第二部 第十八章 もう一度
それからあの場所、海浜公園の芝から飛び出した彩花は、駆け足で家へと戻っていった。そしてその胸の内は、
確かめないといけない、確かめないといけない!
その思いでいっぱいで……。
そう、あんなに楽しみにしていたデートをほっぽりだしても、何をさしおいても、やらなくてはいけないことがあったから。それは……。
家に到着して、玄関の扉を開ける彩花。そうしてまずやったことは、
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
兄、海斗を探すことだった。
「お兄ちゃん!」
だが……返事は返ってこず、今日は確か友人との用事が入っていたことを思い出すと……。
よし、いない。
兄はこの家にいないこと、そして、しばらくは戻ってこないだろうこと、それをこれで確信すると、彩花はとある場所へと足を向ける。それは……、
そう、兄の部屋だった。
あの祥の資料、あれが気になって気になってしかたがなく、彩花はこうして戻ってきたのであった。ざっとしか読んでないので自信はないのだが、過った嫌な予感がもし当たっていたとすると……。
大変なことになる……。
そうして、切羽詰った気持ちを胸に、彩花は兄の部屋へと入ると、急いで彼の机へと向かっていった。そう、時間は限られているのだ、効率よく物事を進めねばと、最大の目的、あの机の引き出しの中の茶封筒を目指して。
そして、右側の一番上の引き出し奥のケースから鍵を取り出し、目的の引き出しを、またもその鍵を使って開けてゆくと……。そこには、この前と寸分違わない姿であの茶封筒が入っていた。
それを手に取り、急いで中身を取り出す彩花。そうして、今度はざっとではなく、じっくりそれを見てゆくと……。
幼い……大体小学校ぐらいからの生い立ち、何かが行われたらしい、合宿での一件等がやはり書かれている。
そうして、その中でも最大といえる記述は……、この資料全体を覆いつくす、そう、きっと兄の心を大きく占めているのだろう、何かの計画の詳細。それは……。
霊をあらかじめ彼の体に忍ばせ、悪霊につかれた母親を使って操れない体質を変えさせること。またそれと同時に、彼に前世の記憶を思い出させること。
そして……。
ああ、やっぱり当たってしまった!
とある一文を見て、それに彩花は絶望的な気持ちになる。そう、それは一番最後に手にした紙で……。
これは復讐。全てはそのための計画、行動。
柚月祥=二階堂佑
黛彩花=久門芙美子
黛海斗=久門柊馬
柚木祥を地獄に突き落とす。
完璧なる兄の直筆。これ以上はないくらいの乱れた文字で、そう書いてあったのだから。
そうして、頭に刻み付けるよう、じっくりそれらをもう一度読むと、もとあった形と寸分違いなく、書類を戻してゆく彩花。そう、兄にばれないように、絶対このことを知られないように、と。そして、
私が前世の記憶を思い出したこと……これは絶対お兄ちゃんに知られてはいけない!
そんなことを彩花は心の中で確信していた。
そう、あれほど自分に読ませたくなかった日記。そこから考えれば……。
恐らく、この計画が頭にあったからだろう。その為に、それから彼自身の感情の為に、きっと過去を思い出して欲しくなく、そうしていったのだろうから。
当たってしまった、最悪の事態。それに、彩花は絶望と脱力感に襲われ……。
だが、いつまでもこうしている訳にはいかないのだ。とりあえずこの部屋でのやることは済んだのだから、さっさとここから出なくては。そう、入ってきた時とどこも変わりなく戻して、それをしかと確認して。
そうして彩花は静かにこの部屋から退出してゆくと……。
戻った居間で、彩花は一人悩む。
兄の魔の手から助ける為には、一刻も早くこの話を祥にしなければならない。だが……こんな話、いきなりして信じてもらえるだろうか、と。
前世だの、霊だの、復讐だの……。
あまりにも現実離れした話に、きっとおかしく思われるだけだろうと、彩花は絶望にも似た気持ちにもなる。だが、何もせずにこのまま黙って眺めている訳にもいかず……。
そうして、彩花は心に決めた。例え変な子と思われても、これは伝えねば、と。今は変と思われても、いつかは分かってくれる時が来るかもしれない。彼の為になるかもしれない!
