第二部 第三章 柚月宅にて
それから修子は昼食を取り、少し休んでから家を出発すると、待ち合わせた時間よりちょっと前辺りに、北松原の駅へと到着した。それは中々いい時間で、よしよしと思いながら、修子はホームから階段を上がり、改札へと向ってゆくと……。
「……」
祥はもうきているだろうか、その気持ちは、あった。改札が見えてきたら、とりあえずキョロキョロ探してみようかとも、思っていた。
だが、そうするまでもなく、すぐにその姿は見つかって……。なぜなら……。
改札を目にしてすぐに入ってきた光景。それは……。
おーい、おーい……と流石に口に出してはこなかったが、今にも出しそうな雰囲気で改札の向こう側から元気いっぱいに手なんぞ振っていたのだから。
恐らく、自分はここにいる、ということを彼なりにアピールしているつもりなのだろうが……。
そこまでするほどここは大きな駅ではない。正直言って、彼の行動は気恥ずかしいばかりで……。
おねがいだから、やめてくれ……。
思わず心の中でそう呟いてしまう修子。そして、
「待ったか?」
少し引きつった笑みで修子はそう言うと、
「いや、俺もついさっき来たとこだから」
と、祥。
それに修子はそうかとうなずくと、
「?」
祥からふと感じる、わずかな違和感のようなもの。そう、それは何かあまりよくない霊の、残り香のようなもので……。
それも、今彼の中にいる悪霊以外の。
それに何か釈然としない気持ちを抱きながら、案内されるがまま祥の後をついてゆくと……。
彼の家は駅からそれほど離れていない閑静な住宅街の中にあった。そう、恐らく駅から歩いて十分かからないくらいの所にあるだろう。そういった地ということもあり、また都心近くということもあってか、家はかなり小ぢんまりとした一戸建てで、色んな建物がギュウギュウと密集した、いいかえれば狭苦しい、そんな場所にその家は建てられていた。
だが、小さくとも造りは中々立派で、家の前には入り口となる黒色の門が、その存在を主張するよう上品なたたずまいを見せており……。
「中々おしゃれな家だな」
そのモダンな雰囲気の家を前にして、感心したよう、つくづくそう言う修子。すると、
「そうか?」
あまり気にした風を見せないよう、祥はそう言葉を返してくる。そして、その門に手をかけ……まずはお先にどうぞと修子、次に祥と、二人中に入ってゆくと……。段々と近づいてくる玄関。それと共に……何故か更に大きくなってゆく、先ほど感じた違和感。そして、
「まぁ、入ってよ」
祥の手によって開けられたのは玄関の扉。そこから放たれてくるのは、
な……に……。
扉を開けた瞬間、襲ってきたのはゾゾゾとした寒気で……。そう、明らかに中に悪霊がいることを示した……それも一つではない、これは何体もいることを示した寒気であり……。
それでようやく修子は納得する。そう、彼から感じた違和感はこの残り香だったのかと……。確かに、家がこんな状態であれば、彼に残り香があっても不思議ではなく……。だが……これは普通の家ではありえない状態。それに眉をひそめながら、修子は促されるまま中へ入り、更に彼の部屋へと案内されると……、
「……」
玄関で察したとおり、何体も浮遊している悪霊。
修子の心の中で巡るのは、なんで、なんで、という言葉。
そう、全く、普通の家でこれはありえない。
そうして思い出すのは、合宿所で悪霊を弾いていた彼の中の霊達の存在で……。
まさか……。
そう、この体質で、この環境で、今までこの悪霊達に祥が取り付かれなかったのは、本当に奇跡と言ってもいいことなのだ。ならば、やはり彼の中の霊達のおかげなのかと、修子が予想するあのシステムが出来上がっていたのは、この環境ゆえなのかと、そう思っている時、
部屋の中を浮遊していた悪霊が、祥のほうへふわふわとと近づいてくる。そう、このままでは……、
憑かれる!
そう思って、声を上げようとした瞬間、
ぱちん!
