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第二部 第一章 妹

 二〇一〇年八月二十一日


「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

 ベッドでまどろむ海斗の耳に、少し鼻にかかった少女の甘い声が響いてくる。それは甘いながらも、どこかたしなめるような強さも持った、耳慣れた呼びかけの声で……。

 そんな声を耳にして、無理やり起こされるよう、寝ぼけ眼で海斗は目覚めると、

「ほら、まだ寝てるつもりなの、もう十時だよ!」

 畳み掛けるよう、続いて響いてくる声。

 それに海斗はまだ寝たりないようにううんと唸ると、タオルケットの中でもぞもぞ動きながら、その声から逃れるよう少女とは反対側の方へと体を向けてゆく。

 それを見て、少女は、

「もう、いくら夏休みだからって、部活もないからって、ぐうたらしすぎだよ!」

 すると、海斗は、

「休みの日ぐらい、ゆっくりさせてくれよ、彩花あやか

 だが、彩花と呼ばれたこの少女、それにちょっと呆れたようなため息をつくと、

「別に、寝てちゃ駄目とは言わないけど……私、これから出かけるから……」

 その言葉に、今初めて聞いたとでも言うように、海斗はのそのそとベッドから身を起こすと、まだ寝ぼけ眼の様子で寝癖を手で直しながら、サイドテーブルに置かれた眼鏡を取る。そして、それをかけながら、

「出かける? 一体どこに出かけるんだ?」

「図書館」

 それに、訝しげな表情をしながら、海斗は、

「図書館? なんか最近、図書館通いが多いな。夏休みの宿題、たまっているのか?」

 ふと過った疑問を吐き出す。だが彩花は、それを打ち消すよう首を横に振り、

「ううん。夏休みの宿題は大体終わった。受験勉強、だよ。行きたい大学があるから、今から頑張らないと」

「ああ……東明大だったっけな。だけど……別に図書館でやらなくても」

 疑問は疑問でまだ残っているというように、海斗はそう問いかける。

 すると、それに彩花はぷっと頬を膨らませ、

「だって、図書館の方が落ち着くんだもん。部屋で勉強してると、色々誘惑があって。音楽聴きたくなったり、漫画読みたくなったり、何か食べたくなったり……」

 ズラズラと理由を並べてゆく彩花。それに思わずといったよう海斗は肩をすくめてゆくと、

「はいはい、分かった分かった。じゃあ、俺は大人しくお留守番だな、特に用事はないし」

「お願いね。朝食は冷蔵庫に入れてあるから。昼食は……お兄ちゃん自分で適当に食べて」

「了解」

 その言葉に満足げにうなずく彩花。そして、

「じゃ、私、もういくから」

 図書館に行くにしてはしっかりおしゃれしているようにも見える彩花、それにいらぬお節介とは思いつつも、可愛い妹が人目にさらされるのが気になって、

 なにもそんな格好をしなくても……。

 思わず心配になってしまうちょっとシスコンな海斗。そして、またもシスコンなことに、身をひるがえす彼女の姿を、愛おしげに海斗は目を細めて見つめてゆくと、

「あ、夕飯作る時間までには帰ってくるから。それから、鍵はかけていかないからね」

 思い出したように彩花が振り返ってそう言う。

 それに海斗はうなずくと、

 ニコリ、

 返ってくるのは彩花の微笑み。

 そして、今度こそはいくからねと、再び身をひるがえし、彩花はこの部屋から出てゆくと……。

 しばらくして聞こえてくるのは玄関の扉を閉める音。

 するとそれを耳にした途端、今までの穏やかさは一変して、どこか痛む心を堪えるよう、海斗は憂鬱げにうなだれてゆくのであった。


 それから海斗はゆるゆるとベッドから抜け出すと、流石に腹が減ったと、部屋を出て台所へと向っていった。

 そうしてやってきたのは台所の端にある冷蔵庫の前。

 彩花の言っていた朝食を思い出しながら、ここだったなと海斗は冷蔵庫の扉を開けてゆくと……。

 中にあったのは、スクランブルエッグとウインナー、そして生野菜サラダだった。

 それらを取り出し、テーブルの上にのせ、籠の中からクロワッサンを取り出し、一緒に冷蔵庫から取り出した牛乳をコップに注ぐ。

 そして席につき、はしに手を伸ばして食事を始めると、

 彩花……。

 またも、どこか憂鬱な表情を海斗は見せる。そう、それは……。

 まゆずみ家は、現在海斗と彩花の二人だけであった。

 そう、両親は五年程前に事故で他界しており……。それ故のこの二人暮らし、親戚がいない訳ではなかったが、世話になったのは最初の方だけ、後はずっとこの小さなマンションでの慎ましやかな二人暮らし……ということなのであった。以来、二人は力を合わせながらこうしてここまでやってきており……。

 大学を卒業してからは海斗が彩花を養い、彩花が家事全般を担う。ここ数年、そんな役割分担が二人の間に出来上がっていた。

 幸いにも彩花は料理が好きなようで、朝食も手を抜かず、しっかりと毎日作ってくれる。嬉しいことに、味も中々のものだ。

 だが……。

 何故……何故妹に生まれた。

 はしを握って、心中複雑に、海斗はそう思う。そして、

 転生するだろういつかの日をずっと待っていたのに、まさか、妹に生まれるとは。

 報われない現代、報われない過去。

 芙美子、芙美子、俺は海斗であって海斗ではない。

 兄であって、兄ではない……。

 そう、兄では……。

 胸の中を渦巻くは、過去の記憶。切なく、胸を引き裂くほどに強く切なく。そして……、

 全ては周到に準備した。

 奴を監視しやすい場所に住みながらも、二人を引き合わせないように細心の注意を払ってきた。

 そう、奴に……奴に会わせないように……。

 更に強くはしを握りしめる海斗。それにプルプルと腕が震え……。

 柚月祥、絶対彩花をお前に渡したりはしない!

 運命の悪戯か、どうあがいても報われない現代。だが、それでも報われなかった過去をも引き裂くよう、そう、現代だけでなく過去をも引き裂くよう、海斗は強く、これ以上はない程強く、心にそう思ってゆくのであった。

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