第二部 第六章 もう一人の
そして翌日。
今日もうだるような暑さが修子の部屋を覆っていた。
それは、思わず溶けてしまいそうになる程で、流石に修子も辟易、といった感じだったが……そんな彼女に追い打ちをかけるよう、なんと更に、昨夜は熱帯夜であって……。
そういったこともあり、またあれから色々考えてしまったこともあり、よく眠れなかった修子なのであった。
そして……
そう、考えれば考えるほど、分からなくなるのはこの件だった。そんな中でもとりあえず修子は考えをまとめてゆくと、やはり、あの悪霊達の目のない所で早いうちに祥の中の霊達に話を聞き、この現実を祥自身に悟らせ、他の家族はどうなのか確かめねば……まずはそれをせねば、ということだった。何かがあるのなら、行動をするのはそれから……だが……。
霊達の話によっては、もしかしたら自分には手におえない程のモノが待っている予感もしないではなく……。それに不安を隠せない修子でもあったのだが……。
その場合、一体どうすれば……。
……。
しばし悩む修子。
そうして、今日も特に用事はないことを確認すると、この暑さの中でただうだうだしてるのもなんだ と、とある場所へ出かけてゆくことを修子は決意した。
そう、そのとある場所とは、
あちぃ……。
ミンミンゼミの鳴き声の中、流れる汗をぬぐいながらやってきたのは、家から歩いて十五分ほどの所にあるお寺であった。都心近くのこの地にしては緑が多く植えてあり、ギラギラとした太陽の照り返しのあるアスファルトや、それらの熱に侵されたすぐそばにある住宅街よりは、何となく涼しさを感じる。
だが、やはり暑いことには変わりなく、少しぐったりしながら修子は境内に入り、本堂からやや離れたところにある和式の住宅の玄関の前に立つと、
ピンポーン。
古めかしい、この空間にしては似つかわしくない、現代的なドアホンのボタンを押す。するとしばらくして、
「はい」
男性の、少ししわがれた声が聞こえてくる。それに修子は、
「私だ、修子だよ」
すると、
「ああ、ああ、修子か、ちょっと待ってておくれ」
そんな声が聞こえてきて、すぐにドアホンの音は切れる。
そして、それ程時間を置くことなく、ガラガラと扉は開かれ……。そう、和風の家らしく、扉は引き戸式になっており……。
「どうした、突然。何か用事か?」
「う……ん、まぁ、そんな感じなんだが……いや、とりあえずいてくれてよかった」
歯切れの悪い修子の言葉に、その者、頭を丸め、法衣を着た初老の男性……つまりこの寺の住職らしき者は、訝しげな表情をしてゆく。そして、
「まぁ、上がれ、しばらくは何も用事はないから」
それに修子はコクリうなずくと、促されるがまま家の中へと入り、その家の居間らしき、畳の部屋へと案内された。そして、そこでテーブルを前に正座して修子は待ってゆくと……。しばらくしてやってきた老人。手には冷えた麦茶をを持っており、暑かったろ、と修子の前にそれを差し出してゆく。それに丁度喉が渇いていた修子、ありがたい気持ちになって一口飲むと、老人が席についたのを見て、
「実は、ここに来たのは……」
そうして、合宿でのこと、祥のこと、祥の家でのこと等など、修子は今まであったことをその初老の男性に話していったのだった。それに男性はうんうんとうなずくと、しばらくして小首をかしげて考えた風になり……。
「わしもその話だけでは、何が隠れているのか分からんなぁ。せめて、実際を見てみんと……」
そう言って更に首を深くかしげて考え込む。
だがこの人物、突拍子もないといっていいこの話に、どうやら驚く様子を見せることもないようで……。
そう、修子からこうして相談を持ちかけられて……。それも霊関係の……。全く、そうされる人物とは、一体……。
「私は不安なんだ。これは自分ひとりで何とかできるものなのか。おじいちゃんは退魔に長けているし、知識も豊富だし、何か助言を与えてくれるのではないか、と」
おじいちゃん、と呼ばれた彼、そう、彼は修子の母方の祖父なのであった。彼は真言宗の僧侶であり、そしてこの寺の住職でもあり、名前を大河原淨蓮と言った。彼も霊能力が強く……それは、僧としての修行から来るものではなく、元から備わった能力で……故に、修子はその血を引いたと言え……その霊能力によって、悪霊を調伏することを得意としていた。そう、僧でありながら霊能力者でもある彼。密教から一部、言葉や形式を借りてその能力を使っている部分もあったが、根本は独自のもので、それによって悪霊を除霊したり浄霊したりなどしていたのであった。そして、その魔を退ける力については、彼はかなり強いものを持っていたから、ならば何かの力になってくれるのではないかと、こうして相談しにきたという訳だったのだが……。