大きな音が鳴り、悪霊が外へと弾かれる。それを見て修子は、
やはり……。
この家の状態、霊達が祥の中にいる理由、そして、その霊達が悪霊を弾いてあげている理由、分からないことは色々あったが、とりあえず……。
「彼らに、礼を言うんだな」
思わずそうもらす修子。だが、言われた祥は訳が分からずキョトンとするばかりで……。そして、不意に気がついたように、
「まさか……今の音、軋みじゃない、とか? えーと、なんだっけ、ラップ音、だっけ? まさか、それ?」
自分の体質を思い出してか、怯えたように祥はそんなことを言ってくる。
だが、この尋常じゃない状態。滅多なことは口に出さない方がいいと、そう思って、
「俺の中のれ……」
と言い出したところで、修子は咄嗟に彼の口を塞ぐと、
「ふがふがふが!」
祥のほうは何も分かってないようで、手の中でもごもご何かをしゃべっている。それに修子は、しっ! と口をつぐむことを示唆してゆくと、ゆっくり手を離し、
「おまえ、本当に体のどこかがおかしいとか、何か不幸なことが続くとか、そういうことは、ないんだな」
「……前にも言ったろ。ないって。まったく、一体なんで……」
訳が分からないと、ブツブツ文句を言っている祥。
だが、今はそれに構っている暇はなく……そう、まずはこの現実、過去、何かやらかしてはいないかと、修子は頭を巡してゆくと……。
そういえば……
ふと先程の電話のことを思いだす修子。
そう、この状態の中でのあの会話、何かまずいことを言ってはなかったか、と気になって。
私の方からはしゃべっているが……その声が向こうに届いていなければギリギリ大丈夫か??
祥の言葉を思い返してみて、修子は祈るような気持ちになる。すると、その時、
トントントン。
不意に叩かれる部屋の扉。誰かがやってきたらしい気配に、修子は慌てて居住まいを正すと、
「祥ちゃん、入るわよ」
そういう声がして、扉が開かれる。すると、中に入ってきたのは、
「もう、帰ってきたら帰ってきたって言ってよ。そうじゃないと、お友達が来たって分からないじゃない」
中年の、祥に似た細身の女性。そう、恐らく彼の母親、なのだろうが……。
「……」
修子は言葉を失った。なぜなら……。
悪霊に……憑かれている。
それも、ここに浮遊する悪霊たちよりも力の強い霊が。
またも過る、なんで、なんでの言葉。
それも、祥のように息を潜めているのではない、しっかり目覚めている悪霊だ。
周囲の人間に気をつけよ。
祥の中の霊が言った言葉が蘇る。そして思うのは、そう、
彼らが言った意味とはこのことなのか?
それに修子は訳の分からぬまま、とりあえず祥の中の霊の言葉をこの件とつなぎ合わせて考えてみると……まあ、確かに、辻褄が合うといえば、辻褄が合うが……。だがしかし……。
すると、考え込む修子の前に、不意に何者かの腕が降ってくる。なんだと修子は見上げてみると、丁度祥の母親が、お盆に載せていたお菓子やお茶を、ニコニコ微笑みながら二人に振舞っているところで……。
どうやら、母親は二人におやつを持ってきたようだった。
そして、
「このクッキー、美味しいから是非食べてね。無添加無農薬、自然のものばかりを使って焼かれたクッキーだから。このお茶も……シジュウム茶って言うんだけどね、ビタミンCやミネラルとかがバランスよく入っていて、美容にとってもいい……」
などと、出したモノの薀蓄なんかを長々披露してゆくものだから……。
「はいはいはいはい、分かりました。分かったから、もう、行ってよ」
いつものこと、なのか、困ったような表情をして、祥は少し邪険に母親を扱ってゆく。それで蘇る、以前言っていた彼の言葉。家では茶葉から抽出したお茶ばかりだという……。この母親を見て、なるほどと修子は思ってゆくと、
「あら、女の子には大事なことよ。いつまでもきれいでいたいものね」
少し面白くないような表情をして、母親はそう言い、
「ねぇ」
と、修子に同意を求めるような言葉を発してくる。すると、それに修子は、
「は、はぁ……」
あまり美容に興味などない修子であったから、これにどう返答すればいいのか戸惑ってしまい、思わず誤魔化すような曖昧な言葉がこぼれてしまう。とりあえず相手に合わせ、「そうですね」とでも言えばいいのだろうが……。だが……。
「ああ、彼女、困ってるじゃないか。もう、ほんといいから、行ってよ」
そんな修子の態度から、流石にその気持ちを察したのか、そうフォローの言葉をこぼしてゆく祥。
するとそれに母親は、「あら、そんなことないわよねぇ」とか言いながら修子の様子を見つめていたが、当の彼女はただひたすらこの状況にかしこまってゆくばかりで……。
「ほら、だから」
それに母親は、思わずと言ったよう肩をすくめると、
「はいはい、分かりましたよ」
