」
仕事中、メンノの言葉に若干疑問を持ちつつも、立ち上がった。
用事があるときは、エナから来るから「呼んでる」というのが珍しい。何なんだろうかと思いつつエナの元へ向かい、そこで見せられた手紙に絶句することになった。
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俺がエナと結婚して、二年が過ぎた。もう誰も、俺が結婚早々に浮気をしたことなど、覚えていない……わけではないだろうが、それが話題に出ることはなくなった。
俺自身も、記憶の彼方に消し去ってしまいそうになっていたのだが、そうなる前にエナの家を経由して極秘に届いたパウラからの手紙に、甘かったことを思い知らされた。
「パウラさん、ボルストラップ商会の会長と結婚されたらしいわ」
「……そうか」
「お手紙では、とっても生き生きしてらして、幸せそうよ? もっと喜んだら?」
「……喜んでないわけではないのだが」
俺のかつての浮気相手、パウラ。その彼女が、貴族ではなく裕福とはいえ平民と結婚したと聞いた時に俺の心に浮かんだのは、強い罪悪感だった。
貴族社会に、彼女の悪い噂が流れないように注意していたし、エナも協力してくれた。だが結局は俺のせいで、彼女は貴族ではいられなくなったのか、と思ったら、いたたまれなくなった。
けれどエナの言う通りに、手紙の中のパウラは、そんな俺の罪悪感から想像した姿とは似ても似つかないくらいに元気そうに感じる。
で、問題なのは、手紙と一緒に送られてきた一冊の台本。商会に所属する劇団の台本らしい。「これを上演していいですか?」というコメントの台本に首を傾げつつ読んだ俺は、吹き出した。
「駄目に決まってるだろっ!」
「あら、面白そう。いいじゃない、私たちの話、自由に演じられてるんでしょ? それのちょっと亜種ストーリーに思われるだけ。誰も本気になんかしないわよ」
「エナはいいかもしれないけどな!」
俺がエナに十個の贈り物をした。それは俺がドレスなんかを用意するのに、商人たちを通したから、普通に事実として知れ渡っている。しかし、なぜそんなことをしたのか、という本当の理由までは知られてないから、美化されて演じられている。
けれど、パウラから送られてきた台本には、しっかり俺が浮気した、ということが書かれている。これをこのまま上演すれば、下手すれば王族を侮辱したと受け取られかねない。
だからこそのパウラの確認、ととれなくもない。だが、単にからかわれているようにしか感じないのは、決して俺の被害妄想ではないはずだ。
王族からの許可を取っての公演、ということになれば、確かに誰もこれが"事実"だなどと思わないだろう。庶民への娯楽を、気前よく提供してくれた、と思われるだけだろう。
「だが駄目だー!」
「ねぇルト、せっかくここまで事実に沿ってくれているのだから、もっと近づけて欲しいわよね。この辺りのやりとりとか、実際はこうでしたって教えてあげようかしら」
「なんでそんなに乗り気なんだよっ!?」
そんなやり取りを経て、盛り上がっているエナを俺は止められず、結局劇は上演された。
最初は、王都から大分外れたところだけで公演されていたようだが、噂が広がっていき、ついには王都での初公演を迎えた。それに、俺たちは極秘で招待されることになった。
極秘な理由は、劇団員たちが王族なんていう存在に慣れていないから、ということらしいが。公で行くと色々面倒なことも多いから、極秘は全く構わないのだが。
「……気が重い」
「何を言ってるの。せっかくのパウラさんからのご招待なのに。私はとっても楽しみよ?」
「……だから、気が重いんだ」
何が悲しくて、自分の浮気話を見に行かなきゃいけないのか、と俺はがっくり肩を落としたのだった。
*****
劇の前に挨拶に出てきたパウラは、元気そうだった。
そして、劇は大盛況で拍手が鳴り止まず、俺たちの周囲でも見終わったばかりの劇についての感想を言い合っているのが聞こえる。
だが、その中に「王太子の浮気が……」などという単語が一度ならず紛れ込むので、そのたびに俺は身が縮む思いをしている。
「素敵でしたね」
「……そうだな」
エナはとても楽しそうだ。俺は浮気した過去を掘り返されて、落ち込んでいる。
……というか、これもしかして、この劇に人気がある限り、悪意ない人々の口から「王太子の浮気が」を言われ続けるんじゃなかろうか。
――やはり王太子権限で、劇の中止を命令するべきか。
それはとても素敵な思いつきだった。王城に帰ったら、すぐにでも取りかかろう。という思考に陥ったところで、ふと見覚えのある姿が目に入った。
「こんにちは。本日はご招待に応じて頂き、ありがとうございます」
「こちらこそ。お招き下さり、嬉しかったわ」
パウラだった。
俺の覚えているよりも、大人の女性になっている。浮かべている笑みは、かつて俺がエナと重ねた笑みじゃない。自然体なのは間違いないのだが、もっと自信に満ちあふれている気がする。
「劇はいかがでしたか?」
「とっても素敵だったわ。できれば、また見に来たいくらい」
「それは光栄です」
劇場という場所で極秘での招待だからか、パウラは礼をとらず、エナも何も言わず、気楽に話をしている。それを何とはなしに聞いていると、パウラが不意に俺の方を向いた。
「あたしは、今とても幸せです。どなたかが浮気してくれなかったら、あたしはあの人と結婚していなかったかもしれません。だから、ありがとうございました」
その言葉を裏切らない、幸せそうな笑みを浮かべて、パウラは俺たちの前から去っていった。だが、素直に喜んでいいのか分からない言葉に、俺は肩を落としたのだった。
――ちなみに、俺の"素敵な思いつき"は、実行する前にエナによって叩き潰されたことを、ここに記しておく。
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王太子が、自らの妃へ感謝を込めて贈ったとされる、十個の贈り物。高価なものではなく、思い出を辿った贈り物とそれに込められた心は、劇を通して人々に知れ渡っていく。
そして、それはいつしか、結婚の時、記念日に、はたまた喧嘩したときの仲直りの印に、色々な形で行われ、後世に継がれていく。
最終的には、どちらかが一方的に贈るのではなく、双方がそれぞれ五個ずつの贈り物をする形に変わっていくが、その始まりの物語は忘れられることなく、歌い綴られていく。
だがそのきっかけが、実は王太子の浮気から始まった、という話は、ただの笑い話の中に埋もれていったのだった。
これで終わりとなります。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。