「そんなに悪霊が集まっているのだとしたら、確かに、危険を伴う可能性はあるな。動きは慎重にした方がいいかもしれん。でなければ、手を触れないか。別に、お前に関わることではないのだろう?」
たしなめるような淨蓮の言葉。
だが、それに修子は困ったような表情でコクリとうなずき、
「そう、なんだが……。頼まれた訳でも、ないんだが……何かもっと深い謎が潜んでいるようで……どうも、気になってしまうんだ」
すると、淨蓮はフフフと笑い。
「相変わらずだな、その好奇心。だが……それが命取りにならんこともないぞ」
淨蓮の忠告の言葉。確かにもっともな……その言葉。だが……それに修子はまだ困惑の表情を色濃く残し……、
「だから……おじいちゃんにも協力して欲しいんだ。私が袋小路にはまってしまった時だけでいい。何かの時の助けになってくれれば……」
神妙に、コクリとうなずく淨蓮。
「それは、いいだろう。で、わざわざやってきたということは、今も袋小路にはまっていると、いうことか?」
それに修子は見破られたことに対してか、少し恥ずかしいように微笑を口元に浮かべると、
「まぁ……全くという訳じゃないんだが……それに近い感じだ。今日はその少ない手がかりの助けになって欲しいと思って、やってきた訳で……」
「ほう、少ない手掛かり」
「彼の中の霊に、話を聞いてみたいんだ。だが、さっきも言ったが、ああいう風に悪霊につけられては、どこでやっても話が筒抜けになってしまう可能性がある。それで……」
そこで言葉を止めた修子。だがそれに、淨蓮はなるほどとうなずいており……、
「それでわしの力を借りたい、と。つまり……」
分かったぞとでも言いたげな表情を浮かべる淨蓮。修子もそれに、そうだという風にコクリうなずくと、
「霊符を……」
自分でも霊符は作れないことはなかったが、祖父の霊符は彼女のよりもかなり強力だった。なので、わざわざここまできてお願いに来たのであり……。そう、悪霊の入ってこられない空間をつくり、そこで彼らの話を聞くために。すると、
「まぁ、それはいいんだが……心配なのは」
それにコクリとうなずく修子。そう、彼女も彼が示唆しているだろうそのことを心配しており……。
「彼の中にいる悪霊、だろう」
淨蓮の懸念を、先に口に出す修子。そして、淨蓮がそれにうなずくよりも前、
「私の前ではただ息を潜めてじっとしているようにしか見えなかった。まあ悪霊だから、よっぽどのことがない限り、自らあそこから出てゆくこともないだろうが……。だが、あれでも何かの役割がないとは言い切れず……。だから、ソレがいたまま、わざわざ他の霊を阻止してやっても意味があるのか、どうか……」
「確かに……そこは私にも分からんな。だが……一度足をつっ込むと決めたのなら、何もやらないよりはいいだろう。他に方法がないのなら」
再びコクリとうなずく修子
「とにかく、彼の中の霊達から詳しい話を聞きたいんだ。最も、悪霊の影響の少ない環境下で」
すると、それに淨蓮は納得したような表情でうなずくと、すっくと立ち上がり、
「ならば、やっぱり霊符だな。分かった、今すぐ作ろう」
そう言って、朱墨や硯や紙を取り出し、供物を壇上に捧げ霊符作りの準備をしてゆく淨蓮。
そして、やがて……。
全てが完了して淨蓮は、スッとした姿勢で念珠を手に立つと、真剣な眼差しで、
「オンサルハタタギャタ・ハンナマンナノーキャロミ。オンサルハタタギャタ・ハンナマンナノーキャロミ……」
と、真言の言葉を唱えてゆく。そうしておかれた紙を前に正座し、筆を取り、念をこめて真言の中の封魔の言葉を書いてゆく淨蓮。そして、もう一枚、もう一枚とどんどん書いてゆくと、
「何かの時のために、少し多めに書いておいた方がいいだろ」
そう言って、更にもう一枚、もう一枚と書いてゆく。
それに、修子は助かったような気持ちになりながら、その行為をずっと見つめていた。そう、できれば多めに、そう言おうと思っていた修子、いわずとも、相手はそれを分かっていたようで。
そうして結びの真言を唱え、やがて淨蓮は筆を置くと、墨が乾くのを待って一つにまとめ、
「とりあえず、十枚だ。これだけあればいいか?」
「ああ、ありがとう。本当に、助かったよ」
修子のその言葉に、にっこりと笑う淨蓮。
そうして修子は、しつこいほどにお礼を言って、そこから退出しようとすると、
「もう一度言っておくが、行動にはくれぐれも注意しろよ」
淨蓮の言葉に、コクリとうなずく修子。そうして霊符を手に寺から出てゆくと、修子は色々考えを巡らす。明日は部活がある日。彼もやってくれば、霊に話を聞くいい機会だろうと。これを貼って結界を作れば、とりあえず彼の中の悪霊以外は近くには寄れない。ならば、それをやって……絶対絶対明日それをやって……彼の中の霊に話を聞こう、そう強く心に誓って。