そう言って、仕方なくそこから身をひるがえしてゆく。そして、まだ未練があるよう、部屋から出る直前、母親はチラリ微笑みと共に振り返ると、
「どうぞ、ゆっくりしていってね」
その言葉で、ようやく扉は閉まってゆき……。
それを見つめながら、ただひたすら愛想笑いをする修子。
そして、パタンと扉が音を立てると、一気に力が抜けたよう修子の肩が落ちる。すると、
「ほんと、悪いな。うちの母親、めちゃめちゃ自然派志向で。なんでもかんでも、無農薬、無添加、自然飼育等など。前に言ったお茶もその一つでさ。ったく、付き合わされるこっちの身にもなって欲しいって感じなんだけど……」
困惑の表情のまま、全く困ったもんだよと言い出さんばかりにそう愚痴をもらしてくる。
だが、それより何より修子には……。
「いや、私は別にいいんだが……」
本当に訳のわからないことばかりだった。この家の状況、悪霊憑きがいるから悪霊がこんなに集まっているのか、この地がたまたま悪霊が多い場だったのか、はたまた別の何かなのか。そして……母親。悪霊は彼女の中でしっかり活動していた。全く乗っ取られている訳ではないが、ある程度悪霊の影響を受けているようにも感じ……。どういう影響なのかまでは、流石に分からないが。
そう、これは……。
終わりのない疑問。
それに修子は、思わず黙り込んでしまい……。
そしてそんな彼女を前に、人の心が読めるわけではない祥、一体どうしたのかと、心配げな表情をして修子の顔を覗きこんできて……。
「どうしたの? 聞くんじゃないの? 霊には……だぁ!」
だから、言うなという意味を込めて、祥の額にデコピンが炸裂する。
そう、ここでそんなこと、できる訳がなかった。ここで霊達に語らせたら、全てが悪霊達に筒抜けになる。もしかしたら、敵陣の真っ只中で、こちらの手の内を明かすようなことになるかもしれないのだから。そう、まさか彼の家がこうなっているとは思わず……。早くこの状況を彼に伝えなければならなかった。そして、今までは隠していた彼自身の悪霊のことも。こうなっては、知らない事が逆に彼を危険にさらすことになるかもしれない。そして、もし他の家族にも悪霊の影響が及んでいるとしたら、彼は……。
一人でこの状況と戦わねばならなくなる。
だが、今はこの件については何もいえず……。
くそ……。
彼の性格から考えて、これはとんでもない精神の負担になるだろう。
だが……。
とにかく、ここは駄目だと、修子は来て早々、出されたお茶も飲まずに帰る旨を申し出る。すると、
「え……あ、うん……」
行ってもいいかと尋ねてきたのはそっちなのに、この突然の退出。変わり者だから……と分かっていつつも、どうにもそれだけでは解決できない何かを感じているようで、戸惑いの表情を見せて祥はうなずいてくる。そして、
「でも、俺の中のれ……」
ガバリ!
まだ何も分かってない彼、早く察してくれという思いと共に、修子は再び祥の口を押さえる。そして、
「あれはもういい。それより、帰り道が分からないから、駅まで送ってくれないか」
そう祥にお願いしてくる修子。それに、口を押さえられたまま祥はうなずくと、
「ふがふがふがふが」
「は?」
そう、これでは何を喋っているのだか全く分からない。なので、慌てて修子はその手を外してゆくと、
「じゃあ、ちょっと待って」
そういい直して、祥はなにやらごそごそ準備をし始めたのだった。そうしてしばしの時が過ぎ、準備完了! とばかりに、やがて二人は家を退出してゆくと……。
その帰途の途中、修子は家族のことや何かおかしなことはないかなどを祥に聞いていった。が、やはり霊感ゼロのせいか、あんな環境にいながらも、本人全く違和感を感じていないらしく、ただ修子は呆れるばかりで……。
状況によっては、祥の中の霊たちから話を聞こうと思っていたのに……。
そう、とりあえず場所を変えれば、あの悪霊たちから逃れられると思って。そうすれば、もっと自由に話ができると思って。だが……。
あの家にいた悪霊の一つが、後をつけてきていることを感じる修子。これでは結局あそこにいるのと同じ、話を聞くのは無理だと諦め、申し出通り駅まで祥と一緒に行くと、仕方なくそこで二人別れた。そして、修子は改札を抜け、行きとは反対の電車に乗ると、しばらくして適当な駅で降りてゆき……。
ふむ、この辺りでいいかな。
少し歩いて、辺りをきょろきょろ見回してゆく修子。そして、全く人気がなくなったのを確認すると、
「臨・兵・闘・者・皆・陳・烈・在・前!」
おもむろに修子は、九字を切っていったのであった。すると、思惑通り、そこからあたふたと悪霊は逃げ出してゆき……。
こんなところまでしつこく追ってくる悪霊。彼女の自宅を突き止めようとしたのか、そんな行動まで取ってきて……。それに、これはもしかしたら厄介なことに巻き込まれたのかもしれないと、渦巻く嫌な予感に、思わず顔をしかめざるをえない修子なのであった。