言わないで後悔するより、その方がいいと、彩花はバッグから携帯を取り出す。そうして、電話番号を押してゆくと……。
柚月君、出て、お願いだから出て!
そう、祥のところへとかけたのだった。
彩花は祈るような気持ちで、電話が繋がるのを待つ。そうして、しばしの時の後、
「もしもし? 柚月だけど」
聞こえてくる、なじみのある声。それに彩花はホッとすると、
「ああ、柚月君! 私、彩花だけど……。さっきは突然、ごめんなさい!」
あの時のあの自分。あれじゃほんとに変な子でしかないと、思いっきり反省の気持ちを噛み締めながらそう言う。
すると、
「ん……いや……それは別に……いいんだけど……。一体何があったのかなぁ、と」
別にいいと言いながらも、やっぱりどこか気になっているような様子で祥はそう言う。まあ、確かにあんな帰り方を突然されれば、そんな反応になっても当然だろう。しかも祥は、達成しなきゃいけない使命があったのに、それも宙ぶらりんのまま終わってしまったのだから……。
だが、勿論そんなことは知らない彩花、ただひたすら申し訳ない気持ちで、
「その事情、説明しますんで、今からまた、会ってもらえませんか?」
「……」
それに、一瞬唖然としたような沈黙が訪れる。そして、それから、
「今からー!!」
びっくりしたような声が彩花の耳を突き刺す。
そう、事情も言わず、自分から勝手に帰っておいて、そうして数時間とたたないうちにまた、今度は先程の事情を話すから会ってくれ、などと言ってくるのだから……。更に、その会いたいことの事情を知ったら……これ以上の驚愕、というか……もしかしたら怒らせてしまったりもするかもしれない。それに彩花は不安な気持ちにもなってゆくが……。
「はい。どうしても、会って欲しいんです!」
そう、どうしても会わねばならないのだ。
先程の件は本当にごめんなさいのごめんなさいで……心の中だけでなく、言葉でもそう言って、何とかお願いと、彩花は頼み込んでゆくと、
「まあ……俺も、聞きたいこと、あったし。ほら、さっきの君のお兄さんの話とか……」
そういえば……と、その言葉で彼と話していた話題を思い出し、彩花は相手に見えもしないのにうんうんとうなずく。そして、
「はい、そのことに関係があるかもしれない話も、したいんです!」
すると、不意に訪れる、微妙な雰囲気の、間。それは、意外に思うような感じがあり、
「そうなの?」
「はい!」
はっきりとしたその彩花の返事に、再び考えるような間が開くと、
「じゃあ、そういうことなら……」
自分の役目を果たすチャンスがまたも巡ってきたと考えたのか、意外な申し出に何かを感じて困惑しているのか、どうとも取れない声の調子で、「今から三十分後、北松原駅の改札で……」と、祥は待ち合わせの時間と場所を指定する。
それに、彩花は何度もありがとうと言うと、やがて電話は切れてゆき……。
切れた電話機を手に、それをじっと見つめる彩花。
そして、とりあえず会ってくれる約束を取り付けたことに、ホッと安堵する。
けど、これからが本当に大変なんだぞ!
やることは、まだ始まったばかり。それを言い聞かせて、彩花は心に気合を入れてゆく。
そうして、部屋の時計へと目をやると、もうすぐ家を出なくては待ち合わせの時間に間に合わなくなる時刻を示していた。本当はもう少し心を落ち着けて、話す内容についてじっくり吟味したかったのだが、まさかまた遅刻する訳にもいかない。彩花はバッグを手に取ると、身支度もそのままで玄関へと急ぎ、途中にある鏡でぱっぱと身だしなみを整えると、よし! と再び気合を入れ、急いで外へと出ていった。