第二部 第四章 母親
再びここは祥の家。だが祥は修子と家を出たまま、まだ帰ってきてはいない。
今この家にいるのは祥の母親のみ。母親はこの家の居間で、どこか冷たく苛立った様子を醸し出しながら、何かを待つようソファーに深く腰掛けていた。そう、そこに先程の優しげな態度などどこにもない。あるのはただ冷たさと苛立ちだけ。そうして母親は、湧き上がってくるその苛立ちを紛らわすかのよう、指を上下に動かしながら、ひたすらじっと何かを待ち続けており……。するとしばしの時の後、
「きたか」
待ちに待ってやってきたのは、なんと先程のあの悪霊。やはり、あれを命令していたのは彼女のようであり……。
「仔細の報告を」
それに、ぼんやりと透き通った体を持ったその悪霊は、体を彼女に近づけ、命令どおり、あの出来事を報告してゆく。すると……。
次第に険しいものに変わってゆく、母親の表情。
どうやら、修子、というものの存在を、また彼女がどんな存在なのかということを、これである程度知ったようだった。何の目的でやってきたのか、こちらのことをどれだけ知っているかは分からないが、どうやら相手はかなりの霊能力をもつものらしいことを察して、その苛立ちは更に深くなる。そして、それに危機感を抱いたのか、母親はその悪霊に、厳しい目を向けると、
「これを、あの方の所へ報告にゆけ!」
そう鋭い声で命令してゆく。すると、それに「はっ!」と悪霊は従うと、一刻も早くと、その場からさっと立ち去ってゆき……。
そうしてとりあえず一段落ついたかと、母親は一つ息を吐くと、ソファーの上に寝転がり、現実はもういいとでもいうように、そのまま静かに目を瞑っていった。するとやがて……そう、やがて母親は安らかな寝息を立てて眠りの底へと落ちてゆき……しばし続くその沈黙に、そのまま深い眠りについてゆくのかに思えた。だが、それもほんのわずかな時のこと、それからすぐ後、やたらと不自然なほどにすぐ後、母親はぱちりと目が覚め、そして……、
「ああ、寝ちゃってたのね」
とあくびをして、時計に目をやる。すると……自分の記憶している時から約二時間が経っていることに気がつき、意外と沢山眠ってしまったことに、焦りまくる母親。
そう、それは、ついさっきまでとは違う、祥にお茶を持っていった時と同じ優しげな雰囲気を醸し出す母親で……。
するとその時、誰かが玄関から入ってきた音がする。誰かと思って出て見てみれば、それは祥が外から戻ってきた音であり……。どうやら駅まで行ったついでに、買い物もしてきたようで、何かの袋を手に提げている。
「まったく、いつの間に出て行ったの?」
「あの子はどうしたの?」
「おやつは食べた?」
彼が出ていった事に気づいてすらいない母親だったから、記憶の隙間を埋めるかのよう、思わずそんな言葉がこぼれてゆく。するとそれに、声かけたつもりだったけどなぁと、祥はぼやきながら、
「彼女はもう帰ったよ。二時間くらい前、かな?」
すると、返ってくるのは少し微妙な響きのある、母親の「ふーん」の声。そして、どこか好奇心を見せるように、
「あの子……祥ちゃんの彼女?」
だがそれは、あまりにありえない質問。なので思わず、祥は苦笑いを浮かべると、
「はは、まさか、違うよ」
すると、それに母親はほっとしたように、
「は、良かった」
「? 良かった??」
思ってもいない、母親の反応だった。なので、思わず祥は、問いかけるようにそう言葉をもらすと、
「お母さん、あんまりあの子、好きじゃないな、と思って」
それならば……なるほどの反応。だが、まだどこか腑に落ちないように、祥は眉をひそめながら、
「う……ん。そうなんだ。まぁ確かに、変わり者ではあるけど……」
すると、その言葉に嬉しいように母親は目を輝かせ、そして、
「やっぱり、変わってるんだ。だって、初めて会ったのに、こんにちはとか、お邪魔してますとか、挨拶もしなかったわよ、あの子。お菓子やお茶を振舞っても、ありがとうも言わなかったし」
まぁ、実はその時、母親の状況や行動に驚いてそれどころじゃなかったってのもある修子であったのだが……。だがそんなことなど知らない母親、どこかすねたような表情をして、グチグチとそう祥にこぼしてきて……。すると、それに祥は、
「いや、そういう変わり者じゃなくって……あれは……なんだろ、たまたま、かな? それより、霊がどうとか、こうとか。霊感が強い、っての?」
すると母親は、それにふうんとうなずき、そしていかにも嫌そうに顔をしかめながら、
「でも霊なんて……。なんか胡散臭い」
やっぱり自分の勘は外れてなかったとばかりに、そう言ってくる。
だがそれに、祥はどう返答したらいいのか困ってしまって、
「うーん、そんなに印象悪かったかなぁ……」
その時の彼女の様子を思い出して首をひねる。
そして、霊関係については既に修子の影響を受けてしまっていた祥、この体質のことについて母親に話そうか一瞬迷ったが、
「とにかく、変な方向に影響されないでね」
ぴしゃりそう言ってくるものだから……。
この調子じゃ言っても更に嫌悪を示されるだけだろうと、笑って誤魔化し、そのことについては口をつぐんでゆく祥なのであった。